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練習INDEX

#1
#2(保育園の道・改訂版)
#3 お月様
#4 月〜裏側
#5
#6 蝶
#7 緑の小人
#8 水
#9 ハンバーグと牛乳
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ハンバーグと牛乳

くるくるぴったんこねこねこねこね
ぎゅうぎゅうぐにぐに。

んー。気持ちいい。こねこね。

私はんばーぐ。ハンバーグのたね。
こねこねされて私はばらばらからひとつの塊になる
くるくるくるくる
ぽてん。

ああん。いや。そんなにばらばらにしないで。

ひとつだった私はぐにゅっむにゅって、またばらばらになる。
小さな塊、ひとつふたつみっつよっつ

はんばーぐのたね。

ぐいぐいぺちぺち ぺちぺち

そんなに強く叩くと壊れちゃう。もっとやさしく叩いてよ。
ふぅ、ひと段落。

私はんばーぐ。まだたね。
らっぷにくるんとくるまれて、冷蔵庫にポイってされたたね。

パタン。

冷蔵庫は扉が閉まると真っ暗。暗いし、寒いし、何も見えない。
ラップにくるまれてるから、本当によくわからない。でもね、私ははんばーぐのたねだから。
らっぷがないとカラカラになっちゃう、まだぐにぐにの、たね。

「そこにいるのはだあれ?懐かしい気がする。」

そこにいるのはミルクさん。牛乳の、1リットルパックだ。
知ってる。私の中にもいる。牛乳さん。ほんのちょっとだけ、いる、牛乳さん。

     「しってるよ。僕がそこにいる。僕は牛乳。スーパーの大安売りで買われてきた、1りっとる118円の牛乳。大変お買い得な、ウシのお乳さ。」

     「ねえ君はそれ以外にもなつかしいにおいがするね。」

「そう。私の中にはウシがたくさん。」

私のおおまかなところはウシでできてる。ウシのお肉。

もともと私のおおまかなところはウシだった。モーモーって、鳴く、泣く、ウシ。
ある日ウシはバラバラになった。バラバラにポロポロにミンチになった。
それが私のおおまかなところ。

「ばらばらがぐるぐるひとつにまとまって、色々なものがあわさって、わたしはハンバーグになったの。お塩さんがぐるぐるぐるぐるひとつにまとめてくれたの。不思議な力を持ったお塩さん。ぐるぐるこねこねされるのはほんとうにきもちがよかったのよ。ひとつになるのはとてもきもちがいいのね。ばらばらはちょっと、かなしかったな。」

     「ぼくだって、わずかばかり君をひとつにするのに協力したんだぜ。」

「いっそのこと、牛乳さんのスープの中に浮かんでいられればよかったかもね。」

     「でも君はいまやはんばーぐだ。ほんのわずか、僕もまじっている。」

「そう。混じっている。ぐるぐるぐるぐるひとつになって、次は焼かれて私は何といっしょになるのだろう?」

     「けんじくんはね、牛乳もハンバーグも大好きなんだよ。だけどお肉がたべられないんだ。ハンバーグでしかね。きっと、きみはけんじくんといっしょになる。ハンバーグの君の一部が僕のように。けんじくんの一部が君になる。そして僕もけんじくんの一部になるんだ。きっときょうの夕飯には、コップに入ったぼくと、君が並ぶよ。」

「じゃあ、またいっしょになれるんだね。」

     「うん。なれるよ。」

「また、あえるんだね。」

     「またあえるよ。でも、次にあうときはぼくたちはぼくたちのことがわからないかもしれないね。」

「そうだね。でも、いっしょになれることがわかってるいまがあってよかった。ぎゅうにゅうさん、ありがとう。」

     「ありがとうはんばーぐさん。そしてぼくのいちぶ。待っててね。」
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#8 水

 それは砂漠の真ん中にありました。
砂漠はとてもとても大きくて、うっかり足を踏み入れたら最後、出るのはとても困難です。そんな砂漠の真ん中に、それはありました。少しの木と、沸いて出ている水。そこはオアシスでした。皆その砂漠に入ったら大変なことになると知っているので、めったに人は入りません。けれど、そこは本当にうっかり入ってしまうような砂漠なのです。そんな砂漠のオアシスの話。

 あるとき一人の人間がよろよろとオアシスにたどり着きました。その顔には満面の笑みがたたえられています。「たすかった」その人間は言いました。オアシスの木は少ししかないけれど、それには豊かに果物が実っています。それは1年中。いつでも。沢山の水が湧き出ているわけではないけれど、のどを潤すには充分です。その人間はとても飢えていて、渇いていました。オアシスの果実を食べ、水を飲み、みるみる元気になりました。

 さて、このオアシスは自然に出来ているもののようですが、実はそうではありません。オアシスは昔、人間の女でした。彼女は砂漠にうっかりではなく、故意に放り込まれた人間でした。その出来事が悲しくて悲しくてずっと泣き続けていたのです。泣き続けるうちに涙は枯れてしまいました。それでも泣き続けた彼女は、いつしか自分が水を生み出していることに気づいたのです。彼女自身が水になっていることに気づいたのです。この砂漠から出なければ、彼女が人間の姿に戻れることはありません。けれど水になってしまった彼女は自分の体を動かすことが出来なくなってしまいました。そうやって、このオアシスは出来上がったのです。

 オアシスは自らの意思で水を湧き上がらせて、木を育てています。木はオアシスの子供と同じです。水はオアシス自身そのものです。オアシスそのものを体内に取り込んでひと息ついた人間は、オアシスそのものの存在を感じ取ります。人間はみんなオアシスに感謝します。なんて素晴らしいんだ、と、感激したりします。そして、うっかり自らがここに足を踏み入れた経緯を語って聞かせます。オアシスは黙って聞いています。

 オアシスの水を飲んだ人間は、オアシスに深い感謝を示し、オアシスをあとにします。今もそこにオアシスがあり続けることが証明するように、まだ、彼女を外に出した人間はいません。今度の人間も、オアシスに深い感謝と謝罪をして去っていきました。「本当にありがとう。すまない。君を連れて歩くだけの力がぼくにはないんだ」

 オアシスはそういう人間たちを責めることはありません。ただ、オアシス自身が人間だった頃のことを思い、懐かしみ、途方にくれるだけです。何度も同じことを繰り返したオアシスは疲れ果てていました。希望を持つことが怖くなりました。オアシスが育てる木や、次々にあふれる水の力の源は、オアシスの希望なのです。オアシスはすべての源である希望を失いかけていました。

 そのとき、彼女の子供である木がざわめきました。ざわめきながらふるえながら、木は涙を流していました。

 オアシスは驚きました。自分のために本当に涙をながすものがあったのかと気づきました。希望を捨ててはいけないと子供たちは泣いたのです。オアシスははっとしました。だってオアシスがここを去ったとしたら、この子供たちは水がもらえなくて死んでしまうのです。私はなんとひどいことを思っていたのだろう、とオアシスはとても恥ずかしい気持ちになりました。子供たちと一緒にいつかここを出て暮らそう。少しずつ子供たちを増やして、自ら砂漠の外に出よう。子供たちが砂漠の端までたどり着いたら、子供たちに運んでもらえばいい。そう思ったら、みるみる希望がわいて来ました。

 その頃、オアシスとその子供たちを丸ごと砂漠から連れ出すことの出来るものが、オアシスのすぐ傍まで近づいていましたが、彼女も子供もそんなことは知りませんでした。
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#7 緑の小人

 ズボンが引っ張られたような気がして、一瞬足を止めた。
反射的に足元を見たら、緑色をしたブサイクな人形が転がっていた。大昔に流行った筆の出来損ないみたいなかみのけを生やしたマスコットみたいだった。あれはなんていうんだっけ。願い事がかなう、とかいうあの小さい人形……。いや、転がってるんじゃない。立ってる。そして、ボクのズボンの裾を握っている。
 人形はひとりでにたたないし、ましてや何かを握るなんてことしないだろう。こいつはなんなんだ……?と考える間もなく、そいつはすごい速さでボクの体を駆け上った。あっという間にボクの肩の上までやってきたそいつは、ボクが慌ててその緑色を振り払う前にボクの右耳をつかんで、

「な!」

と叫ぶなり、ボクの耳の中に入り込んでしまった。耳の中でがさがさごそごそと音がする。気持ち悪い。ボクはなんとかそいつを取り出そうと右耳を下にして飛び跳ねてみたり綿棒を突っ込んでグリグリしてみたりしたけれど、とうとうそいつは出てこなかった。気持ち悪くておかしくなりそう。鳥肌があとからあとから沸いてくる。耳の奥では相変わらずガサガサドンと音が聞こえている。ボクは鳥肌で体をギクシャクさせながら、近くの耳鼻科を探したんだ。

 それはおかしな事態だった。そして抜き差しならない事態だった。ボクを診察した耳鼻科のお医者さんは、「そんなものは何もありません」というのだ。でも耳の中にあの緑色が姿を隠せる場所なんて、ボクには想像もつかない。もしや鼓膜を破って鼻のほうへ進んでしまったのかしら。と想像して体をぷるぷる震えさせていると、お医者さんは「あなたの右耳はいたって正常です」なんて言うからボクはまた混乱してしまう。混乱している間にも、耳の奥ではガサガサ……たまに「へっちん」なんてクシャミの声までする始末。いったいボクはどうなってしまったんだろう。どうなってしまうんだろう。ボクは気が狂ってしまったのかしら。それはとてもとても怖いことで、ボクの歯は勝手にカチカチと鳴ってしまう。そしたら耳の奥の緑の奴は、歯のカチカチにあわせてノリノリで手拍子を叩き始めた。どんどん調子に乗った緑の奴は、どこから手に入れたのか最初から持っていたのか、あろうことかボクの耳の中でタンバリンを鳴らし始めた。ボクはあまりのうるささに本当にこれでは気が狂ってしまう!って怖くなったんだ。

 耳鼻科のお医者さんは他にも何か言っていたみたいだけれど、ボクはタンバリンの音のせいで何も聞き取れなかった。診察料を払うと、領収書と一緒にきれいな事務員のお姉さんが封筒をくれたんだ。そこには、普段病院なんて縁のないボクでも知っているような大きな病院の名前がかいてあった。タンバリンの音は一層はげしく、ボクはお姉さんの言っていることがほとんど聞こえなかった。でもきっと、この封筒を持って病院へ行けって言うことなんだろうなと思ったから、「はい、わかりました」って言って、また体をぎくしゃくさせながら病院へ向かったんだ。

 とにかくボクは、この耳の中の緑の奴を一刻も早く取り除いて欲しかった。早く早く。そうしなければ気が狂ってしまう。早く早く。病院にいかなくちゃ。封筒を持って、ぎくしゃくしながら僕は急ぐ。

 大きな病院だ、とにかく早く診察してもらわなくちゃ。まるで病院に見えない綺麗で大きな吹き抜けのロビーには、総合案内所っていうのがある。病院なのにひとがいっぱい。世の中にはこんなにも病んだ人たちがいる。すごいことだ。なんて感心している余裕はボクにはない。早く早く、気は焦っても体はぎくしゃく。そんな体にいらいらしながら総合案内所でさっきもらった封筒を差し出す。タンバリンの音はますます激しく、ボクにはもうほとんど何も聞こえない。早くこの音を、あの緑色の奴をなんとかしなければ。総合案内所のお姉さんはうっすら笑いながら何事かを言っている。聞こえない。聞こえない。ボクは「きこえないですタンバリンがうるさくて」って言った。お姉さんは黙って何かを書き込んでクリアファイルをボクに手渡した。薄い緑色のクリアファイル。お姉さんが指差す方向とクリアファイルの中の地図の赤い丸は同じ位置だ。ボクはクリアファイルを持ってお姉さんの指差すほうへ向かった。

 まだ診察が受けられない。ボクはここで恰幅のいいおばちゃんに紙を渡された。書きなさいっていうことみたい。住所とか名前とか、あとは保険証を一緒に出したら、おばちゃんは何事かをいっている。ボクは聞こえないって言ってるじゃないか。「きこえないですタンバリンのせいです」おばちゃんは無表情でボクの後ろのベンチを指差した。ボクはまだ診察が受けられないのか。タンバリンのせいで鼓膜が破けそうだ。早く早くボクの耳の中の緑の奴を取って欲しいのに。神様助けて仏様助けて。お医者さん早くボクを診て。

 おばちゃんがベンチまで来てくれてカードをくれた。さっきの紙に青い丸をつけてくれた。そして指を指す。青い丸と指差した方向はきっといっしょだ。僕はもう、しゃんしゃんどんどんがらがら言う耳を抱えながら、そろそろと歩き出す。気持ちだけはすごい早さなのに。体が全然言うことを聞いてくれない。早く早く。早く早く。

 ああ、もう目の前に見えているのに。ボクはもう……鼓膜が破れてしまう。歩けない。カチカチガタガタブルブルシャンシャンガサガサゴソゴソ。気持ち悪いよう。そして少しずつ少しずつ、あの緑色の奴がボクの中心を、確実に犯していくのをボクは感じた。ああ……。さようなら。
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#6 蝶

たくさん、たくさんの種類の虫を捕まえたんだ。僕はまえの年の夏の終わりからお母さんに頼んでいた籠と網を、夏休みの始まりに買ってもらったんだ。僕はその網と籠で、たくさんの虫を捕まえたんだ。

僕は虫が好き。だって虫はつよい。からだの外側が硬い甲羅に覆われている、虫は本当につよくてきれいだ。あの硬い殻の中に、弱虫を全部詰め込んで。僕はそんなふうに黙ってただ生きている虫が好きなんだ。

だから僕の籠の中には、ピカピカに光った殻に入った虫がいっぱいだった。カブトムシ、クワガタムシ、カミキリムシ、ゾウムシ、コガネムシ・・・・・・。毎日毎日虫を探して採っていたんだ。籠の中は硬い甲羅の虫でいっぱい。僕はそれをたまに見つめる。じっと見つめる。あちこちの森や野原でよく出くわす子がいたんだ。そいつの籠の中には、ピラピラの羽の虫ばかりがたくさん詰まっていた。僕は硬い虫しかあつめない。そいつは羽の虫しかあつめない。

ある日僕は、なんとなく蝶を捕まえた。なんとなく。集めていないのにね。僕はなんとなく捕まえた蝶をなんとなくじっと見ていたんだ。籠の中にはいれずに。蝶の羽をそっとつまんで、目の前まで持ってきて眺めていたんだ。アゲハ蝶だった。キアゲハ。僕は蝶には興味がないけれど、キアゲハくらいは見れば分かる。

 こんな弱弱しい羽を持ったもののどこがいいんだろう。僕には分からない。弱弱しく羽をバタバタさせているキアゲハを、僕はしばらくして放した。指にキアゲハの模様が写っていた。蝶のリンプンは蝶の模様と同じなんだな、と僕はぼんやり思った。

 「蝶はすごいんだ」と、そいつが言った。どうやって話し掛けたらいいのか分からずに僕は、「蝶、好きなの?」なんて唐突に聞いちゃったんだ。そいつの籠の中には、相変わらず羽だらけ。「蝶が強いの?」僕はますますわからなくなった。あんなに弱弱しい羽でパタパタと風に流されるだけなのに。「蝶は綺麗なんだ。うつくしいでしょ?この羽。このうつくしさで風に乗って生きてるんだ。戦わずに生きているんだ。花の蜜を吸って、羽のうつくしさに見とれているうちに、風に乗ってどこかへ飛んでいくんだ」

 そいつの言うすごさは僕にはよく分からなかった。でもそれをきっかけに僕とそいつの距離がぐんと近くなったのは本当だ。もしかしたら蝶のリンプンのように、あいつの考え方が僕のどこかに写ったのかもしれない。蝶の羽から目が離せなくなったんだよそれから。

 羽をひらひらさせつつ、風に乗って舞っている蝶。羽の美しさで、天敵から身を守りながら風に乗る。蝶は確かにうつくしい。でも蝶のうつくしさには毒がある。多分そのころ僕が感じていたことを言葉にすると、こんな感じ。

 羽に触れたら、リンプンが残る。手に、その蝶のしるしが残る。そのしるしは洗ってもずっと消えずに自分の中に浸透していってしまうのではないか、そんな思いが僕の頭の中を過ぎる。僕はいつのまにか、蝶から目が離せなくなっていた。




 魅入られた、というのはこういうことを言うのかもしれないな、と気づいた時には、僕の籠の中は蝶でいっぱいになっていた。
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#5

その犬は庭の小屋にいる。

小屋は大きくはないが、小さくもない。ほどよく快適に出来ている。犬小屋のくせにドアもついているから雨風も凌げる。結構イケてる犬小屋だ。
小屋の外には杭が打ってあって、犬はそこにつながれている。犬と杭を繋ぐ鎖は、決して重たくはなく、また短くもない。犬は庭の半分くらいを散策出来るほどの自由を持っている。犬はよく、庭の垣根の隙間から道を眺めている。そこは色々な人が通る。色々な犬も通る。猫も通る。そんなものを、日がないちにち眺めて暮らしている。

自由に歩いている犬を。猫を。道なんか関係なくぱたぱたと羽ばたいているすずめや鳩を見て、犬は自分がまだまだ繋がれた犬である事を自覚している。あんな風に歩いてみたい、けれどどうやればいいのか分からない。そんな風情で眺めている。

犬には憧れがあった。一匹狼と呼ばれる、遠くの山に住んでいる狼。一匹狼はあまり犬の往来にやってこない。気が向くと犬の前を通るようだった。そして気まぐれに犬に話をしていく。犬が観る事の出来ない、鎖の外側の世界の事を。

犬はそれ以外にも、ほかの犬とも交流をする。散歩中の犬であったり、野良犬であったりだ。犬は自分の居場所を変えない。いつも庭の垣根の隙間から外を覗いている。犬は繋がれているから、ほかの犬のようにあちこち好きな場所に行けないのだけれど、犬をその場所に繋ぎとめている鎖の脆さも実は犬は知っている。

「この鎖は、いつか時期が来たらボロボロに崩れる鎖。いつか時期が来たら、僕は鎖をちぎって歩きだす。そんな鎖。僕もいつかは、あの一匹狼のようにあちこち旅をしてみたい。もっともっとたくさんの事を見たい。聞きたい。感じたい。」

犬はいつもこう思っている。けれど実は、鎖はもう繋がってはいない。鎖はピカピカのままだけれど、地面に埋まっている杭は、根っこが朽ち果てていて簡単に引き抜くことが出来る。犬は気づかない。まだまだ、その時は来ないんだと信じている。そして相変わらず、自分の手の届かない場所にいる一匹狼や往来の犬に思いを馳せる。

自分の身と彼らの身を比べて、たまに落ち込む。たまに自分の甘さを痛感する。そして彼は、自分の鎖をがりがりとかじる。いつかその鎖が噛み千切れる事を祈りながら。

一匹狼はその姿をただ黙って見つめている。時にその犬をほめつつ、時に遠くからただ見つめている。その犬は一匹狼に認められることが嬉しくて嬉しくて、また鎖をかみ続ける。がんばっているのに、鎖がいつまでたってもぴかぴかな事に、犬は時折自暴自棄な気分になる。そんな様子をじっと見ている犬がいる。

それは飼い犬ではない。どうやら野良のようだが、昔飼い犬だった事のある犬のようだ。彼女は犬が自暴自棄になった事を察知すると、犬におやつを置いていく。がんばってるねーの言葉とともに、おやつを置いていく。

一匹狼もおやつを置く犬も、杭が朽ち果てている事に気づいている。けれども彼には言わない。気づくのを待っている。

もしそれをどちらかに言われても、犬は気づかないだろう。信じないだろう。犬はある意味でロマンチストなのだ。だから犬は、自分が鎖を噛み千切って走り出す、そのイメージを強く強く持っているから。

そのイメージを崩した時こそが、犬が自由になる瞬間なのだろう。そしてそれはそんなに遠くない未来に起きる事のような気もする。

世界が広がった時に、素直にそれを受け入れる器が、きっと犬にはあるから、きっと立派な一人前になれるであろう。その時に。
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#4 月〜裏側

いつものようにいつもの場所に行ったら、先客がいた。そこは僕のいくつかあるお気に入りの場所のひとつだった。自分のお気に入りを不意に奪われると人はどう感じると思う? 僕は不愉快に感じたんだ。

 彼女は僕の席に座ってぼけっと空を眺めていた。なんとなく彼女の視線の先を辿ったら、そこには月があった。平和な子だなぁと思ったよ。何が楽しくて月なんか眺めてるんだろうとね。ただ、その日は満月で月が綺麗だったのは本当のこと。

 隅田川大橋の袂のこの場所は、本当に人がいない。人のいないところで頭を空っぽにしたい時に僕はここに来る。あの日はいい夜だった。彼女がそれを台無しにした気がしたんだ。台無しにされたついでに話しかけてみた。今日の月は綺麗だね、って。そしたら彼女は僕のことを知ってた。びっくりしたよ。でも今日はいい夜だから気にしないことにした。

 彼女は、僕がいつもここに座って月を眺めているんだと思っていた。僕は否定しなかった。彼女の望むままの僕を、僕は彼女の前で見せ続けてきた。楽しかったろう?僕は人に喜んでもらうのが好きだ。僕の周囲の人には笑っていて欲しい。彼女の前でも、僕は完璧に彼女の求めるものを提供してきたつもりでいるよ。ただひとつを除いて。

 彼女は常に僕と居たがった。僕が一番好きで、たいせつにしているのは、周りに誰も居ないひとりの時間だ。それは、彼女の望む僕でいるためには必要不可欠な時間。それだけは彼女の思い通りにならないこと。

 月を愛で、目に映るさまざまなものに自分なりの解釈をつけて意味を見出して接する彼女。彼女には残念なことだけれど、月と僕は何の関係もない。僕と彼女とも、何の関係もない。僕たちは最初から好き勝手にやりたいようにやっていただけだろう。その結果、離れたり近づいたりしたんだろう。きっと彼女に言っても彼女はきょとんとした顔で見返すのだろうね。僕のこと。

 最後の夜。
橋の上から公園を見下ろしてみる。等間隔で整然と植えられた銀杏の木は、一斉に黄色い葉を地面に降らせている。公園の道は、黄色い銀杏の葉で絨毯のようになっている。街頭のまるい灯りが、その黄色を照らしている。川はそこここの灯りを反射してキラキラ波が光ってる。なんていうことのない、ただの景色。彼女はしみじみと眺めている。何を思って眺めているのやら。

 ふと空を観た。彼女が最初に見ていたのと同じ、大きくて丸い月が浮かんでいる。月は綺麗だ。きっと彼女のような人はたくさんいるのだろう。そんな思い入れなんて意にも介せず、月はただぐるぐるとまわって欠けて満ちている。綺麗だ。その冷たさが僕は好きだな、と思った。
 彼女はなかなか動こうとしない。ただ、じっと月を見ている。僕は彼女の気の済むまで、待つ。

 彼女は駅へ向かう。僕は自分の家へ向かう。
別れ道でまた彼女が立ち止まる。彼女がじっと僕を見る。月を見るのと同じ目で。僕も彼女を見る。月を見るように。「じゃ、元気で。」と、僕は言う。彼女の視線を受け止めて、流して、僕はまるで月のように。そして、僕は家路へ向かう。
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お月様

 私は今くらいの季節が一番好き。コートを羽織るか羽織らないか迷うくらいの気温。春も好きだけれど、春のこれから暖かくなるという浮かれ気分は、時折鬱陶しい。冬の澄んだ、ぴりっとした空気も嫌いではない。けれどやっぱり、一番好きなのはこの季節。秋。

 隅田川には大きくて綺麗にライトアップされた橋が架かっている。たくさん。私は隅田川大橋をよく歩く。橋の真ん中から永代橋側を向けば、ライトアップされたいくつかの橋を見ることが出来る。青い橋、白い橋、ピンク色の橋。そして海水の混じった川の匂いを嗅ぐ。めいっぱい吸い込む。吐き出す。私は隅田川に架かった橋の上から見る風景が好き。

 隅田川の両脇にある細長い公園に、最初に寄り道したのはいつだったかな。水害対策で作られたその公園は、隅田川の両脇にずっと長く続く遊歩道。橋の上から眺めるだけだった公園に足を踏み入れるきっかけは、そこにあなたがいたから。

 あなたはいつもそのベンチに座っていた。私が橋の上で深呼吸したり川を流れる屋形船の赤い提灯を数えたりビルの看板やマンションの灯りを眺めたりしている間、時折あなたはそこに座っていた。ただ座っていた。

 あなたから見たら、私もただ橋の真ん中でただ立っていたんだろうね。聞いたことはないけれど。私はあなたがいるところから見える景色を見たくなった。だから、橋を降りて公園に向かってみた。

 あんなことを思い立ったのは、やっぱり季節が秋だったからだろうな。そしてたまたまその日はあなたがいなかった。偶然で必然の人との出会いのきっかけは、いつだって人の好奇心から始まる。

 あなたが見ていたのは、月だった。
その日はたまたま満月で、その日の月はとっても大きかった。私は圧倒されて、その月に見入っていたから、あなたが来たことに気づかなかった。あなたが隣に座るまで。

 それから幾度となく、私は月を眺めた。季節が3回転した。いつの間にか、橋の上からの景色は懐かしい景色になっていた。同じようで違う景色。同じようで違う月。同じだけれど、違う月。

 今、私たちは橋を歩いている。真ん中までもうすぐ。私には3年ぶりの、あなたにとっては初めての、橋の上からの景色。どうしても、と、私がお願いをしたから。だから私は初めてあなたと一緒に橋の真ん中からの景色を目に焼き付けに向かっている。

 思い出にはしたくないよ。でも時間は神様よりも偉いから。時間に逆らうことは出来ないから。だからせめて、少しでも長い間覚えていられるように、しっかり目に焼き付けておこう。そのくらいの無駄なあがきはしてもいいよね? まんまるだった月が少しずつ欠けて行って、遠くなったり近くなったりしながら、消えながら、また満ちていって。そんな風に私たちも近づいたり離れたりしたんだきっとね。

 月が結んだ縁ならば、月に逆らわずに行きましょう、なんて。どれもこれも言い訳。でも最後くらい、それでいいじゃない。ねぇ? あなたは黙っている。私はただどうでもいい事を話している。ただ、手を繋いでなんでもない風を装って、橋の真ん中から月を眺めてみる。

 綺麗だなぁ。今日は満月で、月はとてもとても大きい。最初のお月様とそっくりな顔をした、今日の月。最後の月。

 立ち止まって見蕩れる。月に見蕩れる。あなたは初めて口を開く。「きれいだなぁ」と。だから私も言う。「きれいだねぇ」と。手は握っている。あなたからの体温を、私の掌が感じている。私は五感をフル動員させて、体中に刻みつける。月のかたちを。川の匂いを。あなたの手の温度を。空気の温度を。その場のその時間を真空パックするみたいに。たくさんのもったいないなぁを胸の中に押し込めて。あなたが私を見る。私は見ない。あなたはまた、月を見る。私は月を見続けている。ごめんね。もうちょっとだけ。

 あなたは3回私を見て、3回目に私はあなたを見た。そして私たちは、手を繋いだまままた歩き出した。ふたりの帰り道が別れるところまで、手を繋いだまま私たちは歩き続けた。

 別れ道で、私たちはまた立ち止まった。私があなたの顔を見る。あなたが私の顔を見る。私はまた、そのすべてを真空パックする。今日の一日を、たいせつにたいせつにしまう。

 「じゃ、元気で」と、あなたが言う。「うん」と、私が言う。そして私はゆっくりと手を離す。あなたは黙っている。私を見ている。私はまた、たくさんのもったいないをぎゅうぎゅう押し込めて、手を振って自分の道を踏み出す。そしてその場に、あなたに、ありがとうをおいていく。

 私は歩きながら空を見た。月は橋の上で見るのと同じ顔をして、空に浮かんでいた。
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#1

どうしようかなぁ。

と、つぶやいてみる。どうにもならないんだけど。

どうしようかなぁ。

言葉が上滑りしてるよ。本当にどうしようもない。まったく大丈夫じゃない。なんでこんなことになったんだろう。なんて事を考えていること自体がもうおかしい。

現実がどんどん自分から離れていってる。なるようにしかならない。と言い聞かせてもどうしても現実が自分の中に入ってこないよ。現実が僕のキャパシティを超えてる。でも、僕がやらかしたこと事の結果が今なんだ。間違いなく。現実。

そんなつもりじゃなかった なんて陳腐な言い訳にしか過ぎないことは僕にだってよく分かってる。したくてあんなことをするヤツは大抵まともじゃない。間違いなく。

なんで逃げちゃったんだろ。現実はどんどんひどい方向へ流れていっている気がする。ものすごくあせっているんだろう、僕は。でもそのあせりすら実感できない、今の僕は本当にどうしてしまったんだろう。

怖いなぁ。

あ、やっとそれっぽい言葉が出てきた。八方塞、とか、四面楚歌、とかってこういう事を言うのかな。10年後に僕は懐かしく思い出すのかな。今のこと。それとももうそんな先、僕にはないのかな。
ああ、10年後より今だよ今。どちらにしても、僕は覚悟を決めなくちゃいけない。今、この状況をどうするべきなのか。最良の方法を考えなくちゃいけない。


警察はすぐそこまで来てる。もうすぐここまで来るだろう。
僕に逃げ道はあるのか? 僕は逃げるべきなの? それとも捕まって全部認めるべき?「べき」ってなんだろう。見つけ出すのは、「べき」じゃない。僕の、本心だ。僕は今、どうしたがってるんだろう。逃げたいのか?逃げるのが不可能だからここにいるのか? そうだとすればそれはすごく格好悪い。やだなぁ。なんだか何も考えなしにやってしまったみたいじゃないか。そんなことないのに。

そう、僕は納得したうえであの子を殺したんだ。殺そう、殺したい、と思って殺したんだ。それは間違いない。そのまま警察に行くつもりだったんじゃないか。僕は。なんでこんなところで怖がっているんだろう。

僕だって殺したくなかった。死んでほしくなんか、なかった。僕はあの子を愛してた。あの子のためだけを思って必死になって考えたんだ。考え抜いたろ?僕。そして、殺した。あの子の望むままに。望むとおりに。悪い事なんかしてない。なぜ僕が追われる?なぜ逃げる?

追われたから逃げたんだ。それはわかる。すごく単純。明確。
ああ、あの子のあの言葉は本心だったのだろうか。それとも僕の勘違いだったのかな。でも僕たちは分かりあってたはずで、あの時の僕にはあの子のあの言葉の真意には確信を持ってた。今は分からない。何もわからない。あの時僕は、どうしてその真意を信じて疑わなかったんだろう。あの時の僕のことがもう僕にはわからない。そして、あの子はもういない。死んじゃった。僕が殺した。

会いたいなぁ、あの子に。もう一度触りたいなぁ。
最期の時、僕があの子に絡まってるチューブを、全部、取り外した時。あの子の顔を、僕を見る目を、僕は覚えているよ。とっても優しい目をしていたんだ。あのときなんでぎゅって抱きしめなかったんだろう。うん、そうだ。確かに「ありがとう」って言ってたよ。声なんか出せなかったんだけど。あの子。でももしあの時僕があんなことしなければ、きっと今日だって僕はあの子に会いに行ってさ、あの子の顔を見ることが出来たんだ。もう出来ない。僕は今、あの子に無性に会いたい。あの子の姿が見たい。

あの子に会いたいのはあの子のせいじゃない。でも、あの子に会えないのは、僕のせいだ。

あの子は僕を許してくれているのだろうか。僕は僕を許しているのだろうか。僕は僕を許せない。でも僕は僕が可愛い。どうしようもなく。絶望的なまで。本心、僕は捕まりたくない。

僕は後悔してる。僕はあの子を殺さなきゃよかったと思ってる。そして僕は捕まりたくない。そして僕は、まだあの子の事を愛してる。どうしようもなく。手に入れてそのままにしておきたかったのになぁ。なんで病気になんかなったんだ。なんで僕より早く死んじゃうんだ。なんでなんだ。あの子はずるい。君は、とっても、ずるい。僕は君とずっとずっと一緒にいたかっただけなんだ。ずっと。僕が死ぬまで。

 君のために君を殺した。君には会えなくなるし僕は犯罪者だ。君のためにしたのに僕には何もいいことがない。最悪だ。ああもう逃げられない。捕まるしかないのかな。捕まったらどうなるのかな。でももう、僕は疲れた。世界のぜんぶが僕に意地悪してる気分。ねぇ、僕をいじめてそんなに楽しいかい? 神様。

警察がそこまで来たよ。もう逃げられないみたいだ。僕はどうする? どうしたい? あの子に会いに行こう。僕にはきっとそれしかない。もう面倒くさい。考えたくない。なんで気づかなかったんだろう。あの子に会う方法があるじゃないか。

僕は、飛ぶ。
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