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#8 水

 それは砂漠の真ん中にありました。
砂漠はとてもとても大きくて、うっかり足を踏み入れたら最後、出るのはとても困難です。そんな砂漠の真ん中に、それはありました。少しの木と、沸いて出ている水。そこはオアシスでした。皆その砂漠に入ったら大変なことになると知っているので、めったに人は入りません。けれど、そこは本当にうっかり入ってしまうような砂漠なのです。そんな砂漠のオアシスの話。

 あるとき一人の人間がよろよろとオアシスにたどり着きました。その顔には満面の笑みがたたえられています。「たすかった」その人間は言いました。オアシスの木は少ししかないけれど、それには豊かに果物が実っています。それは1年中。いつでも。沢山の水が湧き出ているわけではないけれど、のどを潤すには充分です。その人間はとても飢えていて、渇いていました。オアシスの果実を食べ、水を飲み、みるみる元気になりました。

 さて、このオアシスは自然に出来ているもののようですが、実はそうではありません。オアシスは昔、人間の女でした。彼女は砂漠にうっかりではなく、故意に放り込まれた人間でした。その出来事が悲しくて悲しくてずっと泣き続けていたのです。泣き続けるうちに涙は枯れてしまいました。それでも泣き続けた彼女は、いつしか自分が水を生み出していることに気づいたのです。彼女自身が水になっていることに気づいたのです。この砂漠から出なければ、彼女が人間の姿に戻れることはありません。けれど水になってしまった彼女は自分の体を動かすことが出来なくなってしまいました。そうやって、このオアシスは出来上がったのです。

 オアシスは自らの意思で水を湧き上がらせて、木を育てています。木はオアシスの子供と同じです。水はオアシス自身そのものです。オアシスそのものを体内に取り込んでひと息ついた人間は、オアシスそのものの存在を感じ取ります。人間はみんなオアシスに感謝します。なんて素晴らしいんだ、と、感激したりします。そして、うっかり自らがここに足を踏み入れた経緯を語って聞かせます。オアシスは黙って聞いています。

 オアシスの水を飲んだ人間は、オアシスに深い感謝を示し、オアシスをあとにします。今もそこにオアシスがあり続けることが証明するように、まだ、彼女を外に出した人間はいません。今度の人間も、オアシスに深い感謝と謝罪をして去っていきました。「本当にありがとう。すまない。君を連れて歩くだけの力がぼくにはないんだ」

 オアシスはそういう人間たちを責めることはありません。ただ、オアシス自身が人間だった頃のことを思い、懐かしみ、途方にくれるだけです。何度も同じことを繰り返したオアシスは疲れ果てていました。希望を持つことが怖くなりました。オアシスが育てる木や、次々にあふれる水の力の源は、オアシスの希望なのです。オアシスはすべての源である希望を失いかけていました。

 そのとき、彼女の子供である木がざわめきました。ざわめきながらふるえながら、木は涙を流していました。

 オアシスは驚きました。自分のために本当に涙をながすものがあったのかと気づきました。希望を捨ててはいけないと子供たちは泣いたのです。オアシスははっとしました。だってオアシスがここを去ったとしたら、この子供たちは水がもらえなくて死んでしまうのです。私はなんとひどいことを思っていたのだろう、とオアシスはとても恥ずかしい気持ちになりました。子供たちと一緒にいつかここを出て暮らそう。少しずつ子供たちを増やして、自ら砂漠の外に出よう。子供たちが砂漠の端までたどり着いたら、子供たちに運んでもらえばいい。そう思ったら、みるみる希望がわいて来ました。

 その頃、オアシスとその子供たちを丸ごと砂漠から連れ出すことの出来るものが、オアシスのすぐ傍まで近づいていましたが、彼女も子供もそんなことは知りませんでした。
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