殺したいって思うほどの強いあれこれを私は持ち合わせていない。
ダイスキダイスキ愛してるって思うよりもずっとちから使うと思う。殺したいって。
私も時折使うけれど、「シネバイイ」っていう言葉。
これを言う時ってみんな想像力を働かせないで使ってるんだよね。きっと。
殺したいって、シネバイイよりも強い言葉。
私はきっと、殺したいと思うほど何かに執着を持つ事はないんだと思う。
対象をひと以外まで広げてしまうと収集がつかなくなる気がするので対人限定で話を進めるけれど、誰かを殺したいと思うのは、積極的に自分の視野からその人を排除したいとか、そういうことなのかな。何かをされてその腹いせに殺したい、とかは私にはいまいち理解が出来ない思考回路。私は誰かを殺したらすごくすごく寝覚めが悪いと思うから。
そのあとの自分の人生が確実に楽しくなくなるだろうから。
殺したいってのはネガティブな衝動で、そういうものを持ち続けるのってすごく疲れると思うのね。楽がしたいから、ネガティブをなんとかポジティブに転換させて暮らしている。
だから、殺したいなんて思う事は多分、ない。
いなくなってしまえばいい、とか、消えてしまえばいい、とか思う事はたまにあるけれど。
これってどうにかなるんだよ。自分が消えればいいんだから。
愛情と憎悪は紙一重っていうけれど。
憎悪っていうのも持ち続けた事がないんだなぁ。。。
疲れちゃうから。
一見いい人っぽい響きだけど、実はそうでもないとも思う。
きっと冷たいってことなんだろうなと思う。
どちらがいいということでもない気がするけれど、極端にどちらかしかないってのはやっぱりちょっと歪んでるのかも知れないね。