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#5

その犬は庭の小屋にいる。

小屋は大きくはないが、小さくもない。ほどよく快適に出来ている。犬小屋のくせにドアもついているから雨風も凌げる。結構イケてる犬小屋だ。
小屋の外には杭が打ってあって、犬はそこにつながれている。犬と杭を繋ぐ鎖は、決して重たくはなく、また短くもない。犬は庭の半分くらいを散策出来るほどの自由を持っている。犬はよく、庭の垣根の隙間から道を眺めている。そこは色々な人が通る。色々な犬も通る。猫も通る。そんなものを、日がないちにち眺めて暮らしている。

自由に歩いている犬を。猫を。道なんか関係なくぱたぱたと羽ばたいているすずめや鳩を見て、犬は自分がまだまだ繋がれた犬である事を自覚している。あんな風に歩いてみたい、けれどどうやればいいのか分からない。そんな風情で眺めている。

犬には憧れがあった。一匹狼と呼ばれる、遠くの山に住んでいる狼。一匹狼はあまり犬の往来にやってこない。気が向くと犬の前を通るようだった。そして気まぐれに犬に話をしていく。犬が観る事の出来ない、鎖の外側の世界の事を。

犬はそれ以外にも、ほかの犬とも交流をする。散歩中の犬であったり、野良犬であったりだ。犬は自分の居場所を変えない。いつも庭の垣根の隙間から外を覗いている。犬は繋がれているから、ほかの犬のようにあちこち好きな場所に行けないのだけれど、犬をその場所に繋ぎとめている鎖の脆さも実は犬は知っている。

「この鎖は、いつか時期が来たらボロボロに崩れる鎖。いつか時期が来たら、僕は鎖をちぎって歩きだす。そんな鎖。僕もいつかは、あの一匹狼のようにあちこち旅をしてみたい。もっともっとたくさんの事を見たい。聞きたい。感じたい。」

犬はいつもこう思っている。けれど実は、鎖はもう繋がってはいない。鎖はピカピカのままだけれど、地面に埋まっている杭は、根っこが朽ち果てていて簡単に引き抜くことが出来る。犬は気づかない。まだまだ、その時は来ないんだと信じている。そして相変わらず、自分の手の届かない場所にいる一匹狼や往来の犬に思いを馳せる。

自分の身と彼らの身を比べて、たまに落ち込む。たまに自分の甘さを痛感する。そして彼は、自分の鎖をがりがりとかじる。いつかその鎖が噛み千切れる事を祈りながら。

一匹狼はその姿をただ黙って見つめている。時にその犬をほめつつ、時に遠くからただ見つめている。その犬は一匹狼に認められることが嬉しくて嬉しくて、また鎖をかみ続ける。がんばっているのに、鎖がいつまでたってもぴかぴかな事に、犬は時折自暴自棄な気分になる。そんな様子をじっと見ている犬がいる。

それは飼い犬ではない。どうやら野良のようだが、昔飼い犬だった事のある犬のようだ。彼女は犬が自暴自棄になった事を察知すると、犬におやつを置いていく。がんばってるねーの言葉とともに、おやつを置いていく。

一匹狼もおやつを置く犬も、杭が朽ち果てている事に気づいている。けれども彼には言わない。気づくのを待っている。

もしそれをどちらかに言われても、犬は気づかないだろう。信じないだろう。犬はある意味でロマンチストなのだ。だから犬は、自分が鎖を噛み千切って走り出す、そのイメージを強く強く持っているから。

そのイメージを崩した時こそが、犬が自由になる瞬間なのだろう。そしてそれはそんなに遠くない未来に起きる事のような気もする。

世界が広がった時に、素直にそれを受け入れる器が、きっと犬にはあるから、きっと立派な一人前になれるであろう。その時に。
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