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磁石のようなもの。

何かをすることに意味がある、と断言できる強さが今の私にはある様子。
自分を取り巻く環境を、すべて自分の味方につける事が出来る強さがある様子。
必要なことと不必要な事をより分ける事が出来る自分自身。

青臭ささも自覚。
青臭い事は格好悪いけれど、悪い事ではないと胸を張っていいます。
あきらめたとたん、道は閉ざされる。
どれだけ可能性が低くても、自分自身の事は手を抜けない。

自分自身を自覚して、それでもあきらめないことは格好悪いかもしれない。
あきらめないで生き続ける事は、しんどいかもしれない。
言い訳ばかりが上手になって上手に逃げ道をつくる事よりも、周りに失笑されながらでも信じた道を歩いていくほうがいいと感じる。

自分の弱さを発見し続け、それを乗り越え続けて行く生き方は、難易度が高いのかもしれない。疲れるのかもしれない。けれども変化を恐れてばかりいては、いつまで経っても変われない。

自分の理想は、必ず自分の中にあるはす。

その理想は、他の誰の物でもなく自分の物であるはず。

誰に何を言われても、笑われても、諭されても、そこは譲る事が出来ない。

傍から見れば、私の追いかけ続けている男性は、どうしようもない人なのかもしれないし、私の取っている行動は愚かでしかないんだろう。それは、傍から見ていたらそう映るのだから仕方がないし、周囲の誤解を解こうとも思わない。

しかし、今の私の行動基準は依存ではない。
きっかけは依存だった。でもそれにどんどん気づいていける関係であり、行動であるのだから、そしてその変化を、他の誰でもない私自身が気づいているのだからこれはどうしようもなく真実なのだな。

信じる事は時に愚かな事だし、裏切られることも多々ある事は充分承知している。
今までだって何も考えずに人間と関わってきたわけじゃない。
今までどうして失敗したのか、その原因と対策は毎回反省して身にしている。
失敗とはそのためにあるものだ。
誰だって失敗したくない。でも、失敗して醜態を晒すことは悪い事じゃない。
失敗しても失敗しても、続く関係があるのなら、それは幸せな事なのだ。
そしてそういう関係こそが、自分が心から求めている関係なのだ。きっと。

私には親友がひとりいる。
彼女と出会って、私は随分と変わった。
彼女も随分と変わった。そして、私たちはお互いがいる事で影響しあって、変わり続けるのだろうと思う。

私が惚れている男性は。
私といる事で変われる可能性をたくさん秘めている。そして何より重要なのが、彼自身心の奥底であきらめきっていないということ。どれだけ打ちのめされて後ろ向きになっても、彼が相変わらず自分の理想とそれを欲する気持ちを持ち合わせていること。

私の親友と私が惚れている男性は。
お互いの私との関係とは違う種類の絆を持っている。少し距離のある立場で、甘えのない立場で、お互いを補い合える存在である。

奇跡的な事に。
私の親友と私が惚れている男性と私の3人は、3人が三つ巴になってそれぞれを助け合う仕組みになっている。本当に、奇跡的に。

私と私の親友は、信じる事と信じる強さとその絆を育んで、学習している。
「この人は信じていい」という学習をしている。そして、その中に彼が入っている事も自覚している。

彼は、まだ信じきれていない。
まだ怖がっている。そして苦しんでいる。彼が一番信じられないのは、彼自身なのだから苦しいのは仕方なく、当たり前。

私と親友は、ちょっと前から彼を待っている。
彼が自分自身を信じきれる日を待っている。

人間関係に、100%与える関係も100%与えられる関係も皆無だと私は言い切る。
人が誰かに何かをするときは、必ずそれに見合った見返りがないと成立しないということ。
見返りを求めない、というのは奇麗事に過ぎないのだなと最近よく思う。
この仕組みを理解すると、きっと彼も自分に自信が持てるのだろうなと思う。
彼は私と親友に「してもらってばかり」と思っているのかもしれないが、それは違う。
私と親友は、彼に何かするたびに彼から見返りをもらっているのだ。

だから、私たちは離れないのだ。

それが何かということを、本人は理解しなくてもいいのだろう。
大切なのは、私たちが彼から何かを受け取っているということを、彼が信じられることなのだ。
こういう風に思考がしっかり纏まると、きっと私は次の段階に入る。

思考がしっかり纏まるきっかけをくれた若者に、この場を借りてこっそり感謝しておこう。

そう。

何事にも意味がある。
何気なく出会った事にも、誰かに惹かれる事にも、何かの意味がある。
意味のある出会いを自らが引き寄せている。その意味を見出すのに時間がかかったとしてもね。
その意味を見出せるか否かで、きっと自分の人生も変わる。

そしてこういう事がよく見える今は、きっとすごく大切な時期なのだろう。

※※

やっと、抜け出しました。
さて、これからの私がどう変わっていくのか。
私自身にも分からないけれど、この変化を楽しめるだけの余裕はあるようです。

これだから生きてる事は楽しい。
こういう瞬間のためにきっと私は生きてる。
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