「素」
某所でいただいたお題。
「す」でも、「もと」でも。
種のようなものだよね。「もと」
いのちは、みんな「もと」だけでうまれてくる。
すっぱだかで、何も持たずに、ただ、自分自身の「素」だけで生まれてくる。
それは、あまりに弱いものだから。
いろいろなものに負けないように、私たちはいろいろなものを身につけて、まもる。
まもられていないと、壊れてしまうこともあるから。
そうして、傷ついたりしながら、色々なものを身につけて、大きくなる。
いちにんまえになる前に、私たちはもう一度、「素」に戻る時が、ある。
身につけてきたものは、今まで自分を守っていたもの。
でもそれは、自分を隠してしまうものでもある。
いちにんまえになるには、その道具を道具として上手に使わなきゃならない。
自分のすっぴんを、自分でも忘れてしまっていることもあるだろう。
大切な大切な自分自身のかたちを、一度「す」に戻って、認識すること。
身につけて、それを脱ぐ。
その両方ができるようになったとき、人はきっといちにんまえになる。
「もと」と「す」
違うようで、きっと同じもの。
願わくば。
あまりの傷に、その傷の記憶に、どうしてもどうしても、「す」になることが怖いひとたちに。
どうか、その恐怖を乗り越えられる勇気を。
勇気を持たせてくれる、誰かの存在を、見誤らぬよう。
「いない」なんてこと、きっとない。
自分の目を、過信することなく、卑下することなく、いい塩梅に信じられるよう。
これが自分自身だ、と、堂々と、時にこっそりと、それでも鎧を脱ぎ捨てられる、武器を放り投げられる、そんな瞬間の幸福感を、味わって欲しい。
人は、「素」で出てきて、いろんなものを学んで、もう一度、誰かの前で「素」に戻る。
そこが、人として生きて学ぶ、スタートラインなのじゃないかなと思う次第。
素にならなきゃ学べない事、素でぶつからなきゃわからないことって、きっとたくさんあって、そこで学ぶ事は、きっととっても大切な事柄だったりするのじゃないかな。
「す」でも、「もと」でも。
種のようなものだよね。「もと」
いのちは、みんな「もと」だけでうまれてくる。
すっぱだかで、何も持たずに、ただ、自分自身の「素」だけで生まれてくる。
それは、あまりに弱いものだから。
いろいろなものに負けないように、私たちはいろいろなものを身につけて、まもる。
まもられていないと、壊れてしまうこともあるから。
そうして、傷ついたりしながら、色々なものを身につけて、大きくなる。
いちにんまえになる前に、私たちはもう一度、「素」に戻る時が、ある。
身につけてきたものは、今まで自分を守っていたもの。
でもそれは、自分を隠してしまうものでもある。
いちにんまえになるには、その道具を道具として上手に使わなきゃならない。
自分のすっぴんを、自分でも忘れてしまっていることもあるだろう。
大切な大切な自分自身のかたちを、一度「す」に戻って、認識すること。
身につけて、それを脱ぐ。
その両方ができるようになったとき、人はきっといちにんまえになる。
「もと」と「す」
違うようで、きっと同じもの。
願わくば。
あまりの傷に、その傷の記憶に、どうしてもどうしても、「す」になることが怖いひとたちに。
どうか、その恐怖を乗り越えられる勇気を。
勇気を持たせてくれる、誰かの存在を、見誤らぬよう。
「いない」なんてこと、きっとない。
自分の目を、過信することなく、卑下することなく、いい塩梅に信じられるよう。
これが自分自身だ、と、堂々と、時にこっそりと、それでも鎧を脱ぎ捨てられる、武器を放り投げられる、そんな瞬間の幸福感を、味わって欲しい。
人は、「素」で出てきて、いろんなものを学んで、もう一度、誰かの前で「素」に戻る。
そこが、人として生きて学ぶ、スタートラインなのじゃないかなと思う次第。
素にならなきゃ学べない事、素でぶつからなきゃわからないことって、きっとたくさんあって、そこで学ぶ事は、きっととっても大切な事柄だったりするのじゃないかな。