サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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君の夢がゴミと化してはや幾星霜 2011-12-22

ゴミなのか これゴミなのか
認めたくないけど違うのか
ゴミですよ それ邪魔ですよ
放っておいたら もはや公害
捨てないのなら 違いますよ
持ち主がいるのなら夢ですよ
あの日からずっとずっと夢のままですよ
君のゴミが夢と化してはや幾星霜
燃やせなくて粗大で味が出てきた なんて事もない
(分別奮闘記/BUMP OF CHIKEN)

1週間が長い長いと言っている間に週末です。
振り返ると早い。怖い。
まだ見ぬ未来は遠くに見えるのに、過ぎ去ってしまうと驚くほどあっけない。
今現在過ぎ去っていく時間の速度に若干の恐れを抱きつつ。
けれどいつでも誰にでも同じだけ、まったく平等に流れているのだよねえ。時間。
そんなこんなであっという間に年末です。
明日からクリスマスの三連休ですって。
案の定なんの予定も…ない、と言いたいところですが、明日はお芝居に行ってきます。
おそらく明後日は映画に行ってきます。
まるで私の1年間を象徴するような週末である。
一人で出かけることは嫌いではありません。
下手に気を使いながら誰かと歩くよりは、一人で好き勝手に歩いている方が楽しい事もある。
観たいものを観たいだけ観ていられるし、興味のない事に付き合うこともない。
それでも一人歩きに慣れてしまうと、誰かの興味に付き合ったり合わせたりすることが懐かしく感じたりもします。
誰かの歩調に合わせて歩くことは、好き勝手出来ないけれど結構楽しいものだと思う。
私は自分が勝手だと思っているのだけれど、人とのつきあいかたは相手次第で相手に合わせる事のほうが楽。
自分でしたいことだけをさせてくれる余地があるならそれでいい気がする。
それに付き合って欲しい、とは思わない。
もちろん、自分の好きなこと、興味のあることに相手が合わせてくれたらとても嬉しい。
でも、それは相手も一緒に楽しいと思ってくれていなければ意味がなくて、
無理をさせるくらいならば一人で勝手にやろう。と思ってしまいます。
こんなことがあって、自分の好きなものを誰かに勧める事はあまりしません。
興味を持ってくれて、色々とオススメをしても「いまいちだなぁ」と思ったらそう言ってくれる方が嬉しいです。
ごきげんよう、たいこです。
KIDS
昨日のオムライズ風景。
さやかちゃんがすごくかわいい。
そういえば子供たちはよく、こんな格好をして家の中をうろうろしているなぁと思った。
なぜ、ぱんついちまいになりたがるのでしょうか。子供たち。
「したをちゃんとはけ!」と、よくしかります。
が、私自身も結構な確率でこんな格好でウロウロしてる事に今思い当たった。
だめだ。叱れない。


昨日は営業前にちょっとしたショウを見てきました。
あれをひとりでやるのはすげぇなぁ。と思ったり。なんだり。
久しぶりに演出魂に火がついてみたり。なんだり。
これは私の持論ですが、演出と出演を一緒にやることはとても難しいこと。
そしてこれは演劇の話でありますが、演出をしたい人と演じたい人はそもそもの出発点が違う。
演じる人は演じることを一番に考えるべきで、自分がどう目立つか、どう輝くかってことをずっと考える人。
演出家はその作品自体をどう輝かせるかを考える人。
例えば台本を渡されて、「自分ならこの役でこういうふうにしたい」と思う人が出演したい人で、
とりあえず全体の雰囲気を想像してあれこれ想いを馳せる人が演出したい人。
どっちもしたい人がどっちも同時にするのは、それなりの力量が必要なんだと思います。
自分のことを他人のように見るとか、そういう事が必要。
演出家だってチームの中に入ってしまえば、チームの外からどう見えるかを探るのはとても難しいのですが。
作っている側が盛り上がり過ぎると、その盛り上がりにお客さんがついて来れないってのはアマチュアにはすごくよくある話です。
そういう状態になってしまっていることを「内輪受け」って言うんだなと思う。
内輪受けは、うちわの人間には最高に楽しいのだけれど外側の人間にはこれ以上面白くないものはない。
「お前は外側だよ」って延々と言われるわけだからそれは当然でござる。
これらは私がちょこっとお芝居をやっていた頃に考えたり感じたりしたことですけれど、
すべてのエンターテイメントにこのお話は通じると思う。
表現とは、それを鑑賞する人に伝わらなければ意味がないのであって。
内輪受けからそうじゃなくなる壁を超える事が表現をする人になる第一関門のような気がします。
そういうことをあれこれと考えているうち、2月の催し物に向けてのモチベーションが上がっている自分に気づく。
うむ。がんばろう。
ちょっと真面目に考えようと思う。
なかなかよい経験をしました。
……演出と出演を同時にやるのは至難の業だって話が尻切れトンボになってる。
そもそも俯瞰で物を見る必要性の大小の話なんです。
役者は自分の役を演じることに専念するべきで、演出家は役者の演技は1つの作品を創り上げる上での大事なコマの一つでなければならない。だから、自分自身を一つのコマとして捉えて客観的に判断することってなかなかできることじゃないよね。
って言いたかったんだったー!
私はその昔、出演も演出もしていました。
演出より出演のほうがずっとずっと楽しいのです。
演出ってすげーーーー地味な作業なのです。しかも役者に怒られたりするのです。
お化け屋敷にだってそういう役割は必要で、大まかな枠を作るのはそういう人でなければならない。
本当にすべてを自分自身でやるって大変なのです。作業量だけの話じゃない。
遊ぶ人、見る人の立場に立って作るっていうのは、一人で篭っていると非常にハードルの高い作業になる。
かといって人を集めて作り始めると、作りたいものにズレが生まれてしまってなかなかまとまらなかったり。
下手すると関係がギクシャクしてしまったり。
お化け屋敷だけでなく、モノを作って売る場合にもそれってあると思う。
何人かでひとつのものを作る難しさであり、醍醐味であります。
私は、どれだけ葛藤があってもややこしくても、一人で作るよりみんなで作ったほうが好き。
自分の力以上のものが出てきがちなので好き。
一人でやっていると「まーいいかこれで」って怠け心に負けて妥協してしまうっていうのも大きくある。
ダメ人間ってことか。。。
一体なんの話がしたいんだかまったくわからなくなったあたりで、今週最後のお仕事へ行ってこようと思います。
今日は忘年会!クリスマスパーティーという名前の「1年間お疲れ様パーティー」でございます。
ただただ飲んで騒ぐのではなく、色々な出し物が開催される素敵なパーティーです。
今年も子供を連れて、わいわいと楽しんで来ようと思います。
今年もあっという間に終わっちまいますが、この時期は振り返るよりもこれからやってくる大型連休へ思いを馳せるのに忙しいのだ。

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カテゴリー: 日記

何も言えないのは 何も言わないから 2011-12-21

触れないのが思いやり そういう場合もあるけど
我ながら卑怯な言い訳 痛みを知るのがただ怖いだけ
(ウェザーリポート/Bump of chiken)

大人と卑怯の境界線はとってもむずかしいです。
年末に向けて非常にばったばったしてきております。
気持ちは今週末、その先にある年末休みにまっしぐら!なのですが、
仕事はいつもどおり締め日を迎えてやることもわんさかなのです。
お休みがいっぱいあるから、やることもぎゅっと濃縮されるのです。
この慌ただしさが年末だー!という感じなのですが。
あと2回仕事に行くと3連休。
そのうちの最後の日は、会社の忘年会。
全社集まってパーティーみたいなことをするので、(家族参加OK)
子供たちにも楽しみな行事となっております。
これに参加するのも今年で3回目。
なんだかんだで2年を超えました。今の職場。
このままいつまでこうして働き続けるんだろうなぁ。なんてことをぼんやり考えたりもするわけです。
未来のことは本当にわからないね。
ごきげんよう、たいこです。
単純にその人・物事に関する感想を述べると、そこに別の意味合いが生まれてしまう、
みたいな事柄に関して、いろいろと考えていました。
感想は述べたい。でもそこに意味が生まれるのは本意じゃない。
人と接すれば、その人に対する感想は浮かびます。
でもそれを全部あいてに伝えるわけじゃないし、たいてい何も伝えないし。
それを好意的に脚色するか、否定的に脚色するかでその感想は否定的にも肯定的にもなる。
なんの脚色もせずにポーンって伝えても、なかなかそのまま伝わらないものだなぁ。って
そういうことをここ2週間くらい考えていたのです。
難しい。すごく難しい。
ストレートに、それについて嫌だともいいとも思っていないよ。って言ってみても、それこそをそのとおりに取ってくれる事ってなかなかないわけで。
それは私が言われる側でも同じだよなぁって思ったり。


久しぶりに今後の王子様事情について占ってもらいました。
笑うしかないよねーこれねーっていうような結果が出てしまって笑うしかなかった。
「占いって信じるの?」とよく聞かれます。
占いは好きです。でも信じるかと言われるとちょっと言葉につまります。
占いは信じる・信じないというようなものじゃないと思うの。
占いは、こんがらがってしまった今の状態を解きほぐして、今自分がどうしたいのか、
今後自分はどうなりたいのか、そのために今どういう心持ちでいるべきなのかっていう事を整理するための手助けになるものだと思います。
未来は誰にも分からない。神様やら仏様にだって分からない。
今自分がここでこうしているのは、過去にそうなる原因があって、経緯があって、その結果である。
今現在の経緯を考えて、この少し先の未来にはこういう感じになるかもね。なんていうことは予測が出来る。
けれど、予測はあくまで予測であって測定不可能なものだとも思う。
本当は現状もその原因も自分でわかっているものだと思う。
それがわからなくなるのは、そこに自分の願望とか欲とか自信のなさとかがぐちゃーっと介入してくるから。
昨日、占っているさなかに「恋愛って難しい」って言葉を聞いた。
私は恋愛って難しいものじゃないと思う。本当は。
誰かが誰かを好きになって、その誰かもその人のことを好きになる。
それだけの単純な事だと思う。
恋愛で悩むのは相手の気持が見えないからで、なんでそこで悩むのかっていうと
「自分も同じだけ好かれたい」っていう願望があるから。
本当は恋って、自分がだれかの事を好きになった時点で成立してるもののような気もする。
相手が自分を気に入ってくれようがくれまいが、自分の恋はそこからスタートしている。
気に入ってくれなくても、それが失敗だったかなんてことは誰にも分からない。
気に入ってくれても3ヶ月後、半年後、1年後、10年後に「やっぱりだめだ」ってなるかもしれないし。
やっぱりだめだって思うのは自分の方かもしれないし。
それって失敗だったのか?って言うと、それも違う気がするから。
私にとって一番難しいのは、誰かを好きになるっていう入り口なんだよなぁ。
好きな人はたくさんいる。老若男女問わずたくさんいる。
けれど、「この人じゃなきゃだめ」っていう気持ちになったことって、気づけばもう何年もない。
それに気づいたときに、人を好きになりたいなぁって思ったのです。
私は欲張りなので、人を好きになってしまうと欲しいものが増えて、
欲が増して、とってもつらい思いをするのはわかっているんだけれど。
どれだけ抗おうとしても、否定しても、嫌でも、落ちてしまう時に落ちてしまうのが恋。
っていう言葉には最近同意しかねます。
そうじゃない気持ちの動きもきっとたくさんあるんじゃないかな。
そこまで行く予感があって、それを止める手段はきっとたくさんあるよねえ。
人が恋に落ちるときって、「それでもいいや」って絶対どこかで思ってると思うんだよなぁ。。。。
占いをした結果というか感想ですが、色々と自分が思っていたとおりのものでした。
なんだか、運命の神様みたいなものに無駄に試されてる気がしていて仕方ないのです。ここのところ。
さあ、お前はどうするの?この10年間を踏まえてどうしたいの?
って言われてる気がして仕方ないのです。
少し先の分かれ道で、影に隠れて天使と悪魔がそれぞれの道に立っている気がする。
でもきっとね、どっちの道が正解とか不正解もないんじゃないかと思う。
なんかそういう感じで、今までの自分の事を振り返りなさい。考えなさい。あとは流れに任せなさい。
って言われている気がする。
自分の感覚が当たっているなら、ここ3年くらい感じていたものとは比べ物にならないくらいの
人生の分岐点がすぐそこに来ているような気がするのです。
今まで分岐点みたいなものを感じたときには、まず恐怖が先に立っていたのです。
間違えた選択してしまったらどうしよう、みたいな。
でも今回は、なるようになっても大丈夫だってどこかで思ってる。
ただ、すごく落ち着かない。そんな感じなのですよねえ。。
ま、先の事なんてわからないので、これだって不確かなことなんですけれども。

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カテゴリー: 日記

未来も思い出までもが、ねじれてこんがらがっちゃた 2011-12-19

夢とリアルを追い求め いつか行けるかシャングリラ
だけど追ってがやってきた 助け、刀、娘ら構えて
寄るなら斬るわと 「えい!えい!やあ!やあ!」
僕らのかわりに 「チャン!チャン!バラ!バラ!」
火花を散らして 「えい!えい!やあ!やあ!」
振り向き叫ぶよ 「カモン!急げ走るよ」
(メビウス荒野~絶望伝説エピソード1/特撮)

見事に週末をだらけて過ごしました。なんにもしてない!
Amazonからクリスマスプレゼントが届きました。金曜日に注文していたものです。
Amazonから荷物が届くやいなや、玄関に殺到する子供たち。
ダンボールを開けて、かわいくラッピングされた箱をウキウキと手に入れる子供たち。
それはクリスマスプレゼントですよ。。。
クリスマスは来週ですよ。。。
今年はケーキを注文していません。
三連休だから、子供と一緒にケーキでもつくろうかと思います。
スポンジは市販品です。いいんです。気分が大事。
今年は三谷幸喜生誕50周年祭でした。
三谷幸喜自らがそう決めて、自分のやりたい芝居を4本やる!と宣言したのです。
その最後を飾るのが、90ミニッツ。
近藤芳正と西村雅彦の2人芝居。会話劇。
舞台の上で2人の俳優が延々と会話するという、芝居の中では最も難しい形のお芝居です。
役者の力量もさることながら、2人の会話を面白く見せるってすっごく難しいんだ。脚本が。
演出の力、脚本の力、役者の力がないと目も当てられないものになってしまうのが2人芝居。
何年か前に、笑の大学という芝居がありました。
このお芝居はとても好評で、そのまま映画になりました。
このお芝居も会話劇で2人芝居。
キャストは近藤芳正と西村雅彦。
私は当時、芝居を観に行ける環境にいなかったのでこのお芝居を生では観ていません。
映画を観て、舞台中継を観て、生で観られなかったことをものすごく後悔したのです。
どーーーーーーーーしても観たかった。90ミニッツ。
チケットがもうない!でも観たい!という心のメラメラがあれして、人生二度目のオークションに手を出しました。
さほど高くないお値段で買うことができてよかった。
23日に行ってきます。楽しみーーーーーー!
フレンズ~もののけ島のナキ という映画が封切られました。
こちらは子供たちからのリクエストで、きっと来週観に行きます。
私の分のチケットはもうあるのだけれど、どう考えてもすごい混む。来週。
予約が出来るかどうかが心配で仕方がないんだが、24日にでも行ってこようと思います。
そんな感じでエンタメでいっぱいの最近。
来週のために今週までは体力温存していたんだと思うことにしよう。
ごきげんよう、たいこです。
SL方面のお話。
相変わらずオムライズにはお客さんが来ません。
土曜日は朝の10時から断続的にお店を開けていて、いろんな事をごにょごにょやっていたのですが。
面白いようにお客さんが来ません。
接客しない私が悪いのか。なんなのか。
しかしそんなにたくさんお客さんが来てしまっても困るので、このくらいでいいのかもしれない。
たいてい1人でお店にいるときは何かを作っています。
もしくはブログを書いている。
昨日は超大作のブログが書けました。
超大作のブログほど、読者は辟易とするんじゃないかと思ったりもした。
ドンマイ!
趣味の話は、その趣味を持っていない人にとっては退屈この上ない話だと思うのです。
そしてここを読んでいる人で、お芝居が好きな人って本当にいないと思うのです。
大半の人に読み飛ばされるだろうなぁと思いつつ、その辺は開き直って書いています。
年末年始で大忙しなSLですが、(RLはとても暇)クリスマスモール、クリスマスハントも一段落。
ほっとしているのもつかの間、今度は正月が来るわけで。
毎年恒例のお歳暮もまだ手がついていません。。。
今年は福袋つくろうと思っていたんだけれど、間に合うかどうかがわかりません。。。
さらに1月早々から、今度はカフェハントが始まります。
もっと言うと2月に面白いことをやるので、その準備をしなければなりません。
はぁ。。。いっぱいだ。。。
とはいえすべて遊びなので、あまり負担とかはないのが救いです。
自分の生活にかかわらないものは、なんだって趣味だと思っているのですが。
趣味でやるからこそ、好きなことしたいよね。
土日で年始早々のカフェハントの景品、目鼻はつきました。乞うご期待。


いろんな人と話をしていろんな事を考えた週末でもありました。
私って変なの?みたいなこととか、どこでどう間違ってこうなってしまったんだ俺……!みたいなこととか、
それでも自分を愛してるこのどうしようもない痛い感じとか。
理解するのもされるのも大変で、気を抜いて話を出来る相手ってあまりいないのだと思うのです。
私に降り注ぐたくさんの言葉の真偽なんて私にはわからないんだけれど。
それこそ、自分が信じたら真なんだろうなぁ。
私の中で真偽を判断するのは、雰囲気。
言われて素直に喜べるか否かみたいなところなのかなぁ。
信じるって、そうしようと思って出来ない。どうしてもそうなってしまうようなもんだと思う。
年をとって知恵がつけば、そう簡単に気を許すなんてことはできないし、信じることもまた同じ。
歳を経るにつれ本当に信じる事が難しくなっておりますが、
だからそういう風に思えることがとても貴重で嬉しいことなのかもしれないね。
うん。なかなかないんだよね。そういうことって。

未来も思い出までもが、ねじれてこんがらがっちゃた はコメントを受け付けていません
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