サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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未来も思い出までもが、ねじれてこんがらがっちゃた 2011-12-19

夢とリアルを追い求め いつか行けるかシャングリラ
だけど追ってがやってきた 助け、刀、娘ら構えて
寄るなら斬るわと 「えい!えい!やあ!やあ!」
僕らのかわりに 「チャン!チャン!バラ!バラ!」
火花を散らして 「えい!えい!やあ!やあ!」
振り向き叫ぶよ 「カモン!急げ走るよ」
(メビウス荒野~絶望伝説エピソード1/特撮)

見事に週末をだらけて過ごしました。なんにもしてない!
Amazonからクリスマスプレゼントが届きました。金曜日に注文していたものです。
Amazonから荷物が届くやいなや、玄関に殺到する子供たち。
ダンボールを開けて、かわいくラッピングされた箱をウキウキと手に入れる子供たち。
それはクリスマスプレゼントですよ。。。
クリスマスは来週ですよ。。。
今年はケーキを注文していません。
三連休だから、子供と一緒にケーキでもつくろうかと思います。
スポンジは市販品です。いいんです。気分が大事。
今年は三谷幸喜生誕50周年祭でした。
三谷幸喜自らがそう決めて、自分のやりたい芝居を4本やる!と宣言したのです。
その最後を飾るのが、90ミニッツ。
近藤芳正と西村雅彦の2人芝居。会話劇。
舞台の上で2人の俳優が延々と会話するという、芝居の中では最も難しい形のお芝居です。
役者の力量もさることながら、2人の会話を面白く見せるってすっごく難しいんだ。脚本が。
演出の力、脚本の力、役者の力がないと目も当てられないものになってしまうのが2人芝居。
何年か前に、笑の大学という芝居がありました。
このお芝居はとても好評で、そのまま映画になりました。
このお芝居も会話劇で2人芝居。
キャストは近藤芳正と西村雅彦。
私は当時、芝居を観に行ける環境にいなかったのでこのお芝居を生では観ていません。
映画を観て、舞台中継を観て、生で観られなかったことをものすごく後悔したのです。
どーーーーーーーーしても観たかった。90ミニッツ。
チケットがもうない!でも観たい!という心のメラメラがあれして、人生二度目のオークションに手を出しました。
さほど高くないお値段で買うことができてよかった。
23日に行ってきます。楽しみーーーーーー!
フレンズ~もののけ島のナキ という映画が封切られました。
こちらは子供たちからのリクエストで、きっと来週観に行きます。
私の分のチケットはもうあるのだけれど、どう考えてもすごい混む。来週。
予約が出来るかどうかが心配で仕方がないんだが、24日にでも行ってこようと思います。
そんな感じでエンタメでいっぱいの最近。
来週のために今週までは体力温存していたんだと思うことにしよう。
ごきげんよう、たいこです。
SL方面のお話。
相変わらずオムライズにはお客さんが来ません。
土曜日は朝の10時から断続的にお店を開けていて、いろんな事をごにょごにょやっていたのですが。
面白いようにお客さんが来ません。
接客しない私が悪いのか。なんなのか。
しかしそんなにたくさんお客さんが来てしまっても困るので、このくらいでいいのかもしれない。
たいてい1人でお店にいるときは何かを作っています。
もしくはブログを書いている。
昨日は超大作のブログが書けました。
超大作のブログほど、読者は辟易とするんじゃないかと思ったりもした。
ドンマイ!
趣味の話は、その趣味を持っていない人にとっては退屈この上ない話だと思うのです。
そしてここを読んでいる人で、お芝居が好きな人って本当にいないと思うのです。
大半の人に読み飛ばされるだろうなぁと思いつつ、その辺は開き直って書いています。
年末年始で大忙しなSLですが、(RLはとても暇)クリスマスモール、クリスマスハントも一段落。
ほっとしているのもつかの間、今度は正月が来るわけで。
毎年恒例のお歳暮もまだ手がついていません。。。
今年は福袋つくろうと思っていたんだけれど、間に合うかどうかがわかりません。。。
さらに1月早々から、今度はカフェハントが始まります。
もっと言うと2月に面白いことをやるので、その準備をしなければなりません。
はぁ。。。いっぱいだ。。。
とはいえすべて遊びなので、あまり負担とかはないのが救いです。
自分の生活にかかわらないものは、なんだって趣味だと思っているのですが。
趣味でやるからこそ、好きなことしたいよね。
土日で年始早々のカフェハントの景品、目鼻はつきました。乞うご期待。


いろんな人と話をしていろんな事を考えた週末でもありました。
私って変なの?みたいなこととか、どこでどう間違ってこうなってしまったんだ俺……!みたいなこととか、
それでも自分を愛してるこのどうしようもない痛い感じとか。
理解するのもされるのも大変で、気を抜いて話を出来る相手ってあまりいないのだと思うのです。
私に降り注ぐたくさんの言葉の真偽なんて私にはわからないんだけれど。
それこそ、自分が信じたら真なんだろうなぁ。
私の中で真偽を判断するのは、雰囲気。
言われて素直に喜べるか否かみたいなところなのかなぁ。
信じるって、そうしようと思って出来ない。どうしてもそうなってしまうようなもんだと思う。
年をとって知恵がつけば、そう簡単に気を許すなんてことはできないし、信じることもまた同じ。
歳を経るにつれ本当に信じる事が難しくなっておりますが、
だからそういう風に思えることがとても貴重で嬉しいことなのかもしれないね。
うん。なかなかないんだよね。そういうことって。

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