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041わたしのおとうさん。

私のお父さんの話をしよう。

私はお父さんが30歳の時に産まれた子供だ。
お父さんとお母さんが結婚した時、すでにお母さんのお腹の中には私がいた。

俗に言う「出来ちゃった♪婚」ですね。

お父さんは世界の狭い下町の小さな床屋の主人で、祖父が50歳過ぎくらいで他界した後、自分の夢を諦めて祖父の借金ごとその床屋を相続していました。

お父さんは愛を知らない人でした。

愛を知らない人は、父親になっても、娘や息子に愛を注ぐことが出来ません。
私の父親も究極の自己中人間でした。
自分が嫌なら子供がいくら求めていても捨て置く。

父親に愛されていると感じた経験がない。

私はそういうことを、特に何も感じる事なく生きてきた。
大人になった。
どう頑張っても父を尊敬することが出来ない。

父と母が結婚してから21年目、父と母は離婚をした。
母のことを、どうしても愛しているように見えなかった父に、どうしても聞きたかった事を聞いた。

「あのさ、お父さんはお母さんの事、好きだったの?」

父はこう答えた。

「好きだよ。でも別れたいって言ってるもの、引き止めても仕方ないだろう?」

さらにこう続けた。

「お母さんは寂しがりだから。…でも、寂しいと思える人よりも、寂しいと思わない人の方が寂しい人なんだよ」

と。

父には寂しいという感情がない。
正確に言うとその感覚を麻痺させているのだろう。
そうやって50年以上生きてきて、きっと死ぬまでそうだ。

寂しいという感覚がわからないのだろう。
なぜなら、寂しくない環境にいたことがないからだろう。

人に愛された事がないのだろう。
だから愛する事を知らないのだろう。
自分に理解出来ない人を、見下すことで自分を成り立たせているのだろう。

それで家庭が築けるはずもないだろう。
母は、21年間すごーーーーーく無理をして頑張ったんだなぁと、その時に思った。

わからないことを責める事は出来ない。
それはわからせて教えることしか出来ない。
けれどこの類の事は、ある年齢までしか学ぶ事が出来ない。
そしてこの類の事は、歳を取れば取るほど学ぶのに大変な思いをする事になる。

父にはまるでそういうものがないまま、大人になってしまったんだと思う。
父は世間体というもののために結婚をし、傍にいてくれる人たちに愛情をかける術を知らず、自分本位に物事を進めて来て、年老いてしまった。

年老いた父に残されたものは、限りない孤独だけだ。

子供を3人(正確には5人)もつくったのに、その誰もが父によりつかない。

どころか、頼ってきた子供を追い払う。

表面をいくら取り繕ったところで、そういう自分しかない心を実の子供が見抜けないはずもなく、父は、ただ、「一般的な」親がして当然のことをしないひどい親として、非難され続ける。

けれど父がどうしてそうなったかという理由を知ってしまったら、責める事が出来なくなる。

けれど私にしてきたことは、私や弟や妹にしてきたこと、これからし続けることは、私達の心の中に残って消える事はない。

こうなったら、かかわりを断つしかないのだ。

人の真心を知らない人。

本人のせいではないよ。

けれどもそのせいで傷つく人はどうしたらいいんだろう。

一番大切なのは。

そういう人をつくりださないこと。

誰にも罪がなくて、誰もが悲しい思いをするなんて、嫌だもの。

私はきっと、たった一人だけ、そういう悲しい人を救うためにいる。ここに。

そしてその人を救い出すことが出来たら、私も救われる。きっと。
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