サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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あーお前は天使の羽根 天使の羽根 天使の羽根 天使の翼 2013-05-03

今 お前が戦いに出るなら
死も覚悟であえて旅立つなら
ジャック・ヒギンズのノベルを渡そうか?
サンテグジュベリ あるいはマルケス
Let’s get it on ! 愛してる
Let’s get it on ! どうなろうと
(ピアノ・デス・ピアノ/特撮)

連休もあっという間に2日を消費し、2日の間に何をやったのかと問われれば洗濯しかしていない。
だめじゃん。
明日こそちょっとやらねばならぬこと・やりたいことをやろうと思います。
すなわち、タリーズに本を持ち込んでお勉強したりものを書いたりするのである。
現実逃避(読書)を家の布団の上でやろうとすると睡魔に負けます。
おかげでまったく読み進むことのできない東亰バンドワゴン。面白いんだけどなあ。
私自身、子供の頃は6人家族で少なくはない中家族くらいの中で育っていまして。
さらに夕飯は通いの職人さんも一緒に食べていたので、7人くらいでご飯を食べるっていうのが常でございました。
しかし、東亰バンドワゴンの家族のような楽しい風景は残念ながら浮かんで来ません。
おかずを残しては怒られ、食べきれなくては怒られ、なんだかほんとに怒られた……。
食事の好き嫌いをしない、というのは確かにしつけの一環ではありますが、嫌いなものを食べない事の何が悪いのかは未だにわかりません。子供のうちに嫌いなものも、大人になったら自然に食べられるようになるものはなるし、ならないものは大人になったら結局食べないままなのだから子供のうちに無理やり食べさせなくてもいいような気がするよ。
とはいえ、超偏食な子供を持つ親としては子供の偏食をなくしたいという気持ちは痛いほどわかるわけです。
我が家では肉を出すとき、必ず次男用に別のおかずを作らねばならない。
これは本当に、本当に、心底めんどくさい。
ごきげんよう、たいこです。
心のなかでどういう悪態をつくかとかシュミレーションしてる。
罵声浴びせてやる!とか言える自分をイイコイイコしてあげたい。
世の中にはたくさんの人がいて、その人たちはそれぞれ自分だけの判断基準や感覚を持っています。
自分にとっては平気なことが、他の誰かにとっては全然平気じゃないことってたくさんある。
自分は気にしないから他の人も気にしないだろう、で、
きつい言葉を投げてしまうと無駄な軋轢を生むことになります。
他意がないのを理解していても、神経に触る言葉っていうのもあるわけです。
人とコミュニケーションを取るというのは、その違いを把握しつつうまくボールを投げ合うって事だと思う。
お互いがお互いの考えを、価値観を伝え合う時には、その相手が一番理解しやすい言葉を選ぶことが必要。
自分の言いたいことだけを言いたいように言っても、相手にはきちんと伝わらないのですね。
言葉を選んだって伝わるかどうかは怪しいのです。だってその言葉の持つ響きは、受け手によって違うから。
発信する側は、受け手がどういう風に受け止めるかを想像しなければなりません。
付き合いが長いならば、ある程度突っ込んだやり取りも出来るでしょう。
それはそれまでに投げ合って受け止めあったボールのやりとりの数の実績です。
私がどういう人かあなたはまだ知らない。あなたがどういう人か私はまだ知らない。
そういうタイミングでは、やっぱり言葉は慎重に選ぶべきだと私は思う。
意図してきつい言葉を投げるやり方もある。
自覚があるならそういうやり方もアリだと思う。
けれど、この言葉を相手に投げたら相手がどう反応するかということを予測しないで投げてしまうのは危険。
そんなことで広がるかもしれなかった誰かとのやりとりが終わってしまうのはとても残念なことです。
こんなこと考えてるからうまくお話が出来ないんだよなあ。と思ったりもするけれど、
これが自分のやり方なのだから仕方がない。


つよいひと、よわいひとってよく言いますが、繊細な人ほど弱い気がします。
僅かな振動も感度よくキャッチしてしまうのだから、当然の話なのかもしれません。
鈍感なことがよいことかどうかはまた別の話で、
繊細な人はだから、見えたり見えなかったりする形で様々なバリアを張っている。
ATフィールドみたいなもので。
些細な事で傷ついてしまう自分が嫌だなと思えば、そうするしかないのです。
これは他者と関わる機会をむやみに潰してしまう危なさはあります。
それでも無防備で冒険をする人はいないのであって。
ある程度はやはり必要なものかなとおもいます。
人はひとりでは生きていけません。
自立するということは、上手にいろいろな人の手助けを借りて生きるということです。
自分ひとりでどうにかなることって、世の中には本当に少ない。
きちんと人間関係を築くこと。そしてその関係のうえで、上手に助けてもらったり助けたりすること。
なんだか最近の私のテーマはこの辺にある気がする。
人と関わること、自分にできることできないこと。
そういうことをきちんと把握して無理をしないように関わっていくこと。
そういうことって結構大事だよね。
今日は色々な事を考えさせられる夜でした。
生きるってことは不条理で、誰も公平ではない。
しかし、生まれていきて死んでいくことだけをとったら、
これ以上ないくらい平等にできているのです。
自分のこれまでの人生で、「あの経験はハンデになっている」と思った時は、
あなたの魂はそのくらいの経験でもきっと立ち直れるっていうことだと思う。
大変な思いは出来ればしたくないですが、せざるを得ないならイヤイヤやるのはもったいない。
それは乗り越えたら自分の結構大事な宝になると思うのでした。
みんながなんとなく笑って暮らせる世の中になるのは難しいのかもしれません。
けれど、やっぱりそういう日が来るといいなあと願わずにはいられないのでした。

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