サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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あなたをもっと憎みたかった 残る孤独を忘れるほどに 2013-04-29

時は川
きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて
想い出に手をふるの

(水の影/松任谷由実)

金曜日からだらだらと書いていた記事が消えました。泣きたい。
木曜日~金曜日、満月でした。
東京あたりの木曜日の月がとっても大きくて綺麗だったのです。
そんなことが書きたかったのでした。
大きくてかすみがかった木曜日の月は、「月明かり」なんていう言葉を思い出すくらい明るくて綺麗でした。
東京に住んでいると、星が明るいとか月が明るいとかっていう事を実感する機会が本当にありません。
夜って本当に暗いんだって事を知ったのは、高校時代にアメリカの山奥に行った時でした。
そんな明るい東京の夜空でも、木曜日の月は本当に綺麗に輝いていたのですね。
空を見ているとその世界と自分の暮らす世界との隔たりを感じます。
星の世界、空の世界の時間と私たちが暮らす時間は決定的に違う。
私達の持つ時間など、星の時間にしたら瞬きをするほどの時間でしょう。
自分の小ささ、無力さ、些細な感じを実感してしまうのです。
こんなに些細な自分の中のこの感情に、それでも自分は負けてしまうっていう感じ。
その小ささが救いになることもあれば、やりきれないこともある。
満月や新月は、情緒が不安定になりがちだと言われます。
今回の満月、実は月食だったりもしたので、そこはかとなく影響を受けた気がします。。
神経がむき出しみたいな感じになってしまって、近しい人におもいっきり当たり散らした気がするよ。。。
ゴメンナサイ。とは思いつつ、その当たり散らした感じも受け止めてくれてたようで。
なんかもう照れ笑いでありがとうと言うしかないです。子供か私は。
私もだいぶいい歳なのだけれど、子供みたいに振舞ってる自分に時折びっくりするわけで。
どちらかというとママ的な役割をするほうが多いので、こういう感じになかなか慣れないわけです。
居心地が悪いわけじゃない。むしろ居心地が良すぎて自分がバカになってしまいそう。


突き詰めて考えないほうがいいことはあって、
宙ぶらりんだからこそ平和だっていうこともあって、
それがずるさなのか賢明さなのかは、受け取る人によって意見の別れるところなのじゃないかな。
曖昧で決めない優しさやずるさは、RLでもSLでも必要なのだと思う。
そのずるさを許容する優しさ。
後のことはあとで考えましょう、と、いずれすりあわなくなる矛盾を先送りすること。
先はない、けれど終わり方は選べるということ。
インターネットのコミュニケーション、パソコンの向こう側にも人がいる。というのは当たり前のことです。
パソコンの向こう側にも血の通った人がいて、それぞれ色々なことを考えたり感じたりしている。
だからリアルと同じなのかというと、私はそれも違うと思う。
インターネットだけの付き合いならば、電源を切ればそれまでなのです。
たとえばSLである日突然私がいなくなったとして、それによって生活が変わってしまう人なんてひとりもいない。
RLで私が突然いなくなると、私の子どもたちは死活問題になるだろうし職場だってちょっとした騒ぎになると思う。
そういう大きな違いがあるものだと、私は思っています。
大事なのは、過ぎ去ってもうない過去に囚われることではなく、
先にあってまだない未来に気を病む事でもなく、
今ある現在を全力で楽しむこと。
まるで未来を観るなというわけではないのです。
でも、未来を憂いたところで何も変わらない。それに未来は変わるものだから。
私達は明日の自分がどういう風に暮らすか、おおよその予測をつけて生きています。
そしてその予測は大体外れない。
けれど予測は予測でしかなく、それを信じきって暮らすことはちょっと危険なことです。
予測通りに行かないことだってたくさんあるのです。何があるんだかなんてわからない。
だから、この先の自分がどう思うか、どう感じるか、そしてどういう行動を取るかなんて誰にもわからない。
「自分は絶対に恋愛なんてしない」って思ってた人が翌日恋に落ちることだってあるし、
「自分は不倫なんて絶対にしない」って言ってた人がどっぷり不倫の泥沼にハマるなんてことは珍しくもない。
なにがあってもおかしくないし、どういうふうになる可能性もある。という程度は自分自身のことを疑う必要があると思う。
「絶対」っていう言葉は案外脆いと思うのです。
私は自分をあまり信じていません。
常にあらゆる角度から自分を疑ってツッコミを入れています。
そういうノリの悪い冷静な自分をどこかに置きつつ、ノリのよい流されやすい自分を自由に遊ばせてる。
そういう2つの感覚をうまいことバランスとって同居させることは、すごく大事かも。
そういうことを、そこはかとなく考えた日曜日の夜でした。


Worlds End Gardenにいってきました。
ファンタジーフェアで買った普段使いできないあれこれを着て。
Worlds End Garden
SS大変わかりづらいですが。
終末感漂う素敵な雰囲気です。
つい天使っぽい自分のアバターに目隠しをしてしまいました。
鴻上尚史の「天使は瞳を閉じて」が頭のなかでぐるぐると。

神様が旅に出たあとに、天使はずっと意識不明。
神様にはなれそうもないけれど、せめて天使にはなりたかった。
あなたと私の間にかかる幻の虹を渡るために、
あなたはいくつの涙を流し、あなたはいくつの言葉を忘れた。
涙を流し続けていると、虹は消えないから。
言葉を忘れ続けていると、本当の言葉が見つかるから。
あなたと私の天使のために。あなた自身の天使のために。
神様が旅に出たあとに、天使はずっと意識不明。
あなた自身の天使のために。
ふと後ろを振り返るとそこには天使が羽ばたいていました
天使はゆっくりとそして小さな声で
僕の胸はもう悲しみで一杯だと呟きました
貴方と天使の間に架かる 幻の虹を渡るために
あといくつの悲しみと あといくつの喜びを
貴方自身の天使のために

この頃の鴻上尚史が私は本当に好きです。
ただただ見続けるのが役割の天使は、人間たちの悲しむ姿を観ていられなくなって
目隠しをするのです。(劇中ではサングラスをかける)
Worlds end gardenの終末感は、かつて人がいた、そこでたくさん傷ついた、そして今はいない。
というその名残の気配がたくさん。
きっと天使は目隠しをしている。
とてもよいSIMです。


明日は元気があれば、図書館戦争を観てこようと思う。
絶対にボロボロに泣いてしまうので、手ぬぐいは忘れずに持ってでかけようと思う。
で、恋愛っていいなあああああああ!とか思うんだろうなあ。
わかってる。だいたいわかってる。
けれどそういう気分になるのは、案外気持ちのよいものなのですよね(笑)

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