サボテンとバントライン
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生きるってことは不条理ってことよ 2013-04-23

「わかりかねます、なぜ人間の一生は平等でないのか?」
「そんなの当たり前だわ 生きるってことは不条理ってことよ、
 じゃーね、さよなら」
「いやです」
「少年の頃、あなたテレビを見なかったの?」
「見ました」
「思いだして、彼らはリアルな悲しみの時にどうした?
 愛するものと別れ行く時彼等はどうした? 答えて!」
「フランダースの犬はその時、総てを受け入れた」
「ならばあなたもそうすればいい、それをしなさい!」
(221B戦記/筋肉少女帯)

寝起きからブルーハーツの「青空」が頭のなかでエンドレス。
生まれたところや皮膚や目の色やもっと些細な事で「あなたはこう」って決めつけられていた時代って結構長かったし、今だってそういうのは残ってる気がします。
なんてことを考えるのは、今読んでいる小説のせい。
浅田次郎の輪違屋糸里を読んでいます。
舞台は幕末の京都で、出てくる人たちは新撰組なのでして、身分の違いやその垣根を飛び越えたくてもがいてる人たちばかりが出てくるわけです。
今の時代に生きる私達からすると、窮屈なことこのうえない感じがしますが、
形を変えただけで理不尽なことは山のようにある。
生きるってことは不条理ってことなのですねー。
ごきげんよう、たいこです。
リンカーンは平等な世界を作るために頑張った偉い人です。
クラッシュっていう映画がありまして。
「リンカーン」の中に、100年先にはきっと黒人だって大統領になれたりするだろうみたいな台詞が出て来まして。
現在のアメリカの大統領の姿と、「クラッシュ」が同時に頭のなかをよぎったのでした。
クラッシュは、ニューヨークを舞台にした群像劇(だった気がする)。
すごく絶妙な感じで人種差別のことを扱っているよい映画です。
人は育った環境に影響を受けて育つし、そういう根本的な違いってなると受け入れがたいっていう現実は間違いなくある。
人は群れを作って生きるいきものだから、差別はどうしたってなくならないだろう。
自分がどこの群れに所属しているのかっていうことが大切ないきものだから。
区別と差別は何が違うのかみたいな話で、それは単に程度の差ほどの違いしかないような気がする。
行き過ぎれば差別。
黒人を奴隷として扱う背景には、黒人と白人は違うものだという区別があったから。
そして、違うものだという区別は確かに正しいのであって。
自分と違うものを恐れる気持ちも生きていく上では絶対に必要だし、けれどやっぱりそれも差別につながる気持ちの種のような気がする。
ジョンレノンは、世界中の人があいと平和に満ちて暮らせたらすばらしいだろうなんて言います。
彼のフィールドは他の人の持つフィールドの感覚よりもずっと大きかったっていうだけなんじゃないかな。
そんなようなことをぼんやりと考えていた1日でした。


宇宙の片隅でつぶやき合う永遠は幻だと知っていても
(朝陽の中で微笑んで/松任谷由実)

人の心は変わるから、その時に全身全霊で本当のことを言っていたって次の瞬間には変わるかもしれない。
結果的についたことになる嘘の苦さと、それでも心は変わっていくという無常感。
でも、そんなことも含めたのしいんだろうなあ。
ま、一足飛びに改善できるようなものでもないから、
ゆっくりゆっくりやっていければいいなあと思うのでした。

カテゴリー 日記