サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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愛も 問えば 突き刺す痛み 耐えて 泣いて 闇 宿してく 2012-05-14

知るべき坂の途中 息切り想う明日は
変わらぬ道にいるだろう
空だけ見てた様な 青さに止め刺して
僕など抱え込む誇り 吹き飛ばせ
先へのめらす体は自然に
饐えた低地 這い出し目指す
誰も行けぬ険しき場所に 添えた花は 誰 置いたもの?
(真鍮卵/GUNIW TOOLS)

昔々よく聴いていたバンドなんですが、こうして歌詞を書くとすごく難しい漢字がいっぱい!
難しい漢字いっぱいですが、このバンドの歌詞は結構好きでした。
今も好きです。
ごきげんよう、たいこです。
昨日はお芝居を観て参りました。ケラリーノ・サンドロヴィッチ、ナイロン100℃の本公演。
タイトルは「百年の秘密」(公式サイト→https://www.cubeinc.co.jp/stage/info/nylon38th.html
ナイロンには私の好きな俳優さんが沢山いるのです。
大倉孝二とか。峯村リエとか。
物語はタイトルどおり、2人の人間をめぐる100年くらいの時間の流れの中で起きる出来事を淡々と綴ったもの。
ただし時代は行ったり来たりして、時系列通りには進まない。
チラシや前宣伝で、「女の友情」というようなキーワードがちらほら出てきていまして。
確かに軸は2人の女の子の出会いから始まる。
女の子はおとなになり、それぞれに結婚をして子供を産む。
お世辞にも幸せとは言えない彼女らの一生なのだけれど、3世代、4世代という長いロールで見ると、
それはそれで悪くもない人生に見えてくる。
もうひとつ大きな存在として出てくる中庭の楡の木。
一族とその周囲の人の秘密を聴き続けてきた楡の木。
自分は死んでもこの楡の木が残る。いわば楡の木は、それぞれにとっての唯一の存在。
何世代にも渡って、この一族の中だけで歌い継がれている楡の木の歌がまたよかった。
子供たちがおとなになって、子供を産んで育てて死んでいく。
またその子供たちがおとなになって子供を産んで育てて死ぬ。
人はずっとずっとそういうことを繰り返して生きている。
人だけじゃなくて、生きているものはみんなそうやって命をつないでいる。
今現在の私達は未来の自分たちのがどうなっているのかを知る術はない。
過去の自分も、今の自分の状況なんてまったく知らなかった。
過去の自分が思い描いていた未来と、今の自分の状況がぴったり同じなんていう人はそうそういないだろう。
一番キラキラ輝いていた時代の、キラキラとした未来予想図と、そうではない未来の自分。
そういうものはとても切なくてやるせないのだけれど、それでもその現状が不幸であったのかは誰にも分からない。
切り取って眺めた時の切り口や眺める人によっても変わってくるものだと思う。
こういう、言葉にするのがすごく難しいのだけれど「胸いっぱい」になって大満足でございました。
大筋とは別に、私の大好きな大倉孝二の扮する主人公のお兄さんのキャラクターがグっと胸に迫りまして。
本当に優しい人で、その優しさ故に身を滅ぼしてしまう。
過去のちょっとした台詞は、終わってしまった後になって思い返せばすごく意味があった、
というようなものを、時系列バラバラにして見せられたことではっきりと浮かび上がってくる。
非常によいお芝居でした。


あーいい芝居観た。満腹だー。と本多劇場から出てぷらぷら歩いていたら迷子になりました。
自分でも信じられなかった。びっくりした。
常に感覚で道を歩いているのは確かだけれど、昨日はファーストキッチンすら見つけられなかった。どうなのこれ。。。
同じ道を3回くらい通ってやっと駅にたどり着く。
喫茶店でダラダラする時間もないまま、帰宅したら6時半でございました。むぅ。
慌てて帰宅したというのに家には子供の姿がなく。
どうも3人揃って実家に行ってそのままお泊りしたようで。
それならそうと言ってよねーーー!だったらゆっくりご飯でも食べて帰ってきたのにーーー!
などと思いつつ、いつもより静かな夜を過ごしました。
いいものを観た後の充実感はハンパないですね。
昨日は1日ちょっと幸せな気分でした。


私は色々と、あまり人に理解されにくい趣味をもっています。
いいなと思うものがあまり一般的でない感じもなんとなく自覚しています。
自分の好みを誰かにわかってもらおうとは思っていないけれど、
同じ感覚を持つ人がいたらすごく嬉しいです。
「これのどこがいいのかわからない」ということは、言われなくても分かっていることだったりします。
私だってあなたに押し付けないのだから、あなただってその価値観を押し付けないでほしいと思う。
日本に於いて、Secondlifeはマイナーなツールです。
ここは自分で何かを生み出さねば楽しめないところです。
星の数ほどある他のネットゲームやSNSと根本的に違うものです。
だから、Secondlifeの何が面白いのかわからない人たちが沢山いても、それは当然だと思う。
面白くなければやらなければいい。
その中で楽しんでいる人のところにわざわざ来て「何が面白いの?」なんて問うようなことはしなくていいよねえ。
なんでこんなことを書いてるのか。
そんな事を思わざるをえないような出来事があったからだ。


言葉を尽くしても伝わらないもどかしさ。
言葉を尽くしても伝わらないのがわかっていても、それでも伝えるだけは伝えようとするときもある。
同じ言語を操っていたって、どうしても話しの通じない事はある。
そういうことのほうがむしろ多い。
同じようなことをつい最近書いた気がするけれど、
今日も今日とてそういう事を痛感したのでした。
誰が悪いのでもないんだ。
だけれど、「あなたに言っても理解できないと思う」というようなことを言うべきではないよなあ。
って反省したのです。
ここのところ、この「どうせ言っても理解できないでしょ?」と思ってしまうことが大変多く。
理解出来ないくせになんで聞くの?と思ってしまうのはきっといけないこと。
私、最初から理解されること拒んでるじゃんっていう事に気づくわけです。
うん。でもな。。。
何かを伝えるって結構エネルギー使うんだよ。
伝わらないのは承知でそのエネルギー使ってる余裕って、今の私にはあんまりないなぁとも思うんだよな。
言葉でさくっと伝えきれるはずのないことを、気軽に聞いてくる人たちと大量に接したここ最近。
そういうことで疲れちゃったんですね。うむ。
癒しと消耗のバランスが悪い。
もう少しバランスよく供給しないといけません。癒しを。
トゲトゲした結果、やっぱり落ち込んで消耗するのも自分自身なのだから。

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