サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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僕たちのやり切れなさが誰に解るものか それでも君の可愛さを伝える為だけに僕の人生がある 2013-03-05

薔薇園に着いたら ココアを入れてあげよう
血を拭いてあげよう 涙も拭いてあげよう
君の事は大体 解っているからさ
誰も言わなくても 血みどろになっても 綺麗だ
(Guru / 大槻ケンヂ)

うっかりで1週間ブログを放置したわけで、気づいたら3月3日のお雛様。
お雛様だからちらし寿司をいただきました。
私実はちゃんとちらし寿司作ったことなくてですね、今回もちらし寿司の素のお世話になりました。
いいんです。美味しければ。
何年ぶりに桜でんぶなどを買い(色は好きだけど味は決して好きじゃない。甘い)、
錦糸卵を作ってパラパラと散らして出来上がり。
桜でんぶは甘くなければ本当に綺麗で可愛いのに。。。
ちらし寿司の上に散らす勇気がなかったまぐろのたたきを別添で出して、
白菜と豆腐のお味噌汁、タコとアボカドをドレッシングで和えたやつ。
なかなか春らしい可愛い食卓でした。
蛤は食べられる人の割合が50%なので断念。
しかし国産ハマグリ、1パック980円であったよ。高い。。。
すべて平らげてから「あ。写真撮ればよかった」って思う。後の祭り。
食後のデザートはみはしのくず餅。くず餅大好き。
もーおなかいっぱいですってくらい食べて、大満足で今、ソイモカオレを飲んでおります。
最近毎日のように飲んでいるソイモカオレ。
ほんとにこう呼ぶのかどうかは知りませんが、要するに豆乳でコーヒー作ってココア混ぜたものです。
使うココアは森永のカカオ70。これがね、甘くなくていいんだよね。
ココアパウダーだと毎回砂糖の調整めんどくさいわけで、このカカオ70のお砂糖具合が調度良い。
子供からは不評です。もっぱら私だけが飲んでいます。
これならコーヒーにこだわる必要もあんまりないのでインスタント。
マグカップに豆乳入れて、電子レンジで温めてる間にお猪口でココアとコーヒーをお湯で溶き、温まった豆乳に注ぐだけ。
お家でたくさん飲むものはこのくらいまで手軽じゃないと続かないのです。ものぐさなのです。
それでもメンドクサイ時はウォーターサーバーの水だけで過ごしちゃったりするしね。。。
ごきげんよう、たいこです。
前置きが長い!長いよ!我ながらびっくりした。
ここのところ、心の奥の方にどうにもならない切ない感じを抱えて暮らしています。
どうにかなるもんなら切なくないんで、どうにもならないから切ないんですけれども。
ここのところずっと考えていた、自分の来し方を振り返るキャンペーンの最後に鹿殺しがドドンと乗っかってきたせいで。
具体的に何かがあったとかそういうわけではないのです。で、この切ない感じを楽しんでる自分もいる。
要するに、春が来たのです。
まだまだ寒いのがちょっと難点ですが、間違いなく自分の中に春が来ていて脳内ではソメイヨシノが満開モード。
Twitterで「千秋楽です」っていう役者さんのツイート見るだけで心がギュッとなる始末。
末期だよ、末期。
がっつり乙女モード。その部分だけこころがむき出しになってる風味です。こんな感じは久しぶりで、本当にいい感じにぴったりはまったみたいです。今回の芝居。
私は実体のないものにときめいている。心を持っていかれている。
芝居を演じているのは間違いなく役者だけれど、板の上で動いている人物は脚本家が書いたシナリオ通りに演出家の調整のもとに動いている人である。
舞台の上で生きている人は、本当はいない人だ。舞台の上で起きている出来事は、実際にはなかったことだ。まったくの嘘だ。しかも舞台は繰り返し再生ができない。その場限りのものだ。取り返しがつかない。そういうものに心を奪われている。ゆえに、どうしようもない。
私が舞台が好きな理由は、この取り返しがつかない感じゆえなのだけれど。
春と鹿の相乗効果で、久しぶりに何かが全開してるっぽいです。
舞台の取り返しのつかなさと生きていることの取り返しのつかなさは当然同じ性質のものだなって今更ながら気づく。
そうか、だから好きなのか。


ここまで日曜日


ここから火曜日


血は水よりも濃いなんて言いますが、私はそんなもの糞食らえだと思っています。
血より一緒に食べたご飯の回数だと私は思う。
それでも血の呪縛みたいなものは確かにあって、これが結構厄介なんだよなあ。
厄介だけれどそれを言い訳にしたくないという気持ち。
でも乗り越えるのが大変だという事実。
それから親と子は互いに愛し、慈しみ合うべきだという常識はなくなってしまえばいいという気持ち。
それは理想であって、当たり前にできる事ではないって頭に叩きこんでおいたらいいと思う。
一番ごまかしがきかないのが子育てだって、育てられて育ててみて実感している最中です。
私の今までの生き方の答え合わせの部分は、子どもたちのこれからに出てくる。
それは、子を持った時からずっと感じていること。
たまに手を抜きながらも自分なりに精一杯子どもたちと関わっているけれど、
おとなになった彼らは私のことをどう評価するのだろうなあ。。。
と考えると、ちょっと嫌な汗が出たりもするのであった。
私は憎んだままだと自分がしんどいなと思ったから憎むのをやめたのだけれど、
それが愛情につながるかというのは別の話。
憎んでいた頃よりも父親との距離が開いたと感じているのは気のせいじゃない。
でも無理に愛する必要なんてない。血が繋がっているだけの縁がある他人である。親だって。
非常に残念なことに、私の父はそのくらいの距離感のほうが嬉しいようで。。
本当に「あんたなんで父親になったんだ?」という疑問が常に付いて回る人です。なんだかなあ。
しかしこうして自分の来し方を振り返りつつ、色々な物事を整理していくのは大切なことですね。
今の自分がなぜこうなのか、の答えはだいたい自分の過去にある。
今の自分の見えなかった面とかが見えてきたりするのもまた楽しく大切な作業です。
自分のことは見えないから、いつだって把握しようと頑張るのだけれど。
ここ数日、自分がなんでこうなんだろう、にいくつかの回答がつけられてちょっと満足。
ま、それを活かしていかなければ見つけても意味がないんだけどね。
それはこれからの自分次第。がんばんないとなー。

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