サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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きんぎょ 2012-08-02

そもそも彼女が何故その祭りに迷い込んだのか、彼女自身にもわからなかった。
気づいたらあの人に手を引かれてこの奇妙な祭りの場にいたのです。
「この手を絶対に離してはいけないよ。絶対に。」
確かに彼女はそう念を押されていました。しかし、手を放すだなんてそんな恐ろしいこと、彼女には絶対に出来そうにありません。
祭りは非常に活気にあふれています。奇妙な活気。行き過ぎる人の中に、明らかに人でないものが混じっているのを彼女は見ました。心臓が冷えるような気がする。なぜあんなものが当たり前に混じっているのか。ここは、ここは一体どこなのだろう。
彼女の手をしっかり握って離さないあの人。
「大丈夫だ。必ず一緒に帰れるから」
と、あの人は何度も何度も繰り返しつぶやきました。それは、まるで自分に言い聞かせるように。
異形の者の中を、彼女たちは縫うように歩く。
祭りの入り口で渡されたお面をかぶって。
お面には金魚が描かれていました。赤い琉金。
あてもなく彼女たちは歩きます。
どうしたらいいのかわからない。彼女たちは一体どうなってしまうのだろう。
あの人は異形の者達と会話を交わしながら進んでいます。
もう、どのくらい歩いただろう。
彼女の脚は棒のようになってしまっている。
一歩踏み出すごとに足の裏がしくしくと痛む。
「休憩を……」
「待って。どうも俺達は帰れるらしいぞ。方法がある」
あの人の足はどんどん早くなる。
彼女はついていくのがやっと。
汗で手がすべる。手が、手が、離れてしまう。
「あっ」
つまづいてしまった。
はっとしたあの人が振り返る間もなく、彼女は何者かに面を取られてしまう。
面を外された瞬間、あの人の手も、姿も、掻き消えてしまった。。。
祭りの喧騒が大きくなる。彼女は耳をふさぐ。
面を取った何者かに向かって行こうとした刹那、それが見えた。
「きんぎょ」
それは巨大な金魚であった。
空中をゆたりゆたりと泳いでいるのである。
うろこが金魚屋の灯りに反射して、キラキラと光っている。
彼女は自分の置かれている立場を忘れて、大きな金魚に魅入ってしまったのです。
「きれい……」
ふと、彼女は自分の違和感に気づいて我に返る。何かがおかしい。
なぜだか足元が定まらない。どうにもふわふわしている。
足元を確かめようとして、
「え、足がない」
慌てて彼女は自分の両手を確かめました。手だと思っていたそれは、胸びれでした。
そう、金魚を眺めていた彼女は、自分自身が金魚になってしまったのです。
助けて、と助けを求めようとしても、あの人の名前を呼ぼうとしても、
ただただ、口をパクパクとして泡を吐くばかり。
涙だけが、金魚の彼女の両目から絶え間なく流れ落ちるのでした。
そうして泣き続けていると、先ほど見かけた大きな金魚が話しかけてきます。
「おや、お前は祭りに取り込まれたな。」
大きな金魚はその美しい尾ひれで優雅に空気をかき分けながら、彼女のところへやってきました。
「ふむ。。。お前さん、気を取られたな。ここは本来お前のようなものが入れる場所ではない。
気を取られた瞬間、お前は祭りの一部となってここにつながれてしまったのだ。……泣くんじゃない。
仕方ない、帰る方法を教えてやる。」
金魚はそういうととてつもなく大きな泡をひとつ、吐き出しました。
「さあ、この中に入るがよかろう。運よくお前の仲間がお前を見つけたら、その時にお前は帰れるだろう。お前の連れ?……さあ、お前さんの連れのいるところに帰れるかどうかはわからんよ。
そもそもここにはお前のようなものはめったに来ないんだ。まあ、それでもこうしてお前のようなものが来るのだから、これから先ずっと来ないというわけでもないんだろうよ。」
彼女は「ありがとう」と言いたかったのだけれど、どうしてもその言葉は口から出てきません。
「うんうん。大丈夫だ。わかってる。」
と、大きなきんぎょは尾ひれを一振りしたのでした。
それから、長い長い時間が経ちました。
今日はいつになく祭全体がざわついています。こんなことは、今まで一度しかなかったと彼女は思う。
「ひとが、きた」
彼女は大きな泡の中でひたすら願う。誰か、誰かがこの私を見つけてくれることを。
そして、彼女をあの人の元へ返してくれることを。
***
あの人はとてもとても悔いていました。手を離してしまった自分に。
脱出することで頭がいっぱいになってしまった自分に。
彼の大切な彼女は、彼が手を離した瞬間二度と彼の手の届かないところへ行ってしまった。
そもそも、彼が無茶なことをしなければ彼女をこんな場所に連れてくることはなかった。
彼女はあんなに嫌がったというのに。自分のせいで彼女は。。。
白い狐が彼に問います。
「帰りたいんだろう?帰してやるよ。もうこんな阿呆なことは考えないことだね。異界の入り口を探すなど」
「わかっている。今は本当に……後悔しているんだ。それより私は彼女を置いては帰れない。どうにかならないだろうか」
「まったく厚かましい人間だねえ。あんたは。あんたにはもうどうすることも出来ないんだよ。あの子は祭に魅入られてしまったんだ。ただねえ……金魚の野郎があの子にまじないをかけたようだ。次にお前のような阿呆が訪れた時に助けられるだろうよ。」
「それでは、私は彼女が助かったその時までここで待つことにする。」
「あんた正気かい?ここに人間が来るなんて事自体めったにないことなんだよ?そりゃあ長い時間が経つだろう。その間に金魚になっちまったあの子はあんたのことはおろか、自分が人間だったことすら忘れてしまうだろうさ」
それでも、と彼は思った。
それでも、彼女をここに置いて帰るわけにはいかない。
帰った時に彼女が自分のことを忘れていたとしても、自分は彼女と一緒に帰ろう。
そう、願ったのでした。
彼はうつらうつらと夢をみる。彼の見る夢は彼女の夢。金魚の夢。
「ボクの夢は彼女に届くのだろうか。いつかこの夢を彼女が見ることがあるのだろうか」
そんなことを考えておりました。

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