サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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どなたか私を哀れんで・・ このまま、醒めだす自分が哀しい 2014-02-17

もしや愛は戻る そんなのぞみは小箱に入れて
輝く真鍮の鍵を線路に投げましょう
あのひとの途切れた声の行方捜すように
すれ違う同じコロンに振り向いてしまう癖
(コンパートメント / 松任谷由実)

夕飯を作っていて無意識に口をついて出てきた今日の1曲。
なんとなく口ずさむには不穏極まりなく、また暗いことこのうえない曲なのですが。自殺の歌!
暗い曲とか救いのない曲って、聴く側にはちょっとした癒やしを与えてくれたりするもので。
そんな気持ちになったことのあるかつての自分だとか、
今現在の自分だとかにそっと寄り添ったりする感じなのでしょうか。
とはいえ、私は失恋で死のうと思ったことはありません。相手を殺そうと思ったことはある気がしますが。
どっちが怖いって後者のが怖いよなあと我ながら思うのでした。
とはいえ、この失恋時の心象は自分にとっても嫌になるくらい馴染みのあるものです。
わたしは、望みのあるうちのほうがずっと辛かったですけれども。
望みを小箱に入れて捨ててしまえれば、こんなに楽なことはないのです。
次に進むしかなくなるのですから。
といった事を考えていて思い当たったのはタロットカード、大アルカナの13番目「死神」のカード。
SLでもおみくじみたいなタロットカードを使って、ちょっと遊んだりしているわけですが、
死神のカードを極端に恐れる人が多いみたいな気がします。
死神のカードは、死のカードではあるのですが意味的には、
新しいことを始めるために今を終わらせるというほどの意味で使うのが妥当かなと思います。
「もしや愛は戻る」みたいな望みや期待って捨てないで持っていてしまうと、いつまでもそこから離れられない。
そこから離れないと新たな出会いも何も生まれてこない。
転じて、もうそれは終わらせて次に行きなさいね。そのほうがあなたは幸せになれますよ。
しがみついていても、現状は何も変わりませんよ。現状を変えましょう、今あるものを終わらせて。
と、そんな感じに読むことが多いです。
もちろん出てくるタイミングや状況によって意味は変わってくるので、一概にこうだ!とは言えません。
けれど、むやみに恐れるカードではないと思います。
私は塔のカードが出てくるほうが嫌です。。。個人的には。。。といっても、タロットかじったことのある方なら、きっと皆そう思うと思うんだけれど。
塔のカードは突然のアクシデントみたいな意味です。
これは怖い。何か準備とか心構えとかもできてないうちにドーンとやられる感じが怖い。
話は全然逸れますが、私は自分が死ぬならば事故とかで一瞬のうちにってのが楽そうだなあと思っていますが、
残される側の立場からすると一番嫌な死なれ方ではあります。
ガンで死ぬ、みたいな感じだと、余命を宣告されるわその先の生きる時間が苦痛に満ちるわですごく大変だしつらい気がします、が、残される側にしたら覚悟と心構えを作る時間が出来るわけだから、、、
ものすごく心残りがある、という場合ならば、死ぬ準備を具体的にしておけるのはガンみたいにゆっくり死んでいく病なのかなあ。。。うーん。
こんなことを思っていたって自分が実際どう死ぬのかなんて、全然わからないことなのですけれどね。
ごきげんよう、たいこです。
1週間まるまる会社を休みました。インフルエンザめ。
有休2日しか残ってなかったよ。。。どうするのもう。
生まれて初めて、前売り買ったチケットを無駄にする経験をしました。
もう体調だめだめで外に出られなかった。起きられなかった。不覚でしかない。くぅ。
今回、インフルエンザの薬を使うのが遅すぎたのか、吸引失敗したのかがわからないのですがね、
薬あんまり効かなかったと言わざるをえない。。。
ちなみに使ったのはイナビル。1回だけ吸引したら終わってしまう、手間を考えるとこれ以上ないくらい素敵な薬です。
吸引失敗すると口の中に薬の味が残るよって書いてあって、ああ、私大失敗してるじゃないかって思ったのでした。
1回失敗したらもう次はない感じが、1回で終わる薬のデメリットだよなあと思いました。
今のところ子どもたちに伝染った様子はないので一安心です。
まだわからないけど。


ちょこっと最近の過去(なんだこの表現は)を振り返ったりしていて。
去年の冬、春、夏あたりのことを。
当たり前の事だけれど、あの頃予測した未来は全然当たってないわけです。
去年の今頃はあなたと私は全然知らない人でしたね。
という当たり前のことだけど忘れがちな確認作業というか。
自分にとっては、知り合った時がスタート地点なわけです。
歴史がずーっと続いているのは自分の人生だけです。
あなたとわたしの人生のある部分からある部分は共有しましたね、みたいな。
で、自分にとってのその人は、接している時がすべてなのですよね。
しかし当然どの人にも生まれてから今まで、連続して歴史を積み重ねているわけで。
知り合う前の、あるいは仲良くなる前のあの時代にこういうことをしていた、という、
絶対に共有できない思い出ってのは、話していると不思議な気分になります。
共有し得ない時間があって、その時間の積み重ね方の結果が今接しているこの人っていう事で
その共有し得ない時間ってとっても大切で尊重すべきものだと思っています。
自分の中に蓄積された自分だけの色々な人との関わりの記憶や関わったうえで感じた事、
考えたこと、納得したことしないこと。それは、この先に出会う人々に贈ることの出来るプレゼントのようなもの。
共有した時間分だけ、自分とその誰かの人生に干渉して、この先の未来に影響を及ぼす。
私達は日常的にたくさんの人と出会います。
その出会った人たちの、誰を選んで深く付き合うかという、その選択は自分自身が行うものです。
その自分で選びとった感じが、人の縁なのでしょう。
出会うべくして出会い、関わるべくして関わるのだと思うのです。
それは、自分がその人を選んだからにほかならない。
これから先もたくさんの人と知り合うだろうし、そのうちの何人かとは深く付き合うことになるのだと思う。
私は私が選んだ人たちに対して、尊敬と感謝の気持ちを常に持っています。
で、そういう事を考えていたら、なんだか壮大な気分になってしまったのでした。

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