サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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もうわかってるさ 出会っても別れても 同じ事さ 同じ場所さ 2014-08-29

桜雨 罪流して
与えてくれ 邂逅の奇跡
もういいじゃないか 憎しみも愛情も
同じ事さ 同じ色さ
(桜の雨 / 特撮)

季節外れな曲ですが。
8月もあっという間に終わりが見えてきました。
明日から我が子たちは学校が始まります。子どもたちの長い夏休みもやっと終わり。
彼らは寂しいでしょうが親としてはやっと終わってくれたーーー!といったところ。
子どもたちが家にいるというそれだけで、なぜこんなに家の中が荒れるのか。
荒れる室内、すぐに空になる冷蔵庫。
恐ろしい話です。
ごきげんよう、たいこです。
だらけすぎてそろそろお尻に火がつきそうです。
次のイベントの開始はいつだ。8日だ。ガンバレ、私。


カガミのお話。
アンケートは英語のものも日本語のものも、全て目を通しています。
その中で、実際に兄弟を亡くされた方からのものが幾つかありました。
私も幼いうちに亡くした弟がいます。
シナリオを作っている段階でこの弟のことはずっと意識にありました。
弟は生後半年で亡くなりました。半年間ってすごく短くて、彼との思い出も本当に少ないのですけれど。
自我もなにも芽生える前のほんの赤ちゃんの頃にいなくなってしまった彼のことを考えると、
なんだか本当にやるせない気持ちになったものでした。
その場にいなくなった人ってどうしても忘れられてしまうもので。
忘れるというのは少し語弊があるかな。私達は忘れてはいないのだけれど、
例えば「何人兄弟?」と聞かれた時に、「3人です」って言ってしまうことだとか、
(亡くなった弟も含めると私は4人兄弟)
そうやって居ないことにされてしまうことがとても多いのです。いなくなった人は。
生まれてこなかった子に関してはなおのこと、
居ないことにされてしまう場面は多いのではないかなと思うのです。
私はおそらく、そのことに対して罪悪感がある。
いろいろな事情があって生まれてくることのなかった子どもはすごくたくさんいる。
その、存在のあるなしはすごく大きいのだけれど、その子に当事者として関わった人たちにとっては
いなくなった子、いるはずだった子の存在ってやっぱり大きいものだと思う。
公に語ることの出来ない子どももたくさんいるはずで、もし自分がその子の立場だったとしたら、
すごくすごく寂しいだろうなあと思うのです。
未だに、もし弟が生きていたら、みたいな話をすることがあります。
本当にあっという間に亡くなった弟だけれど、こうやって生きている私達の心にしっかりと存在していることは、
亡くなった弟にとっても幸せなことなのじゃないかなあ、という、これは生きている私の願望でもあります。
そういう気持ちが今回のシナリオには、多少なりとも入っています。
アンケートを読んで、同じような気持ちを抱えてる人は自分だけじゃないんだなって少し嬉しかった。
私は自分で勝手に「弟はいつでも見ててくれる。ピンチの時は助けてくれる」と思って生きてきています。
都合のよい考え方ですが、その都合の良さで自分が少し強くなれるなら、それはよいことだ。
生きてる人の気持ちだってうまく理解することができないのに、
亡くなってしまった人の気持ちなんて絶対にわからない。
自分がその故人とどう向き合うかということは、それこそ自分勝手でいいんだろうなと思います。
生きてる人に対してだって、予想や予測を暫定の断定として当てはめて私達はコミュニケーションを取っているわけだしね。


子どもたちの夏休みがやっと終わりました。
帰ってくると家が荒れていて、長い休み特有のだらりんとした空気に包まれている子どもたち、
というしんどい状況からやっと開放されます。
やっぱり子供は学校に行っている方がいい。
夏休みが終わったと同時に夏も終わったかのような今週の涼しさですが、
きっとまだもう1回くらいは夏のぶり返しが来るはずだ。
季節は行きつ戻りつしながら、着実に寒い冬へと向かっている。
実はつい最近、年末年始で浮かれていた気がするのだけれど、実際は1年の半分以上が終わっている。
巻き戻せない時間の過ぎたあっけなさに呆然としつつ、若干の焦りも感じつつ、
あっという間に過ぎ去るこの感覚に自分の年齢を感じつつ、それでもやっぱりだらだらと過ごすんだろうな。


パートナーの人とは、年明けから仲良くなって2月、3月くらいにずっといっしょにいる感じになりました。
その頃からカガミの準備をはじめていて、本当に慌ただしい中で関係を築き上げてきました。
人ときちんと向き合うということをものすごく考えさせられるような時間でした。
そしてそれは今も変わっていない。
似たところの多い人と一緒にいると、それはすごく楽だし、それゆえに手を抜いたりしがちなのですけれど。
私のパートナーの人とはその手抜きが本当に許されない感じでいっしょにいます。
この人のペースに合わせようっていうのは、付き合うことを決めた時から思っていたのですが、
このペースでいっしょに歩んできて、得たものはすでにたくさんあります。
きっとその得たものの成果が出始めている、今の時期。
慌ただしいのも終わって、今は優先事項の第一番くらいのところに彼がいます。
人は無意識に自分の好きな人と自分の共通点を探すものだと思っていますし、
そういうことが容易にできる間柄が楽なのもわかっている。
当然、共通点は少なからずあるのだけれど、(じゃないときっと仲良くはなれなかった)
違っているところはとことん違っている人で。
その感じに「手が抜けないなあ」と思いつつ、そのことを喜ばしく思っています。
これからもきっと、色んな所でぶつかるし傷つくこともあるんじゃないかなと思う。
けれども今までどおりの足並みで歩いていけるなら、そんなに悪い未来は想像できない。
できればずっと、いっしょにいたいなあ、と今の私は思うのでした。

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カテゴリー: 日記

永遠を夢と知りながら ラストフラワー 2014-08-21

これ以上 これ以上
憎しみが続くなら
凍った花に 僕らはなりたい

(ラストフラワーズ / 大人の新感線)

気づけば8月も20日です。あっという間!
7月までが怒涛の忙しさだったので、8月に入って気が抜けました。
イベントは作ってしまえばあとは見守るだけという感じなので、
公開して皆様に楽しんで頂いている段階は、スタッフ側は「終盤」という感じでございます。
準備期間のほうが何倍も長いしね。
というわけで、あと残すところ10日ほどになったカガミですが、
半分を超えてもまだたくさんのお客さんに遊びに来てもらっていて、嬉しい限りです。
お化け屋敷といえば波野家みたいな風潮はもうずいぶんと前からあります。
おそらく幕末お化け屋敷がきっかけだと思うのですけれど。
そういえばあれがなかったら、ホラーナイトにも誘われてなかった気がする。
お化け屋敷→ホラーナイト→鵲→カガミ(イマココ)
というわけで、振り返ってみたら2010年から毎年何かしらお化けに関わっています。
しかし、私がイベントを主催したことは一度しかありません。
2011年冬のBloody Valentine。
それ以外はすべて、スタッフとして参加してきたイベントです。
主催なんて大変なことは私には出来ぬ……!
主催や制作の人たちの大変さは身にしみて知っています。
なので、「波野家さん主催の」と、あちこちで言われるたびに心が痛みます。
私はどちらかというと、主催者を困らせるかかりです。
やりたいことがある。イメージもある。スキルがない。
こんな中途半端な感じの私を、毎回誘ってくれる人たちには本当に感謝しています。
とはいえ、カガミは私が言い出しっぺで始まったイベントです。
なので、だいぶ中心で色々言ったりやったりしました。
で、私が今までやってきたなかで、どうしてもこれだけは……!
と思っていたのが、英語の完全サポート。
それは2010年、2011年のホラーナイトで強く感じたことで、
外国人のお客さんが翻訳機を使いながら必死で翻訳しつつそれでも楽しんでくれていて。
いつもいつも、英語での最大限のサポートをしたいと思いつつもどうしても作業量の関係で中途半端になってしまう。
セカンドライフで催すイベントなのだから、英語でストレスなく遊べるくらいにしたい。ってことを、
実はずっと考えていました。
今回、主催のナオアダージョ氏と、翻訳をお願いしたクリオネさんのおかげで、
英語の分かる人ならばきちんと遊べるものに仕上がったことが、何より嬉しい事だったりします。
そして、今回のチームカガミは本当に素晴らしかった。
今までで一番平和に制作が出来たチームだと思っています。
何がすごいって、皆それぞれホームベースの違うところの人たちだってところなのです。
そういう中できちんと意思の疎通を図りつつ、大きな問題もなく作り上げられたことが、私の中では本当に大きい。
そんなわけで、今年の夏は本当に幸せな夏でございました。
蓋を開けたあとの海外のお客さんからの褒め言葉を日々噛み締めております。
こういうところでこれだけのものを作るのは本当に大変で、だからこそ次ができるのかどうかは今はまったく分からないのですが、できればまた、このチームで何か出来たらいいなと思っているのでした。


大人計画と劇団☆新感線という劇団があります。
私はどちらも大好きな劇団なのですが、お芝居の方向性はまるで違う劇団です。どっちも大人気だけど。
で、今、この2つの劇団がコラボしたお芝居が上演されています。
「大人の新感線」として。
脚本が大人計画の松尾スズキ、演出が新感線のいのうえひでのり。
もう、どんなお芝居になるのか、この情報が出た時からわくわくしていたわけです。
まったく期待を裏切らない、素晴らしい舞台でした。
松尾スズキは人間のダメなところ、嫌なところをこれでもかっと抉りだすようなお芝居を書く人です。
結構重たい話も多いのですが、どんな重たい悲劇も喜劇にして見せてしまう、素敵なお芝居を書く人です。
一方新感線は、とにもかくにも観て楽しい、ストーリーはできるだけわかりやすく、それでも物語の重厚感は失わせない、そんな劇団です。とにかく私のなかで新感線といえば、殺陣とロックとすげーお金のかかったセットなのです。
この2つが噛みあって、奇跡みたいなお芝居になっていました。
大人計画らしいヒリヒリするような今の世の中の現状に対するなにかを、
新感線らしい軽快さでどおおおおんと派手に軽く見せている。
どうしようもない現実、どうにもならないだめな現状。
それはやっぱりどうにもならないんだけど、でもその中でも生きていくっていうのは、きっと希望なのだと思います。
どうにもならない不幸やどうにもならない悲しさ、悔しさ、無力感。
こういうものは、笑い飛ばすしかないのだよね。
今はこうだけど、そのうちよくならないかもしれないけど、今現状で起きてるいろいろなどうしようもない出来事、
実は相当面白い喜劇でしょ?っていう。この感じが私は大好きだ。
休憩20分を入れて、上映時間は3時間半くらい。
相変わらず長い長いお芝居でしたが、大満足でした。
ああ、もう一回観たい。。。。
全然ストーリーに関して触れていませんが、スパイの話でした。
時代劇じゃない新感線っていうのも、なんだか新鮮でございました。


今日の脳内BGMは「オンリー・ユー」でした。
朝、ひょんなことからこの曲を聞いてしまったので。
人が誰かを好きになることは、もうそれだけで素晴らしいことだと思います。
その想いが叶うかかなわないかは別にして、素晴らしことだと思います。
既婚者だって独身だってバツイチだって、おじいちゃんだっておばあちゃんだって子供だって、
人を好きになる、そのことだけをとるならば、それは自由だと思います。
それだけならば純粋な愛なのだと思うから。
愛は、その気持に沿って何かしらの行動をとった時点で欲になるんだと思う。
それも別に悪いことだとは思わないけれど、行動をとったなら責任が課せられる。
その責任はとてもとても大事。
恋愛のようなことは、そこで本当はどんなことが起きているのかなんて当事者にしかわからない。
私は私に向けられる好意は純粋に感謝するし、嬉しいし、かけがえがないと思う。
けれど、だからといってその思いや行動に答えるわけでもない。
でもね、感謝はしているのですよ。


休みボケが全然なおりません。。。
明日は怒涛の忙しさ(予定)ですが、いい加減この夏休み脳をどうにかしないとまずいなあ。。。
現実で地に足をつけて生きていくこと。この目標に沿って、また明日から精進していく所存です。

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カテゴリー: 日記

暗い夜の歩道を白い手袋 手をつないで逃げよう 2014-08-11

ナイフを握ってるな また殺っちゃったかい?
悪いクセだぞ すぐ殺すね、髪が赤いぞ
(ザジ、あんまり殺しちゃダメだよ / 筋肉少女帯)

歌詞見るとまったく穏やかじゃない感じなんですが、曲が妙に明るい。
筋少だなあ……というような曲です。
特に思い入れはないです。
2日から夏休みに突入していまして、毎度のことながらの大型連休だったんだけど(9連休!)、
あっという間に終わりました。明日でおしまい!切ない。
今年はお盆前倒しでお休みしました。
11日から始まるイベントに出す商品を作る時間がどう考えても取れなかったから。
実際は1日から始まったKAGAMIのオープン後のあれこれや、KAGAMI終わったー!っていう開放感や何かで、
全ての商品が揃ったのは実に一昨日。
まさか全ての商品が新商品じゃないとだめ!なんていう縛りがあると思っていなかったわけで。
設置前に設置ルール読んで「あれ!?全部新商品!?」となって慌てて色々とつくりました。
結果的に色々と作れてよかったです。休みばんざーい!
お休み後半の昨日は、区役所にいって手続きもろもろを。
毎年のことなのですが、役所というのは支払いに関しては家にいながら手続きができるのに、
お金を得ることに関しては出向いたりなんだりしなければならない。
お盆休みの期間に窓口を開けているとはいえ、お盆に休みを取れない人も当然いるわけで。
平日の昼間に、生活費を補助するための手続きをしに来させるってちょっと理にかなわない気がするのだけれどしかたがない。
役所のあと、子どもたち孝行ということで映画館へ。
CGのドラえもん観てきました。スタンド・バイ・ミーか。
映画の内容はタイトルそのまま。元ネタはコミックに掲載されているお話でございました。
これが私の好きな回で……子供の頃はこの話を読んで衝撃を受けたなあとか懐かしくなりました。
コミックのドラえもんは軽めの話が多いのですが(一話完結だから当然なのだけれど)、
これはずっしりと来た記憶があります。だからこのお話はすごくよく覚えている。
子どもと、特に息子と映画館に行った時は、できるだけ泣きたくないのだけれど無理でした。
結構しっかり泣いてしまって、ごまかすのに必死になってしまいました。
CGに違和感のある人もちょっとでも興味があったら見てみるといいと思います。
私は思ったよりも違和感なく楽しめました。3Dになった子どもたちがすごくかわいらしい。
……SLで今まさに、テクスチャだのマテリアルだのに頭を悩ませている私は、どちらかというとそのCGのテクスチャの質感だとかに目が行ってしまって、あのドラえもんのキャラクターたちが造形もそのままに立体化している、その感じにすごく感動したりしたのでした。
全てをリアルにすることよりも、原作の感じを壊さずにリアル要素を取り入れるってすごく難しいことなんじゃないかと思う。


ここまで土曜日


ここから日曜日


久しぶりに2日分みたいな書き方をしている。
昨日、波野家で長いこと相方をつとめてくれていたしゅーちゃんに会ってきました。
彼は沖縄の人なのですが、金・土の1泊2日で東京に来ているとのことで。
彼は私がSLをはじめて3ヶ月目くらいに知り合った人で、最初に働いた花魁バーのお店の人でした。
当時、オープンしたてだったそのお店を覗いていたら、唐突に背中にのぼりをさした白い人が「店員にならない?」と声をかけてきたのです。その白い人がしゅーちゃんでした。
本当に白かった。でも翌日には真っ黒い人になったりしていた。
人間のアバターも持ってはいたのですが、ほとんどを人外のようなすごいアバターで過ごしていた彼。
私がものづくりを始めたきっかけもこの人であることは間違いがない。
バーで騒いでいても話していても、遊びながらいつも何かしら作っている人でした。
私は今でも皆と話しながらものを作ったりするのですが、この作業の仕方のルーツは間違いなくここにある。
長い長いSL生活の中で、いろいろな人がやってきては去りしていきました。
ずーっといっしょにものを作っていたのは彼だけでした。
しかし沖縄と東京はものすごく遠いわけで、RLで実際に会うことはなかろうと思っていたのです。
いやあ、こういうこともあるんだねえ。
お互いにRLの写真も何も交換したこともなかったので、顔も風貌も知らなかったはずなのだけれど、
待ち合わせ場所で電話したら「ああ、たぶんわかった。赤いワンピでしょ?」とかいって一発で当てられてしまったのでした。
短い時間だったけれど楽しかったです。貴重な時間でございました。
またいつか、気が向いたらSLででもいっしょに遊べるといいなと思います。


土曜日、午後は高円寺でお芝居。
オフィス鹿プロデュース「山犬」を。
劇団鹿殺しのプロデュース公演という形で上演されているこのお芝居、森下くるみと鳥肌実が出演しています。
今回はやめとこうと思ったんだけど、鳥肌実が出るんじゃ観ないわけに行かないじゃないの!
というわけで観てきました。
鳥肌実ってやっぱすげー。
今まで舞台の声がかからなかったってのもわかる気がする。
キャラが濃すぎて演じられる役がめちゃくちゃ限られる気がする。
今回の役どころはカチっとはまっていて、気持よく見れました。
ものすごく気持ち悪くて、ものすごく寂しくて、切ない役どころ。
森下くるみの役どころを鹿殺しの女優さんにしなかった理由も観てから納得した。
一応サイコホラーな感じの舞台ですが、そんなに怖い話ではなかったです。
山犬役のISOPPさんの動きはすごかった。
セリフ(は、役の設定上全部録音の音声が流れる)の感じもすごくよかったな。
実は初高円寺で迷わないか心配だったのだけれど、
ものすごく親切な案内看板に助けられて迷わずに辿りつけました。
連休のおしまいにものすごく動きまわった2日間であった。


この休みの間に少し大きな出来事がありました。
色々とあって、実家の母と暮らしていた長男が戻ってきました。
非常に短い、3ヶ月程度の2人暮らしでした。
母の現在の状況も重々承知のうえで、それでも私は母の行動がちょっと許せないでいます。
私は長男の母親の立場から、母のしたことはひどい事だと思うし、
娘の立場からしたら、母の心境の変化も理解しなくもない。
完全に間に挟まれた形になって、色々と考えたのだけれど。
家族から続柄を取っ払ってしまえば、いっしょに暮らしている家族ならばそれは同居人になる。
そこにある関係性はすごくフラットで、私はそういう家族を目指して暮らしてきたし、
実際結構その感じに近づいているとは思う。
それは一番手を抜かないで彼らと向き合える方法なんだと私は思っている。
この一件のおかげで、ちょっと仲違いしかけていた長男と次男が仲なおしりたのは嬉しい事だけれど、
現在二人のなかにあるのは、「ヒドイことをした祖母」というもので。
秋にお墓参り行くんだけどなー。大丈夫かなー。と、ちょっと心配しています。
なかなか人生うまくいくことばかりじゃないですねえ。


そんなこんなで連休もおしまい。
次は来月のシルバーウィークか。ああ休みが待ち遠しい。
台風、いい時間に直撃とかしないかな・・・・・・と、とんでもないことを考えつつ、今日はもう〆。

暗い夜の歩道を白い手袋 手をつないで逃げよう はコメントを受け付けていません
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