サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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写真も撮ったのに ママが捨てた 2013-10-18

くるくる少女は 膨らむ胸に
彼からの電波受信機がある
ここで彼に埋め込まれた
口移しでくれたの
アア 天秤座 夜
踊った二人
夢なんかじゃない
(くるくる少女 / 筋肉少女帯)

一番最初に聞いた筋肉少女帯がUFOと恋人でした。
これもUFOと恋人に入ってた気がする。
妄想と10代のちょっと押したら転げ落ちてってしまう感じの危うさ。
新興宗教オモイデ教の雰囲気そのまま。
ごきげんよう、たいこです。
三者面談でした。
ああ、もう考えるのやめよう。
三者面談でさんざん将来についてまじめに考えろって言われて帰ってきてなんでゲームしてるんだあいつは。
と、3時間くらい途方に暮れる夜。
他でもないあなたの人生、ということがまだ良くわかっていない15歳。
もう少し大人になってくれないかなあって周りの大人はきっと皆思っている。
のだが、超マイペースな本人にはそんな事お構いなしなのかもしれません。
もうとっくに猶予期間はなくなってるんだけど「やだやだ」って見ないようにしてる感じ。
困ったもんです。


VWBCで対談をしてきました。
今日の21時~放送されるようです。対談のあとは8月にやった怪談ラジオを放送していただきます。
怪談ラジオのお話なので、そういうお話ばかりしています。
10月の半ば過ぎに怪談を話す。前に何度かお話しているお人形のお話をしてきました。
私は先のことを考えるのがあまり得意ではないです。
今のことで精一杯だったりします。
未来について考えることは、未来に今が過去になった時に後悔したくない!ということだけ。
今の自分に与えられた選択のどれを選びとるか、何をして何をしないか。
どれを捨ててどれを守るか。
手に持っているものすべてを持ちながらは進めないわけで、自分の抱えているものと量を考えながら決め続けていくしかない。
話がずれたけれど、そんなことを思っているので、怪談ラジオがもう5回めだったという事実に今更ながら驚いたのでした。よく続いたなー。
お話してくださったインヤン先生、ありがとうございました。


今日は22時から、お友達のアスランが踊ります。
詳細はこちらで。
https://m78ultra.slmame.com/e1382436.html
私も何度かおじゃましているGR∞さんのダンスイベントです。
今回はバックダンサーもお友達。
どんな感じになるのか楽しみにしておりますよ。
ということで、興味のある方はぜひどうぞ!
さて、あと1日で週末だー!というわけで頑張っていってきます。

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カテゴリー: 日記

たぶんあなたはむかえに来ない こんな激しい雨 2013-10-16

たまにはひとり どこかへ行きたかった
たまには少し 心配させたかった
ただそれだけ
心はもうとっくにくやんでいるのに
(たぶんあなたはむかえに来ない / 松任谷由実)

さらっと歌っていますが、これヘタすると何年も引きずりそうな失恋のシチュエーション。
あんなことしなきゃよかったああああああああ!と思っても、もうそちら側に傾いてしまった物事はそう簡単に取り戻せない。
そういうものですよね。
ごきげんよう、たいこです。
三連休、映画見てー芝居観てーって予定を立てていたのですが土曜日に芝居を観に行って力尽きました。
行ったのは鹿殺し2回めなので詳細は省くとして……。
円形劇場は席の位置によって芝居の表情が変わります。
1回めとは全然違う場所での観劇だったので、また新鮮な気持ちで楽しむことが出来ました。
しかし春と秋ってなんでこんなに眠いのか。
途中でものすごい睡魔に襲われたりなんだり。ついこないだ観たものをまた観ているのだから当然といえば当然。
それでもやっぱり、イイトコロに来ると泣けてきてしまう。これから先を生きていく不安、やりたいこと、やりたかったこと、できなかったこと。でも諦めきれないこと。
そんなようなことは37歳の私にも沢山沢山あって、だから身につまされるのです。


会話っていうのはお互いが投げて受けないと成り立たないものだと思っています。
私は会話が好きです。自分の観たもの、思ったこと感じたものを伝えたいし共有したい。
誰かの素敵な経験や面白い出来事、自分とは違う価値観や考え方。そういうものに触れる事も自分が発信するのと同じくらい大事。
RLで会っていれば、言葉がなくてもやりとりできるアレコレも、SLではすべて言葉にしなければならない。
発する前に色々と考えて言葉を選んでしまうのもチャットの醍醐味だし、その中でお互いを知っていこう、
お互いに知ってもらいたいと思うような相手が出来ると、これは幸せだってことになるのでしょう。
けれど言葉しかないから結構厄介だったりもするのです。
生身があれば何の問題にもならないようなことが問題になる。
見るべきところはきちんと見なければならず、自分が今冷静なのかそうでないのかは、
常に自問自答していないといけないなと思います。
会話をしていて心地が良い相手、そうではない相手っていうのがいて。
私が「ああらくだなあ。しあわせだなあ」と感じつのは、なにも考えずに会話ができている瞬間だったりする。
しかし、そういうことが出来る相手を見つけることはなかなかむずかしい。
そしてこのSLの中で、そういうことが出来る友達やら何やらが出来たことは素直に喜ばしい。


自分が作り上げた関係性という言葉がこれほど頭のなかをよぎった日はない。
私は今いる私の大切な親しい友人達のそれぞれと、それぞれに今ある関係を結べたことをちょっと誇らしく思っている。その関係性はみんな少しずつ違った種類のもので、けれどもおそらく共通しているところがある。
なんかそういう事を実感して、そしてその居心地のいい関係は私が作り上げてきたものだっていう、ちょっとだけ、ちょっとした自信を持つことが出来ました。
なんだかとっても曖昧な話ですけれども。


遠のいていれば平気なものでも近づけばやっぱり心が揺れる。
心が揺れるってのは悪い意味ではないです。
楽しかったり幸せだったりする時間が良い時間ならばそれだけ終わりの時を恐れるし悲しくなる。
けれど、怖さや悲しさはとても幸せな種類のものだと思うのです。
だから、謝ることはないのです。口癖ならば仕方がない。許そう。

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カテゴリー: 日記

世界中の どんな重要な出来事だって どうってこたぁ ありゃしない 2013-10-10

そしてやがて時が訪れて 死があたしから
あんたを引き裂いたとしても それも平気よ
だってあたしも必ず死ぬんですもの
そして死んだ後でも二人は手に手を取って
あのどこまでもどこまでも広がる 真っ青な空の
青の中に座って永遠の愛を誓い合うのよ
なんの問題もない あの広々とした空の中で
そして神様もそういうあたし達を
永遠に祝福して下さるでしょう。
(愛の讃歌 / E.Piat, A.Monnot、(訳)美輪明宏)

個人的演劇強化月間です。
7月までしばらくお芝居封印していたのですが、夏頃に少々荒ぶってしまいまして、気づけば8月~11月まで毎月何かしらの芝居を観に行く感じのスケジュールに。
財布のなかにチケットの入っている時期は幸せな時期でして、楽しみだ、ああ楽しみだ、楽しみだってわくわくしているわけです。
そのわくわくの源も、あとは今週末の鹿殺し(2度め)と来月の鉈切り丸のみになりました。切ない。
今日は野田地図のMIWAを観てまいりました。
このお芝居、どうやらちょっと知名度があるようで、「MIWA観に行く」っていうと「あああれねー」って返事が返ってくる率が非常に高いです。
正直、美輪明宏を題材にするってどんな芝居になるんだよ……。と若干不安を感じていたのは確かです。
だって野田秀樹なのです。野田秀樹と誰かの半生記って全然ピンと来なかったのです。
それでも劇団先行でNODAMAPにしてはかなりの良席が取れまして。
これならよっぽどでもない限り楽しめるだろうと意気揚々と臨んだのでした。
…以下、ネタバレする気がします。
物語は、まあ美輪明宏の半生なのです。
美輪役を宮沢りえ、その半身となる役、安藤牛乳役に古田新太。キャスト表を見た時に「安藤牛乳ってなんぞ…」と思っていたのですが観て納得。
パンフレットにもこれでもかと宣言していましたが、これは愛についてのお芝居。
美輪明宏を語るうえでは愛は欠かすことの出来ないテーマだと私も思います。
相変わらず演出素晴らしく舞台美術も素晴らしい。衣装も素敵。
舞台全体の美しさを眺められる席ではなかったので全体像が見えなかったのはちょっと残念ですが、全体像が見える席に行くと俳優さんの演技が間近で観れないのでどっちもどっちというところ。
前でも真ん中ならどこでもよく見えるんだけどねw
で、俳優さん。
宮沢りえ、古田新太は言うまでもなく素晴らしく。
古田新太は相変わらずずるい。すごくずるい。大好きだ。
金髪モードと黒髪モードの落差がまたいいんだよなあ。。。
何より池田成志の池田成志っぷりが本当によかった。私は池田成志大好きなのです。
それと当然ながら、野田秀樹。野田秀樹って本当にすっごいなあと思うのです。
身体のキレ、動き、セリフ回し。声のトーンの幅。
お芝居を作る演出家・脚本家としても好きですが、俳優としての野田秀樹も好きだ。
演出家としての野田秀樹のインパクトが私の中では強すぎて、毎回舞台を観に行って演技を見るたびに「あ、俳優のこの人も好きだ」って思うのでした。普段の認識は演出家で脚本家である。
ものすごくとっちらかってますが文章……。
生きていく事はつらい。愛する事は報われなければつらい。けれど、報われなくてつらい心は自分の中の欲であって、愛する事っていうのは本当は報われるとか報われないとか関係がない。
その人が存在していることそのものを肯定すること、ここにいていいんだと肯定すること、そしてその人の過去も今も未来をも信じること。愛するということは本当はそういう事。
そして、愛は男女間だろうと親子間だろうと友人の間であろうと、その質は変わらないということ。
そういうふうに愛するには、まず自分自身のことを愛していなければ出来ないことだと思うのです。
親と子の愛情は、親が子に唯一無二の愛情を与えるものでなく、生まれてきた子供が親に対して目一杯与えるものだという事は、本当にまさにその通り。
母親が強くなるのは、自分が子供を愛する気持ちからではなく、生まれたばかりの子供が親に注ぐ愛情がとてもとても強いからなのだと私は思っています。
なぜなら私はその愛情を注がれたから。
まだ私の子どもたちは独り立ちしていません。だから子どもたちからは本当に強い愛情を注がれ続けています。
親になるということは、子供のその強くて純粋な愛情を子供にお返ししていくことだと思っています。
だから、親から無償の愛のようなものをお返しされない子どもたちは大きなハンデを背負うことになる。
作中、いわゆるタブーとされる(もしくはタブーではないとされてはいるけれど、実は多くの人が自分のなかで密かにタブーにしていること)愛情の形が出てきます。けれどそれだって、自由に愛していいんだとこの物語は訴えかけます。
そして、自分の心のなかで密かにタブーにしているものたちについて、人はどう接するのかということもうっすら描いています。
例えば、自分の子供が自分のなかのタブーに踏み込むような価値観を持っている時、それでもその子供があるがままに存在することを許容出来るのか、ということ。
ただこの事を突き詰めて考えていくと、では人を殺しても平気な事は許容するのかだとか、そもそもそういう要因を持つのは育った環境が関係してるんじゃないのかとか結構ぐちゃぐちゃっとなってしまうのでやめよう。
けれど、どうにも愛するということの意味が、うまく浸透していないような気がするのです。世の中。
愛する人は皆死ぬ。
これはある意味で当たり前で当然のことです。
愛する人だけでなく、生きているものは皆死ぬのです。
死ぬことに関して、他の誰もどうにもできない。当人にすらどうにもできない。
愛するものがいなくなること、死んでしまうこと、目の前から消えてしまうこと。
でもそれは決して悪いことではなく、むしろ自分にとっては素晴らしいことだっていう、頭のなかでは理解しているような事。
でもやっぱり、それはとてもつらいことだって思う自分の気持ちと、
いずれそうやってたったひとりになってしまう時のことを考えて、
なんだかしんどいなあと思ったり、そのしんどさすら取り込んで血肉にするような強さについて思いを馳せたり、
そしてその、血肉にするような事柄が愛なのか……と思ったりなかなか心のなかが大忙しです。
深いところから感動してしまった舞台でした。
ああもう、すごい長い。すでに長い。文章超長い。
ごきげんよう、たいこです。
そんなわけで、ものすごく贅沢気分で1日を過ごすことが出来ました。
今日の東京は天気もよくてちょっと暑くて風がすごくつよかった。
プラプラと歩きまわるにはよい気候で、気持よく池袋をウロウロしてきたのでした。お芝居の余韻に浸りながら。
こういういいお芝居を観ると、語る人のいないことが寂しくて仕方ない気持ちになります。
語りたい語りたい!と思うからこういうところに文章を残すのだけれど、
やっぱり誰かと語り合うのと、こうして一方的に書き記して行くのでは意味合いが全然違うなあ、なんて思ったのでした。

世界中の どんな重要な出来事だって どうってこたぁ ありゃしない はコメントを受け付けていません
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