サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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続く人生 あなたがいなくなっても 世界は変わる 私がいなくなっても 2013-10-31

Going on 今を生きよう 離れてゆく明日でも
Now is on 今を愛そう 求め合える瞬間を
We’ll never be the same
ふたりずっとここにはいられない never be the same
やきつけるのあなたを
(Now is on / 松任谷由実)

1999年にリリースされたアルバムの1曲めがこの曲なのですね。
実はこれの1つ前の「スユアの波」からずっとCD買っておらず、自分のなかではすごく最近の曲。
といっても1年近く前なのですが。買ったの。
やっぱりいいんだなあ。「え、なにこの曲いい」って思うような曲が何曲か入っています。
曲もいいけれどやっぱり詞がすごいなあ。
この季節の気分にはぴったりな曲です。
ごきげんよう、たいこです。
1時間前に寝ようと思ったんだけれどなんで起きているのか私は。
今朝、出勤準備をしている目の端で、Yシャツにパンツ1枚で佇んでいる次男。
そうこうしているうちに時間は8時半。この時間に鳴る電話は間違いなく中学校からで、
この状況、どう考えても次男宛。
次男を電話に出させる。
「はい、はい。あーお兄ちゃんはもう出ました。俺ですか?制服のズボン探してて……」
なくすなよ。ズボンを。
昨日も学校行ってたはずなんですが。なんでなくなるのか。意味がわからない。
どこかからか見つけて、私が家を出るより早くに家を出て行きました。
しっかりしてるんだかぼけてるんだかわからない次男ですが、これでも他の2人の子供に比べるとかなりしっかりしている。
うっかりとかおかたづけが出来ないとかは間違いなく私の血です。
私ではなく祖母や祖父を恨め!
水星が逆行しています。
水星の逆行中は、誤解とかうっかりで喧嘩しちゃったりだとか、連絡だの伝達だのがうまく行かなかったりだとかで、なんとなく思うように事が運ばないなあ、なんていう雰囲気が世の中を覆うようです。また、過去がぶり返してきたりして、昔の恋人から連絡が来ただとか、過去を振り返るような機会がやってくるだとか、なんとなく過去に思いをはせてしまいがち、だとか。
予習よりも復習する時期が水星の逆行の時期。
占いっていうと良い結果、悪い結果みたいに捉えがちですが、ある出来事が自分にとって良いものなのか悪いものなのかは簡単には言えない事ではあります。ポジティブ寄りに捉えれば、しんどい出来事が起きたことで自分に学ぶものがあったのならばそれは良い出来事になるわけです。そして、得てして大切なことはしんどい出来事からしか学べないものだったりもします。
単純に考えればしんどい思いはしたくないわけですから、しんどい出来事はよくない出来事なのです。
捉え方で解釈は変わる。どんな事実であったとしても。
この世で起きる出来事のすべてには意味がない。理由もない。自分の目の前で繰り広げられる様々な出来事に、自分なりにどう意味付けをしていくのかという事が自分の人生を決めるのだと思います。
だから占いに良い結果も悪い結果もない。死は忌み嫌われますが、死ですらそれが良い事なのか悪い事なのかなんて判断はつけられないのです。しかし、死の周囲にいる人達にとって大抵は悲しいものであります。
死という事を忌み嫌うのは生きているものとして当然のことです。けれどももし死ぬことがなかったら、それはそれで非常に辛いことなのではないかなと思うわけです。
死を忌み嫌えるのは、自分たちが誰も例外なくいずれ死ぬという大前提があるからです。
話が大幅にそれたよ。
というわけで今は水星の逆行中。
未来のことを語るよりも過去に思いを馳せて行くことに向いている時期。
そんなわけで、そこはかとなく過去のことを振り返る機会が多くなっているわけです。
秋だっていうのもある。いきなり寒くなっちゃってただでさえ切なくて仕方がないのです。


好かれたいように好かれる事はとっても難しいねえ、という話をしました。
難しいのです。好かれるというのは受け身な感じです。
相手次第だし相手のことは自分には操れないですから。
そして皆、「こういうふうに好かれたい」って思っている事ってあると思うのです。
私にもあります。漠然としてはいても、あります。
好いてくれているのはわかる、でも欲しいのはそれじゃない という事態に陥ることがままあります。
それは相手が恋人だったり子供だったり親だったり兄弟だったり友達だったり、色々なのですけれど。
その態度で好かれている事は把握する、が、その態度は私にとって嬉しい事ではないよね。みたいなことです。
私は本当にチキンなもので、「好きだからやってる」ことに関して非常に寛容になってしまう。
寛容にはなってしまうけれど、決して面白くはない。
こういう時に感じる孤独感は、一人でいる時に感じる孤独感の何倍も胸に刺さります。
そういう無力感にたまに呑まれてしまいそうになることがあって。
ありがたいし嬉しい気持ちも本当なのですけれどもね。
相手の「好き」という感情に私が関与するのはいけないことで。
相手の好きっていう気持ちがたとえ私に向かって投げかけられていようとも、その好きっていう気持ちの持ち主は相手なのです。
好かれれば好かれるほど寂しくなってしまうような関係も、あるわけで。
むしろ好かれたいように好かれる可能性のほうが低いのです。


そんなこんなで31日。海外の人たちのハロウィン熱はすさまじいものがあります。
Flickrのタイムライン、お化けまみれ。
日本ではハロウィンの位置づけすらあまり理解されていない気がしますが、最近次は徐々にハロウィンを祝う人も多そうです。
それが終わるとまたプチ怒涛のものづくりがまっているわけで。
なんにせよ寒くて嫌いだけれどこ、これからわくわくしてしまうようなイベントも盛りだくさん。
外国人にまぎれてそんなウキウキ気分をげっとできたらなあ。

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カテゴリー: 日記

あやかしの隣人 どこまでも終わりが無い 2013-10-28

亡者はCRAZY 底なしの感じ
丑三つに変身 そこからは終わりが無い
子供を飲み込む 物の怪のタンス
屋根裏に潜む 物の怪でヤンス

(モノノケダンス / 電気グルーヴ)

もののけといえばこれだと思う。
PVが素敵すぎる。
というわけで土曜日に百鬼夜行遠足をしてきました。
仕切りはアスラン。アスランちょー頑張った。本当にお疲れ様でした。
ハロウィンだけどドレスコードは和装もしくは和のお化け。
百鬼夜行だからね。
きせかえはSLの一番主だった遊びだと思うのですが、年がら年中理由もなく色々な格好をするよりはこうした催しで盛り上がるほうが絶対楽しい。というわけで、2013年のSLはこんなことが出来るぞ!っていう感じ満載のコスチュームがいっぱいの会でした。
集まった人は30人前後。集合時間とおおまかなタイムラインだけを決めて、箱庭SIM→幕末SIM→クーロンSIM→Havenhollow と散策してまいりました。
目一杯着飾った30人の集団はそれだけで重たい!かったけれど、大変楽しい遠足でございました。
お化けのコスチュームの人が沢山集まるっていうそれだけでものすごくテンションがあがったのです。
上がったテンションそのままにSS沢山撮ったわけで・・・
G+とフリッカにそれぞれいくつかUPしていますので、興味あるかたはぜひ。
G+
Flickr
自分の作った衣装もそのうちにきちんとSS撮りたいなあと思っているけれどそのまま忘れそうです(ノ´∀`*)
参加する人はすごく自由に参加できるゆるい感じでしたが、そうやって参加者が気軽に遊べるように整えるのは緩くてはできないわけで。
色々手配したり準備したアスランは本当におつかれさまでした。


先週なんとなく夏目友人帳モードになっていて、漫画全部読んでアニメもだだだっと見てしていたら夢にまで夏目くんが出てくる始末。いや、恋じゃない恋じゃない。
そんなわけでいつにもまして頭のなかが妖怪モード。
日曜日の朝、「ハントの景品28日までに置いてねー」っていう案内が来て気づくのは、11月まであとわずかだって言うこととハント1日からじゃねーか!っていうこと。
11月1日から、The Dirty Turkey Huntっていうハントに出ます。久しぶりのハントです。
実はネタすら考えてなかったっていう。11月ってまだもっと先だと思ってた自分、しっかりしろ。
夏目モードの私はあやかしアバターセットなるものを作りました。
いや、着物とお面なのですけれど。男子用と女子用があります。
ほとんど一緒です。違うのはエリの大きさと羽織のメッシュくらいです。
もらっていただけたら幸い。
頭のなかにあったイメージは、名取の式神である柊です。当然イメージの元にした程度なので実際の柊とはかけ離れていますが。
柊のキャラクターが好きです。でも一番好きなのはみすずです。
夏目君は妖怪が見えることで色々な悩みを抱えています。この物語に出てくる妖怪の見える人たちは、誰も彼も見えることでつらい思いをしています。
自分のみている景色を誰かと共有出来ないことは切ないし寂しいことだと思うけれど、実は皆そんなもの共有出来ていないのだと思う。
だからそんなに気に病む必要はないよ。なんて思ったりするのでした。
見えない人にとって、見えないものを「いる」と宣言サれることは怖い事ではありますが、
自分の信じる人がそう言うならばそれはそうなのだろうと信じる、そういう人間同士の関係もあるよねー。
話がおおまかにそれましたが、ハント品の案内はもう少ししたらFlickrや波野家ブログでお知らせ出来ると思います。


ひさびさに眠気に負けて早寝したから朝から元気である。
あ。
ごきげんよう、たいこです。
実は昨日、娘の授業参観で調理実習を見つつご飯と豚汁を試食してきたりしたので、そのことを書こうと思ってたのに忘れた!
実習している娘を見ていて、この子がお勉強が得意じゃない理由が少しわかったのでした。
気散らせすぎ!
というわけで、会社に行ってきます。

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カテゴリー: 日記

青い月夜に緑の色の マストを拡げて流れてゆこう 2013-10-25

誰も詩など聞いてはないし
この世界がみな作り物なら
港につながれたサーカス団の
あの船に乗って流れてゆこう
パノラマ島へ帰ろう
(パノラマ島へ帰る / 筋肉少女帯)

いつの間にかすっかり涼しくなってしまいまして。
この時期は着る服にすごく惑うのです。
涼しくて少し厚着をしたくなるのだけれど自転車通勤な私。
自転車を必死で漕いでいるうちに汗だくになってしまうという。
10月になって子どもたちも冬服へ。
帰宅した次男が学ランにパンツ一丁っていうすごい格好で家の中をうろうろするわけです。
なんで学ラン脱がないんだ……!
我が家はトイレの目の前に洗濯機がありまして。
洗濯物を入れたり出したりしている目の前で、次男がトイレへ。
彼はトイレのドアを閉めずに用を足すんだ。なんなんだあいつは。
すごく面白い顔をしながらウンコする中学2年。なんでこうなった。
ごきげんよう、たいこです。
あっという間に20日が過ぎ、20日過ぎた途端にお腹を壊しました。
これはきっと風邪。
お腹全然空かないわ、食べたら延々と気持ち悪いわで1日ご飯を抜いて様子を見る。
いつもの事なのですが、美味しそうなものを美味しそうに見れないのは若干つらいものです。
だいぶ良くなってきたけれどまだ気抜けないんだよなあ。


時間があったり気候のせいだったり、自分の生きているタイミング的なものだったりで
先のことや昔のことを色々と考えることが多かったここのところ。
秋だから仕方がない仕方がない。
ただでさえ少ない時間を楽しく過ごせない感じになっている自分の中にあるとげとげが、
自分でもちょっとなんだかなあ。なんて思っていたりしまして。
そのとげとげは実はずっと心のなかにあるものなのです。
でもそれを引っ込めておける余裕がちょっとなくなっちゃった。
なのでわがままを通してしまいました。
我ながらすごいわがままを言っている……と思ってはいる。
ものすごい勝手なことを言っている……という自覚もある。
そして心が痛い。
でも仕方がない。
あちらを立てればこちらが立たないというような類のことなのです。
できれば人のことは傷つけたくない。
でも、どうしたっていずれとんでもなく傷つけてしまうと覚悟をする距離が、
恋人だったり夫婦だったり親子だったり、そういう親しい大切な関係の距離なのだと思います。
だから心が痛くても仕方がない。
それでも大切な人に変わりはないわけで。これは私の一方的な見方なわけだけれども。
いずれ未来に関係が変わったとしても、切れてなくなってしまうのは嫌だなあと思っているわけです。
これもまた勝手な話なのですけれども。わかってるわかってる。
親子や兄弟、友達よりもある意味近い距離になる恋人同士は、それだけ近い距離になってお互いのことを深く知ったとしても、別れたら他人以下みたいな存在になってしまう。
勿論そうならない関係も沢山あるわけですけれども、いつもいつもこの感じがもったいないと思うのです。
もったいないっていう言い方はちょっと違うのかな。けれどせっかく深く知っている相手なのだから、
少しの意地とがんばりと無理ですごくよい関係になるような気がしたりもします。
そこでちょっとゆらゆら揺れるのも悪いもんじゃないとも思う。
ああ、ちょっと苦いですね。苦い苦い。苦くて甘い。
ほんのり大人な感じだなあ。
恋愛っていっても様々な関係があるので、
私の思ったりしていることが当てはまる例は少ないのかもしれません。
けれども私の思う恋愛ってこういう感じ。
友達よりも深いところでつながっていられるような、そういう感じ。
恋はときめくものだけれど、私にはその先にあるものが大切で。
なかなかこれが難しいのですがー。
恋人を作るより友だちをつくるほうが難しい、のはある意味本当のことだと思います。
けれど、一緒に生きていくパートナーという意味での恋人だったり配偶者だったりを見つけるのは、
友達を見つけるよりもずっとずっと難しいのかもしれません。
過去にとてもとても親しくなって、そして二度と会うことのなくなった人たちのことを思い出します。
性別年齢問わず、少なからずいる、そういう縁のあった人たち。
自分にとって二度と関わることがなくなるならば、その人が生きていたとしても死んだのと同じで。
私はいつだって自分の大切な人を殺したくはないから、それでもやっぱりどうしようもなかったりして、
なんだかやりきれない思いでいっぱいになっちゃう。
寂しいなあ。。。。
こういうことを考えていると、自分の孤独っぷりが身にしみてしまう。
けれど孤独でない人なんていないんじゃなかろうかとも考える。
だからといってそれが救いになるわけでもない。切なさとやりきれなさが増すだけである。
だからといってその事はとっくに諦めて、自分のことは二の次みたいな生き方は見ていて切なくなってしまう。
かなしくなってしまう。
それは私がやっぱりそこを諦めきれないからなのでしょうか。
あまちゃんな自分に打ちのめされそう!
はー。困ったもんだ。
はー。もやもや。
仕方がないです。秋だし。
もうなんでもかんでも秋のせいにしてしまえっ。

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