サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
Menu

世界中の どんな重要な出来事だって どうってこたぁ ありゃしない 2013-10-10

そしてやがて時が訪れて 死があたしから
あんたを引き裂いたとしても それも平気よ
だってあたしも必ず死ぬんですもの
そして死んだ後でも二人は手に手を取って
あのどこまでもどこまでも広がる 真っ青な空の
青の中に座って永遠の愛を誓い合うのよ
なんの問題もない あの広々とした空の中で
そして神様もそういうあたし達を
永遠に祝福して下さるでしょう。
(愛の讃歌 / E.Piat, A.Monnot、(訳)美輪明宏)

個人的演劇強化月間です。
7月までしばらくお芝居封印していたのですが、夏頃に少々荒ぶってしまいまして、気づけば8月~11月まで毎月何かしらの芝居を観に行く感じのスケジュールに。
財布のなかにチケットの入っている時期は幸せな時期でして、楽しみだ、ああ楽しみだ、楽しみだってわくわくしているわけです。
そのわくわくの源も、あとは今週末の鹿殺し(2度め)と来月の鉈切り丸のみになりました。切ない。
今日は野田地図のMIWAを観てまいりました。
このお芝居、どうやらちょっと知名度があるようで、「MIWA観に行く」っていうと「あああれねー」って返事が返ってくる率が非常に高いです。
正直、美輪明宏を題材にするってどんな芝居になるんだよ……。と若干不安を感じていたのは確かです。
だって野田秀樹なのです。野田秀樹と誰かの半生記って全然ピンと来なかったのです。
それでも劇団先行でNODAMAPにしてはかなりの良席が取れまして。
これならよっぽどでもない限り楽しめるだろうと意気揚々と臨んだのでした。
…以下、ネタバレする気がします。
物語は、まあ美輪明宏の半生なのです。
美輪役を宮沢りえ、その半身となる役、安藤牛乳役に古田新太。キャスト表を見た時に「安藤牛乳ってなんぞ…」と思っていたのですが観て納得。
パンフレットにもこれでもかと宣言していましたが、これは愛についてのお芝居。
美輪明宏を語るうえでは愛は欠かすことの出来ないテーマだと私も思います。
相変わらず演出素晴らしく舞台美術も素晴らしい。衣装も素敵。
舞台全体の美しさを眺められる席ではなかったので全体像が見えなかったのはちょっと残念ですが、全体像が見える席に行くと俳優さんの演技が間近で観れないのでどっちもどっちというところ。
前でも真ん中ならどこでもよく見えるんだけどねw
で、俳優さん。
宮沢りえ、古田新太は言うまでもなく素晴らしく。
古田新太は相変わらずずるい。すごくずるい。大好きだ。
金髪モードと黒髪モードの落差がまたいいんだよなあ。。。
何より池田成志の池田成志っぷりが本当によかった。私は池田成志大好きなのです。
それと当然ながら、野田秀樹。野田秀樹って本当にすっごいなあと思うのです。
身体のキレ、動き、セリフ回し。声のトーンの幅。
お芝居を作る演出家・脚本家としても好きですが、俳優としての野田秀樹も好きだ。
演出家としての野田秀樹のインパクトが私の中では強すぎて、毎回舞台を観に行って演技を見るたびに「あ、俳優のこの人も好きだ」って思うのでした。普段の認識は演出家で脚本家である。
ものすごくとっちらかってますが文章……。
生きていく事はつらい。愛する事は報われなければつらい。けれど、報われなくてつらい心は自分の中の欲であって、愛する事っていうのは本当は報われるとか報われないとか関係がない。
その人が存在していることそのものを肯定すること、ここにいていいんだと肯定すること、そしてその人の過去も今も未来をも信じること。愛するということは本当はそういう事。
そして、愛は男女間だろうと親子間だろうと友人の間であろうと、その質は変わらないということ。
そういうふうに愛するには、まず自分自身のことを愛していなければ出来ないことだと思うのです。
親と子の愛情は、親が子に唯一無二の愛情を与えるものでなく、生まれてきた子供が親に対して目一杯与えるものだという事は、本当にまさにその通り。
母親が強くなるのは、自分が子供を愛する気持ちからではなく、生まれたばかりの子供が親に注ぐ愛情がとてもとても強いからなのだと私は思っています。
なぜなら私はその愛情を注がれたから。
まだ私の子どもたちは独り立ちしていません。だから子どもたちからは本当に強い愛情を注がれ続けています。
親になるということは、子供のその強くて純粋な愛情を子供にお返ししていくことだと思っています。
だから、親から無償の愛のようなものをお返しされない子どもたちは大きなハンデを背負うことになる。
作中、いわゆるタブーとされる(もしくはタブーではないとされてはいるけれど、実は多くの人が自分のなかで密かにタブーにしていること)愛情の形が出てきます。けれどそれだって、自由に愛していいんだとこの物語は訴えかけます。
そして、自分の心のなかで密かにタブーにしているものたちについて、人はどう接するのかということもうっすら描いています。
例えば、自分の子供が自分のなかのタブーに踏み込むような価値観を持っている時、それでもその子供があるがままに存在することを許容出来るのか、ということ。
ただこの事を突き詰めて考えていくと、では人を殺しても平気な事は許容するのかだとか、そもそもそういう要因を持つのは育った環境が関係してるんじゃないのかとか結構ぐちゃぐちゃっとなってしまうのでやめよう。
けれど、どうにも愛するということの意味が、うまく浸透していないような気がするのです。世の中。
愛する人は皆死ぬ。
これはある意味で当たり前で当然のことです。
愛する人だけでなく、生きているものは皆死ぬのです。
死ぬことに関して、他の誰もどうにもできない。当人にすらどうにもできない。
愛するものがいなくなること、死んでしまうこと、目の前から消えてしまうこと。
でもそれは決して悪いことではなく、むしろ自分にとっては素晴らしいことだっていう、頭のなかでは理解しているような事。
でもやっぱり、それはとてもつらいことだって思う自分の気持ちと、
いずれそうやってたったひとりになってしまう時のことを考えて、
なんだかしんどいなあと思ったり、そのしんどさすら取り込んで血肉にするような強さについて思いを馳せたり、
そしてその、血肉にするような事柄が愛なのか……と思ったりなかなか心のなかが大忙しです。
深いところから感動してしまった舞台でした。
ああもう、すごい長い。すでに長い。文章超長い。
ごきげんよう、たいこです。
そんなわけで、ものすごく贅沢気分で1日を過ごすことが出来ました。
今日の東京は天気もよくてちょっと暑くて風がすごくつよかった。
プラプラと歩きまわるにはよい気候で、気持よく池袋をウロウロしてきたのでした。お芝居の余韻に浸りながら。
こういういいお芝居を観ると、語る人のいないことが寂しくて仕方ない気持ちになります。
語りたい語りたい!と思うからこういうところに文章を残すのだけれど、
やっぱり誰かと語り合うのと、こうして一方的に書き記して行くのでは意味合いが全然違うなあ、なんて思ったのでした。

カテゴリー 日記