サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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生まれ変わったら一緒になろうよ 花咲くこの街で 2013-04-30

俺といたら不幸になるよ
だから泣かないで
さようなら愛しい人よ
とても酷い男だけど
君のそばにいつまでもいたかった
花咲くこの街で
(花咲く街で / ホブルディーズ)

ほんっとに酷い男だ。
男の人っぽいこういう感じ、ムキー!ってなります。
不幸になるとかなんとかかんとか勝手に決めてカッコつけてんじゃないわよバカ!とか思う。
しかしこの感じが男らしさと紙一重なのもまた事実。
ゴールデンウィークだよっ!
というわけで、10連休を断念した私は今日は仕事へ行って参りました。
明日あさっては有休取ったので、ここからが私のGW本番でございます。
うわーーーーーーーい!!!!
いつだって一番テンションが高いのは連休前の夜なのです。ふふん。
で。
先の三連休中にずっと観に行こうと思っていた図書館戦争を観てきました。
会社の目の前が映画館ってすばらしい。
定時ダッシュで18時からの回を。
17時半に会社を出て、17時55分には諸々準備万端で映画館の座席に座っておりました。
我ながら好きなものやことに対してはすごいガンバル。
以下、どうしても若干ネタバレするのでお気をつけてお読みください。
図書館戦争は、有川浩の小説が原作。
原作は4冊からなる本編「図書館戦争」「図書館内乱」「図書館危機」「図書館革命」と
番外編となる別冊図書館戦争I、IIの6冊が出ています。
いやあ、、、やっぱり戦う話が素敵だと思う。この人の小説。
戦わない小説は乙女要素が色濃く出るので、ダメな人は徹底的にダメだと思います。
著者本人が「大人のラノベ」と言っているようにラノベっぽい要素はたくさん。
特に図書館戦争に関しては、ラブコメの要素がとっても強い。
主役の2人が恋愛に奥手で素直じゃないもんだから、読んでいてヤキモキするわキュンキュンするわで大変だった記憶があります。。。が。
不器用だけれどすっごい強くて頼りになる男の人っていう、心のなかに乙女を飼ってる人にはたまらない感じのキャラがいつだって大活躍するのです。
図書館戦争だと堂上ですね。主人公の「王子様」です。(ネタバレ)
この堂上が本当にかっこよくてかわいい。こんな人に惚れられたら私もう死んじゃう。
映画は4冊の小説のうち、1冊め、2冊めあたりのお話を扱っているんだと思うのだけれど(うろ覚え)、
それ故に恋愛要素は抑え気味です。やっぱりメインはメディア良化法と戦う図書館員の話。
舞台は昭和から正化という年号になった架空の日本。
そこではメディア良化法という法律によって、図書を検閲できるようなとんでもない世の中になっています。
検閲のせいで本の値段は上昇し、街の本屋さんは軒並み潰れ、人々は好きに本を読むことができなくなってる。
そういう現状に唯一立ち向かう図書館、そして図書隊員。
本の話なのに戦闘シーン満載。
ヒロインだって戦う乙女なのです。
思いやり、愛情表現の出方がとんでもなく不器用な堂上と、まっすぐだけどどっか抜けちゃってるヒロイン笠原。
その周囲にいる同僚、上司、そして敵役まで、キャラが素晴らしく立っていて見ていて飽きない。
そして、本を愛するものとして、なんでもかんでも本やゲームのせいにして規制する世の中の風潮に危惧を感じるわけです。犯罪者が読んでいた本は悪い本なのか。それは規制をするべきなのか。と。
幼い頃、私の逃げ場所は本の中だった。
あの頃にそういう逃げ場がなかったら、私は今どうなってしまっていただろうと思う。
必要なのは、そういうものを隠すことではなく、そういうものと上手に付き合っていく方法だと私は思うのでした。
思想、言論の自由が奪われるとはどういうことなのか。
無関心でいていいはずはないよね、とおもいます。


さて、明日からの6連休何しようかな。
少しやるべきことを片付けてしまいたい……。
ぼけっとしてるとあっという間に過ぎてしまう6日間。
なんとなく有意義に過ごせたらいいな。

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カテゴリー: 日記

あなたをもっと憎みたかった 残る孤独を忘れるほどに 2013-04-29

時は川
きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて
想い出に手をふるの

(水の影/松任谷由実)

金曜日からだらだらと書いていた記事が消えました。泣きたい。
木曜日~金曜日、満月でした。
東京あたりの木曜日の月がとっても大きくて綺麗だったのです。
そんなことが書きたかったのでした。
大きくてかすみがかった木曜日の月は、「月明かり」なんていう言葉を思い出すくらい明るくて綺麗でした。
東京に住んでいると、星が明るいとか月が明るいとかっていう事を実感する機会が本当にありません。
夜って本当に暗いんだって事を知ったのは、高校時代にアメリカの山奥に行った時でした。
そんな明るい東京の夜空でも、木曜日の月は本当に綺麗に輝いていたのですね。
空を見ているとその世界と自分の暮らす世界との隔たりを感じます。
星の世界、空の世界の時間と私たちが暮らす時間は決定的に違う。
私達の持つ時間など、星の時間にしたら瞬きをするほどの時間でしょう。
自分の小ささ、無力さ、些細な感じを実感してしまうのです。
こんなに些細な自分の中のこの感情に、それでも自分は負けてしまうっていう感じ。
その小ささが救いになることもあれば、やりきれないこともある。
満月や新月は、情緒が不安定になりがちだと言われます。
今回の満月、実は月食だったりもしたので、そこはかとなく影響を受けた気がします。。
神経がむき出しみたいな感じになってしまって、近しい人におもいっきり当たり散らした気がするよ。。。
ゴメンナサイ。とは思いつつ、その当たり散らした感じも受け止めてくれてたようで。
なんかもう照れ笑いでありがとうと言うしかないです。子供か私は。
私もだいぶいい歳なのだけれど、子供みたいに振舞ってる自分に時折びっくりするわけで。
どちらかというとママ的な役割をするほうが多いので、こういう感じになかなか慣れないわけです。
居心地が悪いわけじゃない。むしろ居心地が良すぎて自分がバカになってしまいそう。


突き詰めて考えないほうがいいことはあって、
宙ぶらりんだからこそ平和だっていうこともあって、
それがずるさなのか賢明さなのかは、受け取る人によって意見の別れるところなのじゃないかな。
曖昧で決めない優しさやずるさは、RLでもSLでも必要なのだと思う。
そのずるさを許容する優しさ。
後のことはあとで考えましょう、と、いずれすりあわなくなる矛盾を先送りすること。
先はない、けれど終わり方は選べるということ。
インターネットのコミュニケーション、パソコンの向こう側にも人がいる。というのは当たり前のことです。
パソコンの向こう側にも血の通った人がいて、それぞれ色々なことを考えたり感じたりしている。
だからリアルと同じなのかというと、私はそれも違うと思う。
インターネットだけの付き合いならば、電源を切ればそれまでなのです。
たとえばSLである日突然私がいなくなったとして、それによって生活が変わってしまう人なんてひとりもいない。
RLで私が突然いなくなると、私の子どもたちは死活問題になるだろうし職場だってちょっとした騒ぎになると思う。
そういう大きな違いがあるものだと、私は思っています。
大事なのは、過ぎ去ってもうない過去に囚われることではなく、
先にあってまだない未来に気を病む事でもなく、
今ある現在を全力で楽しむこと。
まるで未来を観るなというわけではないのです。
でも、未来を憂いたところで何も変わらない。それに未来は変わるものだから。
私達は明日の自分がどういう風に暮らすか、おおよその予測をつけて生きています。
そしてその予測は大体外れない。
けれど予測は予測でしかなく、それを信じきって暮らすことはちょっと危険なことです。
予測通りに行かないことだってたくさんあるのです。何があるんだかなんてわからない。
だから、この先の自分がどう思うか、どう感じるか、そしてどういう行動を取るかなんて誰にもわからない。
「自分は絶対に恋愛なんてしない」って思ってた人が翌日恋に落ちることだってあるし、
「自分は不倫なんて絶対にしない」って言ってた人がどっぷり不倫の泥沼にハマるなんてことは珍しくもない。
なにがあってもおかしくないし、どういうふうになる可能性もある。という程度は自分自身のことを疑う必要があると思う。
「絶対」っていう言葉は案外脆いと思うのです。
私は自分をあまり信じていません。
常にあらゆる角度から自分を疑ってツッコミを入れています。
そういうノリの悪い冷静な自分をどこかに置きつつ、ノリのよい流されやすい自分を自由に遊ばせてる。
そういう2つの感覚をうまいことバランスとって同居させることは、すごく大事かも。
そういうことを、そこはかとなく考えた日曜日の夜でした。


Worlds End Gardenにいってきました。
ファンタジーフェアで買った普段使いできないあれこれを着て。
Worlds End Garden
SS大変わかりづらいですが。
終末感漂う素敵な雰囲気です。
つい天使っぽい自分のアバターに目隠しをしてしまいました。
鴻上尚史の「天使は瞳を閉じて」が頭のなかでぐるぐると。

神様が旅に出たあとに、天使はずっと意識不明。
神様にはなれそうもないけれど、せめて天使にはなりたかった。
あなたと私の間にかかる幻の虹を渡るために、
あなたはいくつの涙を流し、あなたはいくつの言葉を忘れた。
涙を流し続けていると、虹は消えないから。
言葉を忘れ続けていると、本当の言葉が見つかるから。
あなたと私の天使のために。あなた自身の天使のために。
神様が旅に出たあとに、天使はずっと意識不明。
あなた自身の天使のために。
ふと後ろを振り返るとそこには天使が羽ばたいていました
天使はゆっくりとそして小さな声で
僕の胸はもう悲しみで一杯だと呟きました
貴方と天使の間に架かる 幻の虹を渡るために
あといくつの悲しみと あといくつの喜びを
貴方自身の天使のために

この頃の鴻上尚史が私は本当に好きです。
ただただ見続けるのが役割の天使は、人間たちの悲しむ姿を観ていられなくなって
目隠しをするのです。(劇中ではサングラスをかける)
Worlds end gardenの終末感は、かつて人がいた、そこでたくさん傷ついた、そして今はいない。
というその名残の気配がたくさん。
きっと天使は目隠しをしている。
とてもよいSIMです。


明日は元気があれば、図書館戦争を観てこようと思う。
絶対にボロボロに泣いてしまうので、手ぬぐいは忘れずに持ってでかけようと思う。
で、恋愛っていいなあああああああ!とか思うんだろうなあ。
わかってる。だいたいわかってる。
けれどそういう気分になるのは、案外気持ちのよいものなのですよね(笑)

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カテゴリー: 日記

生きるってことは不条理ってことよ 2013-04-23

「わかりかねます、なぜ人間の一生は平等でないのか?」
「そんなの当たり前だわ 生きるってことは不条理ってことよ、
 じゃーね、さよなら」
「いやです」
「少年の頃、あなたテレビを見なかったの?」
「見ました」
「思いだして、彼らはリアルな悲しみの時にどうした?
 愛するものと別れ行く時彼等はどうした? 答えて!」
「フランダースの犬はその時、総てを受け入れた」
「ならばあなたもそうすればいい、それをしなさい!」
(221B戦記/筋肉少女帯)

寝起きからブルーハーツの「青空」が頭のなかでエンドレス。
生まれたところや皮膚や目の色やもっと些細な事で「あなたはこう」って決めつけられていた時代って結構長かったし、今だってそういうのは残ってる気がします。
なんてことを考えるのは、今読んでいる小説のせい。
浅田次郎の輪違屋糸里を読んでいます。
舞台は幕末の京都で、出てくる人たちは新撰組なのでして、身分の違いやその垣根を飛び越えたくてもがいてる人たちばかりが出てくるわけです。
今の時代に生きる私達からすると、窮屈なことこのうえない感じがしますが、
形を変えただけで理不尽なことは山のようにある。
生きるってことは不条理ってことなのですねー。
ごきげんよう、たいこです。
リンカーンは平等な世界を作るために頑張った偉い人です。
クラッシュっていう映画がありまして。
「リンカーン」の中に、100年先にはきっと黒人だって大統領になれたりするだろうみたいな台詞が出て来まして。
現在のアメリカの大統領の姿と、「クラッシュ」が同時に頭のなかをよぎったのでした。
クラッシュは、ニューヨークを舞台にした群像劇(だった気がする)。
すごく絶妙な感じで人種差別のことを扱っているよい映画です。
人は育った環境に影響を受けて育つし、そういう根本的な違いってなると受け入れがたいっていう現実は間違いなくある。
人は群れを作って生きるいきものだから、差別はどうしたってなくならないだろう。
自分がどこの群れに所属しているのかっていうことが大切ないきものだから。
区別と差別は何が違うのかみたいな話で、それは単に程度の差ほどの違いしかないような気がする。
行き過ぎれば差別。
黒人を奴隷として扱う背景には、黒人と白人は違うものだという区別があったから。
そして、違うものだという区別は確かに正しいのであって。
自分と違うものを恐れる気持ちも生きていく上では絶対に必要だし、けれどやっぱりそれも差別につながる気持ちの種のような気がする。
ジョンレノンは、世界中の人があいと平和に満ちて暮らせたらすばらしいだろうなんて言います。
彼のフィールドは他の人の持つフィールドの感覚よりもずっと大きかったっていうだけなんじゃないかな。
そんなようなことをぼんやりと考えていた1日でした。


宇宙の片隅でつぶやき合う永遠は幻だと知っていても
(朝陽の中で微笑んで/松任谷由実)

人の心は変わるから、その時に全身全霊で本当のことを言っていたって次の瞬間には変わるかもしれない。
結果的についたことになる嘘の苦さと、それでも心は変わっていくという無常感。
でも、そんなことも含めたのしいんだろうなあ。
ま、一足飛びに改善できるようなものでもないから、
ゆっくりゆっくりやっていければいいなあと思うのでした。

生きるってことは不条理ってことよ はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記