サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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劇団鹿殺し:BONE SONGS 2013-02-25

道に彷徨い 泣き疲れても
見上げるといつも 骨の月
闇に輝く 光る骨
(BONE SONGS / 劇団鹿殺し)

今日の寒さは一体なんだって感じでございました。
私のお出かけ用のコートは南国仕様なのでして、見た目は大変暖かそうなのだけれど実際は非常に寒いペラッペラなのでございます。まず袖口がすぼまっていないのであります。袖口から北風がぴーぷーと体の中を駆け巡るという、なぜ…という仕様なのでございます。
今日は大変寒いというお話を週末に職場の26歳から聞いていたため、暖かそうに見えるけれど実はすごく寒いコートの下にぴっちりだけど裏起毛なフリースを着込んで出かけたのだけれど、大正解でした。
それだけ着ててもちょー寒かった外!
今日は池袋は東京芸術劇場へ、劇団鹿殺しのお芝居を観に行って来ました。
なんだか芸術劇場周囲の雰囲気ががらっと変わっていて一瞬戸惑ったりもしましたが、そういえばこの劇場リニューアルしたんだった。
昔からなかなかよい劇場なのです。エントランスが吹き抜けでだだっ広くて、自分の行きたい劇場へも迷わずにたどり着くことが出来る。中ホールは上へ、小ホールは下へ。芝居以外で利用することはほとんどないので、中ホールより大きな劇場には入ったことがありませんが。
必要以上の装飾のない劇場。椅子も簡素。長時間の芝居だと若干おしり痛くなるかなーという椅子だけれど、それでもすわり心地が悪いわけでもないので充分です。
あまり椅子のすわり心地がよすぎると睡魔にやられることもあるからね…(好きだけどシブゲキは本当に観劇中に眠くなる率が高い。あそこの椅子のすわり心地はスゴイ)。
さて、本題の鹿殺し。
鹿殺しって名前のおかげで大抵の人にギョっとされるのだけれど、名前のイメージと実際のお芝居はだいぶ違います。演劇を観たことがない人にでもわりと気安くオススメ出来る数少ない劇団だと思っています。
とにかく踊る、歌う、演奏する。
踊ったりする劇団は結構あるのです。踊る意味が見いだせない場合が多いのですが。
ミュージカルと音楽劇は違う(と私は思っています)ので、セリフを朗々と歌い上げるという感じではない。
歌う、踊る、演技するってのをきっちりとこなし、それにとってつけた感じがない。
だから見ている側も違和感なく入り込めるし、やっぱり音楽のちからってのはさあ……と、音楽のもつ巻き込んで訴える力を否応無しに感じることができます。ここに取ってつけた感じが生まれてしまうと一気に興ざめしてしまうのですが。
偶然にも昨日の記事と非常にシンクロする内容のお話でして、リメイクもののお芝居だったのに予備知識なく観に行った私はちょっとびっくりしてしまいました。
かつて自分のことを愛してくれた人、かつて自分にとってとても大切だった人、主人公、たえにとっての大切な人は皆骨になってしまっている。皆死ぬ。そして自分だけが生き残る。
愛する人や愛された人、自分にとって大切な人の喪失はそれはもうとんでもなく痛いもので耐え難い苦痛だったりします。それは死別だったり離別だったり色々な別離があるのだけれど、自分の生きているうちに再会しない人であれば、その人はもう生きていても死んでいても同じで喪失されてしまったもの。
劇中、「死者が灰になってそれが長い時間をかけて新たな人の体をつくる」というような語りが出てくるのだけれど、私はこのくだりにとても聞き覚えがある。これは、大槻ケンヂの「I STAY HERE FOR YOU」というアルバムの中の「青春の蹉跌のテーマ」で繰り返し語られるクオークの概念と同じじゃないかと。
そんなことを思いながら観ていたら、劇中に出てくるバンドの名前が「トウキョウゴズニーランド」。UGSかよ!
で、物販のTシャツのプリント、劇団員の似顔絵が赤塚不二夫風味で描かれたものなんだけれど、オレノさんおもいっきりオーケンですやん。それも筋少解散する頃のw
鹿殺しを観てオーケンに思いを馳せる事になるなんて完全に想定外でした。でも色々納得したり腑に落ちたりもしました。
話が大幅に横道に逸れた気がする。
で、この「死者の体を作っていた物質が何千年の時を経て自分の体を形作っている可能性」っていう考え方、私はとても好きです。そうやってかつて大切だった人との緩やかなつながりを想像するって弱くて柔らかくて優しいものだと思うのです。
喪うことは、何度も書くけれど本当に厳しい事。
喪ってしまった大切な人たちが自分の骨となって今の自分を支えている。だから歩き続ける。
愛する自分の息子まで亡くしてしまって、本当にひとりになって、それでも歩き続けるのはどれだけしんどいだろうと思う。
一人だけれど孤独じゃない、と、過去の人たちを力にするって本当に強くないと出来ない。
どうしたって手に入らないものを潔く諦めること。は、カッコイイけれどそれだけにすごく大変な作業だ。
結婚して子供をつくって離婚した私には、そういう潔くいかねばならないポイントってたくさんあったしそれを踏み切るまではかなりかっこ悪いこともした。で、きっとそういう事はこれからも続いていくのだけれどその時にふと思い返せる誰かがいるって感じる事はとても心強いことだ。
舞台上で骨になった人たちがタエに投げかける視線の暖かさは、本当に素敵なものだった。と、同時にこの人達はすでにいないということも心に突き刺さる。
心太が死ぬ間際の演出でぼろっぼろに泣いてしまった。今回のお芝居で一番心に残ったシーン。
今回もなかなかにビターな希望や元気を分けてもらいました。
来週は同じお芝居を子供連れで観に行きます。
何もかもがこれからな中学生の息子たちは何かを感じるんだろうかね。。と、少しドキドキしながら。
東京公演は3月3日まで。その後は大阪、福岡と回るようです。
演劇初心者でも必ず楽しめる劇団だと思いますので、ちょこっと興味が湧いた人は是非行ってみてほしいなあと思います。
そして演劇の醍醐味を味わってほしい。
ネット経由でできる事はたくさん増えたけれど、人が目の前で演じているさまを観る醍醐味ってのはデジタルの世界では絶対に出来ないことだから。
オフィシャルサイトはこちら。劇団鹿殺し『BONE SONGS』


SLのお話。
24日、ミキさんのRezDayだーってことでお祝いの席におじゃまして参りました。
会場はスマートなイケメン、めいさんのお店バッカス。
バッカスは去年くらいにお友達とお邪魔したことがあるのだけれど、いつでも人がいっぱいで大勢がニガテな私はなかなか遊びに行く機会がなく。
しかしミキさんらしくしっとりとした大人のお祝いになりました。
Happy Rez-day miki
私はあんまりジャズって聴かないのですが、大好きなP.S. I love youとThe Roseが聴けて大満足なのでした。
人柄っていうものをすごく感じたり実感した1日だったのです。
色々と反省することもしきり。気づかないでいるとダメな部分はどんどん増幅してしまうのだ。
だからこうして気づく機会があるってことはとっても大事なことなのだよなあ。
それと、自分の1年間勉強してきた知識がどのくらいのものかなって推し量るいい機会にもなりまして。
なかなか遅々として進んでいないホロスコープですが、ちょこっとだけ自信がついたりなんだり。
今月の運勢!とかが出来ないからだめなんだけど。なっかなかコツが掴めなくてひーひー言っております。
雲をつかむようだ。。。から、あ、わかったぞ!までの間が私にはないのですよね。。。
全然わかんないままあれこれしているうちにひらめく。
それが出てくるまでは暗中模索で色々なものを眺めるしかないようです。トホホ。


総じて色々と内省することの多い週末でした。
ネガな方へまったく向かなくなった自分のこの心持ちを褒めてあげたい。
まあ、もうすぐ春だしね!それだけで私の気分はぐいぐいと急上昇なのである。
ホロスコープ的には今、魚座祭りまっただ中。
5個くらいの惑星が今、魚座にいます。太陽も魚座に入ったのでいわゆるうお座の人のお誕生日シーズンです。
当然私もお誕生日が間近です。
お誕生日はいくつになってもお祝いされたいものでして。
歳は数えなくてもいいから、生まれた記念日を盛大に祝って欲しいの。
去年は次男がパァっとサプライズしてくれましたが、今年は一体どうなるんだろうなあ。

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すぐ尾ヒレがつく連絡網 思いつきで流す怪情報 2013-02-24

衛星軌道を漂う瀧 
モナリザの衣装で微笑む瀧
生質の底から見つめる瀧
北京ダックを楽しむ瀧
その正体は偽パリジャン
自由平等オカマバー
緊急招集瀧ジャパン
オーバーエイジのテクニシャン
(B.A.P / 電気グルーヴとかスチャダラパー)

私はピエール瀧が大好きです。
これ、こないだ42歳も見つけたんだけど私は36歳のほうが好きです。
ごきげんよう、たいこです。
娘に風邪をうつされてしまいました。娘が家に持ち込んできた風邪はなんだかとっても強かったらしく、あっという間に家族全員にうつってしまって娘は家族から大ブーイングなわけです。
しかしうつってしまったものは仕方がない。あとは速やかに治すだけなのです。
しかし、昨日まででなかった咳がではじめ、会社でも皆に心配されるほどの鼻声。
倦怠感ハンパなく、これで熱がないのが不思議で仕方がありません。
復活しているヘルニアの痛みとあいまって、どの痛みがヘルニアでどの痛みが風邪のしわざなのかが全くわかりません。
あと、びっくりするくらいお腹が空かない。
体調の悪い時は食欲がなくても食べなければいかん。そうしないと治らん。
と、言ったのは昔付き合っていた恋人です。
この人とはきっともう会うこともないのだけれど、彼がそう言っていた事はきっと一生覚えていて私は具合が悪くなるたびにこの言葉を思い出してご飯を食べる。で、彼のことも思い出すだろう。
誰かと親しく時を過ごすっていうのはこういう事だよなあ。なかったことになっていて、普段は自分の人生の表に絶対に出てこないけれど、私という人間を形成しているどこかの一部になっている。それがどんなに些細なことだったとしても、一生頭のなかに残る事、一生ふとした拍子に出てくる習慣みたいなもの。
だから私は具合が悪くなるたびに「元気かなあ。。。」って30秒くらい思いを馳せることになる。
そういう瞬間が自分にあるってことは、きっとよいことなのだと思う。
今はもう会うこともない人のおかげで出会った漫画や小説。
それががっつり私の奥に根付いてしまっているそういう感じ。
円満に離れた人もいるし、そうでない人もいる。今の関係は最悪でも過去にとてもよい時間を過ごした事実は消えないし、身になっている事は素直にありがたいし嬉しい。
こうやって、私は無数の人と関わりながら影響を受けながら36年生きてきてこれからも影響を受け続けながら生きていく。自分の中に今まで関わった無数の人達の残していったおみやげがたくさん入っている、ということなのだろうなぁ。
同じように私とか変わった人たちの中に私は何か残したりしているんだろうか。しているんだろうなあ。
自分では全然意識していないところで思わぬ影響を与えていることだってきっとあるだろう。私がそうであるように。
その昔、私は自分とお付き合いした恋人には私と一緒にいた証のような、一生消えないようなものを残したいと強く思っていたりしました。今考えると、そんなことを思わなくたって残ってしまうものだよなあって感じる。
私が何かの拍子にふと過去に深く関わった人たちのことを思い出して、その人の今の幸せを案じたりするように、私もどこか知らないところで幸せを祈られたりしているかもしれない。そうやって、見えないしわからないけれど二度と会えなくなった人たちと繋がっている。一度できた縁は、離別しても死別してもそう簡単に消えないものである。こういう形で残る。
そうやって残る縁みたいなものは、出来れば暖かいものばかりがいいなあと思う。恨みや悲しみなんかの冷たい気持ちになるような縁は、できるだけ暖かい形に変えて持っていたいなあと思うのです。
こういうことを書くとキレイ事に聞こえてしまうのだけれど、願うことくらいは100%キレイ事だっていいじゃないか。


明日は鹿殺しのBone songsを観に行きます。楽しみ楽しみ。
風邪が全然治らなくてちょっと焦ってるわけだが、とりあえず咳は我慢しながら観劇してこようと思います。

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カテゴリー: 日記

今夜の月は何処ですか 南の国へ逃げちゃった 2013-02-19

ブリキの馬が逃げて行く お祭の終わる夜が来た
火の輪くぐりのライオンが たてがみ燃やし街を焼く
(満月小唄/たま)

この曲7分以上もあったのか……。
淡々と歌っている曲だけれど、淡々としているからこそ歌詞の情景が頭のなかにだーっと広がる曲。
祭りの終わったあと、ではなく終わってるまっただ中の終末感がよい。かなしいしちょっとこわい。
今思いついたけれど、たまが好きな人は恒川光太郎も好きなんじゃないかなあ。
どちらもものすごく日本人らしい表現をしていると思うのでした。
ごきげんよう、たいこです。
仕事が相変わらず忙しいのです。終わる気がしない。どういうことだ。
納期は目の前なのに全然仕事が進まないのでございます。それなのに仕事は次から次へと増えていく。
ちょっとこの中ボス倒したいんだけどなんで次から次へと雑魚出てくるのもーーー!HPもMPもやくそうもなくなるよ!
みたいな状態。わかりづらいか。わかりづらいな。まあいいや。
で。日曜日あたりにまたやっちゃったわけです。左肩。
ちょっと上体をひねったり腕を動かしたりすると、ピキってなります。痛い。
左腕は指先まで重たくしびれておりまして……どう考えてもヘルニアちゃんが悪さしてる。
そんなに重症でもないんで、痛くなったら病院行って薬もらってリハビリするって感じなのですが、
問題は今、病院に行っている時間がないってことだ。
ピキっとなったりしびれたりする以外には特に困ったことはないのだけれど、これが地味にストレスなんだよねえ。。
特にキーボードを叩いているとビーンビーンって指の筋がぱつんぱつんになってしまうのが困りモノ。
もとから左の手はしびれがちなので(これもヘルニアのしわざらしい)気にしていても仕方がないのではありますが、文字を打っている時よりも延々とコピペなどをしている時につらくなる。
治んないみたいだし、だましだましやっていくしかないのだけれど私からキーボードをとるととっても切ないことになるのです。文章が打てなくなる。はー。困ったもんだ。
何年ぶりかのホームカラーリング(毛染め)をしながら色々と考えたこと。
色々なものはどんどん便利になっていって、その便利を甘受している私たちはまるで怠け者みたいに言われることがあるけれど、使うべく便利を生み出している結果が今なのだからそれはそれでいいよね。
バレンタイン前後にTwitterでちらりと眺めた出来合いのパイ生地やスポンジについて。
長くなりそうだったから静観していたのだけれど、それに絡めていろんなことを考えたのでした。
それらを作ることこそが手作りの醍醐味!という意見もわかる。すごくわかる。
しかし、皆が皆お菓子作りの道具を持っているわけではなく、スポンジなんて生半可な覚悟では作れるものではなかったりするわけです。ちょー失敗するし。
そこで現代の便利、大変なところだけ出来上がってるスポンジやパイ生地なんかが活躍するわけです。
手作りの入り口がそれだけ広がっているという解釈で、私はああいう手作りキットは大いに活躍すればいいと思っています。
そこから一歩踏み込んで道具を揃えるなりするもよし、手軽にオリジナル気分でキットを使い続けるもよし。
これだけ色々なことが用意されている今の世の中です。やりたいことは多岐に渡るし好奇心だって尽きない。
興味はあっても時間と体がおっつかなくて結局経験しないまま、なんてものが山のようにあるのだから、入り口のハードルは低くていいよね。キットを使って作ったものだって、オリジナルのお菓子になるのです。
ちなみに中1の次男、あちこちでバレンタインの手作りチョコやらお菓子をつまみ食いしてきたようで。。。
「美味しかったのは1個だけ。あとは全部まずかった」
という衝撃の感想を漏らしていました。
中学1年くらいだとおそらく初めてのお菓子作りだった子も多かったはずで、本来お菓子ってのは難易度の高い料理なのだから仕方がないじゃないか。。。
私だって生まれてはじめて作ったチョコはとんでもなかったのである。
湯煎の意味がわからなくてお湯とチョコを混ぜて溶かし、固まらないので冷凍庫に突っ込んだという。。。
あれを食べた父は偉かった。
ところで、私の祖母はものすごく料理が下手です。
本人に自覚があるのかないのかは今もって聞けないでいるのだけれど、祖母の作る料理はびっくりするくらいマズイ。その昔、祖母の家に下宿していた親戚の叔父さんは、ことごとく理由をつけて夕飯を外で食べていました。
あの叔父さんの気持ち、私にはよくわかる。。。
祖母は昭和元年生まれですが、本当に家事のセンスのない人です。
昔の人だから色々出来るなんてことは絶対にないという、よい見本のような人です。
料理の上手下手は、技ではなくセンスなんだと思う。
これとこれを合わせたらこういう感じになるだろうって想像できるセンス。
祖母にはそれが決定的に足りていなかった。素材の味を消す天才であった。
出汁の素を使って楽をすることとか、ブイヨンを使って即席なスープを作ることとか、
それらはどれも本格的からは程遠い。けれど、私は料理のプロではないから当たり前にそれらの簡易調味料を使う。
出汁の素を発明した人はすごいと思う。あれがなかったら和食のハードルは一段も二段も上がっていたはずなのだ。
出汁の素がなかった時代、洗濯機がなかった時代、洗濯機が二槽式だった時代。
今は全自動でヘタしたら乾燥までやってくれちゃう。
そうやって私たちは文明の利器を使いこなし、自分の余暇をつくるのである。
大変豪華な話だと思う。
昔にも今と同じような道具があったら、きっと誰だって楽な方を使うのである。
だから、自分も自分より下の世代がやっている「おいおい大丈夫か」と思わず口を出して言いたくなる時には、
世代が違う世代が違う、でごまかしごまかしやっているんだけれどもね。


言いたいことがどんどんずれてって書く予定のなかったような内容になってしまった。。。
こないだは寝ながら書いて、翌朝読み返して顔から火が出る思いをしました。
今日もいい加減いい塩梅に睡魔がやってきているので、まとまってないし結論も出てないけど書き逃げすることにします。
あのね、言いたかったのは、便利なものはどんどん使え!ってことだったんだけどね。
無駄に長くなるのも私の仕様、、、ということで。

今夜の月は何処ですか 南の国へ逃げちゃった はコメントを受け付けていません
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