サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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今夜の月は何処ですか 南の国へ逃げちゃった 2013-02-19

ブリキの馬が逃げて行く お祭の終わる夜が来た
火の輪くぐりのライオンが たてがみ燃やし街を焼く
(満月小唄/たま)

この曲7分以上もあったのか……。
淡々と歌っている曲だけれど、淡々としているからこそ歌詞の情景が頭のなかにだーっと広がる曲。
祭りの終わったあと、ではなく終わってるまっただ中の終末感がよい。かなしいしちょっとこわい。
今思いついたけれど、たまが好きな人は恒川光太郎も好きなんじゃないかなあ。
どちらもものすごく日本人らしい表現をしていると思うのでした。
ごきげんよう、たいこです。
仕事が相変わらず忙しいのです。終わる気がしない。どういうことだ。
納期は目の前なのに全然仕事が進まないのでございます。それなのに仕事は次から次へと増えていく。
ちょっとこの中ボス倒したいんだけどなんで次から次へと雑魚出てくるのもーーー!HPもMPもやくそうもなくなるよ!
みたいな状態。わかりづらいか。わかりづらいな。まあいいや。
で。日曜日あたりにまたやっちゃったわけです。左肩。
ちょっと上体をひねったり腕を動かしたりすると、ピキってなります。痛い。
左腕は指先まで重たくしびれておりまして……どう考えてもヘルニアちゃんが悪さしてる。
そんなに重症でもないんで、痛くなったら病院行って薬もらってリハビリするって感じなのですが、
問題は今、病院に行っている時間がないってことだ。
ピキっとなったりしびれたりする以外には特に困ったことはないのだけれど、これが地味にストレスなんだよねえ。。
特にキーボードを叩いているとビーンビーンって指の筋がぱつんぱつんになってしまうのが困りモノ。
もとから左の手はしびれがちなので(これもヘルニアのしわざらしい)気にしていても仕方がないのではありますが、文字を打っている時よりも延々とコピペなどをしている時につらくなる。
治んないみたいだし、だましだましやっていくしかないのだけれど私からキーボードをとるととっても切ないことになるのです。文章が打てなくなる。はー。困ったもんだ。
何年ぶりかのホームカラーリング(毛染め)をしながら色々と考えたこと。
色々なものはどんどん便利になっていって、その便利を甘受している私たちはまるで怠け者みたいに言われることがあるけれど、使うべく便利を生み出している結果が今なのだからそれはそれでいいよね。
バレンタイン前後にTwitterでちらりと眺めた出来合いのパイ生地やスポンジについて。
長くなりそうだったから静観していたのだけれど、それに絡めていろんなことを考えたのでした。
それらを作ることこそが手作りの醍醐味!という意見もわかる。すごくわかる。
しかし、皆が皆お菓子作りの道具を持っているわけではなく、スポンジなんて生半可な覚悟では作れるものではなかったりするわけです。ちょー失敗するし。
そこで現代の便利、大変なところだけ出来上がってるスポンジやパイ生地なんかが活躍するわけです。
手作りの入り口がそれだけ広がっているという解釈で、私はああいう手作りキットは大いに活躍すればいいと思っています。
そこから一歩踏み込んで道具を揃えるなりするもよし、手軽にオリジナル気分でキットを使い続けるもよし。
これだけ色々なことが用意されている今の世の中です。やりたいことは多岐に渡るし好奇心だって尽きない。
興味はあっても時間と体がおっつかなくて結局経験しないまま、なんてものが山のようにあるのだから、入り口のハードルは低くていいよね。キットを使って作ったものだって、オリジナルのお菓子になるのです。
ちなみに中1の次男、あちこちでバレンタインの手作りチョコやらお菓子をつまみ食いしてきたようで。。。
「美味しかったのは1個だけ。あとは全部まずかった」
という衝撃の感想を漏らしていました。
中学1年くらいだとおそらく初めてのお菓子作りだった子も多かったはずで、本来お菓子ってのは難易度の高い料理なのだから仕方がないじゃないか。。。
私だって生まれてはじめて作ったチョコはとんでもなかったのである。
湯煎の意味がわからなくてお湯とチョコを混ぜて溶かし、固まらないので冷凍庫に突っ込んだという。。。
あれを食べた父は偉かった。
ところで、私の祖母はものすごく料理が下手です。
本人に自覚があるのかないのかは今もって聞けないでいるのだけれど、祖母の作る料理はびっくりするくらいマズイ。その昔、祖母の家に下宿していた親戚の叔父さんは、ことごとく理由をつけて夕飯を外で食べていました。
あの叔父さんの気持ち、私にはよくわかる。。。
祖母は昭和元年生まれですが、本当に家事のセンスのない人です。
昔の人だから色々出来るなんてことは絶対にないという、よい見本のような人です。
料理の上手下手は、技ではなくセンスなんだと思う。
これとこれを合わせたらこういう感じになるだろうって想像できるセンス。
祖母にはそれが決定的に足りていなかった。素材の味を消す天才であった。
出汁の素を使って楽をすることとか、ブイヨンを使って即席なスープを作ることとか、
それらはどれも本格的からは程遠い。けれど、私は料理のプロではないから当たり前にそれらの簡易調味料を使う。
出汁の素を発明した人はすごいと思う。あれがなかったら和食のハードルは一段も二段も上がっていたはずなのだ。
出汁の素がなかった時代、洗濯機がなかった時代、洗濯機が二槽式だった時代。
今は全自動でヘタしたら乾燥までやってくれちゃう。
そうやって私たちは文明の利器を使いこなし、自分の余暇をつくるのである。
大変豪華な話だと思う。
昔にも今と同じような道具があったら、きっと誰だって楽な方を使うのである。
だから、自分も自分より下の世代がやっている「おいおい大丈夫か」と思わず口を出して言いたくなる時には、
世代が違う世代が違う、でごまかしごまかしやっているんだけれどもね。


言いたいことがどんどんずれてって書く予定のなかったような内容になってしまった。。。
こないだは寝ながら書いて、翌朝読み返して顔から火が出る思いをしました。
今日もいい加減いい塩梅に睡魔がやってきているので、まとまってないし結論も出てないけど書き逃げすることにします。
あのね、言いたかったのは、便利なものはどんどん使え!ってことだったんだけどね。
無駄に長くなるのも私の仕様、、、ということで。

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