サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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それは それは 明日を越えて いつか いつか きっと届く 2013-01-31

夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
君を想いながら ひとり歩いています
流るる雨のごとく 流るる花のごとく
(春よ、来い / 松任谷由実)

音楽は歌詞を重視しないという人もたくさんいますが、私は歌詞のついている曲ならば一番重視してしまいます。
内容というよりは、頭のなかに残るフレーズの断片という感じですが。
文章を書くのが好きで、脚本や小説のようなものや、詩まで色々と書きためているのだけれど歌詞だけは書いたことがありません。難しいんだよねぇ。。。コツがわからないまま今に至る。
ものを書くのは好きだけれど、キャッチフレーズやコピーを考えるのはすごく苦手です。
書き上がったものにタイトルをつける、みたいな時に強烈に悩んでしまうわけです。
コピーを書く才能と歌の歌詞を書く才能は似てるところにある気がする。
同じ所に短歌や川柳の才能もあるような気がする。
こうしてブログを書くたびに長文になる私には、短くてすっきりと、印象に残って言いたいことが伝わる!
というムダのないすっきりしゃっきりとしたセンスにとても憧れてしまう。
で、ユーミンです。
この人の詞を書くセンスは素晴らしい。
このあいだ買ったアルバムをうだうだと聴いているのだけれど、なんだろう。90年代頭に作られた曲が多いのであの時代の雰囲気満載です。バブルバブル。
買ったベスト版、ひたすらスキーな曲が続いた直後にひたすら失恋の曲が続くみたいなすごい感じで。
ユーミンと、この間読み終えた有川浩の小説のせいで頭のなかが一足早く春真っ盛り。
恋愛ってたのしいよねえええええええええ!みたいになっている。
恋愛、もういらないやくらい思ってたんですけれども、またそういう気分にすぐに戻る気がするのですけれども、
これだけ愛だの恋だのの濃厚なスープの中にいると(って自ら突っ込んでるんだが)、意味もなくときめいたりして困る。
有川浩の小説は、読書感想文ブログにも書いたけれど本当にやられました。。。
まさか植物図鑑なんてタイトルであそこまで甘ったるい物語が展開されるとは……!
自分の中にあるどうしようもない乙女モードを改めて実感した次第。
あんまりほめられた事でもないと思うんだよなあ。この歳で脳内乙女真っ盛りって。
そんなことを考えつつ、この秋に「お前もう少し大人の女になれ」とか言われた事を思い出す。
なれたらとっくになってるよ!ばか!
しかし、都合の良いっていうのが大人の女なのだとしたら、そんな大人にはなりたくないのでこのままでいいやと思ったりもする。
賢く振る舞い賢くあることは大変である。
バカだなあこいつって思われているくらいが楽なことも多い。
本当の自分なんて自分にもわからないけれど、無意識の自分はその本当の部分はものすごく慎重に慎重に隠している気がします。きっとだれだってそう。
意識してしまった瞬間、私のことだから隠さずにお披露目してしまう。
お披露目して受け入れられなかったり、理解さえされなかったらおそらく私は深く参ってしまうので、無意識の私はそれを自分でさえ意識できないところに押し込めている。
本当に大事なものやことは、見せたり聞かせたりすることもためらうべきなのだよなあ。
だからこそ大切なのだもの。と、思ったりもする。
我が家の猫はものすごく不器用でございまして、今の季節私の膝の上に乗りたくなると、私の周りをにゃーにゃーと鳴きながらぐるぐる旋回するのです。
「膝の上か」と思いながら抱き上げようとすると逃げる。
逃げるところを捕まえて膝の上に抱き上げると、ごろごろごろごろと喉を鳴らしてふにふにすりすりし始めるわけで。
な ぜ 逃 げ る 。
喜んで抱き上げられなさいよ!と、毎晩のように思うのです。
喜んで抱き上げられたことは今までに一度もない。反射的に逃げる。
一体この子は何がしたいのか。
そんなわけで、今も膝の上でよだれ垂らしつつゴロゴロしております。
病気が怖いので室内飼いですけれども、若いころは家出したら3ヶ月帰って来ないとかしょっちゅうだったこの子も最近はドアが開いていても外には向かおうとしません。
病気は怖いけれど、外を気ままに歩いて喧嘩したり狩りをしたりする楽しみを一方的に奪っている現状を考えると少し申し訳ない気持ちにもなります。
この子は飼い主がご飯を忘れたらずっと飢えに耐えなければならない。
お水がなかったら自分で水道ひねるわけにいかない。
トイレの水だって飲まねばならない。
まあ、、、水入っててもトイレの水飲んじゃうんですけれども。
猫はいいなあ。とかいう言葉は時折目にしますが、全然よくないと思うんだ。
飼っていてこんなこと言うのもアレだけどさ。
私は外に出ちゃダメなんて言われたら気が狂ってしまう。
家の中にずーっといなければならないなんて耐えられない。
家の中でやることと言ったら、寝ることかむやみに走り回ることだけなのだもの。
積極的に遊んでくれとは言わない猫なので、家にいてもほぼ我関せずで関わることはないのだけれど、
それでも連休明けの帰宅後は「ひとりにしやがって」の文句のにゃーにゃーが一段とうるさかったりもするのです。
一体この子は、家族のことをどう捉えているのだろう。
犬よりも思考回路を解読するのが難しいので、どうしても飼い猫とは距離ができてしまう。
私は相手が人間であれなんであれ、向こうから何かアクションを起こす相手でないと付き合うのが難しいようです。
この子が来てもうすぐ6年だか7年になるのだけれど、未だに距離のとり方が分かりません。
この子、私のことどう思ってるんだろう。。。これはこの子とお別れするまで謎のままなんじゃないかと思っている。
猫も飼い主も、甘え慣れてない。だから甘え方がよくわからない。


話していて疲れる人間と疲れない人間がいる。
話していて楽しい人間と楽しくない人間がいる。
けれどもどちらの場合も、相手は楽しそうだったり疲れていなさそうだったりしている。
相手はおそらく私のこの気持、気づいていないんだろうなあと思うと、自分だって他の人間に同じように思われていることもあるのだな。ということに思い当たってちょっと背筋が寒くなる。
なんにせよ、人と関わって交わることはすごく怖くて大変なこと。
特に私のように不器用なくせにワガママな人にとっては。苦笑。
この歳になって見えてきたことがたくさんで、自分の次の身の振り方についてすごく考えることが多い昨今。
これの答えはいつになったら出るのやら。。。

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カテゴリー: 日記

いつでも人々を変えるものに 人々は気づかない 2013-01-28

私があなたと知り合えたことを
私があなたを愛してたことを
死ぬまで死ぬまで誇りにしたいから
(Voyager~日付のない墓標/松任谷由実)

この曲は、さよならジュピターという映画に使われた主題歌(か何か)です。
実は映画のことはよく知りません。
しかし、この映画の公開が予定より遅れたため、ユーミンのその年のアルバム「VOYAGER」に収録されず、
あとから追っかけて曲を集めていた私がCDで手に入れることが出来なかった曲でもあります。
色々調べていたら、98年に出たベストに収録されていることが発覚。
これは買わねば!と、その他になくしてしまったアルバムも含めてまとめて買ったのでした。
CD5枚で950円、送料1700円。
なんというアマゾンマケプレマジック。
同じ店で買っても1枚毎に送料のつくアマゾンマケプレ仕様。
送料も鑑みた値段で売値が載っているのはわかっているのでこれでいいのだけれど、
明細を見るとなんとなく損した気分になるわけです。
逆に、1万円以上送料無料!とかで必死に1万円以上買ってしまうあの感じ。
得した気分にはなるものの、手元から出て行くお金はすごく増える。
送料と実際に払う金額は、冷静に考えて自分の納得行くところで手を打ちたいですね。
ごきげんよう、たいこです。
昨日は次男のお誕生日でございました。
この時期ケーキのようなものが続くので、(来月はバレンタイン、再来月は私の誕生日)
大体楽天のお世話になっております。とはいえ、冷凍ケーキがどうも苦手な私は冷蔵で運んでくれるケーキ屋さんを利用しています。
最近よく買っているのがましゅれ
北海道のお店ですが、おそらく全国チルド配送してくれます。
なかなか素晴らしい梱包でやってきますよ。興味のある人は是非。
ここのケーキはクリームも美味しければスポンジも美味しい。ほんっとにおすすめでございます。
ロールケーキは送料無料だからお試しにちょうどいいと思うの!
と、なんだか回し者みたいになってしまっていますが。
いつもはデコレーションケーキを買うのですが、今年は正月から子供も私も妙なタルト熱に浮かされていまして。
その流れでイチゴタルトにしました。
この時期はイチゴが旬なので、イチゴ贅沢ケーキがたくさんあって嬉しい限りです。
残りの2人の子供は8月生まれなので、お店によってはイチゴのケーキがなかったりするのだよなあ。
そんなわけで無事に次男も13歳。
子どもたちがどんどこ大きくなっていきます。
来年の今頃は、次男にも身長抜かされてる気がする。
抜いてくれないと困るわけですが(私身長152cm)。
実は次男はまだまだ声変わりもしていませんで、クラスで合唱ってなると女子に混じって余裕でソプラノ。
歌上手なんで男の子なのにびっくりな綺麗な高音を出すんですが、それもあとどのくらい聞いていられるんだろうなあ。


ゲキシネ観て来ました。髑髏城の七人~ワカドクロ
昨年青山劇場に観に行ったやつです。小栗旬、森山未來、早乙女太一が出ていたやつです。新感線です。
2階席で観たやつです。青山劇場の2階席は、俳優の顔の見分けがつかないくらいの位置です。
その距離でも殺陣やら演出やらがものすごくかっこよくて、お話もすごくよく出来ていて、
私はその素敵な殺陣を観ていて感動して泣いてしまったのです。
今回はその舞台を録画したものを映画用に編集した、ゲキシネと呼ばれる映画。
目的は、生の時には見ることが出来なかった俳優の細かい演技と表情。
確かにね、豆粒のようだって演技の凄まじさは伝わるんです。けれどやっぱりどうしても細かい演技が見えない。
そのためにオペラグラスなんてものがあるんでしょうが、あれを通して観るとやっぱり生で見ている感じがしないのも事実なのだよねえ(ワガママ)。
そんなわけで、ゲキシネは主に演技を堪能できるのです。
DVDをでっかい画面でド迫力で見ている感じ。
けれど編集にすごく力を入れているので、録画でも冗長な感じはありません。
(演劇中継のなかには、どうにもこうにも冗長に見えるものもありますが、あれは仕方がないと思っている。お芝居だって、生で劇場で見るのと画面を通してみるのでは見方を変えねば楽しく観れない)
3時間の長丁場ですが、お芝居と同じくふた幕構成なので休憩が入ります。
2幕目からの展開が怒涛すぎて目が離せない。2幕目で私はどれだけ泣いたんだ。。。
生の時とは全然違う場面で泣いてしまったのが面白いなーと。
ライブもそうなのだけれど、舞台と客席の距離で熱くなり方も全然違うんだよなあ。
良い物を見て大満足で帰宅したのでした。大満足。


こないだの記事の、考えるの大事だよーみたいな話。
翌日Twitterで色々とお話をしていて、ちょっと踏み込んで書いてみようと思った。
先日、とある人から相談を受けまして。
どうも1年ほど前から、ギャラの値上げ交渉をしているらしいのだけれどのらりくらりとかわされている、と。
彼女が契約している給料は、前任者から比べると安いのだそうです。
けれど派遣先の会社が支払っている金額は、前任の時から変わってないと。
自分の給料と前任の給料の差額分は、派遣元がぼったくってる!というのが彼女の主張。
で、交渉してみたら業務量を増やせと言われたので増やしてみた。
増やしましたと報告したら、スキルが云々…と言われたと。
なので今、アクセスを学ぶスクールに通っているんです。と、彼女は言うのです。
更に彼女の主張は続く。
事務職での派遣の相場より、自分がもらっている給料は少ない。
納得がいかない。
「業務量を増やせ」と言われてほいほいと増やせるってできるの?できるとしたなら、それは彼女に本来課せられていた業務のすべてをそれまで彼女がこなしきれていなかったってだけのような気がします。
さらに彼女が学んでいるアクセスのスキルは、今の彼女の仕事にはなんの必要もないスキルだったりするわけで。
今の業務に必要のないスキルを積んだところで派遣先は給料上げてくれないと思うのだよなあ。
彼女の持っている情報のソース。
どれもこれも同僚や古株の派遣社員からの情報なのですね。
そもそも派遣元と派遣先がいくらで契約してるのかなんて、派遣自身が知るはずないのです。
それをぼったくりだと文句をいうならば、その疑問を派遣元にぶつけてみればいいと思うのだけれど、
それはしない。
そもそも、派遣元と派遣先の契約と、派遣元と自分の契約にはなんの関係もないのでして、
自分が納得してその給料でいい、と契約をしているのだからその文句は筋違いとも思う。。。
それを私に相談してどうなるのかが全くわからないのだけれど。
だって私にはなんの権利もないのですよ。
愚痴が言いたかっただけなのだろうか。しかし彼女の愚痴を聞くほど、私は彼女と親しくない。
私が彼女にしたアドバイスは、
「給料に不満があるならここをやめて自分の望むギャラをもらえるところに行けばいい」
これだけでした。もし、このまま同じ会社にいて給料アップを望むなら、今いる職場でなくてはならない人になる必要があると思う。
彼女に「たいこさん仕事大好きに見えます」だとか「たいこさんスキルすごく持ってる」だとかさんざん言われて一気にごきげんナナメになったのですが(だって私仕事大嫌いだし仕事がすごくできるわけでもない)、私とまともに話をしたこともないのに、そういう事を当然のように言ってしまう人が苦手です。
だって、私の仕事嫌いはかなり有名なのです。
仕事のスキルにしたって、たまたま私のいる部署に私が得意な事ができる人がいなかったから重宝されているという、それだけの話しなのです。私程度のスキルのある事務員なんて、腐るほどいるのだ。
人に相談する前に自分で考えることがいっぱいあるだろうっていう言葉が喉まででかかっては消え、でかかっては消え。そんな1時間。
なぜ自分で考えて行動できないのか。この人は。
なぜうわさ話を本気にしてしまうのか。この人は。
そして本当に、なぜ、よりによって私にそんな相談をしてきたのか。
彼女の中には、仕事の貴賎みたいな考え方が根底に流れているように感じました。
しかし私は、電話対応は苦手だし出来ればしたくないし、お客様にお茶を出すことも苦手だししたくないわけで。
そういうものが得意でそっち方面の気遣いが完璧に出来る人はやっぱりすごいのです。
パソコンを使えることが、オフィスを使えることが人の優劣を決めるわけではないよね。
自分の持ち場でどれだけ自分が会社の利益になるように動けるかっていうのが大事なんだよね。
自分の持つ仕事に対する考え、雇用主に対する考え、周囲との関係の作り方に対する考え、
どれもこれもがまったく合わない人で、本当にそれだけで軽くダメージ受けてしまったのでした。
私は合わないこと知ってたからね!だから今まで親しくしてこなかったんだし!
そんなこんなで、見事なまでに何も考えない人とのやりとりをしてすごく疲れたのでした。
おそらく彼女はもう二度と私に相談はしてこないと思うのです。彼女の意見に同意したことはひとつもないから。
でもさ、相談ってのはそういう意見の中にこそ大事な情報が隠れてるものじゃないの?とも思ったりする。
はー。私も相当イライラたまってたんだな。。。
愚痴みたいな文章は出来れば書かないほうがいいのだけれど、たまにはこういう日があってもいいよね。
と自分に甘く甘く今日の日記は〆ようと思います。

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カテゴリー: 日記

もっと近く感じるのあなたのこと 長い旅へ送り出す夜明けだから 2013-01-25

膝にその寝顔をのせて
ずっと髪にふれていたいけれど
ごらん紫の空を燃えているわ
明日からのまだ見ぬ世界へ
Close to me 待ち続ける Close to meまた会う日を
(Dawn Purple / 松任谷由実)

うっかり聞いてしまうとドーンとやられてしまうのがユーミン。
検索してたら見つけた動画。大鶴義丹・財前直見ってキャストとつくりが時代を感じます。
91年!そうか、Dawn Purpleってそんなに昔か。。。
つい最近の感覚が10年前になったりしていてぎょっとすることが最近多いです。
数年前に、たまの「さよなら人類」が懐メロ扱いされていて衝撃を受けたのも記憶に新しいがすでに数年前。
そんなこんなで年に何度か訪れるユーミンな感じになっております。
ごきげんよう、たいこです。
1月ももう25日。明日は次男のお誕生日です。
なんと13歳。あー1月早いーとか言ってる場合じゃなく、あっという間に13年。そんな感じ。
いわゆるミレニアムベイビーだった子なのですが、ミレニアムミレニアム騒いでいた頃は思い返せば遠い昔の出来事のような気がします。
彼のお誕生日プレゼントリクエストは、卓球のラケットセット。
部活ヤダヤダと言いながらも嬉々として道具を揃えているさまは見ていて微笑ましく。
しかし、ラケット1個揃えるのに余裕で1万円超えるんだよ。。。高いよ。。。
テニスのラケットも同じような値段だった気がします。
当時は鯨筋ガットを使っていたなあ。鯨筋ってのはくじらの脳の筋だそうで。
雨に濡れるとあっという間に切れるので、雨用のナイロンガットのラケットと2本持っていました。
うむ。懐かしい。
ちょっと調べたら、今は鯨筋ガットって売っていないんだそうな。そうなのかあ。。。
使っているとガンガン切れるので、あーこんなに練習したっていう実感みたいのがあってよかったのです。
硬式のことはよくわからないけれど、軟式のガットは自分で張るものでした。
古くなったラケットのグリップを使って、ぐいぐい引き絞って自分の好きな加減の強さに張る、あの作業も好きだった。
今もチャンスがあればテニスやりたいなあと思うのだけれど、軟式は気軽に出来ないのだよなあ。マイナーすぎて。


自分で考えるという事について。
考える力 みたいな言葉は、学校のクラス目標や学年目標によく掲げられているイメージです。
ルールを順守するということと、考える力はあんまり仲良くない気がします。
もちろん、ルールを守ることはとても大切なことです。
誰もがルールを無視してしまえば、世の中は成り立たなくなる。
人が社会を作って生きていくためには、ルールの存在は必要不可欠だと思う。
ルールがなかったとしたら、私たちは家の中でのほほんと気を緩めることもできなければ、
ふかふかのお布団にくるまれて熟睡することもできなくなるのです。
ルールは守るべきものだ、ということは、人が一番最初に覚えるべき大切なことだと思います。
そして、ルールやマニュアルといったものは常に現状と照らしあわせて柔軟にかつ慎重に改変していく必要のある物だとも思っています。
形骸化してしまって、もはやこの手順を踏むことにどういう意味があるのかが全くわからないという場面には結構遭遇します。
そこで形骸化してしまった手順を、その手順が出来上がった頃の意味合いも理解したうえで敢えて無視するという事も、実はよくあること。
原発事故というと今私達の頭に浮かぶのは福島の発電所ですが、私の記憶に残っている最初の原発事故は東海村です。
今回の福島をきっかけに、当時は子供でよくわかっていなかった東海村の事故の経緯を読む機会がありまして。
東海村の事故の原因は、本来絶対やってはいけないことを現場の人間が日常的に行なっていたことにあります。
この、手順を変えていくあたりに「考える力」が活躍するのだと思います。
この作業になんの意味があるのかわからない。けれどそのせいで煩雑。ルールは増やすことよりも厳選していくことに一番の難しさを感じます。
考える力をもってして、既存のルールを破るにはそれなりの理解と覚悟がなければできません。
きちんと考えて行動すること。
あらゆる場面を想定して、現状とのすり合わせをすることはとても大切。しかしそれにはリスクがつきまとう。
なので、考える力ってのはとっても大切な事だと思うのです。
なんで唐突にこんな話を書いているのかというと、なんだか最近私の周りにイいる人達の大半の方がこの「考える力」を放棄しているんじゃないかという気がすごくします。
マニュアルを順守するだけでは立ち向かえない現実ってのが時としてある。
そういう時に、きちんと自分で考えて、時に柔軟に対応できる、そんな人になりたいなあ。
と、今日はいつにもまして取り留めのない感じですが、このへんで。。。

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