サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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愛の迷宮 姿ないその意味はわからない読みとけない 2012-12-21

「誰が殺した二人の愛を」        -愛がころがりゃ憎くくもなって
「なぜにころがった二人の愛は」     -ころがる先は、愛の迷宮
「ころがないようにどしたらいいの?」   -愛が鞠なら、ついたらいいさ
「同じ歌をね口ずさんで」        -テンポ合わせて手鞠歌を
(鬼墓村の手毬歌/特撮)

探偵は金田一で鬼墓村は八つ墓村と悪魔の手毬歌でしょう。趣味全開。
しかもこの曲、後半はオーケンの一人芝居。
「な、なんですって?」の「な、」がすごくうまくて笑ってしまうわけです。
文章ではよく目にするこの「な、な」みたいな詰まる感じ、実際に声に出してみると結構難しいのです。
普段驚いたとしても、こんな風には言わないものだと思うのです。だから難しい。
と、曲の本筋とは全然関係ないところで関心してしまったわけですが……こんな詞書くならばあれだ、小説の一本でも書いてくれないかなあと小説ファンとしては思ったりするのでした。オーケンのとんでも小説がとっても懐かしい。
ごきげんよう、たいこです。
あれよあれよという間にもう21日です。
今日の夜は会社のクリスマスパーティー。家族もOKなので毎年子供たちが楽しみにしている行事です。
立食なので私は毎年疲れ果てるのですが……。
自社商品(というか小売業界にいるので取扱商品)をとんでもなく安いお値段で売るバザーがあったり、オークションがあったり、子供達にはゲームコーナーがあって賞品もらい放題だったりとなかなか派手な会。
派遣社員の皆さんを正社員の皆さんがおもてなしするという趣旨のパーティーなのだけれど、私の部署の社員さんの出席率、すこぶる悪い。
営業だからこの時期は大忙しなのですよね。毎日のようにあちらこちらの忘年会にお呼ばれしているようで。
致し方ないとはいえ、非常に手持ち無沙汰な思いをするパーティーでもあります。
送迎バスが出るんだけど、バスの時間うっかり忘れてしまったよ。。。子どもたちには何時頃来てもらおうかなあ。


夕方から次男が家中をひっくり返しておりまして。
どうやら体操着が見つからないようなのです。
原因は間違いなく、週末に次男自ら行った子ども部屋の大掃除なのです。
子ども部屋を大掃除したら、見なかったことにしたいくらいの洗濯物が出て来まして、それが今、部屋の一角を占拠しているのでございます。
先週必死こいて洗濯しまくったというのに。。。私は毛布が洗いたいというのに。。。
なぜか子ども部屋から私の服が大量に出てくるという不思議。
犯人は娘。私の服は、無駄にキラキラしていたりヒラヒラしているものが多いので着てみたくなっちゃうんであろう。わかるけれども、私は大変困るのだ。やめて欲しい。
家中ひっくり返しても出てこない次男の体操着。
ものを探す時はひっくり返すのではなく、かたっぱしから片付けて行くのが一番の近道だということを教えてあげたい。
「ひっくり返さずに片付けてったら出てくるよ」と言ってはみたものの理解している様子はなく、悪夢のような聖域なき探索を繰り広げていたのでした。家中めちゃくちゃだよ!掃除したばっかりなのに!ばか!
日曜日と火曜日に大掃除をした子どもたちは、少なからず「おお、なくしたと思っていたこんなものがこんなところに!」という経験をしているはずなのです。なのになんでまた荒らす?
気持ちは大変よくわかるのだけれどもね。。。でもその服の山作ったの私じゃないし!


モノだけでなく、心の方も整理整頓していくのは大切なことです。
よくわかんなくなっちゃった時などは、心の整理整頓ですべきこと、したいことが明確になったりします。
整理整頓すれば自ずと見えてくるそんなことも、自分が切羽詰まっていれば詰まっているだけ、正反対のことをしてしまいがち。
余計なことを考えすぎて空回りというやつです。
空回りしてドツボにハマる人は可愛いなと思ってしまう。
私がダメンズ好きな原因もこのへんにある気がする。
自分の意見をしっかり持っていることと、周囲の言いなりになる(言い方悪いけど)事は違う。
確かに自分の意見を持って発信する力がアレばなんでも問題はない気がするのです。
この国には空気を読むという文化があるけれど、空気を敢えて読まずにドドンと意見をぶつけることがもう少しきちんと出来るようになるといいなあ、敢えて空気を読まない くらいの強さがちょっとだけ欲しいです。

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カテゴリー: 日記

じゃあな こんないい日に お別れなんて 2012-12-19

ゆあーん ゆあゆよーん
ゆあゆよーん ゆよーん
夏の日に夢が破れて
秋日狂乱デーデー屋
冬は狐の革ごろも
悲しみが汚れる時さえ
ある としても
(じゃあな/特撮)

とってもオーケンらしい詞です。オーケンっていうか中也。
お別れする相手に中也の詩集を贈る曲なのですが、中也満載。
何かを表現する時、その軸にあるテーマってそうそうたくさんの種類があるものじゃないと思う。
そのテーマにどういう味付けをして相手に届かせるかっていうのが表現する人の最大のお仕事。
表現者とはいうけれど、何も表現することなしに生きている人はいないわけで、人は日々何かしら表現をして誰かに何かを伝えるわけです。
まっすぐに伝えたほうがいいのか、遠回りしたほうがいいのか、ど真ん中をかするようにうっすらと伝えるのがいいのかは発する人と受け取る人次第。
発したいように発する人がいて、受け取りたいように受け取る人がいて、お互いの認識がずれていないって実はちょっと奇跡的な事なのかもしれない。
ごきげんよう、たいこです。
昨日帰宅したら、ドアポストに「予定通りに明日の朝8時から流し台交換の工事するね。忙しいだろうけどお掃除しといてね」っていうお手紙が入っていました。
うん。先月から私の住んでいる集合住宅では大々的な改修工事が始まっていまして、テレビのアンテナの交換、流し台の交換、電気の配線の大掛かりな増設・取替っていうのが各戸に回ってくるってのは知ってた。
そのための説明会もあった。行ってないけど。
で、少なくとも1週間前には工事予定日をお知らせしますって言われてたのに、流し台お知らせされてないよ!
予定通りってどういうことなの……!
若干真っ青になりつつ、夕飯作る余裕もなく大掃除しまして。
今まで怖くて触れなかったところなども必然的に触る羽目などなりまして。
子どもたちの力を借りつつ、なんとなく台所がピカピカになりました。
いやあ。。。恐ろしいものがたくさん出てきた。おそるべし台所。
怖くて中を覗けないまま封印されてしまったゴミ箱とか、怖くて中を覗けないまま封印し続けている納戸とか、怖くて手を触れないままでいた流し台の下とか、米虫が大量発生したので使えなくなったまま放置されていた米びつとか。
米虫怖い米虫。
新しい流し台は当然綺麗なんであって、今までどうしても抜けなかった変な匂いもしません。
このまま綺麗なまま使い続けたいのは山々だが、果たしてどうなることやら。。。
ついでにガスレンジも買い換えて~とか色々やってるんですけれど、ガスレンジってどうやって捨てたら…!
前回捨てた時の記憶がまるでないのでして、あのまま持ってってくれたりするんだろうか。謎。
ゴミ箱もね、持ってってくれるんだろうかね。不安である。
キッチンで一番たくさん出たのはやっぱり不燃ごみで、いい機会だからこれもあれも捨ててしまおう!っていう鍋食器類の多いこと多いこと。。。
明らかに粗大ごみでしか対処できないあれこれもあり、ひとまずこれを処分することに頭を悩ませそうです。
電気の工事は来年にしてもらったので、それまでに要らないものはドドンと捨てねばならないなあ。
ま、家が綺麗になるいい機会といえばいい機会。
2,3年前はなんの役にも立たなかった子どもたちが、今では力仕事要員となってくれる素晴らしさを実感しつつ、気合入れて捨ててしまおうと思う。
片付ければ出費も増える。というわけで、リニューアルした台所に置けない収納品の数々をこれからどう片付けて行くかが大問題なのである。
今の時間までAmazonと楽天を行ったり来たりしてあれこれ買い物をしていたのでした。
いやー・・・お金かかるなあ。
しかし知らぬ間に、ガスレンジのコンロのお皿ってのはなくなっていたのか。。。
進化してんだなあ。色々と。
と、年末っぽい話題てんこ盛り。
台所が綺麗になった分、ベランダがカオスです。今日のところは見なかったことにしたけれど、あれもどうにかしないとやばい。泣きたい。うえええん。


世の中も自分の周りも年末年末して来ているのだけれど、今年は自分の中に年末感がまるで生まれなくてなかなか困った塩梅になっております。
今年を振り返ってみるだとか、ちょっと感傷的になってみるだとか、そういう振り返る感じが一切ないままもう20日になっちゃうわけで、あと10日で2012年もおしまいなのです。最後まで今年が平成何年なのかが定かでないままである。
24年で合ってるだろうかね。。。
年末感がないゆえに、来年のカレンダーが一切ありません。そろそろ買わないとまずい気がする。
1年が終わって新しい年が始まるったって、何が変わるわけでもないでしょうと。いつもどおりに太陽はぐるぐる回って次の1日を運んでくる。
個人的に始まりっていう意味では4月のほうがしっくり来るのですが。
それは新学期という意味だけでなく、冬の終わる季節という意味で。
春はやっぱりスタート地点っていう感じがする。
それでも振り返ってみるとそれなりに色々とあった1年であった。
自分がどうしたいのか、どうされたいのかもはっきりと分かった年であった。
この歳になってもまだまだわかんないことだらけで困っちまいますが、きっとそういうものなのだろうなー。
来年はもすこしシャープになれたらいいなと思いつつ、ふんわりとした優しさも兼ね備えたい。
どうも歳を取るにつれてふんわりさが減っていく気がして仕方がない。
もっとこう、ピンク色でふわふわした感じが必要だ。絶対に。

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カテゴリー: 日記

つぐなえる朝は来るから、許される時だって来るだろう 必ず 2012-12-17

泣くのが仕事だ赤ちゃん
ミルクと毛布で笑った
つぐなえる人に会ったのかい
許される声を聞いたのかい おやすみ
泣いたら終わりだ僕ら
ミルクと毛布はどこいった
つぐなえぬ者達は夜の中
眠れずに何度も寝返り 朝を待つ
ミルク ミルク やさしさの海
冷やしてはダメさ 人肌にして
毛布 毛布 おくるみの森
汗ばませちゃいやさ 人肌がいいの
(ミルクと毛布/特撮)

特撮の新しいアルバムがでました。
なんと全部新曲っていう、びっくり仕様。
去年出したばっかりなのに。。。次はいつ出るんだかわからない感じなのでして、大事に聞いていこうと思うのでした。
年越し前倒しで、何かがリセットされた気がします。
何がってのがよくわからないのだけれど。新しい空気が流れてくる感じ。
私の中で何かが変わったのか、周りが変わったのか、実際よくわからないのだけれどね。


話が通じる・通じないってこと。
先週までゆっくりゆっくりと読んでいた本を読み終えました。
久しぶりの京極先生「死ねばいいのに」。
死ねばいいのにという言葉、私もたまに使います。悪い言葉って使うときにちょっと背筋が寒くなるのだけれど、それがちょっと快感だったりする。この背筋の寒い感じを存分に味わえる小説でした。
で。
この小説、すでに死んでいるアサミという女性の関係者に主人公が話を聞いていくという形で進みます。
主人公は「アサミについて教えてくれ」と関係者各位に問うのですが、アサミのことを語っているつもりの関係者はアサミを通じた自分自身のことを語り続けるのです。
当然話が噛み合わない。どうしようもなく噛み合わないのだけれど、その噛み合わなさは関係者各位にはわからないのですよね。同じ日本語なのに。
こういうことってよくあって、私はAについて尋ねているのに返ってくる返事がBについてだったりとか、これって割合として女性に多い気がするのだけれど、この小説を読んでいて理解した。
この人達は人の話を聴いているようで聞いていない。返事をしているつもりで自分の話したいことだけを話している。それでは話が通じるわけもないよなあ、、、と話していて思うのだけれど、こういう人って結構多い。
結果、理解していないのに理解した気分になってしまっていて、こういう人が仕事中に張り切ると周囲は大混乱するわけです。
うーん。仕事に限った話でもないと思うのだけれど。噛み合っていないって事に気づかないって結局誰の話しも聞いていないってことになる気がする。
会話してる風のひとりごと。
わかってやっているなら問題ないのです。話を聞かないつもりでやっているのなら。その人は話を聞くことが出来るのだから。しかしどうもわかってないでやっている人が多い気がする昨今。
誰かと一緒に話しているつもり、誰かと一緒にいるつもり、でもひとり。なんだかこれってすごく寂しいことのような気がします。
それって無意識に自分は誰にも影響されないぞ!ってバリア張ってるようなものなのじゃないかなと。誰にも干渉されないでいると、人は成長できない。それにそれってすごく孤独なんじゃないかなあ。。
打っても響かないっていう感じがこれか。なるほど。
気をつけていないとすぐにこんな感じになってしまう気がします。特に歳を取ってしまうと。
常に人と接する時は気をつけていないといけないなあと思うのでした。


SLの話を少し。
私はメンズのアバターが作れません。どうやっても作れません。
どういうふうにしたいっていうのがないからなんだろうなあと最近思うようになりました。
メンズの見た目に関して、こだわりがないからこうなるんだろうなと。
これっておそらくSLに限った話じゃなくて、私は男の人の容姿や服装にまるで興味がない。
こんなんでよくメンズ着物作ってるなと自分でも思うのだけれど、着物は別なんだろうなあ。。。
着物が似合う男の人はかっこいいと思う。
子供の頃から着物が好きで、お盆と正月には着物を出してもらって着ていました。
大人になったら子供の世話で着物などを着ている余裕がなくなったわけですが、もう少し着物の手入れが簡単ならば着物を着て過ごす時間っていうのを取りたいなと思っています。
ぐちゃーっとしておいたらすぐにきれなくなっちゃうからね、、、、着物。
なもんで、着物に関しては少し関心が高いのでしょう。
だから着物は作れる。こういうのがいい!っていうのもある。
しかしまあ、メンズ着物ってのはそんなに幅も種類も多くないわけで、何着か作っているうちに詰むのだよなあ。
すでに詰んでいる感が否めない。小紋の柄を変えたところでぱっと見たら同じ着物にしか見えないというジレンマw
小物に手を出したい気は満々なのだけれど、SLで着物にアクセサリって結構ハードルが高かったりして切ない切ない。
アクセサリではないけれど、メンズの羽織が完成しました。
90%リグメッシュっていう、人によっては着づらい羽織になりましたが、逆に編集が出来る自由度もあると思います。
相変わらず透明は入れていませんが(私が透明キライ)、レイヤーで対応出来るようにもなっているはずなので発売したらDEMO試してみてくださいね。
書きたかったことと若干ずれてしまったけれど、いいや!


あといくつ寝るとお休みだー!みたいな日々です。
今日、お金を下ろすべくATMに普段使っていないカードを突っ込んでみたら、びっくりするくらいの金額が入っていました。
どうやら4ヶ月前にお金を移し忘れていた模様。
道理でよくわかんないけどお金がなかったわけだよ。。。
こういうことをうっかりやらかす自分はまずいんじゃないかと少々思っています。
来年から家計簿つけるべきかなあとうっすら思ってたり。
どの辺にいくらくらいのお金をかけているのか、まるでわかってない自分に愕然としたのでした。
これから先、世の中がどう動いていくのかわからない中で最低限の蓄えは必要だよなあと思ってはいるのだけれど、なかなか蓄えるのって難しいですね!
しかし、自分の暮らしの欠点を自分以外の人になすりつけることだけはやめたいと思ってもいて、そんなこんなで今日はきちんと投票行ってきたよ。自分の暮らしを見つめなおすって事に、選挙はつながっていると思う。
どうせ自分の一票じゃ何も変わらないと考える人は、おそらく自分の生活を変えることもできないだろう。
文句はやるべきことをやってからでないと言えないのだから。

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カテゴリー: 日記