サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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愛するものが死んだ時には、 自殺しなけあなりません。 2012-07-29

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。
つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。
(春日狂想/中原中也)

この詩を引用している大槻さんのせいで、やっぱりこの部分が強烈に好きである。
うむ。仕方ない。
ものすごくバタバタしていたせいで、書こうと思っていたことがことごとく流れていく日常。
ほんとメモ代わりにもなりゃしないわけで。困ったもんです。
ホラーナイトの作業が大詰めを迎えつつあると同時に、心にもたげるのは「モール部分の商品どうすんのー!」
だったりするわけで。ええ。
同時にプンジンでも100祭りっていう100リンデン以下な商品のお祭りがあるわけで。
残された日数で出来ることとやりたいことを計算しつつ、若干煙がシューシューしております。そんな昨今。
やりたいことがまるで消化出来ない。いやーーーーーーー!
で、このバタバタが終わると8月のお盆に怪談ラジオがあるわけです。ね。大忙し(ノ´∀`*)
今回は会場を変態クリエイターのあきろっくさんにお願いしたわけですが、
お願いした翌日の昼には建物できてるっていう。早すぎる。
そしてその建物が500プリムっていう。いろんな意味ですごすぎる。
快く沢山プリム使っていいよ!って言ってくれたりょまさん、本当にありがとう!
私もわりと手の早いほうで、思いついたらちゃっちゃと作ってしまうんですけれども。
自分より作業の早い人を目の当たりにすると、びっくりするくらい追われる気持ちになるものですね。
いや、いいんだ。ラジオはまだまだ先の話だ。大丈夫大丈夫。


いきなりずらっとSLのお話をしました。珍しい。
しかも挨拶がまだだ。
ごきげんよう、たいこです。
今日は土曜日。あ、日付もう変わったから日曜日だ。
土曜日は自治会主催の盆踊りの最終日でございまして。
今年は自治会の役員である私は、警備員として駆り出されて参りました。
18時半から22時まで。長いよ。。。
報酬は洗剤一箱。うちは粉洗剤使わないんだぜ。。。まあでも夏だから粉でも大丈夫。
粉は夏のうちに使いきってしまおう。
冬に粉洗剤使うと溶け残りませんか。
3時間半も突っ立っていたわけです。
露店でいろんな物売ってるけど、警備中だから堂々と買うのもはばかられる。
んなもんでお腹空いてるのに我慢してぼけーっと突っ立っておりました。
動いてるよりただ立ってるほうが疲れるのは何故なのでしょうね。
あまりに暇なので娘と他愛のない話をする。
そして後悔する。
娘はおばけの見える人らしいのですが、普段はそんなことおくびにも出さずに生活している。
私も日常過ごしていて、娘がお化けの見える人だなんてことは忘れがちなのです。
なので、今もまだ順調にお化けが見えているのだろうか、というような事を聞いてみたのですね。
見えてた(ノ´∀`)
現在進行形の怖い話とかされた(ノ´∀`
)
でも娘は終始ニコニコ(ノ´∀`*)
落ち着き払って「でもあいつの対処法わかんないんだよなあ」とか言ってる娘を見て、
ああ、聞くべきじゃなかった。って思いました。
私はそっち方面あんまり敏感ではないので、当たり前にそういうものがある娘の観る世界と、
私の観ている世界はきっとだいぶ違うんだろうなあ。なんてことを思ったりもしたのでした。
そう考えると。
差の大小こそあれ、誰もが同じ世界は見ていないっていうことになるなぁ。
こういうことは当たり前すぎて忘れがちなので、ふとしたこういう機会に思い出すのはきっと大事。
私たちは自分自身の観ている世界を前提にして話を進めがちなのです。
そんなことはありえないってことを常に頭の片隅に置いておかねばならない。うむ。


オモシロイ映画を観せてもらいました。
「アドレナリン」「アドレナリン2」
バカ映画です。2のほうが面白かったのだけれど、1を見ないとその面白さがわかりません。
設定がまるでありえない。死んでるよそれ!っていうところで、強引に生き抜く主人公のしぶとさは素晴らしい。
彼の周囲の人間はバタバタ死んでいくのですが。
ものすごいとばっちりを食ってしまう、若干気持ち悪いキャラの男の子が出てくるんですけれども、
私は彼の顔が大好きだ。好みだ。
1で死んだのに2で出てきたときは「え、なんでwwww」って思いました。
兄弟設定であった。納得。
B級映画らしく、おっぱいもセックスもいっぱい出てくるんですけれどもね、
市場のどまんなかでいきなりセックスってどうなんだ。
実はものすごく好きなシーンです。
主人公の「俺は生きてるぜ!!!!!!」っていう叫びが非常によい。
久しぶりにこういうスッキリする映画を見た気がします。
悲しい映画も地味な映画も好きだし、どちらかというと普段はそういう映画ばっかり観に行ってるんですけれど。
あ。そうでもない。
邦画にも素晴らしいバカ映画というものはありまして、東京ゾンビとか(内容忘れてる)。
図鑑に載ってない虫とか。基本的に三木聡の映画はバカ映画なのだ。
ただ邦画と洋画のバカバカしさは質が違う。
どちらもよい。比べるようなものではない。
アドレナリンの前に見たのが「ゾンビランド」でして。
この映画をめぐって、友人と日本と海外のゾンビについて少し話し合ったのです。
もっと他に話すことありそうなんだけどね。。。
私はそもそも日本にゾンビはおかしいと思う派でして。
今現在の日本は基本的に土葬はしないのです。
土葬をしているのはごくごく限られた地域だけなのですよね。
で、昔々土葬をしていた時代も、棺桶というくらいですから桶に埋葬するのが一般的だったんじゃなかろうかと。
起き上がりを怖がって脚の骨を折って埋葬する地域もあったらしいし、そうなるとゾンビになりづらい。
で、東京ゾンビは!とか言われたんだった。
そうだ東京ゾンビはゾンビ映画だった。
龍が如くもゾンビである。
大槻ケンヂはゾンビが大好きなので、彼の小説にも沢山ゾンビが出てきていた。
阿波踊りをしながら惨殺するゾンビ部隊っていう、ものすごいものを読んだ気がする。


今週は本もたくさん読みました。
まず、衝動買した小野不由美の「残穢」。
ざんえ と読むのです。残ってしまった(祓いきれなかった)穢れのお話なのです。
ドキュメンタリーホラー(っていうのかな)。
この形の物語はその昔、まだ私が子供だった頃に毎月ドキドキしながら読んでいた
ホラー漫画雑誌「ハロウィン」に載っていた山本まゆりの霊能者玲子さんシリーズを思い出して、
非常に懐かしかったのです。
霊能者は一人も出てこないんですがね。残穢には。
しかし、祓っても払いきれなかった穢れってすごく怖いものがある。
その穢れに触発されて、眠っていたその場所の別の穢れまで活性化するという。恐ろしい。
人がこんなにたくさん増えてからかなりの長い年月が経っています。
それは、すごくたくさんの人間がすでに亡くなっているということ。
ということは、この世に穢れのない土地なんてほとんどないということ。
さらにこの小説では、穢れは感染すると言う。
人が動けば動くだけ、何かを譲渡したりされたりしたらしただけ、
その場の穢れは薄まりつつも拡大する。
引っ越してきた部屋で妙な音がする気がする……という、
非常に些細なことからとんでもなくでかい話になっていくさまが、妙にリアルで恐ろしかったです。
しかしやっぱり日本の怪談話はジメジメしていて濃厚で、よい。
怪談やホラーは日本ものに限ると思ったりいたしました。


ビブリア古書堂の事件手帳3を読む。
相変わらず「んもうっっ!!!」ってなるほのぼのラブストーリー。
早くくっついてしまえ!!!と思いつつ、これはこういう感じだからいいのでしょう。
とはいえ、この本のメインテーマは本の話。
毎回楽しく読んでいます。
ヒロインの母の謎キャラといい、なかなかどんどんおもしろくなっていくので、
すでに続きが楽しみである。


まだ読んでない本が家にあるはずなんだけれど、見つからない。。。
どこに行ったんでしょう。子ども部屋にある気がする。怖くて探検出来ない。


私は結構元気である。
そりゃ基本元気なのである。
しかし、乙女モードだから感情の動き幅が激しいのだ。
それは総じて不安定に見えるものだけれど、
揺れるから元気じゃないときが一日になんどもあるのだけれど、
やっぱり総じて元気である。
心がたくさん動くことは、疲れるけれど生きてるなあって感じがするのです。
外は嫌いだけれど、疲れるし。
それでも外に出てしまえば「外もいいねー」とか思ってる自分がいるのもまた事実。
28日で、満5歳になりました。
SL始めたのは31歳の時ってことになります。
私の中での31歳は非常に遠いものなのだけれど、もうそんなになっちゃったか自分。
っていう気持ちが強い。
INしてウニウニしていたら、素敵なプレゼントが届きました。
はじめてのつめ
ツメ!
実は2008年頭くらいまででツメ知識が途絶えた私。
プリムネイルだよ!未知の世界だよ!
本当にありがとうございました。ちょー嬉しかったです。
この次の1年も適当に楽しく過ごしていけたらいいなー。

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レティクルの神様 きまぐれなもの 誰もが運命に 流されて死ぬよ 2012-07-23

人も虫も夢も
月も靴も町も
薔薇もエメラルドも
悪い人も
やさしいあの人も
すべて燃えてしまう
みんな同じになる
ノゾミあるとしても
誰もが漂う
みじめな灰になるだけ
望みあるとしても(ノゾミ・カナエ・タマエ完結編)/筋肉少女帯

この頃の筋少は20歳くらいの頃に聞いていた気がします。
突き抜けていてよい。
夏休みに入った途端、非常に涼しい日々ですが皆様お元気でしょうか。
部活だー大会だープールだー祭だーと、日々小銭を持っていかれて小銭も積もると山なのよ!
っていう7月。
浮かれ気分もそこそこに、早めに宿題とかは終わらせて欲しいと母は思う。
母の意に反して、子供たちは日々遊び呆けているわけです。
パソコンは悪魔の箱だが、スマホは悪魔の手帳である。
スマホのせいでまるで何もしない我が家の長男。
次男は中学生の自覚が芽生えたらしく、日夜勉強する姿を見かけます。
見習え。。。長男。。。
あまり親の自覚も社会人の自覚もない私は、昨日お芝居に行って来ました。
三谷幸喜作・演出 戸田恵子主演 っていうか戸田恵子の一人芝居、なにわバタフライNV。
再再演らしいです。
初演と再演ではだいぶ内容が違っていて、再演時に「NV」がついたそうで。
今回はその、再演版をもう一度再演ということのようでした。
いやー……私は戸田恵子好きですけれども。
思ってた以上にすごい女優さんでございました。
一人芝居って、役者の技量がそのまま出るものだと思っていて、
休憩なし、一幕三場で120分。
不必要なBGMも何もなし。照明も道具も最低限。
パルコ劇場の舞台ってこんなに広いんだー……っていうくらい何もない舞台。
客入れの音もなく、客電つきっぱなしの状態で出てくる戸田恵子。
前説からそのまま出ずっぱり。袖に帰ることなく120分。
ものすごいと思いました。
芝居の内容は、ミヤコ蝶々の自伝を元にした半生記。
7歳で田舎芝居の座長になってから、53歳までの間の人生を一人芝居で綴ります。
一人芝居なんだけれど、登場人物はいっぱい。でも舞台の上にいるのは蝶々だけ。
お話は、モノローグと彼女と誰かの会話で進んでいきます。
もちろん一人なので、会話の相手はいない。
いないのだけれど、相手がどんな人なのかどんなキャラなのか、どんなことを話しているのかが浮かんでくる。
ものすごいなと思いました。
こういうみせかたは、舞台ならではだなぁ。
舞台ならではとはいえ、並みの演技ではここまで出来ないと思う。
彼女と深く関わった男の人達とのエピソードを主軸として進んでいくのだけれど、
本当に男運のない方で。
男運がないって一言で言うと、本当によくありがちな話みたいだけど、確かにありがちな話なんだけれど。
ありがちな話ほど当人にとって深刻な話だったりもするわけですよね。
「私は強い女だから。」と言い切った彼女に対して、
離婚後も漫才の相方として仕事を続けてきた2人目の夫が最期に言った言葉。
「俺はお前ほど弱い女を知らない」
これがずーっと心に突き刺さってしまいまして。
なんだか悲しくて悲しくて、大泣きしてしまったのでした。
深く関わり続けられる人と、ずっといっしょにいられない事もある。
そこまで深く関わり合うことはすごく幸せな事なのだけれど、
自分の手からは離れて行ってしまうことは、本当になんて悲しいんでしょう。
それでも自分には芸しかない。と、芸の道に生きる彼女は、とってもかなしくて素敵に見えたのでした。
いいものを見た。本当にいいものであった。


芝居はPARCO劇場。
お隣の表参道で、石井ゆかりの選書展があったので帰りに寄って来ました。
普段なかなか買えない本を見つけて衝動買い。4500円。高い。
専門書は高いですね、仕方がない。
表参道は道も広いし人もゴミゴミしていなくて好きです。歩きやすい。
表参道プラプラしながら、重たい本を抱えて帰ってきました。
国際大学の前に出ているやおやさんでトマトとプラムを買った。
トマトは正直掴まされたと思った。。。。ドロドロである。


戯曲「シレンとラギ」読了。
戯曲はさすがにサクッと読めますね。こないだ観たばかりのお芝居だし。
劇場の音響のせいで、大事な台詞が幾つか聞き取れず、非常に残念な思いをしたので買ってきた戯曲。
芝居を見て日も浅いということもあり、いろいろ思い返しながら感慨深く読みました。
やっぱりいい芝居であった。
人と人とが愛すること。人と人とが関わること。
恋とか愛とか恋人とか母とか、そんなものを乗り越えて、人と人として関わること。
そんなことに思いを馳せてみたりしました。
元ネタがオイディプス王なだけになかなかえぐい話なのですけれど、
終わり方が非常に好きでした。


SL方面の話。
ホラナイ準備が佳境です。
会場も徐々に重たく、にぎにぎしくなって参りました。
ホラナイは毎年ストーリー性のあるイベントが好評なのだと思っていますが、
私が毎回担当しているのは、細部の仕掛け部分。
去年はスーパースクリプタートノコの大活躍で、立派なHUDが出来ましたが、
今年はHUDなしで遊ぶことになります。
英語対応も今年はばっちり(なはず)。
いつになく、箱庭の冬男アスランが大活躍していて、細かいもののクオリティやら何やらが素晴らしい。
一昨年は廃村、去年は廃校が舞台でしたが、今年は夏祭りが舞台です。
それだけに、いつもより恐怖は少なめ、雰囲気は去年以上、になってたらいいなぁ。。。。
楽しんでいただけると信じて先ほどまでスクリプトと仲良くしてきました。
あれだね。お化け屋敷を作っていると、llListenやらllSetLinkPrimitiveParamsFastやらの関数がサクサク書けるようになる。
スイッチが作動→何かが動くっていうつくりが基本だから当たり前なのだけれど。
PRIM_COLORやらPRIM_GLOWやらは何回書いたか知れない。
消える、光る、つく、動く。
このあたりをがっつり網羅する、llSetLinkPrimitiveParamsFastはエライ関数なのである。
なんのこっちゃわからないですね。ごめんなさい。
会場の仕様もあって、今年は大掛かりな仕掛けが置きづらい。
その分見るところは沢山ありますが、やっぱり1つくらいハデな仕掛け置きたいなあ。。。
なんかいい案ないかしら。って言ってる余裕は、多分もうない。ぎゃふん。
モール部分に置く商品がまったく出来上がりません。
その前にプンジンの100祭りがある。やばい。
頭の中がものづくりやらスクリプトやらでごっちゃごちゃであります。
もうすぐ始まるレベルズプレイグラウンドハントの景品はなんとか仕上げた。
いやー、夏ってなんでこう毎年大忙しなんでしょうね。
しかしこれも8月になってしまえば一気に落ち着くのです。
8月18日あたりに怪談ラジオを行いますが、8月の大きな単発イベントはこれだけ。
ラジオはね、ホラナイに比べたら準備はとっても少なくて済むのでよいのです。
18日までの間に、余裕があれば幕末お化け屋敷もリニューアルしたいんだよなあ。
できるんだろうか。
一番の問題は、ネタがないってことだ。ネタ随時募集してます。ハイ。


不安ばかりを訴えて生きている人たちばかりだこの世は!
などという愚痴を聞かされました。
自慢じゃないが私は不安だらけだ。未来の事なんて見えないのに不安がないわけがない。
しかし不安というものは、探そうと思ったら際限なく出てくるものでもあるわけで。
不安の芽を掘り返さないようにうまく精神のバランスを取って日々生きているわけです。
不安を感じることは悪いことじゃない。
それは出来るだけ安全に暮らしたいという気持ちの現われであるから。
けれど不安にすべてを乗っ取られるのはよろしくない。
タロットカードの0番、愚者のようなもので、あのカードはあちこちから迫り来る危機を物ともせず
(見ることもせず)楽天的に次の一歩を踏み出そうとするさまを表している。
大好きなカードです。
だって生きるってまさにそういう事だと思うから。
そういうふうにしか一歩は踏み出せないけれど、だからこそ不安に感じるのは当たり前だと思うのです。
まるで不安を感じない事のほうが怖い。
でも本当は、そういう事が言いたいんじゃないのはわかってた。
わかっていたけれど、そのことについても私はあんまり賛同出来なかったのだ。
じゃあどういうことが言いたかったんだってのは、うん。説明がうまくできない。
だからこんなに見当違いな事を書いてるんだと思うし。
わかったことは、この何ヶ月かの間に私は変わったんだなーということ。
へぇ。成長してたのか。なんてことを思いました。
こういうわかり方はあんまり嬉しくないけれど、けれど成長することは喜ばしいことである。
私はわたしの道を歩き続けて、その時々で私にとって意味のある人たちと深く関わる。
深く関わり続けるにはお互い成長し続けなければならず、その歩調がずれた途端、
触れ合うことが出来なくなる。それはもう見事に。
通じる言葉がなくなってしまう。
今まで何度もそういう経験をしてきたから、そういう事だって分かる。
それは寂しい事なのだけれど、だからこそずっと長く一緒にいたい人には、
相手の成長を促すために何ができるかを考えなければいけないよな。と思う。
長く一緒に歩き続けるという事を考えていたら前述のお芝居を思い出して、ちょっと考えてしまったのでした。
一緒にいることや恋や愛や友達やパートナー。
そういう名前が全部なくなってしまえばいいのに。
垣根も境界もなくなってしまえば、きっともっとシンプルになる。
いや、ならないかもしれない。
けれどこの世界はもともと渾沌としているものなのだから、
その中をきちんと整理整頓することのほうが無理があるってもんじゃないの?


眠い。
眠いのに寝れない。
部屋の真ん中にイニシャルGが出たせいだ。
あいつに対抗する術を私は持っていない。しかもこの時間、唯一の武器であるちびっこは夢のなかである。
ちょっともーどーすんのー。
こういう時のための飼猫なはずのナゴヤも寝てるってどういうこと。。。お前夜行性違うんか。
さて、私はこれからどうしたらいいのでしょう。涙。

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サクリサクリと死んでゆく、 それでも、生き続けて ドーナツ屋で、我々は再び会うべきなのだ。 2012-07-19

「やめろー! 人生は最期の武器だ 無駄弾を撃つんじゃない」
「しかし、死んでゆきます」
「だからなんだというんだ!?
 逃げるのか?あきらめるのか?一生を闇の中ですごすのか?」
「いやです」
「少年の頃、お前はテレビを見なかったのか?」
「見ました」
「思いだせ、彼らは絶対の危機の時にどうした?
 もうダメだ!というその時、彼らはどうした? 答えろ!」
「タチムカッタ」
「ならばお前もそうすればいい、それをやれ!」
(221B戦記/筋肉少女帯)

人生は最期の武器っていう言葉が好きです。
梅雨あけした途端、待ってましたくらいの勢いで夏が猛威を奮っております。怖い。
のほほんとしてたら夏の太陽にドドンとやられてしまいそう!
日焼け止めが効いてるんだか効いてないんだかさっぱりわかりませんが、
今の私の最大の敵は汗のような気がする。。。
一日中汗かいてます。汗っかきに生まれた自分が憎い。
ごきげんよう、たいこです。
ホラーナイトのオープンが目前に迫り、仕掛けやら何やらの着手が…着手が…。
これだ!っていうのがひらめいたら早いんですけれども、今年は地形に合わせて作っていきたいがゆえに、
色々と悩んでいるところです。
ぞくっとする見せ方ができたらいいなー。
昨日はメンテだかなんだか、ログインしても落とされるわ落とされたらなかなか戻れないわで22時過ぎに心が折れました。
オムライズ絶賛営業中だったんですが、来てくれていたお客さんごめんなさい。
強烈な眠気に耐えられなかったっていうのもあり、そのまま寝てしまいました。
起きたら7時半。9時間も寝てしまったよ。
そろそろ体調不良な日がやってくるので、そのせいであることは間違いない。


ラブコメ今昔を読みました。
クジラの彼なシリーズの続編って感じの扱いになるんだろうか。有川浩の自衛隊恋愛小説短篇集。
この方の描く恋愛はなんというか、ドロドロとかそういうのがなくてすごくよいのです。
しかしこのシリーズ、自衛隊の恋愛がテーマなので一般的な恋愛小説とはだいぶ違います。
彼らの仕事は国民の安全・安心のために命を張る仕事で、有事の時には家族や自分の大切な人は二の次になってしまう。
本当は二の次になるのでなく、大切な人も含めて皆を助けるために働く人たちなのだけれど、
好きな人が死んでしまうかもしれない危ない場所に行ってしまうだとか、
海の上で訓練が始まったら何ヶ月も連絡がつかないだとか、
異常に過酷な状況が彼らの未来に待ち受けている。
昨年の大震災の折に、自衛隊がとっても脚光を浴びました。
有事の時に頼りになる存在って本当にカッコイイと思う。
けれどその中に自分も飛び込むには、かなりの勇気がいることだなあと思ったりしたのでした。
この場合の飛び込むは、恋愛小説なので「自衛官の妻」や「自衛官の彼女」みたいな意味合いですが。
ともあれ、全体的に読んでキュンキュンしてしまったり、泣いてしまったりいつだって有川浩の小説を読んだら私の心は大忙しなのであります。
大変おもしろい小説でした。


昨日は次男が軽く熱を出しました。
水曜日はかかりつけの小児科がおやすみなので、別の内科にかかりまして、
初めて行く病院なので、私が付いて行きまして。
小児科と内科では出される薬の量が全然違うのだよね。。
小児科だったら絶対出されない抗生剤もばっちり出てました。
その分治りは早いんだけれどね。
大人の病気は早く治すのが一番大事だものね。
で、案の定強烈に混んでいた病院。
読みかけで止まっていた東京バンドワゴンの2個目シー・ラブズ・ユーを読了。
本当にここのところ読書三昧である。
東京下町にある老舗古本屋の大家族が主人公な話。
語り手は一家の主の妻の、お化け。
どういうわけか成仏しないでこの世にとどまっている、、、ということで、
事件が起きるたびにこのおばあちゃんがあちこちへ飛んでいって事の成り行きを見守るかたち。
そのおばあちゃんの視点の後ろから読者がそっと家族の動向を覗く趣です。
登場人物のキャラクターがなかなか素晴らしくて優しくてよいです。
私が一番好きなのは食卓のシーン。
9人くらいいる家族が一斉に食卓につき、めいめい勝手に会話したり食べたりしているその描写がとってもよい。
皆でわいわい食べるご飯は美味しい。楽しい。
シリーズでいくつか出ている小説だと思ったので、また続きを読もう。


1週間が短い!1日ないだけで短い!
RLも若干ままならぬことを抱えている人たちが私の周囲にはわいわいといまして、
なかなか落ち着かない空気の中日々を過ごしているわけですが、
この夏が終わる頃には色々と落ち着くといいなあ。と思ったりするのでした。
今日は新月。
新月や満月は、ただでさえ感情が不穏な感じにゆれゆれしがちなのです。
もともと感情みたいなものは水のようなもので、ずっと安定してるわけには行かないので仕方がない。
大事なのは感情の揺れをきちんと把握して、その揺れに出来るだけうまいこと乗っかって行こうとする事なんだろうなぁ。

サクリサクリと死んでゆく、 それでも、生き続けて ドーナツ屋で、我々は再び会うべきなのだ。 はコメントを受け付けていません
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