サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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次に飛行機を見たら 少女は死のうと決めた 2012-04-16

彼女の恋するやさ男は 理由あってすでに天国にいた
ひねもす男は下界の少女を見守っていたのだ
空の上からは少女の頭しか見えない
いいお天気だからもう少し生きてみようと
彼女が天をあおぐその時だけ
瞳を見ることができるのだ
だからなるだけ上を向いてお歩きなさい
それから あまり甘い物ばかり食べ過ぎぬように
もうすぐ月が出たら 家へ戻ろうと決めた
少女の上を いま飛行機が
静かに横切った
(生きてあげようかな/大槻ケンヂ)

最近めっきり早寝な暮らしでございます。
先週は金曜日だというのに12時前に寝ちゃったっていう。。。
さらに諸事情あって、今までなかなか上がらなかったとてつもない重たい腰を持ち上げております。
お家がどんどん綺麗になっていくよ。いくよ。
今まで手のつけようがなかったあちこちの、とっかかりを作ってくれている人に感謝感謝でございます。
はー。本当に頭があがりません。
片付けができないっていうのは、私の致命的な欠陥でして、
どうにかしたくてどうにもならない部分のひとつでもあります。
これをきっかけにして少しどうにか克服出来たらいいなあと思うのです。
あと、やっぱり誰かおとなのひとと一緒にいると家事を真面目にやる法則。
自分でも不思議なくらい。
誰かとは親でもなんでもいいのです。ただ、わが子だとそうならない不思議。
甘えなんでしょうねえ。
やっぱりこれは早急に結婚相手を見つけねばならぬwwwwwww
ごきげんよう、たいこです。
そんなこんなでSLで遊んだり掃除をしたり、読書をしたり映画を見たりしています。
土曜日は「紀子の食卓」を鑑賞。
相変わらず観たあとは、腹の底に鉛を仕込まれたような気分になる、園子温作品。
園子温の家族に対する深い深い絶望が見える。
家族って窮屈なもんでしょ。しんどくて重たい荷物でしょ。みたいな。
窮屈で重たい家族の中で育ってきた身としては、その感覚はなんだかよくわかる。
紀子ちゃんが本当の家族の温かみを見出すのは、虚構の中でしかない。
しかし本当の家族だって虚構じゃないのか。
家族なんて役割を捨ててしまえばいいと私は常々思っているのだけれど。
お父さんもお母さんも、その役割を剥いでしまえばただのひとりの人なのであって。
役割があって、そのうえにやるべきことが乗っかっているからきっと窮屈なんだよーと思う。
こんなことをテーマに作品を出していたのが昔の鴻上尚史で、
私は戯曲を読んだ時に「あ、同じ事考えてる人がいた」と思ったりしました。
話がずれた。
家族にかぎらず、虚構の世界っていうのは都合の良い世界である。
それは実際の世界の一部を切りとっているものだから成り立つ世界である。
だから、そこのシーンだけが理想的になるのは当たり前。
ここではないどこかへ。今ではないいつかへ。
この気持はきっといくつになっても消えないけれど、
どこか とか いつか なんて場所はどこにもない。
私たちはここで今を生きていかねばならぬのだ。
虚構の中にそれを見出したとしても、その中で生きていくことはできない。


本多孝好「WILL」読了。
「MOMENT」の続編にして、葬儀屋森野のターン。
MOMENTは葬儀屋の隣の文具屋の息子のターンであった。
MOMENTは死にゆく人たちを描いた作品(うろ覚え。だって何年前なんだ読んだの)で、
WILLは死んでしまった人たちと残された人たちのはなし。
「死者を眠らせる」ために森野は動く。
ものすごくとっつきづらい感じがするけど、不器用だけれどいいやつだ。森野。
両親を事故で亡くし、ひとりになってしまった彼女が再びきちんと前を向いて歩くまでの成長の物語でもある。
自分の痛みでいっぱいいっぱいになっている時には気づかなかったたくさんの自分を助けてくれる視線や手は、
実はいっぱいいっぱいになっている時にも助けになっていたし、それに気づいた後はもっともっと自分をしゃんとしてくれる。
商店街の人達はとっても優しくて、文具屋の息子もずば抜けて優しくて、
そういう人達に大切にされている森野はきっと、幸せなんだな。
人の気持ちが丁寧に綴られていて、それがよいお話です。
でもやっぱり、MOMENTを読んだ直後に読むべき作品のような気がします。
私もMOMENTを読み返したくなった。


SL方面のお話。
*N*KITTY HEAD & Nekozabeth pop ver.2
RMK限定ネコできました。
何このネコかわいい!と自画自賛しっぱなし。
自分で作ったものが自分の気に入るってのはあれです、幸せです。はい。
なんだか6月にはブライダルイベントもあるRMK。ブライダルブライダル……。
まま、なんにせよ楽しんでいけたらいいなと思います。
RMKのモールに置いてあります。
波野家にしては可愛く飾り付けできたと思うので、お暇な方は遊びに来てくださいね。
場所は波野家ブログにのってるよ!


楽しいことだけをして暮らしていきたいよ!とはいえ、
お仕事しないとお金がもらえない!というわけで、
本日も働いて参ります。ニンニン。

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カテゴリー: 日記

暴いておやりドルバッキー キラキラ光るキレイごと 2012-04-13

苦悩する若者達に その人は言った
信じていれば夢は必ず叶いますよ
ホラ そんなウマイ事を言うと
しっぽを振ってバッキーが来ちゃうぞ
「やあ、みんな それは理想であって本当じゃないニャー
 叶わぬ夢もあるんじゃないかニャー」
(暴いておやりよドルバッキー/筋肉少女帯)

なんだかとっても若い感じがする今日の1曲ですが、この感じは36歳になった今も持ってたりします。
小学校の校長先生のお話にはこのキレイごとが満載で、聞いていてとってもつらい。
おまけに話が長くて下手なので、入学式も卒業式も、校長の話ってのは軽い拷問の趣があります。
先生なのに話が下手だなんて……と、いつも思ってしまうのです。
先生の仕事は、お話を面白く聞かせることだと思うのだけれどな。
かなわない夢もあるし、信じていても裏切られることはある。
けれども夢をもつことも信じることもしておいたほうがいい経験であることは間違いない。
夢を持たなければ叶うこともないし、信じなければ信じてもらえることもない。
できないかもしれないことを「絶対できますよ」って教えることは、
それこそ信じているものを裏切る行為になるんじゃないのかニャー
ごきげんよう、たいこです。
あっという間に桜が散りました。
八重桜が本気を出し始めました。
これが落ち着いてくると街路樹の垣根にはたくさんのつつじが花を咲かせて、
その頃には子供たちも新しい環境に慣れ始める、、、という感じ。
冬が長く感じるのは、長いこと変わり映えしないからなんじゃなかろうかと思う。
春は来たと思ったら慌ただしく夏に向けて景色をパタパタと変え始めるものー。


新学期につきものの書類の洪水に埋もれかけつつ、なんとか日々生きています。
新学期につきものの家庭訪問もあります。
今年は余裕で迎え入れられるよ!
私自身はまるで変わり映えのしない毎日ですが、今年のGWの勤怠予定を提出せよ。と
会社からいわれて、さてどうしようGW、、、となっております。
今年はどうしようGW!
みたいな話で。
誰か私と一緒に観光しませんか。
もれなく3人の子供がついてきます。
GWみたいな時期に出かけるのは好きじゃないんだけれど、学校に通う子供たちがいればそうも言っていられない。
そしてそういう人達で溢れかえるのが、GWの観光地なのでしょう。致し方なし。


私の願望や望みは私の内の中に閉じている。
私は世の中の大きな出来事や動きにあまり関心がない。
それは私にはどうすることもできない出来事だから。
私は私の力や存在で、変化する可能性のある物事にしか興味がない。
それはすなわち個人対個人の話で、個人のもつ地の力みたいな感じ。
ポーンと飛躍するために必要な地の力みたいなもの。
自分にはどのくらいの力があるのかは、私にはわからないのだけれど。
誰かのそういう力を充実させることに興味があるんだと思ったりしました。
神は自分の中にいる。それはとってもよくわかる。
私は私の中の神に従って生きていて、世の中とうまいこと折り合いをつけている。
ただ、その折り合いをつけるべき、世の中とうまいこと渡り合っていくべき部分が非常に薄い。
自分でも呆れるくらいの薄さである。36歳なのに。
できるだけそういう部分から逃げているし、接点も極力減らしているからそうなるんだと思う。
大人なのにー!
歳とればとるだけ苦手なところから背を向ける力が強く働いている気がします。
人と接触することはとても怖いことなので、出来れば対個人で接したいと思う。
たくさんの人を相手にするなんて私のキャパを超え過ぎる。
なんだかいろんなことを考えた昨日の夜でした。
自分が死んだずっとずっとあとにまで、自分の名前や存在が残るなんてことは考えない。
ただ、自分の存在や行動が、誰かの人生に色濃く影響する、それがその次の世代に受け継がれる
ということにはすごく関心があるんだなあ。と思った次第。
自分のちからでどうにもならないことは考えると切なくなるので。
ということは、自分の中にそういう事がしたいっていう気持ちがあることに他ならないんだよなあ。
影響は表に出るものでなくてよくて、それこそ本人すら気づかないようなところに、
私と関わった爪あとが残ればいいやと思う。
おそらくこれは、私の子供たちに対することで、間違いなく彼らの中には私の存在が深く深く影響している。
そう考えると、私の願望って叶ってる。半分。
血縁のない誰かとそういう影響を与えあいたい、というのが私の今の一番の関心なんだろなー。


最近「俺は本当にバカですね」と思うことがしばしばなのですが、
思ったり考えたりしたことを、うまく言葉にする力が乏しい。困ったものです。
そして、こうして色々考えていることのほとんどが、外からの投げかけに対する反応である、
ということに考えが至ったりして。ちょっと自分に嫌気が差したり。
悪いことじゃないとは思うんだけれど、あるはずの芯に触れない自分の指先っていう感じで
非常にもどかしいのです。

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カテゴリー: 日記

ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか 2012-04-11

銀河鉄道の夜
僕はもう空の向こうに飛び立ってしまいたい
あなたを想いながら
星めぐりの口笛を吹いて
裸のまま ひとりぼっち 涙も枯れた
(銀河鉄道の夜/銀杏Boyz)

だいぶ間があいてしまいました。
今週の頭くらいから、「あ、そうだった。春だった」って思いだしたかのようなあっさり具合でいきなり暖かくなりました。
あちこちを薄いピンク色に染め上げているソメイヨシノとか、八重桜も花を咲かせ始めました。
やぁぁっと春がきた!という感じで、中の人も無意味に浮かれまくっています。
手間をかける事を大事にしよう、とか、コミュニケーションって大事だな、とか、
そういうことを思ったりしているここ最近でございます。
流星の絆を最後まで観ました。
最終話だけ、息子と一緒に観ました。
久しぶりに物語を見て泣く息子を見ることが出来て満足です。ふふん。
ドラマや映画や本を鑑賞して感動するという経験は、たくさんしてくれるといいなと親として思います。
物語は、東野圭吾らしいよなあ。。というビックリ展開。
でもあいつが犯人じゃないことはだいぶ前から気づいてたよ!
そしてモテない御曹司役の要潤がものすごくハマってて、若干いい男に見えたのが印象的。
私が要潤を最初に認識したのは、仮面ライダーアギトであった。
あれはもう何年前ですか。
なかなか味のある俳優さんになったなぁ。。。
本多孝好の小説を読みました。
このかたの小説、私は結構好きなのですが何年も読んでなかったのは、本屋さんでなかなか本を見かけなかったから。
読んだのはチェーン・ポイズン。
読んでいて「えっ」となって、終盤に前のほうを読み返しまして。。。
こういうことをするのは久しぶりでございました。
本多孝好は、死ぬことについてずっと考えているような作家さんという印象があります。
どの小説も死ぬことと生きることについて書いてある。
どれもそんなに派手ではないのだけれど、自分が生きていることと、自分も自分の周囲の人たちもいずれ死んでいくことについて思いを馳せたくなるような物語。
生きているって事は死んでいないっていう事で、
生きているって事はそういうふうにバランスを取っているって事なんだと思う。
案外どんな人間も、何かのきっかけで簡単に死ぬ方向にバランスを崩してしまうことってあるんじゃなかろうか。
大人だって子供だって、いつでもなにかしら複雑な思いを抱えて生きているものだと思うので。
立て続けに今、WILLという小説を読んでいます。
前に読んだ他の小説の続編だと思う。葬儀屋の女の子のことは覚えている。
小説の冒頭を読んで、「ああ、あなたか。元気でしたか」なんて思ってしまいました。
本多孝好を私にオススメしてくれた人も、元気でやっているんだろうか。
もう6年も7年も前になってしまったことが少し信じられないけれど、あなたは元気でやっていますか。
きっともう部屋の隅で体育座りをして暮らしているようなことはないだろう、と勝手に決めつけています。
週末に近所の桜を見に行って、そんな懐かしいことも思い出したりしました。
振り返ると本当に、随分昔のことなんだなぁってびっくりするわけで。


万城目学の小説も読みました。
「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」。
マドレーヌは猫で、かのこちゃんは小学校1年生の女の子。
万城目学らしい、若干のトンデモ設定ですが、なにぶん主役が猫と女の子なので。
ほのぼのとしたファンタジーになっています。
かのこちゃんがとっても可愛くて、かのこちゃんのお父さんがとっても素敵な人なのです。
こんな風に、うちの猫とも意思が通じていたなら素敵だなあなんて思ったりするのです。
鹿と話したお父さん、というくだりが出てきて「鹿男あをによし」が頭をよぎったのは私だけじゃないはず。
猫の世界の描写もとてもすばらしい。
動物の世間の出来事と、小学校1年生の女の子の世間の出来事がリンクして繋がって、
いくつかの不思議な出来事が(不思議だなんてその場の人たちはまったく気づいていないのだけれど)起こる。
マドレーヌ夫人は放浪の猫であるけれど、かのこちゃんのお家の飼い犬、玄三郎に出会ってそこに腰を落ち着ける。
かのこちゃんにはお父さんとお母さんがいて、すずちゃんがいて、
マドレーヌには玄三郎がいて、猫集会に集う猫の仲間がいる。
そして、マドレーヌにはかのこちゃんがいて、かのこちゃんにはマドレーヌがいる。
この小説は中高生向きのレーベルから出ているようです。
うちの息子達は興味を持って読んでくれるかな。


SL方面の話。
RMKにお店を出しました。
久しぶりのモールでございます。
せっかくカラーのはっきりしているモールなので、現在限定品を出そうと色々ごちゃごちゃしています。
なかなかかわいいのができたよ。
もう少し手を加えて、手直しして、お店に並べられたらいいなあと思います。
RMKのスタッフさん達からは「禍々しい」と評判の波野家ですが(!)、そんなに禍々しいことはないんだ!
と言うことをわかってもらおうと思う。この機会に。ふふん。
もう少し考えて練りこまなければいけないところもありますが、
きっと来週中にはお店に並べられると思います。
来週とかもうGW直前なんだな!早いな!
と、時の流れに若干驚愕しつつ、今日もお仕事に行ってこようと思います。

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カテゴリー: 日記