サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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暴いておやりドルバッキー キラキラ光るキレイごと 2012-04-13

苦悩する若者達に その人は言った
信じていれば夢は必ず叶いますよ
ホラ そんなウマイ事を言うと
しっぽを振ってバッキーが来ちゃうぞ
「やあ、みんな それは理想であって本当じゃないニャー
 叶わぬ夢もあるんじゃないかニャー」
(暴いておやりよドルバッキー/筋肉少女帯)

なんだかとっても若い感じがする今日の1曲ですが、この感じは36歳になった今も持ってたりします。
小学校の校長先生のお話にはこのキレイごとが満載で、聞いていてとってもつらい。
おまけに話が長くて下手なので、入学式も卒業式も、校長の話ってのは軽い拷問の趣があります。
先生なのに話が下手だなんて……と、いつも思ってしまうのです。
先生の仕事は、お話を面白く聞かせることだと思うのだけれどな。
かなわない夢もあるし、信じていても裏切られることはある。
けれども夢をもつことも信じることもしておいたほうがいい経験であることは間違いない。
夢を持たなければ叶うこともないし、信じなければ信じてもらえることもない。
できないかもしれないことを「絶対できますよ」って教えることは、
それこそ信じているものを裏切る行為になるんじゃないのかニャー
ごきげんよう、たいこです。
あっという間に桜が散りました。
八重桜が本気を出し始めました。
これが落ち着いてくると街路樹の垣根にはたくさんのつつじが花を咲かせて、
その頃には子供たちも新しい環境に慣れ始める、、、という感じ。
冬が長く感じるのは、長いこと変わり映えしないからなんじゃなかろうかと思う。
春は来たと思ったら慌ただしく夏に向けて景色をパタパタと変え始めるものー。


新学期につきものの書類の洪水に埋もれかけつつ、なんとか日々生きています。
新学期につきものの家庭訪問もあります。
今年は余裕で迎え入れられるよ!
私自身はまるで変わり映えのしない毎日ですが、今年のGWの勤怠予定を提出せよ。と
会社からいわれて、さてどうしようGW、、、となっております。
今年はどうしようGW!
みたいな話で。
誰か私と一緒に観光しませんか。
もれなく3人の子供がついてきます。
GWみたいな時期に出かけるのは好きじゃないんだけれど、学校に通う子供たちがいればそうも言っていられない。
そしてそういう人達で溢れかえるのが、GWの観光地なのでしょう。致し方なし。


私の願望や望みは私の内の中に閉じている。
私は世の中の大きな出来事や動きにあまり関心がない。
それは私にはどうすることもできない出来事だから。
私は私の力や存在で、変化する可能性のある物事にしか興味がない。
それはすなわち個人対個人の話で、個人のもつ地の力みたいな感じ。
ポーンと飛躍するために必要な地の力みたいなもの。
自分にはどのくらいの力があるのかは、私にはわからないのだけれど。
誰かのそういう力を充実させることに興味があるんだと思ったりしました。
神は自分の中にいる。それはとってもよくわかる。
私は私の中の神に従って生きていて、世の中とうまいこと折り合いをつけている。
ただ、その折り合いをつけるべき、世の中とうまいこと渡り合っていくべき部分が非常に薄い。
自分でも呆れるくらいの薄さである。36歳なのに。
できるだけそういう部分から逃げているし、接点も極力減らしているからそうなるんだと思う。
大人なのにー!
歳とればとるだけ苦手なところから背を向ける力が強く働いている気がします。
人と接触することはとても怖いことなので、出来れば対個人で接したいと思う。
たくさんの人を相手にするなんて私のキャパを超え過ぎる。
なんだかいろんなことを考えた昨日の夜でした。
自分が死んだずっとずっとあとにまで、自分の名前や存在が残るなんてことは考えない。
ただ、自分の存在や行動が、誰かの人生に色濃く影響する、それがその次の世代に受け継がれる
ということにはすごく関心があるんだなあ。と思った次第。
自分のちからでどうにもならないことは考えると切なくなるので。
ということは、自分の中にそういう事がしたいっていう気持ちがあることに他ならないんだよなあ。
影響は表に出るものでなくてよくて、それこそ本人すら気づかないようなところに、
私と関わった爪あとが残ればいいやと思う。
おそらくこれは、私の子供たちに対することで、間違いなく彼らの中には私の存在が深く深く影響している。
そう考えると、私の願望って叶ってる。半分。
血縁のない誰かとそういう影響を与えあいたい、というのが私の今の一番の関心なんだろなー。


最近「俺は本当にバカですね」と思うことがしばしばなのですが、
思ったり考えたりしたことを、うまく言葉にする力が乏しい。困ったものです。
そして、こうして色々考えていることのほとんどが、外からの投げかけに対する反応である、
ということに考えが至ったりして。ちょっと自分に嫌気が差したり。
悪いことじゃないとは思うんだけれど、あるはずの芯に触れない自分の指先っていう感じで
非常にもどかしいのです。

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