サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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君の部屋に僕一人居てもいいかい 朝を待つのがこわいから 2012-04-26

人ごみにかくれて 肩をすぼめて
自分を見つめた時
過ぎ去った夢がくずれ落ちる
長い夜が終わる
(シンシア/吉田拓郎)

今年は自治会の色々な当番を仰せつかっている私です。
管理人がいない住宅なので、住民がやることがたくさんあるのです。
非常にメンドクサイ……!
私はご近所付き合いのようなものが非常に苦手なうえ、
ご近所の方の興味が尽きないような家庭環境にいるので尚更苦手です。
しかし、順番で回ってくるものは仕方ない。
そう腹をくくって今年1年はなんとかがんばろうと思う。。。
今日は防火に関する勉強会でございました。
消防署の人が来て、火事を防ぐためのあれこれを教えてくれるのです。
私などは単純なので、すぐに我が家の火の元に不安を覚える始末。
ちょっとした映画を見たのですが、危機一髪!みたいな場面で集まった人たちが、
まるでテレビのガヤのように「ああっ」とか「おおっ」とか言っていたのが印象的。
年配の方の多いところなので、下手したら私が最年少くらいの会合なのです。
タコ足配線をするな、と、よく言われますが。
半世紀ほどもまえに建てられたこの住宅で、
タコ足配線することなしに家電をすべて動かせる家庭があるとは思えないんだ……!
だってコンセント、1部屋に2口しかついてない。
台所にいたっては換気扇用の1個だけなのだ。おかしいだろw
しかしタコ足をする以上、コンセント部分のホコリと、
プラグの劣化っぷりだけは確認しておいたほうがいいよねって改めて思った次第。
火事は怖いものね!(この辺がちょー単純)
ごきげんよう、たいこです。
荻原規子の「白鳥異伝」を読了。
読み始めたのは月曜日。上下巻なので、久しぶりの異例の速さでの読了となりました。
やー、、、面白い。途中でやめられなくなって、実は上巻の後半と下巻は今日1日で読みきってしまいました。
おかげで今日が水曜日だということをすっかり忘れ、オムライズの営業もすっかり忘れ。。。ぎゃふん。
忘れついでにファンタジーフェアに再び乗り込んできました。
今年のファンタジーフェアはすごい!会場がすごく凝った作りになってる。
そのうえあまりお店がぎゅーぎゅーとしていないので、言うほど重たい思いはしなくても回れると思います。
SIMごとにテーマにそって作り上げられた会場は、買い物しなくても楽しめます。
本当はお家とかエクステリア類が欲しくてたまらなかったのだけれど、
桜もそろそろ飽きてきたので、GW前後をめどにSIMの衣替えをしたいのです。
なかなかいい案が浮かばないので、この勢いでファンタジーなSIMになってしまうかもしれない。
ファンタジーフェアと、すげーよくできたファンタジー小説を読んだからに違いない。
白鳥異伝の主人公は、巫女になるさだめを持ったある特殊な女の子。
この主人公「遠子」のキャラクターがすごくよい。まっすぐで含むところもなく、
自分の心に従ってきちんと行動の出来る人。
彼女のまっつぐっぷりは読んでいて本当に清々しい気分にさせられます。
望む未来がある。その未来に向かって一直線で進んでいく。
進んでいく過程で色々な経験をして、少しずつ大人になる遠子。
自分の心に嘘をつかない事って、実はすごく大変なことなんだと思う。
人の顔色ばかりを気にしないでいられるような人になりたいものです。


今日は深く深く思ったことがあったのだけれど、綺麗にスコーンと抜けてしまっている。むぅ。
本当に頭の中にUSBメモリでもあったらいいのにー!と、最近よく思います。
そんなわけで、今日はそろそろ寝ようと思う。
明日もまた、楽しく遊べますように。

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カテゴリー: 日記

スウィーツ 二人は 甘さの中へ とろけよう 泳ごう 2012-04-24

輝けよ シュークリーム
積みあげろ ミルフィーユ
僕らは 生きたよね 泣いたし 笑った
やがて夜が あけるころに
別れていけ 消えるならば
せめて今は 最後ならば
(SWEETS/特撮)

久しぶりの会社飲み会でした。送別会でした。
ものすごく長いこと勤めた人で、我が社のいい時代を生きてきた人で。
そんなわけで、いい時代特有のおおらかオーラ満載のおじいちゃんでございました。
送別会参加者ひとりひとりのついての思い出のような物を語ってくれたのですが、
途中から思い出じゃなくて単なる感想になっていってしまい、
その感想が歯に衣着せない感じハンパなく。終始笑いの絶えない送別会になりました。
悪乗り上等な人たちの集まる部署らしい送別会だったと思います。
おじいちゃん、お疲れ様でございました。と、ここで言っても仕方がないけれど言っておこう。
ごきげんよう、たいこです。
普段飲まないお酒をかなりのペースで飲み、ずっと笑いっぱなしだったりした結果、
ありえないくらい疲れてしまいました。
っていうかまだお酒残ってる……。
私は酔っ払っていい気分になる感覚がイマイチわからないのですが、久しぶりに飲むパッソアは美味しかったのだ。
ビールもなまびぃるだったので普通に飲めた。よかった。
今はぬるま湯が非常に美味しいです。はぁ。


私は、八方塞がりとか四面楚歌っていう言葉を信じない。
生きていて「こりゃ大変だ」というピンチはいくらでも訪れると思うのだけれど、
それでも逃げ道は必ずあると思う。
もう少し進めて考えてみると、人生には良い時、悪い時っていう考え方をするべきじゃないんじゃないかとも思う。
自分で「今はいい時だ」と思っていても、違う側面から見たら意外なところに落とし穴があるかもしれないし。
「喜びとは溶けて落ちる悲しみの上に揺れる炎」って歌ったのはユーミンですが、
幸せだー!と感じるのは、なんだろう瞬間的なものだと思うのです。
時間はいつでも平等に流れていて、この世のものはすべて、自身のペースでその時を消費しているわけです。
いい時ってのは、そのすべての形がちょうど自分に合った、というようなものではなかろうかと。
そう考えると、悪い時とか良い時って自分の解釈の仕方一つなんではないかなぁと。
生きている時間の、どのタイミングにだって落とし穴もハネる道筋もあるんじゃなかろうか。
ということは、幸せな状態に酔っていればいつか必ずそこから叩き落されるってことでしょう。
「今は悪い時だなぁ」とか「自分はツイてないなぁ」とか「はぁ、しんどいなぁ」なんて思ってる時でも、
案外目の前に抜け道はあるんだと思う。
「ここが抜け道か」とか、「ここが落とし穴だな」というようなことは、自分自身が少し冷静になっていないとうまく見極めがつかないものだと思う。
浮かれていても落ち込んでしまっていてもだめ、ということ。
特に生きているのがしんどい時、人の視界ってものすごく狭くなっているのだと思うのです。
視界を広げれば打つ手が見えてくるのだけれど、落ち込んでいる時はそういう余裕がなくなる。
そういう時、少しでも視界を広げるきっかけを作ってあげられたらいいなあ。と私は思う。
視界が狭くなっている人に、それを悟らせるのはすごく大変なことのように思えます。
そういう時はたいてい、人の意見を聞くだけの余力が残っていないものだとも思うので。
そこで悟るきっかけくらいになれたらいいなぁと思うのです。
自分を客観視することは、きちんと生きていくためには必要不可欠なことだと思う。
客観視しながら、今目の前にあることにのめり込めるバランス感覚があると、生きるのは楽しいかもしれない。
まあ、なかなかそこまでうまいこといかないものですが。
困った時、つらい時、よくわからなくなっちゃった時に、
そのこんがらがった糸みたいな思考回路を整理整頓して、視界をクリアにするツールのひとつが、
私は占いなんじゃないかなと思う。
親身になることと感情移入してしまうことは違う。
同調してしまうことがあっても、それは感情移入とは少し違うものだとも思う。
私はそういう感じのひとになりたいなと思うのです。


上記は、昨日もらった宿題への、今時点での私の回答。
きっとこういう風に思っているからこそ、西洋占星術を学ぼうって思ったんだとも思った。
生きている時に、いいも悪いもない。それは解釈ひとつでいかようにもなる。
ただ、その解釈をいいほうへ転がすのは、その人本人の強さみたいなものにかかってくるのかもしれない。
書いていてなんだかよくわからなくなってきたけれど、
私はそんなことを思いながら今、勉強をしています。
あまりに複雑で、うまいこと頭の中に入ってくれずに四苦八苦しているんだけどもね!

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カテゴリー: 日記

生まれたところや皮膚や眼の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう 2012-04-23

運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい
こんなはずじゃなかっただろ 歴史が僕を問い詰める
眩しいほど青い空の真下で
(青空/ザ・ブルーハーツ)

青い空、青い春。
ブルーハーツの曲はまっすぐでわかりやすくて、だから不意にガっと心の柔らかいところをやられたりする。
実は若いころにブルーハーツを通らずに過ごしてしまい、(アルバム1枚しか持ってなかった)
いい大人になってから、ひどく落ち込んでいた日々に色々な曲を聞いたバンドのひとつです。
繰り返し繰り返し聞いていて、子供がまっさきに覚えるのもブルーハーツの曲だったりします。
覚えやすい。メロディも、歌詞も。
青空はその当時、子供3人でよく合唱していました。家の中で。
きっと彼らはあの頃、この歌詞の意味なんてわかっていなかったと思うのだけれどね。
何年か経った最近では、同じように親からブルーハーツを知ったお友達に影響されて、
あいぽっどにブルーハーツを入れてくれとせがむようになりました。
私にとっての彼らのブルーハーツはユーミンで、今もユーミンの呪縛からは解き放たれていない私。
きっとブルーハーツもそうなるのだろうし、大きくなった時に「ああ、この歌詞はこういう意味かー」って
わかるんだと思う。私がそうだったように。
ごきげんよう、たいこです。
週末たんびに天気が悪い気がします。今週末はとっても寒い。むぅ。
なんだかんだでブログ書けなくて、このままだと頭がばかになってしまう!
お風呂に入っている時や、お料理をしている時、洗い物をしている時の思考回路がいつ何時でも出来ればいいのに。
たいていいろんなことを考えて、思い浮かんでは消えていく。夢みたい。


前回は紀子の食卓の話を書いたんだった。
あのあと、「余命」というタイトルだけで内容の想像が出来てしまうような映画を観ました。
想像通りの映画でありました。
乳がん経験のある38歳、結婚10年目の医師が妊娠するところから話は始まる。
妊娠発覚と同時に乳がんの再発を知る彼女。
なまじ医者なだけに、この再発が治らないものだということもわかってしまう。
子供を諦めても、自分の寿命は延びるけれどガンは治らない。
子供を産んだら、自分の寿命は縮まるけれど子供をこの世に残すことが出来る。
何より自分の夫は世界で一番大好きな夫である。(この辺が羨ましい)
夫はカメラマン。仕事があるんだかないんだかわかんないような暮らし。
夫にはこのことは言えない。だったら誰にも言えない!
みたいな感じで、一人孤独に苦しみ続ける主人公。
うむ。
綺麗すぎる。
綺麗すぎるけれど、やっぱり泣いてしまう。
何度でもいうけれど、泣ける映画がイコールいい映画では決してない。
観客を泣かせるのは一番簡単なのだ。一番難しいのは笑わせることだ。
この映画の解せないところひとつ。
主人公の死を描かなかったこと。
そこまで死を覚悟して、苦しみ続けて戦い続けた主人公の最後は、ぼやかされる。
それは、ない方が綺麗な話なのかもしれないのだけれど、ガンってそんなに綺麗な病気ではないと思う。
リアルじゃないからダメだ、ということが言いたいのではなく。
家族をガンで亡くす人って、きっとたくさんたくさんいると思うのです。
キレイゴトではないと知っている人がたくさんいて、それでもキレイゴトにしてしまうのはなんだかなぁ。
と、感じてしまうわけで。
私の見方がひねくれているだけのような気がしてきた。
とりあえず、ガンで死ぬことについて私が「ああ、これはとても真摯に取り組んで描いているなあ」と思ったのは、
重松清の「その日のまえに」。
ちょうど家族がガン宣告を受けたタイミングで読んでしまって、非常に気持が乱れましたが、
ガンによって家族を置き去りにして死にゆかざるをえない人、残された家族のことがきちんと描かれていると感じました。
ガンは憎むべき病気です。
死ぬまでにじわじわと、すっごく苦しい思いをしなければいけないなんて想像するだけで怖い。
しかし、余命を宣告されるということは、死ぬ準備をする期間があるということでもあります。
私達は普段、自分たちが死ぬっていうことを考えないで生きている。
けれどみんな必ずいずれ死ぬし、それがいつ訪れるか誰も知らない。
死ぬことは絶対に嫌なことだけれど、避けられる事ではない。
死ぬ準備が出来るという点だけは、いいかなあと思ったりもするのでした。
それでも、やっぱり自分がガン告知されたら受け入れるまでにすごく時間がかかると思うのだけれど。


小説の話。
湊かなえ「少女」を読みました。
「告白」から比べると、なんという青春!という小説でした。
子を持つ母の身として、告白の主人公には非常に共感するところがありました。
あの物語は非常に重たいものだったけれど、実はラストのシーンですっきりした自分もいました。
今回の小説、感想を一言でいうなら「リアルねー」っていう感じ。
高校生の女の子が3人。三人三様に、重たい傷を抱えている。
学校裏サイト、私が学校に通っていた頃にはなかったものです。が、
こういうものがあるせいで、今のいじめって昔に比べてもっとずっと陰湿に深刻になっている気がする。
ネットの匿名性と実際の学校がくっついているのだから。
今の子は本当に、生きるのが大変だなぁ。
人の死を見たい!!という願望にかける夏休みのお話。
その夏休みの間に、彼女らはそれぞれに自分の傷を自分で乗り越えて、少し強くなる。
傷ついて辛くて大変な時って、自分の傷で頭がいっぱいで他の人や周りの景色を観る余裕がない。
けれど、ふと周りを見渡せばみんなそれなりに傷を抱えていたり、乗り越えていたりするし、
自分に向けて助けてくれようとする手だってたくさん伸びているものだったりします。
そういうふうに気づく人の手や助けほどありがたいと思うことはありません。
人に感謝をすることと、他人の痛みに敏感になることは、結果的に自分を楽にすることだよね。
なんてことを再確認したり。
なかなかさわやかな読後感でしたので、割りとオススメです。


イベントが目白押しなSL方面。
5月1日から始まるイベントに向けて、ちょこっと頑張ってみました。
洋服を作ろうとして思ったこと。
私やっぱり洋服には無頓着!
どうしてもRL反映させないとうまいこといかないようで、結局作るものはエスニックテイストになりそうです。
仕方ない。持ってる服のほとんどがエスニックなんだから。
買うと作るじゃ大違いだなぁと実感する次第。
お洋服作りたい!という気持ちをイベントが後押しする感じで動いておりますが、
ちょっとずつ趣味のお洋服コーナーが増やせたらいいなと思います。
お店にLBを置いてみてわかったこと。
みんなすごく頑張ってもらってるのね。。
最初15分間隔で回していたのだけれど、申し訳なさに耐え切れなくなって半分の8分に変更しました。
若干もらいやすくなってると思うので、諦めていた人は是非この機会に。
なんというか、こういう事をするのは初めてなもので、ちょっとした感動を味わっております。よ。
今までもそんなに手を抜くって事はなかったけれど(なにぶん自分でも気に入らないものは着たくないわけで)、
色々と手抜けないなこりゃ。。。と思ったりしました。


私の好きな人があなたの嫌いな人であっても、それは関係がない。
昔から繰り返し繰り返し思っているし言っていること。
それから、世の中には、「好き」と「嫌い」の2種類しかないわけではない。
一番多いのは、「どうでもいい」だと思う。
ちなみに私は、食にあまりこだわりがないので、「これが好き!」という食べ物があまりありません。
どれもこれも「割と好き」どまりです。もしくは「あんまり好きじゃない」。
そんな私もこれだけは食べられないというものがある。オートミール。
あいつだけは食べられない。後のものは嫌いであっても、食べられないことはない。
今年も滑り込みで、GWに旅行の計画を立てました。
いつだってギリギリ。もちっと早くから計画すれば宿だって選び放題なのに。
今年は開き直って、GW合間の平日に2泊3日です。
相変わらずの家族旅行で大人数での旅行ですが、こういう旅行を年に1回することはきっといい思い出になると思う。
中学2年の長男は、まだまだ家族旅行に喜んでついてきてくれます。
いつになったら「やだよめんどくさい」って言い始めるんだろう。。。
そう遠くない未来な気もするので、毎年毎年のこういう行事は大切にしていこうと思うのです。

生まれたところや皮膚や眼の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう はコメントを受け付けていません
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