サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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子供じみていると捨ててしまわないで 2012-03-05

私のプレゼント もう目をあけていいわ
ときめくパノラマの 東京タワー
愛したらなんでも手に入る気がする
今は世界中が箱庭みたい
(手のひらの東京タワー/松任谷由実)

東京タワーが好きです。
売店が好きです。
蝋人形館が好きです。
蝋人形館を出るといきなり趣旨不明の売店に出るところが好きです。
密かに雷魚の聖地とか呼ばれてるあたりが好きです。
密かにジャーマン・ロックの聖地と呼ばれてるあたりが好きです。
東京の象徴(なのかしら、今も)なのに、入ってるものがどうしようもなくマイナーな感じが好きです。
週末に行くと猿まわししてたりします。
水族館の最後には池があって鯉がいます。
ほとんどの魚が地味だったりします。
昔は魚のいくつかに値札もついてました。
そんな感じが本当に好きです。東京タワー。
ごきげんよう、たいこです。
見事に何もしないまま週末が終わりました。
なにげに4連休だったんですけれどもね。。。
ぼけっとしてるとこんなにあっという間に過ぎるのか、4日間。
という感じの4日間でした。
土曜日はホラーナイトのミーティングがあったりで、寝るのが明け方に。
ミーティングのあとでブログ更新したりするからそうなる。
しかし今回のホラーナイトは、なかなか斬新な感じになるような気がします。
うまくいくといいなあ。
メンバーの中に、ホラー好きがいてゲーム好きがいる。
雑談がわきに逸れることも多いミーティングですが、その雑談から何かが生まれることも否めないという。。。
そんなこんなで日曜日は、起きたら13時でした。
「お母さん起きないの?1時だよ?」
とか子供たちに言われてびっくりした日曜日。
1日の半分を無駄にした気がします。。。


無駄にしたついでに映画を観ました。
ニライカナイからの手紙。
映画の出来栄えは置いておいて、私はこの映画の内容とかストーリーを全く知らずに観たわけです。
楽天レンタルは予約リストに入れた作品を在庫のある順番にお届けしてくれるサービスなのですが、
ニライカナイからの手紙はリストに入れたのが1年以上前。
なぜこの映画を観ようと思ったのかすら定かではない1年以上前の記憶。
ニライカナイという言葉からうっすらと予想はしていたのだけれど、
そして映画自体もそのまんまの映画なのだけれど、
油断しすぎて観ていました。号泣。
よく、「泣ける映画!」みたいな宣伝文句を見かけますけれど、私は泣けるからと言っていい映画だとは思わない。
「爆笑する映画!」のほうが、よっぽどいい映画である確率が高いと思っています。
人を泣かせるより、人を笑わせることのほうがずっと難しいから。
で、ニライカナイからの手紙。
作品としてどうだったのかというと、レンタルで観るにはいい映画なんでないの?という印象。
ただただ、蒼井優が可愛かった。
冒頭の子供時代のシーンは、子どもに演技力が期待できないのなら入れるべきじゃない!絶対!
とは思いました。
子どもに対する演出が非常にいい加減だった印象は否めません。。。
まあすぐ子供時代終わっちゃうからいいっちゃいいのかもしれない。
物語が架橋に入った頃に私の涙腺は大崩壊をいたします。
親子とか兄弟とかそういうものに大変弱いのです。
恋愛物ではそう泣かなくても、家族が出てくるとすぐに泣いてしまう。
「あらまあそういうことだったの・・・!」ってなるべきところなのだけれど、
物語の途中でその結末は想定内だよね。という。
そもそも映画のタイトルがそういうタイトルだよね、という。
それがいいのか悪いのかはわかりませんが、なんとなく「それは主人公を騙し続けるにしても無理がある」
と思ってしまった時点で残念な感じは否めなく。
物語は、どうしたって作ってる側の思うようには運んでくれないものです。
物語は、その登場人物が作者の言うことを聞かなくなるくらいでないと面白くならない。
そこを強引に言うこと聞かせようとしてる……という感じが最初から最後までついてまわりました。
それは、ところどころで不自然さが見えてしまうということなのです。
お話として説得力がなくなるのです。
それは、とても残念だなぁと観ていて思ってしまうのです。
まあ、蒼井優が可愛かったからいいや。


ひとりでいることはとても平和なこと。そして、すごく退屈なこと。
浅いところの会話でわぁわぁと大勢で盛り上がって笑いあう、みたいなことが年々しづらくなっています。
歳のせいなのか、これ。
もともとじっくり腰を落ち着けて話すほうが好きなので、少人数での関わりが楽なのです。が。
知らない人がいっぱいのところで、あちこちに気を使いながら……というのが億劫で仕方がないです。
気を使い切れていないっていう話もある。ぎゃふん。
ある程度気心が知れていても、やっぱり怖いものがある大人数でのコミュニケーション。
数年前まではわぁわぁモードとそうじゃないモードって切り替えができたのだけれど、
いつの間にそれができなくなったの?と、愕然としてみたり、なんだり。
いつの間にこんなに団体活動苦手になったんだと、これは退化してるってことなのかと、
そんなことをうっすら考えたり思ったり。
ただただ、自分は不器用だなぁと思う日々でございます。
人との距離ってみんなどうやってはかってるの?って、本気で思う今日この頃。
私が受身なのは、私が受身でなくなるとその距離感がまったくわからなくて
やりすぎてしまうことが想像できるから。
そういうものは相手に委ねてしまいたいと思うのは、自分がいい塩梅を知らないから。
きっとこれはずるいことなんだと思います。
でも、加減をしらない自分のこの感じは、なんか今更直らない気もするんだよねえ。。。
こんな私が社交的だとか、ありえないありえない。
ただ、たまにそういうふうに見られることにも自分では不思議に思ったり。
自分ではわからない自分のことって沢山あるとは思うのだけれど、
そういうことも人と関わらなければ発見できないことだったりで。
自分がこのままで生きていていいのかという不安は、年々強くなっていて、
それでもなんとなく日常を食いつぶしてしまっていることは非常にあれだ。強い。
平和でありつつ、退屈でもないなんてことはありえない。
そういうことを頭の中にもう一度叩きこんでおく必要があるんだな。きっと。

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カテゴリー: 日記

では愛とやらを見た者はあるのか? 2012-03-04

虫食う花のよう 甘い香りで釣って
罪受け入れろと 囁くよ
愛はレセプター
(レセプター(受容体)/筋肉少女帯)

愛ってなんでしょう。難しいね!
受容体ってなんですか!外からの刺激を受け取って、それを情報として伝えるためにある体の中にある仕組み/細胞のこと。らしいです。世の中には知らないことがいっぱいです。私は知らなかったよ。
愛といえば、そういうものを実感する行事に参加してきました。
次男の謝恩会。
今月小学校を卒業して中学校に入学する次男には、この時期こういうものを実感する行事が満載です。
謝恩会、実は去年の長男の時は、長男が謝恩会のお知らせ自体を持ってくるのを忘れていたため、
私は知らない間に欠席というすごい事態になっておりました。
帰宅したらケーキと赤飯が置いてあって「なにこれ?」ってなったのです。
なもんで2人目にしてはじめての謝恩会。
なんだろう、すごいものだなーと思いました。
当事者以外にはなんの感動も呼び起こさない催し。
でもがっつり当事者の保護者や教師からすると、こういう行事って凄まじいなあって思ったのです。
本当の当事者の子供たちには、あまりそういう実感はないのだと思う。
彼らは日々成長していて、それが自分の等身大の目線だから。
小学校1年生と小学校6年生って、まるで違うんだよね。成長の度合いがハンパない。
親も教師も日々子供たちと関わっているから、日常的には実感しないのだけれど、
実は6年間の年月でこんだけ大きくしっかりしたのですよ、っていう事をお披露目されると、
ああ、、、よくここまで育ってくれた。ってしみじみするわけです。
それは学芸会や運動会でも感じたりして、私は運動会も学芸会もちょっと泣きながら眺めるのがデフォなのですが
それをまとめてひっくるめてお披露目するっていう演出は、なんだか学校ならではだなぁと感じました。
子供たちが私達に披露してくれたのは、劇。
小学校生活を振り返るという内容のもので、今は他の学校に転任してしまった過去の担任の先生や専科の先生の挨拶も劇の中に織り込みつつ、本当に色々振り返るようなものになっていました。
劇のベースが去年の学芸会でやった劇だったっていうのも、なんだか素敵だったのです。
目立ちたがりの次男は何をやるんだろうなと思ってみていたら、なんとメインの司会。
そういえば司会の候補が何人かいて……なんて話をしていたなぁなんて思いながら彼の奮闘っぷりを眺めていたら、やっぱりうるうる来てしまいまして。
なんだか去年の長男の謝恩会に出られなかったことを、今になって残念に思ったりしたのでした。
しかし学校行事でいつも思うこと。校長の話は長い。
そしてなんであんなに綺麗事しか言わないんだろう。
その話は生徒にとって、毒にも薬にもならないっていう事。
なのにそんなに長く話さなくていいじゃない。って、思っているのは私だけなんだろうか。
世の校長先生みんながそういうわけじゃないのもわかってる。
うちの学校だけかもしれない。そうじゃないかもしれない。
なんだか圧倒的に大人目線で子ども達に何かを語っている図は、
「あー。ずれてるなー」という感想以外何も浮かばないのでした。
生徒の代表がマイクを通して、「先生とお父さん・お母さんのおかげでこれだけ大きくなりました。感謝しています」っていうのも、なんだか好きじゃないなぁっていう発見もしました。
それは代表して言うような類のものではないと思ったのだな。きっと。
それは、生徒ひとりひとりが個人的に、お世話になった先生や両親に対して思ったり伝えたりするんで充分なんではなかろうか。。。
ごきげんよう、たいこです。
そんなわけで、行事いっぱいでお金も羽が生えたように飛んで行くこの季節。
まだまだお金がかかります。
次は卒業式。その次は入学式。
まだ通学カバンを買っていません。
ノートや文房具も買わねばなりません。
制服の採寸時に、学ランを試着した次男が若干照れつつニヤニヤしていたのがとても可愛かった。
これは去年の長男の時にも思った。
学ランなんぞ、GWの頃には当たり前の服になってしまうのだけれど。
でもそれでも、最初のあのドキドキワクワク感は私にも覚えがあって、なかなか微笑ましい。
学生時代は4月になれば何かが変わるわくわくがあって、社会人になってしまえばそう変わることってないのだけれども、あの時のわくわく感は未だに刷り込まれていて、だからきっと私はこの季節になるとわくわくしてしまうんだろうなぁ、なんて思ったりしました。
いいなあ、春。大好きだ。
私自身は何も変わることのないこの春ですが、3月にはお誕生日があります。
これまで子供たちに積極的に祝ってもらったのは1回。
それも、
「おかあさーん、お母さんの誕生日プレゼント買うからお金ちょうだい!」
という、大変面白い感じの祝われ方でした。
今年は曲がりなりにも中学生と中学生なりかけの子が混ざっているのだから、
もう少し感動するような祝われ方がしたいものだと思っているのだけれど、さてどうなることか。
先回りして「今月はお母さんの誕生日だよ」って予告してみたwwwww
だって祝われたいんだもん!
誕生日が来る=としをとる だから、誕生日なんてヤダ!みたいな話を聞くこともありますが。
誕生日はいくつになったってめでたいものなのです。
としをとる日ではなく、私がこの世に生を受けた日なのです。
それまで何もなかったものがいきなり出現した日なのだから、これはもうとんでもない記念日なんだと私は思う。
その人の存在そのものをお祝いするということなのだから。
なのでいくつになったって、誕生日はおめでとうだし、おめでとうと言われたら満面の笑みで「ありがとう」って言うべきなのだ。
昔の暦の考え方だと、としをとるのはお正月で、お誕生日っていう概念はあんまりなかったんだそうな。
昔の暦は今の暦よりももっと可動性のあるものだったんだそうです。
なんで私は誕生日の話をしているんだろう。3月だからだ。
もうひとつ3月ならではの話題。
開けてしまったのでもう終わりましたが、ひな祭りでした。
我が家の末っ子は女の子なので、本来は3月にもお雛様を出すべきなのですが、、、
我が家のお雛様は7段飾りのお内裏とお雛だけ。
残りの人形や段飾り用の段は、実家にまるっと置いてあります。
そしてこの雛人形、私のものです。
出すのが大変なんです。置き場所もないんです。
娘には申し訳ないと思いつつ、ひな祭りで雛人形を出したのは1度きりだったり。
出してあげたいんだけどなー。。。まあ、まだ当分無理そう。
SLではRLの分も含めて!っていう感じでお雛様つくりました。
ちょこちょこと買ってくださる方もいて、嬉しい限りです。
あれも明日には片付けないといかんなぁ。
長く飾ればかざっただけ結婚が遅くなる!というのはタダの迷信なのだけれど、
それでもやっぱり気になってしまうところ。
だって再婚したいんだもの!
相手がいないんだもの!
そろそろ花粉も本格的に飛び始め(私は花粉症持ってないので実感がない)
梅もパラパラと咲き始める頃。
寒かったりなんだりで気温が安定しないのも春ならではですが、
今日は非常に個人に偏った記事になった。
まあ、こういう日があってもいいんじゃないかなって思いつつ、この辺で。

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カテゴリー: 日記

空想できたかい?5年後の世界 2012-03-01

きらめく本当の残像を かすんだ光の導線を
探し続ける そのために今、集結、点呼を
1、2、3、4 5年後世界
1、2、3、4 5年後世界
お前は持ち場に戻るんだ
アレゴライズ ランダマイズ
お前は 出来るさ 僕らは やれるさ
誰かが 待ってる 5年前 5年後
世界は…
(5年後の世界/特撮)

この曲を聞くとテンションがあがります。わりと単純です。
さて。
今日の雪はびっくりしました。
昼間なのにどんどん積もっていくさまとか、
昼前なのにすでに雪かきに励むオフィス街の人たちとか。
帰る頃にはその雪が綺麗に書き分けられていたのも見事。
明日は自転車乗れないかなーって思っていたけれど、この分だと普通に自転車通勤できそうです。
よかったよかった。
歩くには遠い、自転車で10分という職場までの距離は、このように自転車が使えなくなるととっても厄介。
家の前から出ているバスに乗れば会社まで辿りつけるのだけれど、バスに乗るより自転車で行ったほうが早いんだ。
なんというジレンマ。
必然的にバスに乗るのがアホらしくなるので、今日の帰りは徒歩で帰ってきました。
散歩がてら、というには寒すぎましたが。
「おおそうだ私はワンピースの上に羽織るストールを買わねばならない」
と、歩きながら思い出したので、近所のショッピングモールへ寄り道。
コムサイズムのお姉さんに「こんなんでいいと思いますよ」と勧められるままに買ったケープコート。
ほんとにこれ着たまま体育館でやり過ごせるんだろうか。謝恩会。っていうかこれコートじゃないの?
まあでも、そんなに長い時間でもないので言われた通りの格好をしていこうと思う。
ワンピースよりコートのほうがずっと高いよ!っていうお値段でしたが、なぜかお財布の中に商品券が沢山入っていたので、商品券でお買い上げしたのでした。
商品券って、本当に気が大きくなる代物ですね。
ワンピースの下に着るつもりのパンツは、なんとヨガパンツ。
いいんだ。そこまで誰も見てないから。ふふん。
あとは実家からパールのネックレスを拝借してくるだけで、卒業・入学式の準備は整います。
入学式は非常にシンプルなブラックフォーマル。入学式だけどブラックフォーマル。
おてあじゅえるが素敵なコサージュを作ってくれたのです。感謝感謝なのです。
それをくっつけて華やかに参加してこようと思います。
言っても入学・卒業の主役は子供たちなので。
私は隅っこのほうで目立たないように地味にしていればそれでよいのだ。
この、目立たないように地味にするっていうことがとても難しいと感じる昨今。
普段の出で立ちがいろんな意味で人目を引いてしまうので、
周囲に馴染むとかいうことをあまり考えなくなっています。
それでも最近エスニック着てる人の割合は多くなってきたので、言うほど目立ってないと思う。
多分。。。
本当は着物着て行きたいんですけれど、着物は着付けしたり着る前に色々お手入れしたりなんだり、
さらに着物自体のお値段が張るので着ている間じゅう気が気じゃなかったりでなかなか着る機会に恵まれません。
お値段やすかったりお手入れが楽だといいのになぁ。
という、私にしては大変珍しい着るものの話でございました。
こんなの読んでもちっとも面白くないですね。
ごきげんよう、たいこです。
突然ですが、私はひとりごとが多いです。
地声が大きめなので、たまにひとりごとで周囲の人が振り返ることもあるくらいです。
意識しているひとりごとも多いけれど、無意識に出ているひとりごとも多いみたいです。
で。
ひとりごとを発しているときは、大抵自分の中で頭の中の交通整理をしている時です。
なので仕事場ですと、仕事があれこれ立て込んできた時に多くひとりごとを放ちます。
それは、頭の中で言葉をこねくり回しているより、口に出して発したほうが輪郭がはっきりするから。
というもっともらしい理屈をこねてみます。
実際はただの癖だと思う。
今、私の隣に座っているほんわか天然の同僚女子が、この私のひとりごとにイチイチ反応してくれるわけです。
最近私はその反応に無反応だったりすることがとても多い。
なんだろう、この感じ。
すっごく勝手なのはわかってるんだけど、ひとりごとは結構放っておいてほしいものだったりするのです。
返事を求めて発しているわけではないので、そこで不意に返事が来ると若干うろたえるわけです。
で、これが原因で、私が怒ってるようだとそのほんわか天然同僚女子が悩んでいるようなのです。
困った。すごく困った。
こういう時、どう対処したらいいの。。。
実は、同僚女子がたくさんいるような職場で働いたことがありません。
実は、仕事の上がり時間を示し合わせて一緒に帰ろう!みたいなのもほとんど経験がありません。
実は、今までの会社では「皆でランチ」ってちょっとスペシャルなことでした。
今、これが全部揃った環境にいて、若干の息苦しさを覚えているわけです。
社交性みたいなものが本格的に欠如しはじめてんじゃないの私。。。と、少し考え込んでしまった夕方。
皆で食べるランチは楽しいけれど、ひとりで文庫本片手に黙々と食べる食事も嫌いじゃないのです。
喫茶店でひとりで本を読むための時間、とかをむりくり作って敢行する私からすると、
ひとりランチはそういうことが思う存分出来る素敵なリフレッシュ時間だったりするわけです。
興味のある話題には食いつくし、話すこともできるけれど、
自分に興味がないと、とことん話が右の耳から左の耳へ流れて行ってしまうような人間なのは、
昔から充分把握している事なのですが。
どうでもいいこと、それを面白いと思うか否かみたいなのが合わないといろいろ大変。
そんな時に適当な話題が振れないのは、痛いところだよなぁと思うわけで。
でも一方で、そこまで無理くり会話をしなくてもいいんじゃないかなぁとも思うわけで。
心底思ったことは、いわゆる女子のノリが本当にできないんだな私は。。。という事。
好き嫌いは別にして、そういうノリについていけるかいけないかみたいなところで、
私はどうしてもだめなんだなぁ、としみじみ思っている最近なのでございます。
あのきゃあきゃあした女子らしさを私は一体どこに置いてきてしまったのかw
こりゃー私はきっと一生ほんわかオーラは纏えない、とか思ってしょんぼりしてみたり。
忙しい冬の終わりなのです。


神様のカルテを読了。
映画を観てみたくて、小説我慢していた作品なのですが、
がっつりロードショー見逃してしまったので、もういいかーと買ってきて読みました。
面白かった。
著者は現役のお医者様だそうで。
道理で病院の事、医者の事がリアルなわけだーと納得。
何か事件が起きるわけでもないし、出てくる人たちはどこか浮世離れした人ばかり。
主人公の一止の奥様が非常に可愛らしい。
いいなぁ、こういう夫婦。。。って思ったのは私だけじゃないと思う。
この小説の解説を上橋菜穂子が書いていまして、そこにファンタジーについて触れている箇所が。
その部分にひどく共感したのです。
そしてやっぱり、私はファンタジーがいいなあと思ったのです。
書くにしても、読むにしても。
いや、本編も大変よい小説でした。
何が起きるわけでもないのだけれど、(いや、それなりに色々な出来事は起きるのだけれど)
そういう日常を通じて、揺れている主人公に根が生えるという感じが良かったです。
自分の立ち位置なんて、しっかり立っているつもりでも見失いがちなのです。
だから定期的に「自分ってなんなんだろう」とか「自分はどうしたいんだろう」とか、
そういうことを確認するのはとても大事な事だと思う。
5年後の世界なんてまったく未知の世界だけれど、5年の歳月って35にもなればあっという間にやってくる。
5年後、10年後の自分がどうなっているのかなんて事は、わからないのは前提でも、しっかりイメージしておくことは大切なような気がします。
我が家のファンヒーターがすでに使用不可の一歩手前まで来ていることですら、想定外。
ほんとにこのファンヒーターはもう少しやる気を見せるべきだと思う。

空想できたかい?5年後の世界 はコメントを受け付けていません
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