サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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けれど また蟲だ 人間のバラード 2012-02-17

今度生まれるなら人に生まれたい
人に生まれたらいい子になるんだ
パパとママの腕にあったかくいだかれ
人に生まれりゃ友達できる
気さくな友とおしゃべりできる
人に生まれりゃ恋もできるの
優しい人が抱きしめる
(人間のバラード/大槻ケンヂ)

蟲は嫌だな。。。
という話ではなくて。
この曲には中頃で語りが入ります。
「あなたは本当にがんばったのですね。いつか皆にもわかってもらえますよ。
人間は、そう悪いもんじゃない。もう少し、生きてごらんなさい」
この感じは、危ういものを感じます。
お前が大丈夫か!と言いたくなるような危うさです。
そしてこの危うさに救われた19歳の頃の私が確かにいる。
あれ、この思考は今自分がしてるのと同じじゃねーか?って気づいたんですね。
自分が大変だ大変だって言ってるよりも危ういなこりゃ。と思ったのです。
でもすごくいい曲だと思うよ!
この曲に続くサンフランシスコ10イヤーズアフターとの繋がりっぷりがすごく好きです。
サンフランシスコ10イヤーズアフターを聞く前に、「新興宗教オモイデ教」を読んでいたのですが、
「泣き死んだ」という言葉が強烈に頭の中に残っていまして。
曲中にこの言葉が出てきてドキっとしたりしなかったり。
お気に入りフレーズなんでしょうね。オーケンの。
ごきげんよう、たいこです。
久しぶりに冒頭からの大槻愛。
私は松尾スズキもオーケンもケラも同じ感じで愛しているよ。
同じ感じで好きです。
いいなぁ。好きなことだけやって暮らす中年ライフ。
もちろんつくるものも相当素晴らしいのですけれど。
自分で挑戦していかねばだめなのですね。こういうことは。
俺にはあとわずかばかりの勇気が足りねえ。あと根気も。
才能に関してはそれを語る資格すらないです。はい。


治療中の差し歯がとれました。
正確に言うと、治療をしている間にはめ込んでいる仮歯が取れました。
もう何度目なんだろう……。
原因は寝ている間の歯ぎしりらしいんですが。
昨日の夜にスコーンととれて、今朝きちんとはめ直してもらったばかりなのです。この歯。
なんでもう取れてんの。。。
しかも診察日は明日の夜。
明日の朝行って仮歯直してもらって、その夜また歯医者ってなんだかやるせなくないですか。
しかしこの歯、前歯。
前歯が3本もない顔は、正直誰にも見せたくない。
歯を抜けっぱなしにしておくと幸せが逃げるといいますが、
今こうして歯のない自分の顔を見ていると、その言葉の意味するところが実感としてわかります。
この顔はやばいわ。。。
そんなこんなで、明日どうしようかと絶賛迷い中。
わーんどうしようー。


ファンヒーターのファンあたりの調子が悪いです。
しょっちゅうエラーで止まります。
寒いなあ、と思ってファンヒーターを見ると、14っていう数字が点滅して止まってる。
あと2ヶ月くらいがんばってください。。。
頼みます。。。


波野家の本店を改装しようと躍起になっています。
全然思いつきません。現状に全く満足できていないわけだが、
じゃあどうしようと言われると言葉に詰まる。そんな感じ。
レイアウトとかが上手な人になりたい。すっごい苦手。
とりあえず本店の敷地を広げたところで、妙な達成感に浸っています。
何もしてないよまだ。だめだよ達成感。
あまりにいいかんじにならないので、発作的にSIMを春モードにしてみたくなる。
でもまだ2月。あと1ヶ月はこのまま我慢しよう。
江戸やらよくわからない海外に和風っぽい建物を見に行く。
何も買わずに帰ってくる。
皆どうやって店つくってんのー。
余裕ができてきたので、撮ろう撮ろうと思っていた下着姿のSSを撮りました。
かわいらしい下着なので、なんとなく色っぽい感じを消してとりました。
だからそんなにエロくないよ。
しかしこういう下着をアバターに着せてみて気づく事実。
「俺、かわいい系の下着1個も持ってない!」
SLでもRLでもです。
こんなところから思い出した悲しい記憶を糧に、今日もひとつ頑張っていこうかなと思います。
::c.A.:: Feel at home "Heart"
俺可愛い!俺可愛い!
そんな感じで現実逃避。
やらなきゃいけないあれこれから全力で逃避。
捕まるんですけれどね。それでも!
まあなんにせよ、いつでも他人の幸せを祈ったり喜んだりできるくらいは心に余白を作っておきたです。
なんの話だ。繋がりがない。
そんな感じで、絶賛逃避中のあれこれはひとまず置いて、今日は、寝る!
(結局逃げっぱなし)

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カテゴリー: 日記

それでも生きていかざるをえない! 2012-02-16

おーダメ人間として
生きるおろかさを
あまねくすべての人に伝えたい
そしてダメ人間の王国をつくろう
王様は僕だ 家来は君だ
(踊るダメ人間/筋肉少女帯)

やっぱりここの部分を引用してしまう。
ロボゲイシャが観たい。
ゲイシャがメカニカルってスゴイ面白いと思う。
あの発想が羨ましすぎる。
予告編でワクワクしてから1年がたちますが、未だに予約リストの中にとどまったままです。
早く来ないかな、ロボゲイシャ。
ここ1ヶ月の反動で、読書とか映画のほうに傾いております。
20年弱ぶりにお勉強したいモードにもなっています。
勉強することは嫌いじゃないのだけれど、興味のない事に関しては苦痛でしかない。
思えばHTMLやCSS、JavaScriptのようなウェブページを作るための言葉や、
MSオフィスで使っているVBAみたいなものもお勉強といえばお勉強だった気がします。
考えて作って正解だとパタパタパタっと動く、その感じはたしかに楽しい。
ハマらなければ。ハマると地獄が待っている。
その前に面倒くささが先に立ってしまうんですけれども。
えいやっとその面倒くささを乗り越えた時のちょっとした快感っていうのはあります。
なんつって計算ってすごく苦手なんですけれどもね。
こんな人間がよくプログラムもどきを書いていると思う。
表計算なんてやってるもんだと思う。
向かないけど嫌いじゃない、楽しいってところだけで成り立っている気がする。
で、小説のお話。
RDG2を読みました。荻原規子著。
レッドデータガール、絶滅危惧少女みたいな意味合いの小説。
このお話はファンタジーです。日本のファンタジー。
異世界とかそういうものは一切出て来ません。
出てくるのは、神霊、陰陽師、山伏などなど。
舞台は現代日本。
1冊目はこの長い物語を語る上でのプロローグ的なものだったんだなぁと2を読んで思いました。
2冊目からはがっつり学園ものです。
全寮制の高校で山伏やら陰陽師が大活躍して、神霊やら式神やらが大暴れ。
物語の全容は、読者にもまったくわからないので、続きが読みたくて仕方がないです。
基本文庫しか買わないので、文庫待ちをしてうずうずするシリーズになりつつあります。
この文庫待ちの時間って、すごく自制心が必要だと思う。
すでに読みたくてたまらない続きはハードカバーで出てる。
その先のお話は手を伸ばせばそこにある。
でもハードカバーは後でしまうのが大変。
最初が文庫だから揃えた時にバラバラになる。それは嫌!
そんなこんなで、今日もAmazonで3~5までの商品情報を眺めてはため息をついているわけです。
ああ、ほしい。
どうせなら1からハードカバーでほしい。
という物欲と闘いつつ。自制心自制心。
この方は他にも有名なシリーズがあるようなので、そっちから手出そうかな、と思っております。
ここのところ積ん読も増えてきているので、そっちも消化していかねばならないし。。。


小説も映画も、長いものが好きです。
こんなに沢山読んだのにまだ続きがある!という感じ。非常に幸福な瞬間です。
ファンタジーにシリーズものが多いのは、世界観まるごと作るからなのかなぁと思ったり、思わなかったり。
シリーズもののファンタジーの醍醐味は、自分もその中にのめり込めるところだと思う。
ハリーポッターなら、読者はハリーと一緒に7年間ホグワーツで過ごすことになるし。
私の大好きな十二国記だって、主人公の陽子と一緒に、まるで知識のない十二国に入り込む。
陽子と一緒に十二国という世界の常識、つくり、人々を知っていく。
もうひとつ大好きなファンタジーのシリーズである旅人シリーズ。
これも女用心棒(しかも30代!)のバルサと共に、彼女の暮らす世界の表と裏、この世とあの世を行き来して
世界の大きな波を一緒に感じてハラハラしたりドキドキしたりできる。
そういえば上橋菜穂子の獣の奏者の続きがまだ出ません。
これも楽しみに楽しみにしている小説だったりする。
本1冊ならば2、3時間。
でもこれがシリーズならば、1週間、2週間とその中に入り込めるのです。贅沢ー!
至福の時っていうのは、映画でも小説でも芝居でもそうなんだけれど、
「まだまだこの楽しさが続く」っていう、まっただ中にいて思うその感情なのです、私の場合。
早く先が知りたい、でも終わってほしくないって思えるような物語に出会うことこそが幸運だなぁ、と。


新しい物語というのは、もうつくれないのだそうです。
お話にはいくつかのパターンがあって、そのパターンのどれにも当てはまらない物語はもう、作れないのだそうです。
きっとこれは物語に限った話ではないのだと思う。
そして私達受け手側は、作者に自分のお気に入りの物語と同じ物語を求める。
言葉にするのが難しいけれど、第二第三の同じ話を求める、っていう感じか。
提供する側は色々なアプローチがしたくても、受け手側がそれを許さない・歓迎しない側面ってあると思う。
「もう一度ああいうのが読みたい」
みたいな気持ち。私にもある。
これはもう仕方のない事なんだけれど、
一度そのイメージがつくとなかなか取っ払えないって言うことなんでしょうか。
そしてこれ、わかっているものは安心するっていう感覚につながっているような気もする。


短歌のこととか書いてから寝たっぽいんだけれど、
朝読み返したらなんだか文章が(ry
そのへんはまた改めて書こう。
ちなみに、レッドデータガールは荻原規子著。
https://www.youtube.com/watch?v=HF2PHOLblQc
(PVがあった。びっくりした。)
十二国記は小野不由美著。
https://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/junikokki/
守り人シリーズ&獣の奏者は上橋菜穂子著。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E3%82%8A%E4%BA%BA%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
https://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/topics/kemono/
となっております。
十二国記、守り人、獣の奏者に関してはNHKでアニメ化されております。
レッドデータガールもアニメ化が決定しているようです。

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カテゴリー: 日記

あえなく折れるたった一瞬の宇宙 2012-02-13

たった一本のスプーンを折る為
僕らは呼ばれたんだ 風吹く町に
みまがう時のイタズラなんだろうね
あえなく折れるたった一本の宇宙
精神病院の閉鎖病棟から
呼び出されてテレパシーで
ロシアのサーカス団、イカサママジシャン
呼び出されて あらがえなかった
(OUTSIDER/大槻モヨコ)

あうとさいだーっていう映画がありました。
大昔の映画です。だって私が観た頃もすでに古い映画だった。
アウトサイダーって聞くとあの映画を思い出します。マットデュロン!
実はほとんど内容覚えてないんですが。
この曲の雰囲気は、あの映画のアウトサイダーとはまるで違う。
でも、こっちのほうが間違いなくアウトサイダーな気がする。
というようなことを、筋肉少女帯のアウェーインザライフを聴きながら書いています。
人生アウェー。
大槻さんの書くことって本当にこっち方面にブレないなぁと感心。
ごきげんよう、たいこです。
腰がいたいです。
嵐のように大忙しだった2日くらいがようやく落ち着きました。
実はイベントの方はまだ若干バグが残っていて、
今はそちらの修復をスクリプターさんが頑張っているところです。
本当に、本当にありがたいことです。ありがとう。
そんな感じで万事順調に、、、とはいかないまでも、オープンしました。
なにぶんこんな大掛かりなお祭りを主催するのは初めてなのでして、
ああ、そういえばいろんなことやらなきゃいけないんだよな。イベントって。
と、芝居やってた頃をうっすら思い出したり懐かしくなったりしつつ。
それでもRLのイベントに比べれば、SLは実際に足を使って動きまわることがないぶん楽なのかもしれません。
若干のバグが安定するのはもう少し先になりそうですが、それが落ち着けばあとは見守りモードになります。
ホラーナイトでも幕末お化け屋敷でもそうなのですが、
ご来場された皆様の感想を聞いたりすることは大変嬉しいことでして。
会場にはポストも設置してあります。何か感じるところがあったら、
ぜひ感想を入れていただけるとスタッフ一同大喜びします。


境界の話。
私はホラー映画は嫌いですが、ホラー小説は好きです。
スプラッタは苦手だけれど、和ホラーは好きです。
で。恒川光太郎という作家さんがいまして。
この方はホラー作家さんなのですが、この方のつくるお話が私はとても好きなのです。
今回のBloody Valentineも、この方の小説にとても影響を受けています。
異界だとか、異世界だとか。
人の領域を超えたもの、場所、その境界。
千と千尋の神隠しも、同様の世界観を持っています。
びっくりすることがなくても、異界というのはこわいところなのです。
鬼や妖精や神様っていうのは、日本的な物の考え方でいくとどれも同じようなものだと思っています。
要するに人じゃないもの。人とは相容れないもの。
ちょっと道を1本間違えたら、人の世界ではない世界に踏み込んでしまう怖さ。
振り返ったらきた道が消えているような心細さ。
そんなものが好きです。
本来は、驚くような仕掛けがなくとも成立するものをつくりたい。
何か驚くようなことがなくても、ただそこを歩いているだけで不安になるような、
薄ら寒いものが背中を伝うような、そういうものがつくりたい。
ドーンと出てギャッ!っていうお化け屋敷は、幕末でもう作っているから、
だからこそ大きな規模で出来る時は、人の世界からはみ出してしまうような、そういうこわさを表現したい。
なぜ、異界のような場所が怖いのか。
それは人の世界のルールが通用しないから。
そこは神様のルールで動いている世界だから。
私達が暮らしている社会は、人だけに都合のいいようにつくりあげられたものです。
人にとっての善であるとか悪であるとか、そういうふうにできています。
でも、神様の世界ではそんなこと関係ない。
人ではないものの物の考え方は、人間とは決定的に違う。
その、どこをとっても理解できない感じがこわいのだと思うのです。
日本にはたくさんの神様がいます。
いい神様もわるい神様もいますが、この「いい」「わるい」は人のルールに則ったものです。
崇め奉っていないと、荒ぶるのが日本の神様です。
荒ぶると、干ばつや津波や地震が起きる。
神様というのは、人には制御できない自然そのものの事なのかもしれません。
神様は、つよくてこわいのです。
そういうものの存在が薄れて久しい世の中ですが、
そういうものを畏れ敬う気持ちは、持っていたほうがいいんじゃないかなぁと感じます。
何がなんだかわからない というのは、ドーン!ギャッ!よりずっとずっと恐ろしいことだと思うのです。
けれど、何がなんだかわからないからこそ、人はちょっと覗きたくなってしまうのだとも思うのです。
ちょっと覗いたつもりが、逆にがっつり食われている、みたいなのって怖いですよねえ。
そして、異世界の扉っていうものは、実は日常のあちこちに口を開けているものだと思うのです。
うっかり踏み外すかもしれない怖さ。
だって人の世だって、本当にきちんと存在しているかどうかなんてわからないのです。


東亰異聞という小説があります。
小野不由美という、これまたホラー作家さんの小説なのですが。
この小説の最後の世界もまた、なんというか惹きつけられてやまないのです。
開けてしまった扉がもう戻らない感じ。
この小説は、闇っていうのはどういうものなのかについて、素敵な感じで描かれていて、
私はそれもとても好きです。
SLでSSを綺麗に撮ろう!と思うときに、白いプリムで大きな箱を作って、その中に自分がはいる。
その箱にフルブライトをつけると、自分がどこにいるのか、箱の大きさがどのくらいなのか、全くわからなくなります。
黒いプリムで同じ事をしても、同じようなことが起きます。
そういう感じのことを、東亰異聞では語っています。
そしてその感じは、前述している人ではないものに通じるのですね。
人というのは、その中に多くの雑多なものがまみれてまみれて、混沌としているものです。
それがきれいになくなって、何か一色になってしまったら、それはもう人ではなくなるんだと思うのです。
人間らしさであるとか、そういうものは、ぐちゃぐちゃに混ざったその不純の中にあるものだと。
純粋であることは、怖いこと。
それは、人が理解することができない、なんだかわからないものだからなのです。
今日はそういう感じの事を色々と考えたりお話したりしました。
それが善であれ、悪であれ、純粋であるということは、残酷であるということです。
優しさと純粋さは、正反対のところにある気がする。
小さな子供が残酷に見えるのは、きっとそういうものが垣間見えるから。
子供は社会という人の作った枠の中に入りきらない存在ですから、
時にこわいことをしたりするのだなあ、なんてことも頭をよぎったいちにち。


ホラーを介して、いい感じに頭がほぐれました。
そんな週末でした。
こういうなんの役にも立たないような話ができることは、なんだかとても幸せなことだなぁと思ったのでした。
あと、今週末は私はすごく頑張った。
ああ、頑張ったなあって自分で思えることは、これまた幸せなことなんだなあと思ったのでした。

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