サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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あえなく折れるたった一瞬の宇宙 2012-02-13

たった一本のスプーンを折る為
僕らは呼ばれたんだ 風吹く町に
みまがう時のイタズラなんだろうね
あえなく折れるたった一本の宇宙
精神病院の閉鎖病棟から
呼び出されてテレパシーで
ロシアのサーカス団、イカサママジシャン
呼び出されて あらがえなかった
(OUTSIDER/大槻モヨコ)

あうとさいだーっていう映画がありました。
大昔の映画です。だって私が観た頃もすでに古い映画だった。
アウトサイダーって聞くとあの映画を思い出します。マットデュロン!
実はほとんど内容覚えてないんですが。
この曲の雰囲気は、あの映画のアウトサイダーとはまるで違う。
でも、こっちのほうが間違いなくアウトサイダーな気がする。
というようなことを、筋肉少女帯のアウェーインザライフを聴きながら書いています。
人生アウェー。
大槻さんの書くことって本当にこっち方面にブレないなぁと感心。
ごきげんよう、たいこです。
腰がいたいです。
嵐のように大忙しだった2日くらいがようやく落ち着きました。
実はイベントの方はまだ若干バグが残っていて、
今はそちらの修復をスクリプターさんが頑張っているところです。
本当に、本当にありがたいことです。ありがとう。
そんな感じで万事順調に、、、とはいかないまでも、オープンしました。
なにぶんこんな大掛かりなお祭りを主催するのは初めてなのでして、
ああ、そういえばいろんなことやらなきゃいけないんだよな。イベントって。
と、芝居やってた頃をうっすら思い出したり懐かしくなったりしつつ。
それでもRLのイベントに比べれば、SLは実際に足を使って動きまわることがないぶん楽なのかもしれません。
若干のバグが安定するのはもう少し先になりそうですが、それが落ち着けばあとは見守りモードになります。
ホラーナイトでも幕末お化け屋敷でもそうなのですが、
ご来場された皆様の感想を聞いたりすることは大変嬉しいことでして。
会場にはポストも設置してあります。何か感じるところがあったら、
ぜひ感想を入れていただけるとスタッフ一同大喜びします。


境界の話。
私はホラー映画は嫌いですが、ホラー小説は好きです。
スプラッタは苦手だけれど、和ホラーは好きです。
で。恒川光太郎という作家さんがいまして。
この方はホラー作家さんなのですが、この方のつくるお話が私はとても好きなのです。
今回のBloody Valentineも、この方の小説にとても影響を受けています。
異界だとか、異世界だとか。
人の領域を超えたもの、場所、その境界。
千と千尋の神隠しも、同様の世界観を持っています。
びっくりすることがなくても、異界というのはこわいところなのです。
鬼や妖精や神様っていうのは、日本的な物の考え方でいくとどれも同じようなものだと思っています。
要するに人じゃないもの。人とは相容れないもの。
ちょっと道を1本間違えたら、人の世界ではない世界に踏み込んでしまう怖さ。
振り返ったらきた道が消えているような心細さ。
そんなものが好きです。
本来は、驚くような仕掛けがなくとも成立するものをつくりたい。
何か驚くようなことがなくても、ただそこを歩いているだけで不安になるような、
薄ら寒いものが背中を伝うような、そういうものがつくりたい。
ドーンと出てギャッ!っていうお化け屋敷は、幕末でもう作っているから、
だからこそ大きな規模で出来る時は、人の世界からはみ出してしまうような、そういうこわさを表現したい。
なぜ、異界のような場所が怖いのか。
それは人の世界のルールが通用しないから。
そこは神様のルールで動いている世界だから。
私達が暮らしている社会は、人だけに都合のいいようにつくりあげられたものです。
人にとっての善であるとか悪であるとか、そういうふうにできています。
でも、神様の世界ではそんなこと関係ない。
人ではないものの物の考え方は、人間とは決定的に違う。
その、どこをとっても理解できない感じがこわいのだと思うのです。
日本にはたくさんの神様がいます。
いい神様もわるい神様もいますが、この「いい」「わるい」は人のルールに則ったものです。
崇め奉っていないと、荒ぶるのが日本の神様です。
荒ぶると、干ばつや津波や地震が起きる。
神様というのは、人には制御できない自然そのものの事なのかもしれません。
神様は、つよくてこわいのです。
そういうものの存在が薄れて久しい世の中ですが、
そういうものを畏れ敬う気持ちは、持っていたほうがいいんじゃないかなぁと感じます。
何がなんだかわからない というのは、ドーン!ギャッ!よりずっとずっと恐ろしいことだと思うのです。
けれど、何がなんだかわからないからこそ、人はちょっと覗きたくなってしまうのだとも思うのです。
ちょっと覗いたつもりが、逆にがっつり食われている、みたいなのって怖いですよねえ。
そして、異世界の扉っていうものは、実は日常のあちこちに口を開けているものだと思うのです。
うっかり踏み外すかもしれない怖さ。
だって人の世だって、本当にきちんと存在しているかどうかなんてわからないのです。


東亰異聞という小説があります。
小野不由美という、これまたホラー作家さんの小説なのですが。
この小説の最後の世界もまた、なんというか惹きつけられてやまないのです。
開けてしまった扉がもう戻らない感じ。
この小説は、闇っていうのはどういうものなのかについて、素敵な感じで描かれていて、
私はそれもとても好きです。
SLでSSを綺麗に撮ろう!と思うときに、白いプリムで大きな箱を作って、その中に自分がはいる。
その箱にフルブライトをつけると、自分がどこにいるのか、箱の大きさがどのくらいなのか、全くわからなくなります。
黒いプリムで同じ事をしても、同じようなことが起きます。
そういう感じのことを、東亰異聞では語っています。
そしてその感じは、前述している人ではないものに通じるのですね。
人というのは、その中に多くの雑多なものがまみれてまみれて、混沌としているものです。
それがきれいになくなって、何か一色になってしまったら、それはもう人ではなくなるんだと思うのです。
人間らしさであるとか、そういうものは、ぐちゃぐちゃに混ざったその不純の中にあるものだと。
純粋であることは、怖いこと。
それは、人が理解することができない、なんだかわからないものだからなのです。
今日はそういう感じの事を色々と考えたりお話したりしました。
それが善であれ、悪であれ、純粋であるということは、残酷であるということです。
優しさと純粋さは、正反対のところにある気がする。
小さな子供が残酷に見えるのは、きっとそういうものが垣間見えるから。
子供は社会という人の作った枠の中に入りきらない存在ですから、
時にこわいことをしたりするのだなあ、なんてことも頭をよぎったいちにち。


ホラーを介して、いい感じに頭がほぐれました。
そんな週末でした。
こういうなんの役にも立たないような話ができることは、なんだかとても幸せなことだなぁと思ったのでした。
あと、今週末は私はすごく頑張った。
ああ、頑張ったなあって自分で思えることは、これまた幸せなことなんだなあと思ったのでした。

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