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人間だもの。

人は、というか、きっと生きてるものはすべて。
固体として進化をし続ける。
種として進化をするのは、各固体が学んできた結果を反映させるに過ぎない。

というわけで私もおぎゃあと産まれてから今までの間に、それ相応に進化を続けているはず、である。
なんだかめまぐるしく変わる昨今の風景。

変わるスピードが早い早い早い。

端的に言うと、私に見る目がない、という身も蓋もない結論になってしまいそうなのだけれど。
見る目養うのも成長で進化ですからね。


さてだいぶ更新が停滞しておりました。
大きな山を乗り切った私だけれど、お産でいうところの、後産。
なんかそういう小さな山場をちょこちょこと乗り越えて今。

今ちょうど町田康なんぞを読んでいるので、文体がいつもと違うのはご愛嬌。

さて・・・
私には見る目がないのではなく、見た感じを信じたり形にしたりする力がどうにもこうにも足りない。
要するに、客観的に冷静になっているときはいいのだけれど、何かの拍子に舞い上がってしまうともうバランス崩れまくりだぞ、みたいな感じでしょうか。

そして、自分の見てきて感じてきたものやことが、それなりに的はずれでもなかったんだなと確信したとき、私の視界はさらに広がる。

そろそろ抜け時ですね、私。

また、少しばかり周囲の風景が変わりそうです。
変わってきたなと実感したのは、先月の後半なのですが。
何か鍵を渡された気分。

これか、この鍵か!な、気分。

ドーンと一気に上ったのが6月。それなりに微調整しているのが今。
やっと少し落ち着いたかな?

ひとつ、すごく変わった事があるのを発見しています。
見る人が見ると、ものすごくドライに映る一面のような気がします。
ま、そんなこと6月の私も言ってたしね。


人は進化をするけれど、その進化の向きってのは360度なわけです。
どっちの方向にも進化できる。
それは、その人の心の持ちよう。

どんな方向へ進んだとしても、それなりの戦利品と知恵は手に入る。
そして私の選んだ方向はこっち、と、胸を張って言える今がある。
その方向がどちらに向いていてもそれは良し悪しという問題ではないのであって、だからそれでいいのだけれどね。

それで相容れない間柄になる人もいるし、自分の気持ちにしっくりこないならばそれでさよなら、で問題はないわけです。

もうね、澱むの嫌いなの。
で、澱んでいると判断したらそこは私にとって気持ちのいい場所ではない。
私が6月頃に知り合ったり急接近した人たちは、少しずつ再び距離をあけていく。

うん。

また少しシャープになったのでしょう。
これ以上シャープになると、私自身のお眼鏡にかなう人たちがいなくなりそうな気もするのだけれど。

だんだん未練というものがどんなものなのか分からなくなってきています。
だって自分の気持ちのままに動いてるから。
人が離れるときは、「こっちからも願い下げ」と思っている人の多いこと多いこと。


準備は万端。このまま行くと平穏で平坦な道が待っているような気がする。
しかしこれじゃあだめなのよ。
なんだかんだとゴタゴタした夏をすごしているうち、またひとつ危なげな弱点が露見。でも乗り越えないとね。

大体、つくりが変わるのだからそんな短期間で行われても困る。
突貫工事にならないように。
丁寧に丁寧に工事していこう。

そしてそんな私は、6月のときよりも今の私のほうが幾分気に入っている。
自分磨きもそろそろ終盤、のような気がします。
さて、次はどこを磨こうかな?
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