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特別で、でも特別でない

私は私にとって特別だ。
でもぜんぜん特別じゃない。

誰かと比べて特に秀でてるわけでもない。
むしろ劣っているとさえ思う。
私はすごくもなんともない。

全国全世界30歳平均値で言ったら、平均点ぎりぎり下くらいだろうと思う。

けれど自分にとっての自分の通過点がある。
自分にとっての課題がある。
それを自分のペースでこなして行く事は、きっと出来ている。


スタートラインはそれぞれ違う。
私のスタートラインは、ずいぶんと低いところにあったけれど。
さらに遅咲きだけれど。

私は人が本来生まれながらにして持っているべきものを、
持たずに生まれてきたけれど、それはそれで意味がある事だ。
スタートラインが100m先の人よりも、何かを持っている、と、思う。

そしてそれはきっと大切だな。
ダメな自分を知っていることは大切なんだきっと。
過去を振り返らないなんてもったいない。
過去の恥ずかしいさまざまな記憶は、とても大切な自分の道だ。

痛い記憶も、
出来れば封印したい記憶も、
しっかり残っているのは、今の自分の現在地を知るための大切な材料だ。

それは誇れるのではないか。
あんなにかっこわるくてダメだった自分が、今はこうしてそれをダメだと言える。
昔肯定していた数々の物事を、今は否定している、できる。
けれどもそれを肯定する気持ちは、通ってきた人ならわかるよね。

切り捨てるのは簡単。
理解しないのも簡単。
でも理解できるものは理解しようよ。
理解しつつ切り捨てる事は、きっととっても大事なことだ。

否定をしたら、それだけ人間の幅は薄くなる。

肯定しつつ、切り捨てる事がきっと大切だ。
今の私はそう思っている。

これがまた、1年後3年後10年後に変わるかもしれない。
けれどもその時はまた、この考え方を肯定しつつ、違う選択肢を選ぶのだろう。
きっと自分を肯定するというのはそういうことで、
恥ずかしい過去も間違えてしまったあれやこれも。

人を信じるってことは、きっとそういうことで。
その人が間違っていた事も、恥ずかしい過去も、
今現在間違っていると感じる色々も。
それをそのうちに学んでより高いところへと進んでいける可能性を信じるという事ではないのかな。

人はそれぞれみんなでこぼこで、不自然に飛びぬけているところもあれば、不自然にくぼんでいるところもある。
飛びぬけているところは目立つけれど、本当にいいのは、まんまるってことだから。
上手に上手にならしていって、まんまるを目指している人の、その可能性は信じないといけない。

歩幅が合えば、一緒に歩きましょう。

きっと得るものが沢山あるから。

そうしてきっと、今現在の自分自身に見合った人たちが、
今現在の私の周囲にいる人たち。

すれ違うだけでも、一瞬でも、ずっと長くいることになる人も。
どこかの地点で、同じところにいた人たち。

それを私が、どうして否定できよう。

今は一緒にいることがなくても、確実に過去の私が一緒にいた人たち。
先にどんどん高くへ歩いてしまった人も、ゆっくりゆっくり歩いている人も、
その場に踏みとどまっている人も。

それはみんな、それぞれの過去の未来の今現在の私を映している鏡に過ぎない。
それは、「もしあの時」や「もしこうだったら」の可能性のひとつに過ぎない。

可能性は無限にある。

その中のどれを選ぶかは、今現在の私にかかっている。
私は私の可能性を信じている。
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