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虐待

いじめ と 虐待 は違う。
虐待には、第三者の目がない。
いじめだってケースバイケースだろうと言われてしまえばそれまでなのだけれど、
でもやっぱり、虐待は密室で起こるものだと私は思っている。

自分の中に、虐待する人の芽がある事を、自覚している。
その因子があることを、子供がどうしたら傷つくかという事を知っている。
知っているからその一線を越えないで済むのか、と問われると、それは返答に難しい。

しかし知らなければ、超えてから気づくのだろう。

私はおそらく、虐待されて育っている。
物心ついた時から、両親に対して片思いし続けていた事を自覚している。
親になって、本当はその前から、虐待する心理はなんとなく分かっていた。
される側の心理も分かっていた。それは、とても切ない片思いのようなものだ。

私は見上げられるのがとても苦手だ。
恐れられるのも、ご機嫌取られるのも、非常に苦手だ。
その心理が分かるから、腰ぎんちゃく的な心理がとってもとっても苦手だ。
たとえそれが純粋な好意や愛から出来ているものであっても。

自分をいい子に見せようと振舞う事は、自分を貶めている事に他ならない事を知っているから。
それは後で思いもよらない枷になる事を知っているから。

けれど私がその道を通ってきて、今苦労しているように、やっぱりいい子に振舞ってしまう人たちは同じような道を通らなければどうにもならないのかなと思う。

自分が同じ要素を持っているなら持っているだけ、観るのが嫌になるのはこれ、人のサガか。
親子の虐待ってこういうところから始まるんだな、と、思う。

少しずつ、ではあるけれど。
私にそっくりな私の長男と、私の間に開いた距離は埋まりつつある。
それはある部分で私が彼と距離を置いたからに他ならない。
だから率直に、鼻につく所を指摘することが出来る。

それで治らなくてもいいのだ。
気をつけるようになってくれれば。
「こういうことを言って、こうなったら、周りの子はなんて思うかな?」
という言い方が出来るようになった私を誇らしく思おう。


話が虐待からだいぶ逸れた感じもするけれど、実はそうでもない。
虐待というのは、される側目線で語られるべきものだからだ。
だから、私のこういう葛藤は問題ではなく、葛藤している間、私は長男にとってはよい母親ではなかった。
それは間違いない。

親が最初から完璧ではない、なんていうのも、親の勝手な言い分だろう。
完璧ではないうちに傷ついた子供の心を修復するのは、とても難しい。

長男は、今のところ非常に被害者意識が強い。
「なんで僕ばっかり」という言葉を頻繁に口にする。
その都度私は言う。
「あなたばっかりではない。順番にお願いしているのだよ」と。
具体的な例を挙げて、納得してもらう。

いつになったら消えるか分からないけれど、もしかしたらある程度大人になるまで消えないかもしれないけれど、それでも私は言い続けるだろう。
そして、そんなに私の顔色を伺わなくてもいいんだよ、という事を、全力で伝えたい。
そんな事をしなくても、私はあなたを愛しているのだよ、と。

これを子供に直接言うと、子供を脅迫してしまいかねないので言わないでいるけれど、
いつか分かって欲しい事はある。

「あなたたちの可能性を信じていなければ、私は叱らないよ。失望もしなければ怒る事も、悲しむ事もないんだよ」

こればっかりは、大人にならなければ分からなかった事だ。
自分が信じるって事を理解できないうちは、きっと分からないことだ。
私はきっと今、子供を信じている。
だから、子供達はそのうちにこのことを分かると思っている。


母親検定なんてものがあったら、間違いなく赤点ぎりぎり、な私だけれど、
赤点にならないギリギリのラインで母親やっていけたらなと思う。

採点するのは、常にわが子達だ。
ごまかしも言い訳も出来ないな。
彼らが親離れするその時に、合格点がもらえるように暮らしていければいいな。
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