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愛されることと愛することと

この間、友達のところのHPに、「恋文」というタイトルの日記があった。
恋文というドラマの紹介があり、
最後はその友達の夫への気持ちが綴ってあった。

その日記自体、
夫が読む事のない妻から夫への恋文になっていたわけだが。

彼女は夫を愛している。夫は妻に愛されている。

そういう間柄だ。

愛することが幸せな人、愛されることが幸せな人、
二つのタイプがあると思っている。
この日記の彼女は、愛することが幸せな人で、だから、
彼女はとっても幸せな人だということになる。

私も、自分が愛さないとダメなタイプだ。

私にとって、誰かを愛してしまうということは
その人のいいところ、悪いところ、全部ひっくるめて、
受け入れてしまう、認めてしまうということ。

よく人に、
「この人のどこが好きになったの?」とか聞くけれど、
この質問に的確に答えられる人が果たしているのかどうか。

何かがぴったりと来た、というのが私の答え。
頭で「この人は性格がいいから」とか、「この人は経済力があるから」
とか、「この人はかっこいいから」とか…。
そんなことで人を愛せるなら、それほど楽なことはないと思うんだけど。

結婚生活に限らず、人付き合いにはある程度の妥協が必要。
それは納得できる。

ただ、真剣に惚れてしまった人に対しての妥協って、実はない。
(私の場合に限って言えば、ということ)
受け入れ難い部分も受け入れて、認めてしまうということは、
妥協ではない。

これは重い。

相手の何もかもを許してしまうというのは、非常に重い。
相手に対しても、非常に重い荷物を背負わせることになる。

では、私は一体、相手に何を求めるのだろう。

私が求めるものは、
私がかけがえがないと思ってくれるその気持ち。
そして、その人の存在。
見つめていてくれれば、それ以上の幸せはないのだ。

心の奥に、ベースとして常にこの気持ちがあるので、
どうしても、どうやっても、私の恋愛は重くなる。

だからなのか、私の恋愛はいつもどこかが普通じゃない。
普通の恋愛に憧れ続けてきて、いつも問題は相手にあると思っていたが、
どうも原因はこちらにあるようだ。

だとしたら、仕方ない。これはこれ。普通は普通。
私は私。
いまさら変えようもないので、普通の恋愛なんて思わないことにした。

だって、できないんだもの。
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