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自信が持てないという話

自分に自信が持てないのである。

そういう話をしていたところ、友達に、
「自信っていうのは、持てる持てないものじゃなくて、
自分自身で『持つ』ものだ」
と言われた。

自信というのは、気の持ちよう、ということだと。
自信が持てない人の抱える一番の問題点は、
自信が持てる『何か』がない事や
『自信を持てない自分』では無く

そういう『焦り』だったりするんじゃないかな?
と思ってます。

その人の文章の抜粋である。

なるほど、こういう風に考えたら楽になれるのかもしれない。
と、感じた。

根拠のない自信を振り回して勝手に満足していた時代もあった。
そこに根拠がないと感じ始めて、
自信がもてなくなったのではなく、私は素直になった。

根拠のなさから来る不安を、吐き出すことができないばかりか、
自分で認めることすらできなかった。

全開の「甘えベタ」と話がだぶってしまう所も多々あるのだが、
今、自分が感じている自信のなさとは質が違うもののような気がするのだ。

今の自信のなさは、自分の感覚が信じられないと言う事。
傷つくのが怖いからそうなっているということも、なんとなく感じつつ。
感覚を信じる事ができたら、どんなにか素晴らしい事だろうと思う。

でも、感覚ってこれ以上ないくらい掴みどころのないもので。
どうしてもそこに、理由付けしたくなってしまう。
感覚に理由なんかないのに。

自分の感覚に自信が持てなくて他人に意見を求めてみたり。

自信がなくて意見を求めるのに、なぜか相手が納得してしまう。
反論をどこかで待ちながら、周りにあるのは同意ばかり。
これは相手が悪いのでなく、私に問題があるのも百も承知で。

言葉に説得力があるそうだ。
自分が意図する以上に、私の言葉には力と影響力があるらしい。

結局、言えば言うほど自分の首を絞める結果に。

大勢で一人を責めるというような、いじめのような事が嫌いで、
でも時々気づくと、自分がその中心にいるような結果になっていたり。

勿論自分が正しいとは思っているけれど、
そう思っていなかった人にまで、結果的に巻き込む結果になって。

そんな事を繰り返すうちに、自分の感覚を信じていいものかどうか、
自信を持つことが怖くなった、ということか。

自分の感じたものを堂々と信じられる強さがほしい。

感覚を感覚と捕らえ、堂々と信じる事ができれば。
どれだけ素晴らしいだろう。

傷つく事を恐れない。
そうなれたらいいけれど…

せめて、大切な人の前では、そうなれたらいいと思う。
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