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好きっていう気持ちと愛するっていう気持ち

お互いの関係の中で、エゴを越えてしまうのが愛。
私はそう思っている。

親子の間の愛も、本質的には同じだと思う。
(正確に言えば、親が子に対する愛か)

愛するってどういうことだろう…と、十代の頃に真剣に考えたことがある。
究極的な愛情表現…

それは、見守るということ。
ただ、何もせずに見守るということ。

結局のところ、見守るという以外に、本当にその人のために
出来ることってないんじゃないかと思う。

形に見えることで何かしてあげるというのは、
所詮自分のエゴに過ぎないのだ。突き詰めてしまえば。

本当に相手のためになるということは、
相手を信頼して、ただ見守ることなんじゃないかと思う。
お互いがお互いを信頼しあって、見つめあっている。
そこに甘えは存在しない。
ただただ、見つめられているという確信が、
お互いを強く成長させていけるのじゃないかと思う。

勿論、これだけで成り立つ間柄ってのは相当大変であって、
こんな関係を築けるのは神様だけという気も、しないでもない。
信頼している自分の気持ちを疑いたくもなるだろうし、
やっぱりときめいたり、ドキドキしたり、
逢いたいと願ったり、触れたかったり。
煩悩に支配されたヒトだから、そう思うのも当然のことで。

その中で、お互いの心の根底で、こう言う関係が築けている、
そういうことが大切なんだろう。

非常に重いししんどいけれど、
こういう関係を築ける相手に巡り逢うのもそうそう簡単な事じゃない。

そういう風に思える相手を見つけられたならば。
たとえその想いがかなわなくても、
その人とずっと一緒にいることができなくても、
とてもとても貴重で、幸せなことだと思うのだ。

過去、愛するが余り、自分の気持ちを無視して
大切な愛する人を手放してしまった。
おかげでずいぶんと苦しんだが、その代わりにかけがえのないものを
戴いたと思っている。

今でも、その人には感謝をしている。

そして、そういう人は、
きっとまた現れる、というのが今の心境だ。
ありのままの自分を出せる、
ありのままの相手を見つめる。
そして見つめられている。

お互いがお互い、高めあえる存在。
そんな関係を、きっといつか築けると思っている。

理想では、あるのだが。
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