サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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終わりが見えないってのはウソさベイビー 2021-05-24

終わりはわかってるみんないつか死ぬ
オチまでバレてる世界でどう生きる
いい方法を知ってんだ今からやる
(電気くらげ / 特撮)

そんなわけで特撮の新しいやつが出ました。また5年ぶりとかです。5年!
やっと出たかー!という感じで。私は筋少よりも特撮のほうが好きなのですよねー。
買わなきゃなあと思っていたオケミスも買いました。最近通勤がないので、曲をしっかり聞くタイミングが減っているのですが、新しいアルバム2枚も増えたので、平日仕事中のBGMになっています。

ごきげんよう、たいこです。
前回の投稿から1ヶ月と少し。
リンパ腫と診断されているナゴヤ氏ですが、先週からほとんどごはんを食べなくなってしまいました。
水は沢山飲む。固形物が嫌なのかな?と流動食も試したけれど嫌がって食べない。前は大好きで(でも飲ませてもらえなかった)いちごミルクもあげてみたのですが拒否。お手上げです。
流動食を指で口の中に入れてあげると、渋々という感じで飲み込むのだけれど、あげられる量もだいぶ限られます。
そして3日ほど前から、トイレを失敗するようになりまして。オムツをあてています。
リンパ腫が関係あるのかないのかはわからないし、それを究明する意味もないのでこのままです。
確実に命の火が消えていっている様子なのですが、その様子がとても穏やかで。
ただただ、日々、彼の存在感が透明に透き通っていっています。
この感じは昔娘に対しても感じたやつで。娘がなったのは保育園時代で、3つくらいの風邪を立て続けに引いてごはんも食べられなくなった時に発していたのですが、あれを見た朝、即病院へ連れて行ったのでした。病院でも診察した瞬間、先生が「ああ、これは抗生剤使いましょう」と。抗生剤を極力使わない小児科にかかっていたので、やはり相当弱っているように見えたのだと思います。すぐ元気になりましたけれどね。
なので、ああ、生命力みたいなものが薄れていくとこういう感じになるのだなあと思っています。なんだかとてもきれいでかなしい透明感です。
どのようなさいごになるかはわかりませんが、できるならこのまま穏やかにいってほしいなと思っています。

娘はきちんと冷静にこの事実に向き合っています。ナゴヤの様子を見て泣きながら、その後のこともきちんと準備しています。
この娘ですが、明日から2週間ほど家をあけることになっています。
ナゴヤの様子からすると、彼女がさいごを看取ることはちょっと難しそうです。タイミングよ……と切実に思っていますが、こればかりは仕方ない。さっきまで泣きながらナゴヤと一緒にゴロゴロしていました。

ネコがいなくなってしまうのは悲しいことなのですが、いなくなる前に悲しんでしまうのも少し違う気がしていて、今は老いて色々できなくなったナゴヤの様子を笑ったり可愛がったりしています。反応が鈍くなったり、走れなくてよちよち歩いたり、オムツを履いているさまは本当に可愛いのです。そのときがくるまで、できる限りかわいがってあげたいなと。

そしてナゴヤにかまっていると必ずどこかで「じーーーーー……っ」という感じでその様子を凝視している実家ネコのアビさん。
彼も12歳でたいがいおじいさんなのですが、今まで繋がれて暮らしていたせいか、好奇心が子猫並。びびりつつあちこち探検してはいたずらしていきます。彼の姿を見ていて、よく動いていた頃のナゴヤを思い出したりするのですが、、、性格はまるで違うので、びっくりすることも沢山です。
警戒心がつよくて、少しのことに飛び上がって驚いたり怒ったりするのですが、その割に自分から人間に寄って来る時の距離の詰め方がとても近い。ナゴヤにはない押しの強さというか、変なところで無防備というか、、色々不思議な感じがしています。
今までナゴヤと喧嘩になったのは2度だけ。
どちらも本人たちと違うところで大きな物音がしたり、そういうことでアビがパニックを起こして…という感じ。
ただし今はナゴヤが置物のように動かないので、喧嘩になることもないです。ただただ世話を焼かれているナゴヤにちょっと嫉妬しているだけ。こればっかりは仕方ないので、しばらくは我慢してもらうしかないですねえ。


GWの始まる前日、父から電話がありました。祖母の訃報でした。
祖母は正月には全然元気だったのですが、その後倒れたりなんだりで弱ってしまっていたようで。
3月に心臓の手術をして、帰宅を嫌がってリハビリ施設に転院したのち、叔母が同居して介護をする準備をしているさなかに亡くなったそうです。
96歳でした。
私の父は長男で、私は生まれてから20歳になるまで祖母と同居していました。
この祖母に関しては思うところが山のようにあって、これだけで本が3冊くらい書けそうなのですが。とにかく強烈なひとでした。長年一緒に生活した人を亡くすのは、実は今回が初めて。ただまあ、本当に強烈な人だったので、とても複雑な気持ちであります。
子どもたちにとっては3回目の身内のお葬式。しかし前回2回(私の母方の祖父母)は彼らがとても小さい頃だったので、今回が記憶に残る最初のお葬式ってことになるのかなあと思います。
息子2人は至極冷静に参列していましたが、娘は色々とあてられてしまったようで、お通夜のあとからしきりに「もやもやする。憂鬱だー」とぼやいておりました。この子だけは火葬場まで連れていったほうがよさそうだなあと、娘だけ火葬場まで付き合わせました。
棺の中の祖母と対面し、お花を棺に入れてあげて、火葬場で焼かれて骨になった姿を見る。この過程で、そのもやもやと折り合いがつけられたようです。彼女には何か学ぶことがあったんじゃないかなあと思っています。
そして、ネコです。
きっとナゴヤからも、あの子は何かを学ぶのだと思います。親しく付き合っていたいのちがいなくなることは、本当にとてもさみしいことですけれど、こうやって誰かの心に何かを残していくのだなあと、もちろん私の中にも沢山いろいろなことを残してくれていくのですけれどね。


あの子は去年から今年の春にかけて、それこそナゴヤの病気が発覚する直前まで、死にとりつかれていました。
今はどのくらいその気持があるのかはわかりません。けれどだいぶ生きる方向に気持ちが向かっている様子です。
祖母となごやの出来事が、彼女の人生にとってプラスになるように働くといいなあと願ってやみません。
私にとって、祖母の死はなんというか……惜しまれずに亡くなる人はいないんだなあという実感を生みました。そして別れを惜しまれるということが、生きようと思う事に繋がるんだなあと。

ああ、しかしですよ。本当のことをいえば、私は娘になごやを看取って欲しい……。無理かなあ。
ナゴヤに頑張れっていうのも、非常に酷な話なのも重々承知のうえで。
おねがいだからちょっとでもごはん食べてほしいなあ。

 

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カテゴリー: 日記

私は愛とは花だと思う。そしてあなたはそのたったひとつの種 2021-04-13

When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun’s love
In the spring becomes the rose

The Rose / Bette Midler

ローズという古い映画で使われていた曲です。ベット・ミドラーの代表曲でもあります。
疲れている時に聞くと、問答無用に泣いてしまう曲でもあります。
The Rose でぐぐると、曲も歌詞も対訳もいろいろなものがヒットするので、興味のある方はぜひ。映画はとても古いのですが、この映画もとても素晴らしい……。古すぎてオンデマンドにもなっていない気がしますが、こちらも機会あったら観て損はしない作品だと思っています。
愛することや愛されることについて、ううむ。。。ってなってしまった時によく効きます。

ごきげんよう、たいこです。

相変わらずの更新頻度で(Twitterばっかり)Twitterって気軽に発信できて便利なのだけれど、きちんと振り返る事ができなくなるなあって感じがしますね!
言うまでもないことですが、コロナの影響で生活が大きく変わって、1年が過ぎました。
個人的には在宅ワークはとても性に合っていて、私の(我が家の)QOLは大幅にあがりました。洗濯や掃除などのハードルが劇的に下がりましたね。。家にいれば、超早起きしなくても慌てなくても洗濯物は干せるしたためるし、気になったところの掃除もちゃちゃっと出来るし、お昼すぎに夕飯の献立を考えたら、予め冷凍しているお肉や野菜を準備しておくこともできるのです。スゴイ。
しかしこれも個人差がある話だと思います。私は向いていましたが、家では集中できないとか、切り替えができないという人もきっとたくさんいるでしょう。私はそういうのが割と平気なので成り立っているのかもしれません。

3月で娘の高校が終わりました。色々あって卒業は出来なかったのですが、3月まで在籍していたこともあって、卒業アルバムは作ってもらえました。
彼女の進路には学歴が必要ないうえ、決まった進路先に進むのにタイムリミットもないというある意味恵まれた環境にいるので、色々と焦らず考えすぎず、ゆっくり準備してもらえたらいいなと思っています。
そんなわけで、実はこの1年、ほとんどずっと娘と一緒にお家にいました。
見えていなかったことや、伝わっていなかったことや、欲しがっていたのにあげられなかったことやたくさんの事がわかって、私にとっても子育ての大きな壁にぶち当たった1年でございました。

この世の中は取り返せないことばかりで。過ぎてしまった過去をやり直すことはできないし、変えることもできないし、修復することもできないのですよね。その崩れてしまった土台の上に、もう一度何かを築いていくしかない。ただ、この1年の娘との時間は、私にとってはとても大切なものであったなあと思うのでした。
まあ、まだ娘はしばらくこの家にいるのですけれど。
旅立つための力にはなってあげたいなと思っています。

そんな娘の支えになっていた、我が家の猫のなごやさん。
彼が病気になってしまいました。今17歳なので、すでに結構なご長寿ではあるのですが。
病名は(おそらく)リンパ腫。ある日突然声がでなくなって発覚しました。
抗がん剤をつかって余命1年、使わなければ余命3~4ヶ月と診断されて、抗がん剤は使わない方向での治療をすることになりました。
薬を飲みはじめて1ヶ月。ステロイド剤を飲んでいますが、今は薬がよく効いて、声も出るようになりました。彼に出ている症状は、現在のところ、ただただ喉の部分のリンパ腫が腫れ上がっている、というだけなので、ステロイドで腫れがひいて、今は一見健康な猫です。
お医者さんがいうには、このお薬も徐々に効かなくなっていって、あちこちに転移したり喉がふさがったりで、生きることが難しくなっていくとのこと。
これも試練……と痛切に感じていますが、うちの子でよかったなと思っていてくれるといいなと、なごやさんを毎日眺めながら思っています。

 これがきっかけで、なんやかんやあって実家の猫を貰い受けることになりました。
実家の猫も12歳と、すでに老猫なんですけれどもね。土曜日にやってきます。
この猫を巡って、実家でちょっとごたごたしていまして。。。
実家猫、幼い頃の飼育環境が原因で凶暴ちゃんになっています。今、実家ではケージ飼いされています。なにかのきっかけでスイッチが入ると、突然パニックになって飼い主を襲うのですね。
私は襲う現場を見たことがないですし、いまのところ被害者は母だけです。
母は猫が幼い頃の飼育環境が悪かった自覚がほとんどなく、急に凶暴になるのは猫のもともとの性格だと思っているフシがあります。でもおそらく原因はストレスです。
で、この猫の譲渡を面白く思わない(と母が思っている)のが同居している私の弟。
しかし弟が怒っているのは、多分そこではない。
ただ、弟が怒る理由はとてもよくわかります。
実は1年前、弟に実家の猫うちにほしいんだけど、母は手放すかな?と聞いたことがあって。
その時に弟は「いやあ、あんだけ懐いてるから無理だろう」って答えていたんですよね。

母は先日、娘に電話をして、「あんたの母さんのせいでおじさんが怒ってる。私の話を聞いてくれる状況じゃないから、あんたがうちに来て猫のことを説明して」と言いました。
娘はスピーカーホンで電話を受けていました。私は会話を全て聞いておりました。
母に対して弟が怒っている原因がすべて私にあると言いたかったようです。
しかし弟は、私と娘には全く怒っておりませんし、そういう事じゃないんだよな……苦笑。
娘と2人で苦笑いしつつ、とりあえず猫が来る前に娘が泊まりに行くことで納得してもらいました。が、娘が間に入って説明したら、弟はますます怒るだけのような気がするんですよね。

私の子育ての話と、母の猫の話。
私の中ではしっかりリンクしていて、本当に複雑な気持ちであります。
大切な人とは、嫌な話こそしっかり向き合わねばならないと思っています。
母の気持ちの動きがわかるからこそ、そこは肝に銘じておかないとな……と。
気を抜いたら、私も母と同じ事をしそうだなあ、と常に思っておくことで、少しは予防できるといいなー。

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カテゴリー: 日記

いつも いつも どんなときも 2020-12-07

あなたが傍にいた
いつも いつも どんなときも
送り続けよう愛のWAVE

愛のWAVE(カールスモーキー石井/松任谷由実)

ごきげんよう、たいこです。
しばらく触ってなかった間に、またWordPressの投稿画面が激しく変わっている。もうちょっと何も考えずにだだっと文章を打ち込める感じにならないものでしょうかね。頻繁に更新していない私が悪い気もしますが(笑)

さてこの冒頭のやつ、多分高校生くらいの頃に買ったシングルですねえ。。確かフジテレビの企画で作られた曲だったと思う。(それでWAVEとかなんでしょうね。)歌詞や曲、全方面から、あの当時の時代の香りが漂ってきます。ノスタルジー。

 

 さて、なんというか12月です。そろそろ1年を振り返る時期ですが、今年は振り返ることが多そうですね……。とはいえ、12月なのです。毎年恒例になっているSecondLifeのアドベントカレンダーの季節なのです。

今年のテーマは「どうしたらセカンドライフをもっともっと楽しめる世界になるか」。アドベントカレンダーの詳細はこちら(https://adventar.org/calendars/5789)を確認してくださいね!参加者まだまだ募集中のようですので、気軽に参加してみてね。

 私自身、今現在セカンドライフを積極的に楽しんでいるとは言い難い状況であるのですがしかし、アカウントを作ったのは2007年。諸々事情があるとはいえ、この間ほぼ毎日ログインはしているわけです。実は、私はセカンドライフって失敗してると思っていなかったりします。

  自分自身に限って言えば、13年続いているし、まだ辞める予定もその気もないし。リンデンもそこはかとなくセカンドライフをアップデートし続けているし。
  そもそも、このゲーム、始める時の敷居がすごく高いと思っています。

  お洋服も髪の毛も家具も家も植物も、なんでもかんでもアイコンが。「あ、これは服だ!」と思って装着したら、四角い箱が右手に現れるの。「ああそれは箱詰めされてるから、Rez出来る場所に行って箱を置いて「開く」ってやるんだよ」なんて教えてくれる人がいればいいけれど、気軽にインストールして始めた人が、インワールドに降り立ってすぐにそんな人に出会える確率はとても低い。
  セカンドライフ内外で初心者支援している方や団体もありますが、「これはわからん。調べよう」ってならずに「意味わからん」ってビューアーをアンインストールする人だって沢山いるはずで。

  しかし、セカンドライフで出来ることを考えたら、その敷居の高さは致し方ないと思うのですよね。そこを簡単にしたら、セカンドライフには何も残らない気がしますし。
  ちなみに私は初心者時代、椅子に座ったらカメラが天井を向いてしまい、そこからカメラを動かす方法がわからず、座ることを拒否し続けていたという経緯があります。その後知り合った人から、「Ctrl+Alt+マウスクリックでぐりぐり」という操作方法を教えてもらい、この状況を脱却しました。あの時これを教えてもらっていなかったら、私はいまセカンドライフにいないと思っています。笑

  何が言いたいかっていうと、このゲームはそもそも、広く浅く沢山の人が楽しむような種類のゲームではないってことなんです。やってみたけど向かなかったっていう人が大半で、初心者時代の「何をしたらいいかわからない」という状況を乗り越えられる人が少ない印象です。(この場合の「何をしたらいいかわからない」というのは、歩く・飛ぶ・座る・テレポートする・タッチする・着る・置く」みたいな基本的な動作のやり方がわからない、という程度の意味。)

  そしてもうひとつの意味の「何をしたらいいかわからない」。
2007年の夏、Japan Resortには本当に沢山の人がいました。皆等しく初心者でした。そして、恋愛をしようとしていました。セカンドライフに来たら、恋愛するかものを作るんだ!みたいな風潮がありました。物をつくろうとしている人たちは、少なからずお金を儲けようという雰囲気がありました。プリムで作ったあれやこれを、その辺の人に配って皆で遊んでいました。土地を買ったら「おめでとう!」と、お祝いのお花が贈られてくる、そういう感じの世界でした。
やることがわからないから、とりあえず周りに合わせてみるみたいな雰囲気でした。

  さて今は、当時よりも自由に動きやすい空気があります。Japan Resortのように、「とりあえずここに行けば日本人がいる」みたいな場所はなくなったけれど、趣味や目的が似たところにあるようなコミュニティの種類は増えた用に思います。
  セカンドライフは自分で何かを作り出そうとしなければ、本当にやることがないゲームなのだと思います。ダンス、ハウジング、アバターメイク、コミュニティなど、今セカンドライフで遊んでいる人は、少なからず何かしら作っているのじゃないかなと思います。
  つくってるうえで、既製品で満足できなければ、自分用にアイテムを作る(依頼する)ことだってできます。それこそがセカンドライフの醍醐味なのだと思います。

  4年ぶりに、KAGAMIを行うことになりました。
勿論遊んで楽しい、怖いイベントにするつもりで今がんばっています。そして、「セカンドライフ、こんなことまで出来るの!?」と思ってほしいとも思っています。
  やっとシナリオが書き上がり、今わたしはショッピングモールの方の作業をしています。がんばるぜ。

  また、セカンドライフにはレベルもクエストもありません。半年、1年、3年休止していても、復帰はしやすいと思います。復帰者ならば、日本人の運営しているカフェやバーに行けば今の情報を得るのはかんたんですしね。
  長く続けていると、数年ぶりに復帰したフレンドから連絡が来る、みたいなこともままあります。ちょっと暇が出来た時にちょこっとINして、カフェでチャットするみたいな人もいるようです。

  セカンドライフには、やることがたくさんある。どれをやってもいい。ただそれは自分で探さなければならないのですよね。ドラクエを始めた時、ゲーム側が明確にやるべきことを提示してくる事がとても新鮮で、楽で、楽しかったのです。
  しかし、セカンドライフで物を作り、完成したー!とお披露目したりする楽しさは、まあ別格で。こればかりは他のゲームでは味わえないものだと思っています。忘れてはならないのは、現在セカンドライフで楽しんでいるプレイヤーは皆、この作る楽しさを知っているはずだということです。皆シェイプやスキン、服やメイク、アクセサリーなど、自分で作ったり選んだりして身につけているのですしね。

 

 

 

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