サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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ハァ おばけちゃん、ゆうれいさん、ちょいと帰ってきてちょうだい 2020-08-25

ハァ 雷さまを下に聞く
富士山を下に見て
飛行機の窓の中
わたしがこっちをのぞいて見てごちゃる
地震、津波、雪崩、竜巻
雲のむこうの宇宙はいつもお天気
(ひとだま音頭/知久寿焼)

 夏はたま。なんでだか分からないけれどたまを聴きたくなるし、たまを聴いてると夏だなあと思います。夏じゃなくても聴いてるんですけれどね。

 びっくりするくらい更新してなかった、というかその前もだいぶ開いていた。前回が3月26日。はい今日からテレワークね、とか言われた頃でしょうか。
 2ヶ月は続くかなと思われたテレワークは8月も終わろうという今もまだ継続中で、弊社はむしろこのまま基本テレワークな体制になりそうです。

 世界がひっくり返ってしまった、と感じるような事は、9年前の3月が一生に一回くらいの事態だと思っていましたが、甘かったですねえ。東京に住む私にとっては、今回のコロナのほうがダイレクトに生活に影響してきています。
 非常事態感はだいぶ薄れてきていて、非常事態であるはずの今がすでに日常になっています。こうやって人は変化に慣れていくのですねえ。コロナが収束しても、私達はきっと以前と同じにはならない。こうやって変化していくんですよね。こういう事があって急変すると実感しやすいですが、常に常にいつだって変わり続けている。
 ドラマや映画を見ていて、人が抱き合って喜んでいたり、密接した環境でご飯を食べたり、クラブで踊っていたりするシーンを見るとはらはらしてしまうのが、まさに私のなかの感覚の変化なのだろうなあ。

 ウイルスのような見えないものは、いつどこで自分がもらってしまうか分からない怖さもさることながら、いつどこで自分が他の人に(そしてそれは大概近しい人に)渡してしまうかもしれない不安のほうが大きい。普通に誰かと遊ぶのに、心のどこかでドキドキしたりするこの感じは、早くなくなるといいなあ。

 我が家はコロナのせいで、次男の一人暮らしの予定が2ヶ月ほどずれ込みました。彼は6月に家を出て、本格的な一人暮らしをはじめました。
 娘は来年の4月には家を出て、おそらくほとんど顔を合わせなくなるだろうなと思っています。残った時間は、とても短いけれど、実感はまだないですねえ。
 私が感じる寂しさは、まだ子どもたちには理解できないだろうなあって思うし、もしかしたらずっと理解しないままなのかもしれないなあとも考えます。
 こうやって今この年齢になっても、学んだり成長したりするのですねえ。30歳から全然成長していない気がしていたけれど、30歳の自分を振り返ると、今とはそこそこ考え方や行動方針が違っているのがわかる。私はもう一皮くらいむける必要がありそうですけれど。


 この8月は、過去のやり残したところを繕う感じのことがいくつか起きました。これだけ生きてれば、喉に刺さったお魚の小骨みたいな、そういう記憶っていくつもあるのですけれど。そんな小骨がいくつか取れたみたいな感じ。

 私の怒りの持続期間なんて、長くても3年くらいなのかもしれないなあ。なんかもうその後はどうでもよくなってしまう。その昔、どれだけしんどい思いをしたとしても、それって今はもうないわけだし。
  頑張って自分で自分に言い聞かせてみたりしたって、やっぱり気持ちって離れたら離れちゃいますね。良くも悪くも。

 どれだけ幸せな瞬間があったとしても、そこにはもう戻れないし。何度だって取り出して味わいたいような幸せってあるじゃないですか。でもそういう事はできないんだよねえ。しんどいことだってそれは同じだなあ、と。
 「ああ、今すっごい幸せだし楽しい。でもこれは過ぎてしまってもう一度味わうことはできないのだから、大事に味わおう」と、その瞬間思ったって、掴もうとする手の隙間からさらさらとこぼれ落ちていってしまって、大切にできていたのかどうかも分からない。なんとなく、辛かった事の手触りのほうが後に残りがちなんだけれども、でもそれだって今はもうない。だからきっと大切なのは、今の自分が一番居心地のいいところを探る事なのだろうと思う。
 今、10年先の事を不安に思っても仕方がなくて、10年先になりたくない自分の事を考えたとしても、計画を立ててその通りになることならばそれでいいけれど、そうでないことは考えても仕方がないんじゃあないかなと、最近よく思います。

 どうにもならないこと、それは理性と感覚が喧嘩をしたら、私の理性は絶対に勝てないということ。これは半年くらい前に実感した気がします。その先どうなってもまあ、仕方がない(笑)


 創作活動的な話。
 古い古いお友達が、劇団を改めて立ち上げまして。出来る範囲で私もお手伝いをしています。ほとんどお手伝いになっていないのですけれど、今暇を見てサイトを作っています。
 来月、初公演なので、それに間に合うよう、なんとか体裁整えたいですねえ。私の創作活動の原点にあるのは、間違いなく演劇で。ものをつくる楽しさは演劇でおぼえました。今の私に、がっつり演劇に取り組む余力はないのですけれど、そうやってつくっている人たちを見ているのは楽しいです。

 創作活動といえば、SecondLifeでも再びアレの計画が進み始めました。アレですよ。アレです。今頑張って書いています。
 なんとか9月の間には先が見える感じにしたいので、そっちもがんばってます。もう少しごちゃごちゃ考えたら先が見えるかなぁ。お楽しみに!


 遊びのお話。

とか言って!私の人生の中の8割が遊びの事で出来てるんだけど!
ドラクエ全然飽きません。ドラクエで一緒に遊んでいる人のほうが重要なんだろうなっていうのは、だいぶ前からわかってるけれど(笑)
 一緒に遊んでて楽しい。だから飽きないんですねえ。MMOのエンドコンテンツはチャットなんて言いますけれど、どんな物事も人と関わっていくことが醍醐味ですよね。
 強い敵倒すのにいっぱい練習して教えてもらってやっと倒せたー!っていうのは、SecondLifeの対極にある楽しさですねえ。遊びだけど、かなり大真面目に練習したりお勉強したりするのもまた楽しい。

 あとは作業やお仕事中のBGMにしていた怪談にハマりつつあります。毎日のようになんか怪談聴いてるんですけれど、最近、家の冷蔵庫が勝手に開いたり、ものが落ちてきたりという事がたびたび起きていまして、、、娘は「ポルターガイストだ!」と騒いでいますが、どうなんでしょうね(笑)
 しかししばらく怪談的なものから離れられない気もしているので、ほどほどに今後も楽しんで行こうと思います。

 私は配信サービス、今の所アマプラしか入っていないのですが、いわゆるテレビでは出来ない内容のものが増えてきました。オンデマンドって自分が観たい時に観たいものを好きなだけ視聴することができて、10代の頃にこんなもんがあったら私は廃人になっていたんじゃないかと……。
 20歳になる前後、毎日のようにレンタルビデオ屋へ行って、適当に映画を借りて適当に見るみたいな事をしていまして。今の子はそれが月額1000円程度で出来ちゃうんだもんなあ。いいなあ。
 それを言ったらインターネットだって、当時は毎晩23時を待ってピーヒョロロローって回線繋いでたわけでね、、、そんな事を考えると、私達は確実に未来にいますね。あの頃在宅で仕事なんて考えられなかったもの。
 バック・トゥ・ザ・フューチャー2の冒頭で出てきたようなテレビ電話も、現実はもっとスマートな方法で浸透していますしね。こういう進歩は、今後もどんどんしてってほしいなー。

 相変わらずとりとめもない内容になってしまったけれど、これ日記だからまあいいな。本当は書いていなかった何ヶ月かの間、もっともっといろいろなことを感じて考えていました。だけどやっぱり書かないと忘れてしまう。
 もったいないなあ、とは思うのだけれどねーー。

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カテゴリー: 日記

本当に好きな人とは結ばれたいから 陽炎また燃えて 2020-03-26

あなたがもし妖であっても
変わらずすきになった 決まってる
陽炎 蜃気楼 逃げ水
なんでもいい 追ったならば 消えても
一番好きな人とは結ばれないのさ
陽炎 いつも陽炎 他に言葉無し
ゆれて 顔もなし

愛は陽炎 / 筋肉少女帯

  発売日のことをすっかり忘れていて、今更買った筋肉少女帯のアルバムの初っ端の曲です。1アルバムに1個くらいこういう曲が入ってるなあ。よい。

 私にはジンクスがありまして、そのジンクスそのままなんですよね。このサビ(笑)。人を好きになると思い出すし、結局このジンクス、継続中なんですけれどね。昔はそういうのがすごく怖かったりしたけれど、今はなんだか、さほど脅かされる事もなくなってきました。これが歳を取るって事か……!

 前回の更新が十二国記だったことに衝撃が隠せません。3ヶ月くらい経っている。前回から今までの間に起きたことは、年が変わってコロナが流行って誕生日が来たことです。あ、母が古希を迎えました。なんかお祝いしてきました。

 この季節に夏休み来ちゃったって勢いで娘が家にいます。仕方がないこととはいえ、これでサボりぐせが加速しなきゃいいんですけれども……苦笑。
  会社も週の後半はほとんど社員が出社しません。在宅ワークしている。派遣社員の身では在宅ではお仕事できないので、私は毎日通っています。ただまあ指揮する人が現場にいないので、決まった仕事が終わってしまうと時間を持て余すことがたびたび。そんな感じなのでこちらもお休み気分のまま一週間が過ぎていくといった塩梅で。非常事態という名目で変わってしまった環境。しかし、この状態にどんどん慣れていってしまう。そして元がどうだったのかよくわからなくなっていく。この感じは東北の震災の頃に経験したのとすごく似た空気だなあと、ちょうど今の季節でしたしね。既視感。

  今月のうちにこの1年を振り返ってみる。とにかく病院へよく行った年でしたほんとに。体が経年劣化していく感じを実感しております。今一番私を悩ませているのは、首。頚椎ヘルニアがいきなり悪化してしまって、大体いつも腕がいたいです。これ、治す方法がないのですよね。治療は基本的に痛みへの対処のみ。リハビリに通え、首を引っ張れ、と言われるのですけれど、効果あるの?っていつも思っています(あんまり実感したことがない)。対処療法ではありますが、整体と鍼は非常に効果が高いのです……が、保険効かなくてお財布的に厳しいのがかなしいです。保険の条件がなかなか厳しいのですよね。

  それ以外にも今年は「地に足をつけて暮らす」という事が非常に大きなテーマになっておりました。苦手なんですよね。地に足つけるの。いつだって大体3mmくらい浮き足立ってるし、お金の計算は苦手だし、3ヶ月先、半年先の事なんて考えられないのです。でもそれじゃだめだぞって神様から怒られまくってた気がする。1年。それでもめげずに隙あらば現実逃避して暮らしているわけですけれども。長年向き合わねばならなかった現実の一端とは向き合った気がする。全部は到底無理です。しんでしまいます。私には向かない。人には向き不向きがあるのです。私は人の心の中の事とか、愛のこととか、そんな事ばっかり考えてるほうが向いているのです。なんのご飯の足しにもならないけれど。

  たまに夢に子供たちが出てきます。彼らが夢に出てくるときは、決まって小さな子ども時代の頃の姿で出てきます。昨日は長男が出てきました。私は夢の中で、当たり前にその年齢の子どものお母さんをしているのです。夢から醒めて、あ、さっきの長男は小学校低学年くらいだったなあと思い出して切ない。子ども時代の子供たちに会うことは二度とかなわず、あの頃にしてあげられなかった事がいっぱい脳裏によぎって、ああ、今ならできるのになあ。って思う。でも出来ない。子どもが小さい頃、周囲の先輩方から「子どもはあっという間に大きくなってしまうのだから、今のこの時期は大変に貴重だ」と言うような事を言われ続けてきましたし、そんなこたぁ分かってんだよ!って思ってきたけれど、これか。この気持ちのうえで彼らはあんな事を言っていたのか、と思う。

  確かに、こんな風な喪失感を感じるとは思っていなかったなあ。だからといって、当時の自分があれ以上何かできたとは思わないし、結局どれだけ何をしたってこういう気持ちになるんでしょうけれどね。子どもは徐々に大きくなるので、この『子ども時代の子どもの喪失』というのは、実感しづらいのでしょう。気づけばなくなってるんだもの。はー。切ない。

  私は決してよい親ではありません。自分の親もいまいちだったんで、子どもが子ども時代にどんな風に親を感じて、切ない思いや寂しい想いをして今に至っているのか、実はわりとよくわかっています。自分も同じような気持ちになっていたから。それを考えるといたたまれないなあ。でももう過ぎてしまったから取り返しはつかないなあ。それを踏まえて今後に生かすしかないのだなあ。

 そういえば母は病気をするまで、「子どもに自分の世話なんてしてもらいたくないからお金をためる」と言うようなことを常々言っておりました。それゆえ子どもである私たちは、相当に困ったときでも金銭的な援助を母に求める事は選択肢になかったのですが。今年の正月、私の歯科医にかかる費用の話になったとき、当たり前のように母が長男に「お母さんの歯のお金払ってやりなさい」って言ったのを聞いてびびってしまった。長男はあのままだと一生結婚しなさそうなのですけれど、そんな話をしたら「いいじゃない。ずっと一緒にいてくれるよ。養ってもらえば」などと言ったこともあわせて衝撃でした。自分が同じような年齢になったら、私はいったいどう思っているのだろうなあ、なんて事を考えながら、子どもに自分の歯科費用を払わせるのには超絶抵抗がある今の私なのです。だったら保険の歯を入れるよ。

  さて、SL方面。相変わらず低空飛行ですが、創作活動は続いています。自分のアバターをいじらなさすぎて、大体常に妙な格好で棒立ちしています。人と新たに触れ合ったりする事にあまり積極的になれない模様です。そうしたい気持ちと、実際行動を起こそうとすると妙なもやがかかってしまって動けない感じ。新たな出会いを求める気持ちがないのは、少々まずいんでないのー?という気持ちもあるのですけれど、どうしたって感覚には逆らえないのです。もうちょっと低空飛行かなあ、といったところ。製作物と向き合ってるのは苦じゃないんだけどねえ。

  そしてドラクエ方面。相変わらず戦っています。ひたすら戦っています。最近また新しいボスが追加されたので、楽しくて仕方がないというところ。戦うという軸でゆるくつながってる人たちとわーわーやるのが大変楽しい。

  あ、出会いっていうのは恋愛的なやつでなく、なんか全般の出会いの事です。これ以上先一歩踏み出す事に、ものすごい抵抗を感じていて、その事に自分で驚いている。そういう感じ。

  精神的な距離の近い人が少しいれば、なんだか私はそれで満足なのか!という、いつもの結論になってしまうわけですが、楽しいからな。それでいいかな(笑)
 

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カテゴリー: 日記

朝にぴんしゃん出掛けて攻めて、暮れて夜には帰らない 2019-12-02

城の南で戦って、郭(とりで)の北で死んだのさ
野垂れ死にしてそのまんま、あとは烏が喰らうだけ
おれのため 烏のやつに言ってくれ
がっつく前にひとしきり もてなすつもりで泣けよって
野晒しのまま ほら、墓もない
腐った肉さ 一体全体どうやって お前の口から逃げるのさ?

(白銀の墟 玄の月 /小野不由美)

 ごきげんよう、たいこです。
趣味は演劇鑑賞、映画鑑賞、読書、アニメ鑑賞、ゲームとかです。
読書はほぼ、小説専門です。ノンフィクションよりフィクションがすきです。
好きな作家を挙げていったらものすごい長くなったので省略。とりあえず、小野不由美が好きです。

 今年の10月と11月に、小野不由美の十二国記シリーズ最新作「白銀の墟 玄の月」が刊行されました。
私がこのシリーズと出会ったのは、2002年8月(娘を産んだ直後だったからはっきり覚えている)。娘は今17歳。というわけで、17年ぶりのつづきのお話だったわけです。

 私の人生の三大没頭して読んだ小説のなかの一つがこのシリーズ。残りの2つは「果てしない物語(ミヒャエル・エンデ)」と「蒼穹の昴(浅田次郎)」。

 お試し感覚で第一巻の「月の影 影の海」を買って、読了後すぐさま本屋に向かって続きを買い、読み終わればまた本屋へ行き、結局シリーズ全て終わるまで、毎日本屋へ通い続けたという・・・。
出産後って感情な部分が過敏になっているので、それもあったのかもしれませんけれど、とにかく久方ぶりに小説の中の世界にどっぷりと入り込んだ作品でした。入ってなかなか戻ってこれない感覚は、果てしない物語以来だったなあ。
とにもかくにも、自分の中では結構強烈な体験として心に刻まれています。

 その、17年ぶりの続きですよ。
続きのお話は全部で4巻。1,2巻と3,4巻が1ヶ月あけて2度に分けて発売されました。
1,2巻の発売日は、あの凶悪な台風が来ていた10月12日で、Twitterではあちこちで「蝕が・・・・・・!」などとつぶやかれておりました。仕方がないよね。泰麒が帰還したのだから蝕だって起きてしまう・・・(笑)


小説自体はとっくに読み終わっていたのですけれど、感想にはどうしてもネタばれが含まれてしまうので。
発刊そろそろ1ヶ月ですし、そろそろ解禁してもいいかなーという感じで書いていきます。ゆえにネタばれ注意です。


 時間は積み重なっていくし、今ある結果はその時間の積み重ねの中で、どのように生きてどのように選択してきたかの現われである。みたいなお話。

 絶体絶命な戴国へ、王様を探し出すために戻る泰麒と李斉。李斉は利き腕を失っているし、泰麒はその力の源である角を失っていて、天上人をして「もはや麒麟とは呼べない」と言われるほどに危うい状況。麒麟がいれば、王気をたどって王様の場所を付きとめられるはずなのだけれど、角のなくなった泰麒には王気も感じられなくなっている。また、彼自身の身を守るための指令も引き剥がされて戻せないまま。
前のお話はまさにこの状況で旅立つところで終わりました。
その旅立ちには、私は絶望しか感じず、「この困難をどう乗り越えるんだ・・・!どう決着つけるんだ!」って不安がいっぱいだったのですけれど。

 今回のお話はミステリー&ホラーな要素が結構多めでした。今、ここで何が起きていて、自分はどうしたらいいかということすら分からないまま話が進んでいく感じは、1作目の「月の影 影の海」の前編を思い出しました。
得たいのしれない不可思議な現象の謎が解けるにつれ、王と泰麒を陥れた阿選の心中も明らかになってきます。
また、泰麒の驚くべき成長っぷりも。

泰麒は決して、最初から最後まであきらめていなかったし、麒麟とは思えないような言動で国を助けようと動きます。
味方すら欺いて。あのスマートさ、10歳で自分の無力を嘆いていた頃から知るこちらからすると「ひょおおおお」ってなります。あの泰麒になるには、蓬莱でのあの最悪な時間が絶対に必要だったと感じる成長でした。

 一方の行方不明だった戴の王、驍宗。彼が登場するのは中盤以降でしたが、つよい。かっこいい。行方不明になってから、自力で脱出するまでのくだりは、まさにスーパー王様という感じで。王に恩義のある民が、沢山の王の部下を匿ったり助けたりしていました。王自身が7年もの時間生き続けていられたのも、その民のおかげなのですけれど。なんかこのくだりは壮絶すぎて本当に泣いてしまう。
余分など一切ない生活のなかで、無理やりにでも供物を作ってそれを弔いとして王に捧げるなんて事、自分に出来るだろうか・・・・・・。本当に、本当に苦悩しながら毎月供物を川に流していたのですよね。そしてそれが、当の王のもとに届いていた。

 そして、道を踏み外してしまった阿選。
謎に包まれていた、彼の凶行の動機も中盤で明かされます。彼自身、こういう理由だとはっきり説明できない感情。
乱暴に言えば、長年切磋琢磨してきたライバルに裏切られて傷ついちゃったって感じなのかもしれません。

ライバルは、決着がつかないからこそライバルでいられるのであって、決着がついてしまえばライバルではなくなる。
負けたほうは、それまで競り合っていたがゆえに、阿選の言葉を借りれば影になってしまう。
人の一生と考えればそれは数十年ですが、彼らは仙であり、神であるわけで、寿命がないのですよね。
それもまた、彼を絶望させた要因なのかもしれません。

阿選がショックを受けたエピソード部分が非常に心に残りました。
また、形は違えど王座を競った相手である李斉が、驍宗に忠誠を誓っている、その対比も趣深いです。
もとより格が違った、というその事実をどう受け止めたかで、その後の明暗がはっきり別れたのが阿選と李斉のように思います。2人とは驍宗と関わった時間も経緯も違いますから、阿選が劣っていたっていうわけでもない。
ただただ、そういうめぐり合わせだったということなのでしょう。
阿選の事を考えると、とても切ない気持ちになります。

驍宗は、王になる前に一度「あなた王じゃないよ」って言われてるんですね。
泰麒が王気の事を理解していなかったことから起こった出来事でしたが、その時に驍宗は戴を去る決意をしていました。
そのまま自分が戴に残っていたら、いずれ新たな王を斃そうと思ったであろう、と。
そうはなりたくないから離れる決意をしたと。
阿選は去ることが出来ず、驍宗は去る決意をした。だからこそ、王は驍宗だったのでしょう。

このお話は兵隊のお話でもありました。
私には兵隊というものがなじみがなさすぎて「もう、ちょっと!」って感じるところも多かったのですけれど。
上官に死ねと言われたら死ぬ的な軍隊の様子は、なかなか・・・これが冒頭の歌につながっていくのですけれど。
なんかもういつになく人が沢山死んで、その死んだ人たちも含めて、沢山の人の想いと犠牲と協力があってこその大団円でございました。
未来のために。自分が見る事はかなわなくとも、この先のこの国の人のよりよき未来のために。
そうやって積み上げてきたものの結果が、このお話の結末であり、またこの先も積み上げていくんだろうなと。

無事に生還した戴王と泰麒ですけれど、そういう沢山の希望を背負って、それでもこの強い王様は長い治世を築くのだろうと、最後のページのイラストでまた感動したりしたのでした。


ほんとはですね、阿選の事を書きたかったんですが、いかんせん小説の内容ボリューム大きすぎて・・・。また機会あったらまとめたいなあ。

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