サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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怖くても誰も背中押さないよ 押す方も怖いから それくらいあなたは勇敢な人 2016-12-02

ぶつかってぐらついてパラシュート引っ張って 絡まっていたりしないか
キリ無い問答不安材料 でも全て抱いていく墜ちられないグライダー
誰にも見えないさ

いつだってそうやって頑張って考えて 探してきたじゃないか
疑った手で掴んで 大切に信じるしかなかったグライダー
雨雲の中 夜明け前
(beautiful glider / BUMP OF CHICKEN )

ちょっと更新していない間になんだか冬ですね!寒い!なんだこの寒さは。
あっという間に12月です。ちょっと前までハロウィンハロウィン騒いでいた気がするのですけれど、SLではタネンバームも始まりましたし、もちろん行ってオーナメントぶん回して参りました。今、飾り付けられたツリーが3本ある。1本は波野家、もう1本は自宅に置いたのだけれど、残り1本どこに置こうかな。。。

 

ごきげんよう、たいこです。

 

ここ2週間位ずっとブログ書かなきゃなあと思っていて遅れてしまった。少々、書き留めておきたい出来事がいくつか。
うちの末っ子の娘さん14歳と久しぶりにゆっくり話す機会に恵まれました。小さい頃から不思議な気遣いをする子で、ネガティブな事を私には隠すようなところがある。彼女の本当の本音を聞いたのは、多分初めて。
我が家に父親がいないこと、父親が会いに来なくなって、再婚もして、子供も生まれたと聞いたときに、自分たちは父親にとっては邪魔な存在なんだろうなって感じた事、実際にそれ以降、父親に会えていないこと、それはとても寂しいと感じるけれど、だからといって両親が離婚したことを責めるつもりはない、それは仕方がなかったんだと思う、とまで言ってしまう彼女の事を見ていて、ああ、この子も親離れしたんだなあって感じたのでした。
彼女なりに、10歳の頃から今に至るまで、自分を変えなければいけないと感じて、実際にそれを実践してきたこと、その結果としてかけがえのない友達ができたこと、そしてその友達に対する気遣い。私はそれを聞いていて彼女の抱えすぎてしまう面を心配したり、それでもそうやって自分の大切な人を思いやれる事に、とても感動したのです。

それは、こういう優しさを持っていてほしいと、私が子どもたちに対して思っていたこと、そのままの優しさをだったから。私はわたしの娘がとても誇らしい。今までそういう気持ちは、全部一人で抱えていたのだろうと思います。私は彼女の話を聞いて、その気持に寄り添うことしかできないのだけれど、きっとこの子はその寄り添う気持ちを力に変えるのだろうなあ。本当に誇らしい。

それで翌日からすごくよくお手伝いしてくれるようになるっていう。単純!でもこの単純さはとても大切なものだなあ。その部分はずっとそのままでいてほしいなあと思うのでした。

 


 

愛情のやり取りが正しく行われると、愛情も優しさも増え続けるっていう話。
逆にそのやりとりが不健全だと、どんどん枯れていくし心は荒むし、ろくでもない。
いつだって前者を目指してはいるのですが、過去を振り返ると、とてもとてもうまく行っているようには思えないわけで。しかし何もしていなかったわけでは当然なく、私は私なりにきちんとやりとりしようと結構頑張ってきた10年でありました。
穴のあいた水瓶にひたすら水を注いでるみたいな気持ちになって心が折れる。気持ちが噛み合ってきちんとキャッチボールができないと、必ずどちらか、または両方が消耗してしまう。けれど、そういう優しさや愛情を受け取った時に、同じようにお返しし続けると自分のなかのそういったものはどんどん増えていくのですよね。差し上げれば差し上げるだけ、もっと大きくなって返ってくる。そしたらお互いにずっと幸せな気分でいられるのです。

誰かに心配してもらえる、案じてもらえる、暖かい気持ちをかけてもらえる事は、当たり前のことではありません。だからそういう気持ちを投げてくれた人に対しては、本当にありがたくて感謝しかない。

愛情を注いだら注いだだけ枯れていくなあ、って感じるのは、きっとそれは愛じゃない。

なんかそういうものが欲しくて、このまま一生手に入れることなくすぎるのかなって不安になったりして、いやいやでもそうなることを信じていなければきっかけすらつかめないんだぞと、自分に言い聞かせてみたり、色々してきた10年余り。
時間は一番いいところで止まるってことがないだけに、こういうのはきっと一生ついてまわるものだと思うし、だから今の自分が満たされてるからといって精進することを忘れるなんて絶対にしちゃいけない。それが相手に対する感謝だったりするわけなのですが、ただ、ずっと不安であった時代の自分に今の自分が「大丈夫」と言ったって信じ切るのも大変なのですよね。
不安だったり諦めだったりで、自分の大切なところを消耗してることに目隠しするのだけは、多分やめたほうがいいなっていうのもこの10年で学んだことです。自分は大切に扱ってあげないと、自分を大切に扱ってくれる誰かには出会えない。

 


生きていくのは大変だししんどいけれど、たまにご褒美みたいに「あー生きててよかった」っていう瞬間は、きっと誰にでも訪れる。いいことと悪いことの割合なんて、多分そのくらいなんです。じゃないといいことが色あせてしまう。

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カテゴリー: 日記

あるぴの ぼくがきみの神様だから あるぴの きみがぼくの神様だから 2016-11-16

あるぴの 白くすきとおった手足とまっかな目をしてどんな夢みていたの
子供のかたちのおばあさんになっても 子供のかたちのおぢいさんになっても
子供のまんまで子供をこさえても 子供のかたちの子供のまま死んでも
あるぴの あるぴの 全部ぼくのせいだよ
あるぴの あるぴの ぼくをおこらないでね
あるぴの ぼくがきみの神様だから あるぴの きみがぼくの神様だから
どこまで行っても空と地面のあいだで あるぴの ぼくらはおんなじところにいるよ
あるぴの あるぴの いつかひとりで ひとりでいっしょに水の上を歩こう

(あるぴの / たま)

 

水曜日です。私は細切れ時間でブログを書いているので、書き上がって公開するまでに2,3日かかるというようなことがざらにあります。前回のは木曜日に書き始めたから5日くらいかかっている。長い。一応なんとなく毎日文章をつなげる作業はしている(はず)です。なので文章の流れがおかしいな、と思ったら「その辺で日付変わったんだな」と思っていただけると幸い。

 

ごきげんよう、たいこです。

 

今週は週明け、いきなりの頭痛で始まりました。たまに来るこのねちっこい頭痛、30代に入ったあたりが一番ひどかったのですが、おそらくPMS的な更年期的なやつなんだろうなーと思っています。更年期、まったく他人事ではなくなって来ています。老化、いやですねえ。自分の体が自分の思うように動かせなくなるってこういう感じなのか、、、と実感することが本当に増えてきている最近。

 


親子って難しいねっていう話。
親は子を愛して当たり前だとか、子は親を尊重して当たり前だとか。親だって子だって一人の独立した人間ですし、子は親の所有物ではありません。もっと言えば、親子こそ自分の意志とは関係なしに強制的に結ばれる、しかし濃くて深い人間関係です。
お互いに選び合って一緒になった夫婦だってずっと平和に暮らすなんて難しいことなのですから、親子の関係が複雑になりがちなのは致し方ない事かなとも思います。
私は、自分の母親から「小さいうちにこどもにしたことは子供が大きくなってから返ってくる」みたいなことを結構聞かされてきました。要するに、子供を蔑ろにした子育てをしていると、子供がおとなになってから相手にしてくれなくなると言うようなことが言いたかったのでしょう。もしかするともっと近い、思春期あたりのことを指していたのかもしれませんが。母がその言葉をどれだけ覚えているのか、私にはわかりませんが、私はその言葉をなんだかじっくりと噛み締めているところです。


私がどのような家庭でどんな風に育ってきたのかを語っても仕方がないので置いておくとして、とりあえず私には両親の影響と思われるコンプレックスが幾つかあります。なかなか厄介なコンプレックスではありますが、今の自分を形づくっている欠かすことのできない要素でもあると思っています。
だからといって、そういうコンプレックスがあっていいとは思えないのですよね。年を経るにつれ、母と自分との目線はどんどん近づいてきますし、今はところどころで、母の見えないところまで見えているような気がします。

 

親は子に甘えがちです。だって子供は、大抵の場合親にはすごく甘いのですから。子供は親がいないと生きていけませんし、何より子供は生まれたときから、無条件に親を愛しているものですから。何をやっても自分から離れない人が子供です。だから本当は、親は常にそのことを考えていなければいけないし、甘えすぎているなと思ったら、どこかで子供にそれを伝えなければいけない。


色々長く書いたけれど、つまるところ、子供のことを一人の独立した人間として扱うべきだって話です。大人は自分で感じたことを考えて言葉にしたりして伝えることができるけれど、子供にはその術がなく、大人と子供の違いってそのくらいじゃないかなと思うのです。感じることは一緒なんじゃないかなと。

そうやって一人の独立した人間として考えたときに、親子というのはややこしい……。
おそらく私の母は親子という視点を崩さないままでいるのでしょうし、私はその枠を取り払って接している、その部分で色々噛み合わないことが出てきているのかなと思っています。
でもね、優しさには優しさが返ってこなければ、関係ってうまく循環しないのですよね。母に対する優しさエネルギーが、どんどん枯渇していっている気がする。。。
もちろん嫌いではないですし、できれば元気に幸せに日々を過ごしてほしいと願っています。出来ればそういう心おだやかでいられる距離で関わって行きたいと思っているのですが。なかなか難しいものですねえ。母と何か関わると、自分が本当に嫌な人になった気分になってしまう。それで自分が落ち込んでいたら世話ないのですが。

幸い、いま私には暖かく私を支えようとしてくれる人たちがいます。一番近くで私の言葉にならないようなぐちゃぐちゃしたのをなだめてくれる人もいます。本当にありがたい。落ち込んでいても仕方がないので、これはおそらく時間がかかることではあるのですが、お互いにいい位置にいられたらなと思うのです。

間に入る妹には本当に申し訳ないなと、思ってはいるのですけれどもね。


私の子供たちのこと。
当然私は自分の子育てが完璧だったとは思っていませんし、今だって幾つかの問題があります。私が母親を観るように、子どもたちも私のことを観るのだろうな。。。と。母がそうだったように、私には想像もつかないようなところで子どもたちは傷を抱えているかもしれない。できるだけそういうようなことを、口に出して確認しあえたらいいなって思っています。
そしてこれは親子ではあるけれど、人と人が関わるときの話。大切な人には、きちんとまっすぐに伝えないといけないよねってお話。かんたんなようで、うっかりしがちな大切なことだなあと思っています。

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カテゴリー: 日記

どうやったって無理なんだ 知らない記憶を知る事は 言葉で伝えても 伝わったのは言葉だけ 2016-11-14

どこにだって一緒に行こう お揃いの記憶を集めよう
何回だって話をしよう 忘れないように教え合おう
死ぬまでなんて嘘みたいな事を 本気で思うのは
生きている君に 僕はこうして出会えたんだから
そしていつか星になって また一人になるから
笑い合った 今はきっと 後ろから照らしてくれるから

(宇宙飛行士への手紙 / BUMP OF CHICKEN)

金曜日は超雨でした。久しぶりに土砂降りだなあって感じています。何も金曜日の朝からこんなに降らなくてもいいのに……。
ごきげんよう、たいこです。

 

気づけば11月も10日がすぎて、9日は甥っ子の誕生日、10日は弟の誕生日でした。こじつけているわけではないけれど、親戚血縁関係の誕生日ってなんだか共通点が生まれませんか。我が家の子どもたちは、なんだかんだで誰かしらとつながりのある誕生日に生まれてきています。1年は365日あるというのに、親戚間で同じ誕生日を持つ人達が数組いるという。ふしぎー。

やあ、もう11月が中盤に差し掛かってるって、びっくりしちゃう。年末に向けて体感時間も加速していくのかしら。願わくばこのままびゅーんと春まで行ってほしいのですが(寒いのやだ)、それでも冬には色んなイベントごとがありますので、なんかそれをご褒美に頑張っていくしかないなと思っています。クリスマスも正月も、親の立場になってしまえばひたすらお金が出ていくというだけのイベントなのですけれどもね。苦笑。
それでも年末年始という長期休みがありますし、今年はいつから休みを取ろうかと、もうそればかりが頭に……。本音を言うと26日から休みたい。ぜひ休みたい。でも26日から休むと仕事納めが22日になる。これは多分さすがに許されない。26日だけ出て休もうかなあ。でも26日休みたい……。
SLのお話。
引っ越しました。この間土地買って引っ越したばかりだったのですけれど、あの時は一人で住む予定だったので、プライバシーとかほとんど考えないで土地を選んだのです。個人的にはあの土地もとても好きでした。水!崖!山!っていう。周囲の混沌っぷりも含めてメインランドを満喫できる立地だったのですが、、、いかんせんニュービーさんのうろつき度が高いのと、近くにサンドボックスがある関係で毎日のようにテロられるのとで引っ越しを。
ニュービーさんのうろつきは、一人暮らしなら何ら問題はないのです。が、セキュリティオーブを入れても敷地内には入ってこれてしまうわけで、プライベート設定にしていても、敷地の中に入ってこられればすべて見えてしまいますしね。人が入ってくると会話を止めて過ぎ去るまで待つ、というのが習慣化していて、やっぱりちょっと不便だなあ、と。結婚したしキリもいいしね、というわけで、今回はプライバシー重視の土地探し。

メインランドは場所により条件様々なので、本当は目当ての土地を探してからしばらく様子見てから買うのがよいのでしょうが、実は一度もそんなことをしたことがありません。ざっと周囲を見渡して、お値段と相談して即決してしまいます。それゆえ住んでから「こんなはずじゃ・・・」ってこともあるのですが、それもまたよし。
今回、気に入った土地が、予定よりも大きな土地だったので、買うと維持費が爆上がりしちゃうなあ…と一瞬悩んだのですが、諸々の条件が良すぎて即決。無事新居を構えることができました。
もともと私はプリムアホほど使う人なので、土地のプリム数なんて多ければ多いほどいいのです。が、広さが想定外。もう、すっごい広い。超広い。今まで使ってた家が小屋に見えるレベルで広い。私には残念なことに、広い場所をかっこよくするセンスが皆無なので、夫の人がきっと、最終的にいい感じに整えてくれるだろうと密かに期待しています。

 


 

この何年か、私は自分のパートナーに自分を理解してもらう事は諦めたほうがいいんだろうなと思っていました。それは最初からあるものではなくて、私がわかってもらうように頑張るところなんだろうなと。それでも、私の中のある部分はずっと理解されないままなんだろうな、とか、そういうのは求めてもきっと仕方がないんだろう、私の望む、思い描く関係性はおそらく都市伝説みたいなもんだろうと。それを相手の人に期待するのは間違いなんだと。
それが今叶ってる気がするのですよね。諦めるまでに三十数年費やしたというのに。そして目の前にそれが現れてはじめて、これこそがなくてはならない、これがなかったらだめなものなんだって分かる。
おっかなびっくりなんですけれども、それでも「これだ」って思った直感を信じて、その他もろもろの怖さとか色々を一つずつ乗り越えて行ってる感じがします。

普通に考えたらいい歳して何を言ってるんだとか浮かれすぎだとか言われそうな事を考えています。上記のような理由で、私は自分が浮かれているわけでもなく、周りが見えなくなっているわけでもなく、すごくニュートラルな状態でそう思っているけれど、それを私達以外の人にわかってもらうのは無理だろうなとも思っています。私が第三者として私達を見ていたとしてもわからないだろうと思うから。
文章にするのがすごく難しい……けれど、これ、傲慢とかでもなんでもなく、自信があるとかないとかそういうことでもなく、当然思い込んでるわけでもなく、これだな。って感じているこの感覚は、感じている自分自身が一番驚いている多分。こういうときに思いつくフレーズが、パズルのピースがはまったとかそういうありふれた感じになるのは、こういうのがありふれた奇跡だからなんだなって思う。どこにでもよくある個人的な奇跡の話。
この週末、夫の人と一緒にいて、今書いたような事はおそらくお互い思ってる事なんだろうなーって感じたのでした。


今日は満月、ウルトラスーパームーンです。お月さまが大きく見えますよ。見えるといいなあ。
この満月で、始まりからちょうど月一周分。前の満月の日を境に私の心の環境はオセロがひっくり返ったみたいに違う。こういうことが起きるってことも未だに慣れない。慣れないって言葉が合ってるかどうかはわからないけれど。昨日、そうかもう満月がやってくるのかー。あっという間だったけど、ずっとこうしてる気がするねえなんて話をしていました。
本当にお話として人に話したらどこにでも転がっている、よくある話なのです。けれど個人的な事柄に関しては、ありふれた話ほど当人にとっては大きな重要な話だったりするのです。

どうやったって無理なんだ 知らない記憶を知る事は 言葉で伝えても 伝わったのは言葉だけ はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記