サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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あるぴの ぼくがきみの神様だから あるぴの きみがぼくの神様だから 2016-11-16

あるぴの 白くすきとおった手足とまっかな目をしてどんな夢みていたの
子供のかたちのおばあさんになっても 子供のかたちのおぢいさんになっても
子供のまんまで子供をこさえても 子供のかたちの子供のまま死んでも
あるぴの あるぴの 全部ぼくのせいだよ
あるぴの あるぴの ぼくをおこらないでね
あるぴの ぼくがきみの神様だから あるぴの きみがぼくの神様だから
どこまで行っても空と地面のあいだで あるぴの ぼくらはおんなじところにいるよ
あるぴの あるぴの いつかひとりで ひとりでいっしょに水の上を歩こう

(あるぴの / たま)

 

水曜日です。私は細切れ時間でブログを書いているので、書き上がって公開するまでに2,3日かかるというようなことがざらにあります。前回のは木曜日に書き始めたから5日くらいかかっている。長い。一応なんとなく毎日文章をつなげる作業はしている(はず)です。なので文章の流れがおかしいな、と思ったら「その辺で日付変わったんだな」と思っていただけると幸い。

 

ごきげんよう、たいこです。

 

今週は週明け、いきなりの頭痛で始まりました。たまに来るこのねちっこい頭痛、30代に入ったあたりが一番ひどかったのですが、おそらくPMS的な更年期的なやつなんだろうなーと思っています。更年期、まったく他人事ではなくなって来ています。老化、いやですねえ。自分の体が自分の思うように動かせなくなるってこういう感じなのか、、、と実感することが本当に増えてきている最近。

 


親子って難しいねっていう話。
親は子を愛して当たり前だとか、子は親を尊重して当たり前だとか。親だって子だって一人の独立した人間ですし、子は親の所有物ではありません。もっと言えば、親子こそ自分の意志とは関係なしに強制的に結ばれる、しかし濃くて深い人間関係です。
お互いに選び合って一緒になった夫婦だってずっと平和に暮らすなんて難しいことなのですから、親子の関係が複雑になりがちなのは致し方ない事かなとも思います。
私は、自分の母親から「小さいうちにこどもにしたことは子供が大きくなってから返ってくる」みたいなことを結構聞かされてきました。要するに、子供を蔑ろにした子育てをしていると、子供がおとなになってから相手にしてくれなくなると言うようなことが言いたかったのでしょう。もしかするともっと近い、思春期あたりのことを指していたのかもしれませんが。母がその言葉をどれだけ覚えているのか、私にはわかりませんが、私はその言葉をなんだかじっくりと噛み締めているところです。


私がどのような家庭でどんな風に育ってきたのかを語っても仕方がないので置いておくとして、とりあえず私には両親の影響と思われるコンプレックスが幾つかあります。なかなか厄介なコンプレックスではありますが、今の自分を形づくっている欠かすことのできない要素でもあると思っています。
だからといって、そういうコンプレックスがあっていいとは思えないのですよね。年を経るにつれ、母と自分との目線はどんどん近づいてきますし、今はところどころで、母の見えないところまで見えているような気がします。

 

親は子に甘えがちです。だって子供は、大抵の場合親にはすごく甘いのですから。子供は親がいないと生きていけませんし、何より子供は生まれたときから、無条件に親を愛しているものですから。何をやっても自分から離れない人が子供です。だから本当は、親は常にそのことを考えていなければいけないし、甘えすぎているなと思ったら、どこかで子供にそれを伝えなければいけない。


色々長く書いたけれど、つまるところ、子供のことを一人の独立した人間として扱うべきだって話です。大人は自分で感じたことを考えて言葉にしたりして伝えることができるけれど、子供にはその術がなく、大人と子供の違いってそのくらいじゃないかなと思うのです。感じることは一緒なんじゃないかなと。

そうやって一人の独立した人間として考えたときに、親子というのはややこしい……。
おそらく私の母は親子という視点を崩さないままでいるのでしょうし、私はその枠を取り払って接している、その部分で色々噛み合わないことが出てきているのかなと思っています。
でもね、優しさには優しさが返ってこなければ、関係ってうまく循環しないのですよね。母に対する優しさエネルギーが、どんどん枯渇していっている気がする。。。
もちろん嫌いではないですし、できれば元気に幸せに日々を過ごしてほしいと願っています。出来ればそういう心おだやかでいられる距離で関わって行きたいと思っているのですが。なかなか難しいものですねえ。母と何か関わると、自分が本当に嫌な人になった気分になってしまう。それで自分が落ち込んでいたら世話ないのですが。

幸い、いま私には暖かく私を支えようとしてくれる人たちがいます。一番近くで私の言葉にならないようなぐちゃぐちゃしたのをなだめてくれる人もいます。本当にありがたい。落ち込んでいても仕方がないので、これはおそらく時間がかかることではあるのですが、お互いにいい位置にいられたらなと思うのです。

間に入る妹には本当に申し訳ないなと、思ってはいるのですけれどもね。


私の子供たちのこと。
当然私は自分の子育てが完璧だったとは思っていませんし、今だって幾つかの問題があります。私が母親を観るように、子どもたちも私のことを観るのだろうな。。。と。母がそうだったように、私には想像もつかないようなところで子どもたちは傷を抱えているかもしれない。できるだけそういうようなことを、口に出して確認しあえたらいいなって思っています。
そしてこれは親子ではあるけれど、人と人が関わるときの話。大切な人には、きちんとまっすぐに伝えないといけないよねってお話。かんたんなようで、うっかりしがちな大切なことだなあと思っています。

カテゴリー 日記