人間の顔のピーポくん
生きた本物のピーポくん
警察官
(まじんのおのようこ / 水中、それは苦しい)
すごく短い曲なのだけれど、すごくよい曲だと私は思います。
「そりゃそうだ。」って言いたくなる。そんな曲。
この人達の曲は、聞いているこっちが不安になるような歌詞が多いのですが、
悔しいけれど笑ってしまう。そんなバンド。
ごきげんよう、たいこです。
SLのお話を少し。
土曜日にお友達のミキさんのところでフェチパーティーというものが開催されました。
ドレスコードはエロティック!という素敵なイベント。
普段エロとかほとんど無縁なのでして、そんな素敵な格好はないわーと思いつつも遊びに行って参りました。
会場がとってもとっても綺麗!!!で、ゴスゴスした格好がしたくなる素敵会場でございました。
3フロアあるうちの1つ。
思ったよりもたくさんのお客さんが来ていて、動くとやばそうな雰囲気がビシビシだったので(重たさのせい)隅っこで大人しく座っていたのですが、大変楽しい時を過ごしました。
ぼけっと会場を見渡していたら、「私だけを見て」という意味深なセリフが聞こえ…
気づいたらこんな感じになっておりました(ノ´∀`*)
DJさんたちの曲もとても気持ちよかったし、ホストの皆様の気配りもとても素晴らしかった。
来る人たちの「エロティック」は、それぞれのアバターに表現されていてそれもまた楽しかったです。
年1回って感じでやりたいなーなんてお話も小耳に挟みました。
来年はもちっときちんとエロティックな格好して臨もうと思ったのでした。
ちなみに私の持論は、プラトニックが一番エロい。だったりします。
これはちょっと譲れない……!
恋と性欲って切り離せない気がするのですが、かといって性欲だけでは恋は成り立たないのよなあ。
恋から性欲を引いた後に何が残るんだか、実はよくわかっていません。
愛ではない気がする。
愛には責任がくっついてくると思うのです。
こういう事を思ってるから私の愛は重たいのだろうなあ。と思ったり。
自分ひとりのなかで完結するならば、愛したものに対して、愛しているそれだけでいいと思う。
けれど、愛した上で関係を築くなら、その愛は伝えねばならない。
相手に伝わらなければ意味のないものなのですよね。
いくら愛してる…!と念を送ったところでそれは届かない。
そうすると何が起こるかというと、愛している相手に「自分は愛されてない」と思われてしまうという、
なんとも切ない感じになるわけです。
今、私の頭を悩ませている事がこの「愛を伝える」ということだったりしていて。
どうも私の愛情を疑っている節のある若い男の子たちにどう伝えてやろうかと。
ええ、思春期まっさかりの息子たちなんですけれども。
一番やっかいな上の息子ちゃん。
甘やかすことが愛じゃないのよ。ということがまるで伝わりません。
面倒なことも厄介なこともあえて口にするのが愛だ、とわかってくれるのはいつの日になるのでしょうね。
その面倒なことや厄介なことを見事なスルースキルによって聞き流しているここ数ヶ月。
そろそろ聞き流していられない時期に突入していると思うのだけれどなあ。
なんだかこんがらがっちゃったこの関係は、煮詰まった恋愛にすごく似ている気がするよ。
もう一人の息子ちゃんは、容赦ない感じで私のことを試している気がしないでもない。
気持ちはあるけど体が動かないのよう、という言い訳はまったく聞いてくれなさそうです。
なんで毎日お弁当があるのよ。。。。!
末の娘は1日に必ず1回は「お母さん大好き!」と抱きついてきますが、
これが彼女なりの不安の裏返しであることは実はよくわかっている。
けれどそのわかっていることを伝える事ってなかなか難しいのですね。
お弁当といえば、今日会社ですごい話を聞きました。
会社の同僚さんの家族が飲食店をやっていた頃の事。
毎日のようにお店に通ってくる女性がいたのだそうです。
彼女はシングルマザーで娘とふたり暮らし。
娘は連れて来ないでいつも彼女一人でお店に来ていたそう。
心配だから娘さんも連れておいで、と言っても留守番させては一人でお酒を飲んでいたようです。
で、その彼女が娘にお弁当を作っているという。
何を作ってあげるの?と聞いたら「納豆ご飯」と。
お弁当箱にご飯と納豆を入れて娘に持たせていると。
さすがの私も驚きました。納豆ご飯はお弁当にならないよ!
納豆はあっという間にシャリシャリで美味しくなくなるよ!って言う前に臭いよ!
何よりそんなお弁当を友達の前で開く娘さんは本当に悲しいんじゃないかと思うのです。
私の母も、弁当箱を開けたら弁当箱の中全部いなり寿司(酢飯じゃなくて普通のご飯)だったり、
2段の弁当箱のどちらにも赤飯が入っていてごま塩すら振ってなかったりとか、
かなりとんでもない母ではあったのです。それで喧嘩もしたことがあります。が、
なんかまだまだ甘かったな、、、って思いました。
いやあ。。。世の中には色んな人がいるものです。
ちなみに私は、小さい子供を一人で家において夜出かけるっていうのもちょっと無理です。
子供っていうのは簡単に死ぬものだから。
小学生になって、子供同士で遊ぶようになって、日が暮れても帰ってこなくて
近所を自転車で走りまくって子供を探すっていう経験は、どの子供の時も経験した出来事。
最初は子供のほうも時間の感覚がつかめないのですよね。
外で遊んでいれば、空が暗くなるのである程度つかめるのでしょうが、
イオンの中みたいな屋内に入ってしまうとその感覚がわからなくなる。
どの子も一度はやって、私にこっぴどく叱られています。
話が逸れた。
たとえ小学校に上る前から簡単な料理が出来るようになっていようとも、
10歳にみたない子供に私のいないところで火を使わせることはしたくない。
何をやらかすかわからないのが子供なのです。
紙に火をつけたら火事になる!とかもわかってなかったりするのです。
で、実際にやっちゃったりするのです。
自分の弟を幼いうちに亡くしている経験も手伝ってか、小さい子供に対する私の心配っぷりはハンパない。
今、自分の子供たちはやっとそういう心配のない年齢に差し掛かってきました。
それにともなって自分で使える時間も増えました。
喜ばしい反面少しさみしくも感じる今日このごろでございます。
手が離れるにつれ、少しずつ私も子供の入り込まない時間や場所を増やしていくべきなんだろうなあ。
そうやって親も子も、少しずつお互いから離れていくのでしょう。
それが、一番自然な形なのだろうな。
長男より先に次男がその領域に足を踏み込みかけています。
嫌でも彼らと一緒に暮らす日々が少なくなってきていることに気づきます。
きっと大事な時間を今過ごしているんだろうなあ、と思う反面、
自分の時間が増えることに喜びも感じていたりするのです。