サボテンとバントライン
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世界は遊びとはいえない、殺し合いのようなャッチボールなんだ 2013-07-09

双子の姉の女の子と植物園に行った
やるせない娘で、やさしく美しかったが、誰もそれに気づいてはいない
気づくものか、わかるものか、わかってたまるか
だが、お前だけはわかってあげなさい
お前がかなしみにある時、彼女は喜びにある
春の夜の人のいない伽藍の底に、シンメトリに双子の少女がいて
遊びとはいえない、殺し合いのようなキャッチボールをしている
ぶつけ合っては血の色の、泣き笑いの双子の野球だ
その姉のギリギリの思いを、怒りを、やるせなさを
お前がなぜ人に伝えないというのか、このバカ野郎
俗世間にのまれたか
伝えろ! 伝えろ! 伝えろ! 伝えろ! 伝えろ! 
お前が人に本当に伝えたいことだけを、お前は今から
彼女の綺麗な魂のみを伝えたらいいじゃないか
大丈夫だ、君ならできるよ
伝道師よ
世界は遊びとはいえない、殺し合いのようなャッチボールなんだ
(GURU / UNDERGROUND SERCHLIE)

気分的なもので。
なんか色々すっ飛ばしてるんじゃないのかと空にむかって悪態をつきたくなるほど暑かったです。
通勤時はまだ朝夕なのでよいのだけれど、お昼休みに出た外の気温が殺人的すぎた。
同行していた人たちの口からも「暑い」以外の言葉が出てこない始末。
節電も大切なのでしょうけれど、エアコンがないと今年は死んじゃいそうだなあ。。
ごきげんよう、たいこです。
週末に映画を観に行こうと思い立って映画館まで行ったら満席で入れなかったでござる。
「俺はまだ本気出してないだけ」が観たかった。。。
予約して行ったほうがいいなと心に誓った土曜日。
そのまま本屋に行って子どもたちに本を買い与え、次男が所望した帽子を探してモール内をうろうろし、
うろうろし続けても一向に見つからないメッシュのキャップにしびれを切らした私は
次男をおだてまくって半額くらいになっていたパナマ帽を買い与えたのでした。
そういう帽子はまだちょっと…と躊躇していたらしき次男ですが、まんざらでもないようで。
帰宅後、
「お母さん、この帽子流行ってるの?帰りに同じ形のかぶってる人いっぱいいたね」
と、可愛らしいことを言うのでした。
それは君がその帽子に意識がいっぱい傾いているから目立つのだよ。次男くん。
彼も中学2年なので、そろそろTシャツ短パンキャップだけでなく、
ちょっとオサレなポロシャツなんかを着て出かけるようになったらいいと思う。
ただでさえ背が小さいのだから、そういう所で少し背伸びをするとよいのだ。
気づけば彼らの服を子供サイズで買うことがなくなりました。
メンズコーナーで一番小さいものを探して回るようになって思う。
「子供服ってなんてお買い得だったのでしょう。」
そうはいっても成長することは喜ばしいことで、そろそろオシャレに目覚めてもいい頃合いで、
一向にそういうものにむとんちゃくな長男に少々キケンを感じつつ。


日曜日は七夕。
子どもたちも大きいので、家で七夕飾りでわぁわぁと言うことはなくなりました。
今年は短冊見学ツアーみたいな遊びができなかったなあ。
短冊の願い事を読んで回るのが好きです。
本当に色々なことが書いてある。
SLでは七夕を多少意識した笹のアクセサリを作りました。
笹の小枝に短冊と輪飾りがついているようなもの。
短冊にはお願いごとを書くものですが、アクセサリに私のお願いごとを書いて売っても仕方がない。
色々と頭をひねっていくつかの言葉と絵をかきました。
いくつかは元ネタありきで。
「これでいいのだ」だとか「痴漢は死ね」だとか。
死ねという言葉が強いので、一瞬躊躇したのですけれど元ネタであるところのゴールデンスランバーでは、
この言葉がすごく素敵な役割をするのです。
本当に素敵で、私はこのフレーズが大好きです。
それは、この言葉を作り上げた小説の中の主人公のお父さんのキャラクターを如実に表したものでもあり、
その姿勢は本当に、感動するものなのです。


人は誰でも幸せになる事ができる。
幸せになることに権利など必要がない。
そして、幸せのかたちは千差万別だ。
「資格がない」と言ってしまうことは、そこで自分の人生を投げ出していることになる気がする。
幸せであるということは、とりあえず今までの今の自分の生きてきた道と今の自分の現状に納得しているということ。これでいいのだ。と思えるということ。
そう思えないのならば、すぐさまそう思えるように行動するべきだと思う。
幸せになりたくない人はいないと私は思う。
だからそれを「資格がない」と投げ出すことは自分に嘘をつくということだ。
幸せになるということは、それまでのすべての自分にきちんと落とし前がついているということだ。
終わったことは終わったことで、そこに確かに罪があろうとなかろうと人は明るい方向へ行きたがるものだと思う。
そこに乗っかっている重石が大きいか小さいかというほどのものだ。
人は反省することのできる生き物で、反省したらすべてがチャラになるわけではないけれど
反省しなければ過去のあんなことやこんなことは昇華することができない。
誰からも好かれようとか誰からも恨まれないとか、そういう生き方は絶対にできない。
生きていれば誰かとかかわらざるを得ず、関わってしまったら事の大小に関わらず、
どうしたって影響を与え合ってしまうものだ。
そこには嬉しい影響もあればありがたくない影響もある。
そしてその影響は、どんなものでも自分にフィードバックされる。
私は自分の近しい人が、自分の幸せを諦めるなんてことは絶対に嫌だ。
自分の幸せって自分だけにしか見えないものだし、その望みで誰かを決定的に傷つけてしまうこともある。
かくいう私だって、子どもたちからしたらとんでもないことをしでかした母に違いない。
彼らは父親のことだって愛していたのだから。
まだまだ親という存在が必要不可欠である年代に、子どもたちから父親を取り上げてしまったのだから。
私側にどういう理由があるにせよ、子どもたちにとって「父親がいない」という事実に変わりはない。
離婚したときはすごく反省したし、ダメになった原因だって考えてみた。
そうして少しずつ自分を修正して、今がある。
物事は捉えようでいかようにもなる。
色々あったけど満足だ。と、死ぬ直前に言えるような感じになりたいなあ。

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