サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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そして楽しくとても幸せに食事の時間が我が家に訪れる 2013-05-21

一番最初にお父さんがこわれた
盆栽をいじりながら枝をグニャグニャにまげ ポキポキ折り
そしてにっこり笑い だけどイライラして
次にお母さんが自然にこわれた
とても慎ましくひっそりしていて そんな意外さはあったけど
そしてどこか遠い所を見ている
(こわれた/たま)

すごく好きな曲です。
滝本晃司はあんまりここまで露骨な曲をつくらないので、
逆にこの曲がすごく印象に残る。
よく聞いてると結構とんでもない歌多いんですけれどね。あんまり目立たない。
けれど私は昔から滝本晃司が好きです。一番好きだ。
たまの映画の滝本晃司のインタビューを観ていて知った事実がいくつかありまして。
私は曲は聞いているけれど、たまっていうグループの内情ってあまり知らなかったのでですね、
この人、たま見て「お。入りたい」って、ベース弾けないのにベース担当で入ったらしく。
メンバーの中で、さよなら人類がヒットした当時に結婚していた唯一のメンバーでもあったらしく。
やっぱりなんか素敵な人だなあと思って今でも眺めているのです。
ごきげんよう、たいこです。
先週半ばから週末にかけて、一人遊び大会みたいな感じで一人で遊び倒していたんですけれども。
金曜日に映画観に行きました。県庁おもてなし課。
小説読んだばっかりでですね、小説はすごく面白かったんです。
で、これを題材に映画にしたら面白い要素たくさんあるなあと思いながら映画化の流れを眺めていたんです。
映画化決定したから文庫になって、やっと読めるよ!っていう感じだったんですけれどもね。
原作のよく出来ているものの映画化って大失敗か大成功かどっちかな感じがするのですけれど、今回の映画は……うーん。もったいないなあ。っていうのが印象。
小説をそのまま映画にするのって不可能で、小説1冊の要素を全部映画に突っ込むと、映画はおそらく数時間の超大作になってしまいます。詰め込める要素は原作の中の半分っていうところじゃないかなあと思う。
で、半分の要素のどこを取るかで映画の切り口って変わってくる。中には大改造して別のものになってしまう作品もあるけれど、映画として面白いならばそれはそれでアリだと私は思っています。
県庁おもてなし課の何が面白いところかって、お役所と民間の温度差とか、民間からバッシングされるお役所の、お役所側から見た事情とか、そしてそれを打破していこうとする若い県庁職員掛水君の初々しい育ちの良さだったりすると思うのですが、なんだか高知いいとこ一度はおいで映画になっちゃってる気がしました。
原作で描かれる伝説の県庁職員の感じもなあ。。なんかそこを省くとこの人薄くなっちゃうんじゃない?っていう違和感がいっぱい。その行動で出しきれなかった分を、「あの人はこう思ってたんじゃないかなあ」っていうセリフだけで片づけちゃってもそれは説得力がないんじゃないの?と思ったり。
思い切って恋愛要素削ったっていいような気さえしましたよ。と。有川浩って言えば初々しい恋愛要素必須なんだろうけども。私もそこは嫌いじゃないんだけれども。けれどそこがサブになるからこそ、有川浩の小説は面白く読めるんだよなあ。
まあその恋愛要素にしても、キャストミスってるよなあとしか思えないヒロイン。
もっとこう、元気あって女の子女の子してない感じじゃないのかー?と思ってしまった。有川浩の小説に出てくる女の子ってだいたいタイプが似ていて、皆それを想定して読み進めたんだと思うのだけれど。。。
全体的に俳優の使い方が下手だなあ。。。という。私の大好きな小日向さん、一瞬しか出てない……!しかもそのシーン、果たして必要か?って思ってしまった。
もったいぶって最後にこの人物は誰かみたいなカット入ってたけどさ、写った瞬間から気づいてたと思うよ。見てた人皆。
ほんとそれなりによい役者さんもたくさん出ているし、題材も面白かっただけに残念。。。
同じタイミングで公開している図書館戦争の出来がよかっただけに。。。


土日はそこはかとなくSLで遊びまして。あ。本も読んだ。
しっかり読んでいたと思っていた東亰バンドワゴンの1作目を、実はちゃんと読んでなかったことに気づく。
読み返してから気づく。面白かった。
坂木司の和菓子のアンもとうとう買ってしまって読んだ。面白かった。
和菓子のうんちくとかが楽しかった。日本って素敵だなあとか思えます。おすすめ。
SLでは土曜日に街コンが開催されておりまして、私は身代わりマリーを街コンに提供したんですね。
21時~23時までの2時間。
SLで様々な出会いを求める皆様に私も店主として出会いまして。
身代わりマリー始まって以来の大勢のお客様にもおいでくださいまして。
やっぱり言われる「気になってたんですけど今まで怖くて来れなくて」。
怖くてすみません。怖いのは看板だけなんです。説明文が苦手ですりんくの説明文も意味不明です。
そんな怖いことないんですけどね。実際。
普段接することのないいろいろな人と接することが出来ただけ、興味深い体験でございました。
来てくれた方はありがとうございます。そして皆様よい出会いに恵まれたでしょうか。


日曜日は中の人若干自棄気味になっておりまして。
水着で暴れたりビキニで暴れたり色々と暴れました。
あとはお買い物を。少々。
なかなか難しいことだとわかってはいても、やっぱり待ってしまうものは待ってしまうもので。
わーわーと遊んでいても、そこはかとなく気にし続けている状態ってのは実はちょっと厄介で。
それでもがっつり気にしないようになってるだけ進歩なんですけれどもね。
残されてる時間が少ないことを気に病んでみたりもします。中の人乙女ですから。
でもなかなかに難しいことだってのもわかってるから、それで文句を言う気持ちにもならないのです。
その、なかなか難しい事の内訳だって想像しないほど強くもできていないわけでですね。
なんたって中の人乙女だから。
責める気はない。だけど何を言ってもごめんなさいと言われるとちょっと距離を感じてしまう。
過ぎ去った時間は過ぎ去った時間で、もう終わってしまって今はないものでして。
そんな取り返しのつかないものにこだわっていても仕方がなくて。
限られている時間なのだから、その限られている時間は楽しく使いたいと思うのです。
我ながら本当にめんどくせーなー自分。と思います。
なんかちょっと違うふうに接したかったんだけどなあ。。。
ちょっとうまく行かなかったなあ。。。
というちょっとした自分反省会も含めつつ。


人に期待しないというのは悪いことではない。寂しいことではある。
人に期待しないのは裏切られるのが嫌だからだとも思う。
裏切らない人はいない。それは世の中がそういうふうにできているから。
期待をするっていうことは信じるっていうことだから、本当は結構なエネルギーを使う。
普段気軽に期待をしない分だけ、期待の重たさが未知数っていう感覚。
自分にさえ期待をしないでいる生き方はちょっとしんどいけれど、それも自分で飲み込めるならアリだと思う。
期待をすることにも勇気がいるし、期待をしないでいる決断をすることにもそれなりの勇気がいる。
どちらが悪いことでも良いことでもない。
ただ、そういう2つの考え方があるだけだと思う。
自分のコンプレックスをなんとかする作業って大変で、そりゃそういうものがなくなったほうがいいんだろうけれど、けれどそこまで一生懸命になくすべきものでもないと思う。
世間一般に見て……という見方なんてしても仕方がないし、世間一般は私個人のことは助けてくれない。
誰も私のことは助けてくれないから、自分でどうにかするしかない。
これは私に限った話ではなく、世の中のすべての人や物事に関して言えることだと思っている。
悪いこととかいいことなんてひとつもなくて、それは自分が好きか嫌いかって事だと思う。
その人がよくてやっていて、きちんと自分で尻拭いが出来るならば何をやったっていいと思っている。
きちんと責任が取れるかどうか。その境目を知っていることこそが私にとっては一番大切だ。
そういう考え方になってから、許せない事柄がすごく減った気がします。
いつ頃から身についた考え方なのかはよくわからないけれど、間違いなくここ数年に身についた考え方で見方です。
今のところ、この考え方が自分の中で一番しっくりくるので、私の行動基準はこの感じです。
私に他人の言動を批判する権利はない。私の言動も誰に批判される筋合いもない。
けれど、好きか嫌いかの感想は言ってもいいし、聞くべきだと思う。
その言葉の裏側の気持ちはわかっていても、その言葉自体で傷つく事はある。
だから、相手のことはよく見て言葉をかけたいし、出来れば相手にもそうして欲しい。
だってそれは洒落だから、と言われても、傷ついてしまったものは取り消せない。
わかっていてもやっぱり傷つくって事柄も、言葉にはある。
そういうものを汲んでくれというのは甘えでしかないし、その甘えは悪いことではないのだけれど、
甘えられる度合いをはかったほうがいいと思う。
そう思った時にきちんと相手に伝えることも大事で、そういう訓練が私には必要である。
そういうことをきちんと言える間柄の人が何人かいることは、
自分にとってはかけがえのない財産なんじゃないかなとも思う。
大切にするべきは、そういう関係にある人達。


体重計に乗ってちょっとした衝撃を受けました。
うん。。。ちょっとダイエットしないとまずいねこれ?

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