サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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あの人は軸がブレてない、素敵。 2011-10-03

もう、わかったぜ 報われぬ そのわけ
人として軸がぶれているのさ
あぁ、わかったぜ ふるえてる そのわけ
誰からも支えられてないからさ
(人として軸がぶれている/特撮)

あえて特撮って書いてやる!
なんとぼんやりしているうちに10月になってしまいました。
まだまだ9月が続く気でいたよ。。
10月に入った途端、秋がやる気出したかのごとく寒いですが皆様お体大丈夫ですか。
職場ではすでに、半数くらいの人が体調不良を訴えて「インフルエンザかも」と、
恐ろしいことをニヤニヤしながらつぶやいています。
会社に、来るな!
ごきげんよう、たいこです。
月曜日から寝坊ぶっかましまして。
「おかあさん、もう7時半だよ、あ、8時だった」
という、素敵過ぎる娘の優しい声に起こされました。
一瞬で目が覚めるよね。ああいう時ってね。
シャワー浴びて一服して、玄関先で靴に悩み出社。
300円のカンフーシューズが役に立った!買って1年くらい経つけど初めて履いた!
カンフーってのは地面がつるつる滑っても大丈夫なものなのでしょうか。
300円のカンフーシューズの靴底はつるっつるで、自転車のペダルを何度も滑りそうになり、
意味もなくスリリングな爆走自転車となりました。
月曜日だっていうのに。。。
遅刻はしなかった。マックに寄ったけど遅刻はしなかった。
そんな自分がちょっとだけエライと思った朝。


「変わった人」とか「変人」とか。
要するに軸のブレちゃってる人たちのこと。
「たいこの周りって変な人が集まるじゃない?」
えぇ。そのとおりで反論のしようもありません。
自分でその理由を考えてみたこともあるのだけれど、なんだかよくわからないのでそのままです。
なんとなく、「話を聞く」からじゃないかなと思うことはあります。
なんとなく、「好奇心」が原因じゃないのかなとも思うことがあります。
しかしこの2つの要素は私からは切り離せない。だから仕方がない。
面白いモノばかりを求めて35年生きて参りました。
面白いモノは、その気になれば日常生活のあちこちに転がっております。
そういものを細かく細かく発見してはクスクス笑う、そんな幸せを噛み締める日々でございます。
私は自慢じゃないですが、笑いの沸点は非常に低いです。
ただこれが芸人の芸みたいな話になると、一気に沸点が跳ね上がります。
なもんで、普段生活しているとかなりの確率で笑っています。
笑うことは大事だ。うむ。
で。面白いことばかりに重点を置いて暮らしていますと、
一風変わった人が周囲に集まってくる、という、そういう事じゃないかなとうっすら思っているわけです。
それでですね、集まった人同士が、
あの人変わってるよね、とか、あの人のこういうところが変だ、みたいな、そういう話をするわけです。
もちろん皆、それなりに自分のなかで一本筋の通った何かがあるので、
自分主観で行けば自分がいちばん普通なわけです。
そうなると世の中に変わってない人などいないことになるんだけれども。
軸がぶれてるっていうのは、その自分の中心たる軸がブレてる人たちの事を言うんだと思うのですよ。
だいたい普通、おおよそ普通、世の中の80%くらいの人たちはこの範囲に入る っていう大きな輪があって
その中に入る人は、きっと普通の人。
そこからはみ出ちゃう人が、軸のブレてる人。
そう考えると、ブレてる人ってきっと10人に2人くらいいるってことになる。多いな!
私の周りには、RLもSLも問わずこの軸のブレてる人が多いと思っております。
自分がブレてるのも若干理解しております。
直す気はあんまりない。
無理なことはしない主義です。
さっきから話しが若干右左していて、無駄に文章が長くなってる気がするんだ。
でもなんか読み返したら負けって気がするからこのまま突っ走る。
「たいこの周りには変な人が集まって来る」の、「集まってきた人たち」が、
「あの人って変だよね」と、他の集まってきた人たちへの評価をくだすことはあんまり意味がないよね?
あんまり意味はないんだけど、言いたい気持ちもよくわかる。
そして皆が皆のことを「あいつは変だ。おかしい」って言い合っているそんな感じ。
誰も彼も同じ穴の狢だという自覚がありゃいいんですが、
なんとなくそこの部分、自分で思っている以上に他人から見るとぶれてるよ、的な感じのあれこれを感じる昨今。
そんなものなんでしょう。きっと私もそんな風に見られているのでしょう。
人と関わることが、またほんの少し怖くなっている自分がいるみたいです。


なんだか違うようで似た話。
人見知りを自称する私ですが、私は人見知りに加えて非常に受動態な人間でございます。
平たく言えば卑怯でチキン。
自分から何かを誘うとかできないし。
ただただひたすら待ちの姿勢な人間関係。
仲良くなる人はだから、ズドーンと飛び込んで来る人が多い。
そういう人は大抵私に好意を持っていてくれるので、私も遠慮なく付き合えたりする。
うん。。
ズドーンと行くほうがいろんな力使うんだよなぁ。って実感したわけです。
なんだかこれじゃいかんのじゃないか私、みたいな。
そういう感じ。
もちろんそれには向き不向きもあるんだろうけれど、
必要になった時に必要以上に尻込みする癖はなんとかしないとなーと。
かといって、どうしたらいいのかさっぱりわからないんですけれどもね。
なんかこう、そういうものを聞ける・聞けない間柄の距離感ってのはすごく気にします。
自分の限定解除してしまうと、私はどこまでもどこまでもウザい人になる自信があるわけです。
私は他人との距離をはかるのがとても苦手だから。
だから、相手の心地よい距離感に合わせようとしてしまう。
故に必要以上に踏み込めない。
なので、すっごい近づいてるように見えてまったく近づいてないとか、
なんかそういうことも多々あるんだと思います。
逆に、結構近づいてるつもりなんだけどそう見えないってことも多々あるのかもしれない。
不器用ゆえのフライング攻撃です。
よくあることです。
なんか損してる気がしてきた。


やっぱり人と関わるのが若干億劫になってる気がするなぁ。
こういう文章を書いてみて気づくこと。
人と関わるのが億劫なのに、人と一緒にいたくて仕方がない。
どう考えても季節のせいです本当にありがとうございます。
こういう時は創作活動みたいなものに勤しんだり、
数少ない気の置けない友達とだらだらしたり、
どーでもいいほんとにお天気の話しのような話をしたり、
そんな風に時間を潰すのが正解なのかもしれないね。
創作の秋、芸術の秋、読書の秋ってこれ、そういう意味で非常に理にかなってる。

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