サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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有頂天 2011-06-28

たった一本のスプーンを折る為
僕らは呼ばれたんだ
風吹く町に
みまがう時の
イタズラなんだろうね
あえなく折れるたった一本の宇宙
精神病院の閉鎖病棟から
呼び出されてテレパシーで
ロシアのサーカス団、イカサママジシャン
呼び出されて
あらがえなかった
宗教団体の集会の最中に
呼び出されてテレパシーで
路上生活者は段ボールの中から
呼び出されて
あらがえない
光る風よ
スプーン耐えるな
(OUTSIDER/電車)

すごく好きな曲でございます。
はみ出ちゃった人たちへの優しい目線がたまらない!
私ははみ出しきっているわけではないのだけれど、若干はみ出し気味であることは自覚しています。
「なんで皆と同じ感じにならないんだろう私?」
と、悩んでいた事もあります。今もちょっとあるw
きっと生まれ持ったものと育った環境によるんだろうなぁとは思うのです。
だってうちの母は絶賛はみ出てる人。
先天的にしろ後天的にしろ、それが半分ずつにしろですよ。
どちらも親が影響してくるのだから、これはもう親の呪縛からは抜け出せないということです。
開き直るしかない。
そして我が子も。かわいそうに…。
マイペースという言葉がありますけれども。
なんとなくゆっくりしてるイメージがあるのは私だけですか。
マイペース=ゆっくり。
しかし、本当にマイペースな息子を持った母は、マイペースとは言葉の通りの意味なのだなぁと実感しております。
すごいんだ。何があっても自分のペースを崩さないんだ。
何を言ってもどう脅しても響かなーい。崩れなーい。
結果、信じられない部分に穴の開いた子になりました。
あの子はきっと生まれながらにしてズレている。
私の母からつながる、ちょっとブレちゃった血を引いてしまったのだな長男。。。
マイペースは、世界が自分の中で完結しているうちは揺るがないのです。
それはもう、びっくりするくらい平穏な世界なのです。
だって世界には自分しかいない。
自分の関わりたいように世界とかかわり、大切な人とかかわり、失うこともない。
片思いして振られてみたりもするけれど、所詮恋の走りだったりしてね。
傷がつくのは自分の些細な自尊心。
それさえなかったことにしてしまえる、自分一人の世界のなんと平穏で退屈なことか。
私がその一人の世界の扉を開いたきっかけはイジメでありました。
12歳の頃、クラスの男子全員からイジメられたのですよね。
今考えればイジメられるのも当然というKYっぷりだったので致し方ないわけだが……。
と言って、イジメを肯定する気はさらさらないですよ。
人は集団になると、最も簡単に団結する手段としてイジメるんだと思ったりする。
敵を一人つくっておけば、その一人を攻撃することで簡単に人はまとまるから。
そして、人を傷つけることはきっと楽しいことなのでしょう。
集団でやっていれば、自分だけじゃないっていう安心感もあるのでしょう。
本当に幼稚な行為だなと思います。いじめ。
ああ、話が逸れた。
で、私はクラス中の男子から「キタナイモノ」扱いをされたのですね。
キタナイモノと認識される原因が、今までの学校の中に於ける自分の行動だと気づいたのは、
学校を卒業する前後でした。
私はそこから初めて、自分の見る風景の中に自分自身も入れるようになったのだと思います。
おそらく、大半の人はこの行為、子どものうちに当たり前にやってることなんだろうなぁ
なんて思ったのは、もっともっと後の18歳くらい。
自分の見る風景の中に自分を含めたとたん、自分がどう振舞えばいいのかが分からなくなる事がよくありました。
いや、これは今でも変わってないかも。
自分のとる行動の意外なところで、周囲の人間が引き潮のように引いていくさま、とか。
弱気になると世の中の人間すべてから逃げて部屋の片隅でただただ天井でも眺めていたいwwwwww
とか思ったりするわけです。しないけどね!おとなだから!扶養家族もいるから!
大槻さんは、小説「縫製人間ヌイグルマー」の中でも色濃くマイノリティである人々の悲しさを描いている。
攻撃が最大の防御といわんばかりのフリークスの皆様の暴れっぷりは、ハチャメチャで滑稽で、とてもかなしいのだ。
さて。
ごきげんよう、たいこです。
前置きがいつになく長いwwwww長いwwwwww
しかも書きたかった事書けてないwwwwwwww
書きたかったのは、無自覚であるということは怖いことだということと、
無自覚というのは自覚出来ないからこその無自覚であり、今自分が無自覚に荒れていても、自分には分かりようがないあたりが恐怖だって事なんです。
この結論をどこからつなげようとして上のような文章になったのか。多分マイペースあたりだろう。
昨日小説を読み終えました。
最近映画とかなんとかで小説ペースが落ちておりましたが、たまに落とさないとお金が続かないのだ。
森見登美彦の「有頂天家族」。とってもとっても面白かった。
京都に住みつく狸の家族の話。天狗の話。半天狗の話。人間の話であって、
京都ファンタジー!っていうような荒唐無稽な話がおもちろおかしく語られていくのだけれど、
素敵な家族の絆が描かれていたり、ちょっとした乙女心が描かれていたり、
しょーもない話の合間に垣間見えるそんなものがまたよいのです。
狸というものは阿呆なもので、阿呆であることこそが偉大。
無駄を愛する心にあふれた素敵な作品なのでございます。
これぞ、阿呆の血のしからしむるところだ。
阿呆とはなんと可愛らしいものなのでしょう。私は可愛らしいものが大好きです。
ものすごく大切な人の大切な人であっても、自分自身がその人と初対面ならば、その人は知らない人だよな。
情なんてはいる余地もないよな。みたいな当たり前のことにしみじみしてみたりね。
あまり書くとネタバレになってしまうのでこのへんで。
森見登美彦氏の小説は、文庫化したものはかたっぱしから読んでいるけれど、私はこの「有頂天家族」がいちばん好きだなぁ。他の小説もすんごい面白いです。太陽の塔をまず読むべきだ。そして夜は短し歩けよ乙女を読むべきだ。
森見氏の作った素敵な世界も最後まで読んでしまって寂しさもひとしおです。。。
なんて嘘です。。。いやホントなんだけど。
今はちょんまげプリンを読んでいます。
買おうかなーどうしようかなーって半年くらい迷ってて、結局こないだ買いまして。
なかなか面白そうでなにより。
あとには図書館革命も控えています。わーいわーい!たーのーしーみー!
シリーズものは長いだけに読み応えもあるし、物語に深く入り込めるので好き。
だけど終わっちゃった後の寂しさもひとしお。。。
早く!早く!次次!って読んでいる時がいちばん幸せなひとときなのです。
一度読み終えてしまったら、あの感じはもう味わえないのだ。何度読み返してもね。
こないだの文庫本整理で出てきたラノベ。
キノの旅と灼眼のシャナ。
これも面白かったなぁ。シャナは結局最後まで読んでないんだけどさ!
あのなに、IとかIIとかあの表記って、数が増えれば増えるほどわけわからなくなるよね。
ほんっと10冊を超えるシリーズには、普通に数字を振っていただきたい。。。。
タイトルは、ここまで書けばわかるだろう小説のタイトルから。

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