サボテンとバントライン
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やさしさってなあに? 2011-02-12

ごきげんよう、たいこです。
気分はすっかり土曜日なのですが、まだ金曜日なんだよねーーーー!
三連休って素晴らしい。
私まだウイルス性胃腸炎が完治せずにうだうだしておりますが。
医者の言うことも聞かずに、ちょろちょろと物を食べては一進一退を繰り返しております。
……食べないとお手手震えるんだぜ?
で、今日は思い立って携帯を機種変してまいりました。
みんなが持ってるiPhone!はキャリアの問題で見送りまして、なんせ我が家には4台のドコモケータイがあるわけです。ええ。。。
ドコモのスマホといえばぎゃらくしーなわけで。
シャープと少し迷って結局ぎゃらくしー。
なんだかんだでこういうものをいじっているのは楽しいです。
アプリのほとんどが英語なのはもうしょうがない。馴染め。慣れろ。俺。
パソコンデスクに座って携帯をいじる、というよく分からない感じで1日を過ごしました。
まるで新しいおもちゃという感じですが、この熱はいつまでつづくのでしょう。
スマートフォンに夢中になっているオトナの気持ちがよくわかった1日でございました。
さて。
私昨日仕事の合間にですね、優しいってのはどんなもんなんだと考えていたわけです。
あなたは優しい人ね。とか、私もとってもよく使う言葉。
私は優しい人が好きだし、優しい人になりたいとも思っていたりします。
優しいのとずるいのは似てる。
優しいのと甘ったれるのも似てる。
私は出来ればずるいことは最小限にしたいし、
甘ったれるよりはきちんと甘えたいし、
きちんと甘えられたい。
で、優しいってなんだろうね?ってちょこっと考えたわけです。
私は近しい人から「優しい人だ」という評価をたまにもらいますが、私は別に優しい人ではないのですな。
優しい人になろうとしている人で、出来れば人を傷つけたくない、
人を傷つけたと思うことで自分が傷つきたくない、
という、かなりずるい気持ちを内に秘めている人間でございます。
そう。これはずるい考え方。でもきっと、だれだって大抵そんな風に思っているような気もします。
うん。
「優しい」みたいな事柄って、その人それぞれに基準がある気がしてきた。
なので、せっかくなので、私の思う優しいをつれづれと書いて行ってみよう。
私は、優しさは想像だと思う。
相手の基準に立って気持ちの流れを読む、すなわち想像することだと思う。
自分がされて嫌なことを、ひとにするのはやめましょう って、学校の道徳で教わるわけじゃないですか。
人の気持ちを考えよう、とかさ。
ほんとに最初に知らなければいけないのは、私とあなたは違うって事じゃないのかなぁ。
なんつって、頭じゃ分かっててもなかなか思い切れないのですけれど。そういうふうに。
優しさとか思いやりっていうのは、
「あの人だったらこういうもの、喜んでくれるかしら」とか
「あの人はこうされたらどう思うかしら」とか
そういう風に考えることだと思うのですね。
で。
だれだって余裕がある時は、そういうふうに物事を考えられると思うんだ。
例外はあろうけれども。
問題は、自分がピンチになってる時。
まあそんな時は他人になんて優しくする余裕はないです。当たり前。
しかし自分がピンチになっている自覚はもっていないといけないよね。
他人を思いやれなくなった人間は迷惑を周囲に撒き散らすから。
何度そういう思いをしたかしれません。
私は阿呆ですから、自分でなんどもそういう経験をしないと気がつかないのです。
周囲の近しい、大切だと思っている人たちに多大なる迷惑をかけて、
それでもいいよと笑ってくれる人たちがいて、
当然、大半の人たちはそこで離れていって、
苦くて幸せ、みたいな、それをぐちゃっとすると、
恥ずかしくて穴があったら埋まってしまいたいと思うような、強烈な経験だったりするわけで。
うーん。。。
やっぱり、ダメダメになってる時に甘えられる人間ってのは、1人2人いるべきなんだなぁ。
この、甘えるのと依存するのも境目が難しくて、
ものすごい絶妙なバランスの上に成り立つようなもの、という気がしているわけですが最近。。。
厳しい優しさ、とかもあるし、その場だけの優しさもあるし、
そもそも無責任な優しさならいくらでも振りまけるよ。
耳障りのいい言葉だけがやさしさなら、どんな人だって優しい人になってしまう。
やっぱり考えてもまとまらないなー。
結論。優しさは難しい!

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