龍コインロッカーベイビーズ 読み捨てたマリー
性犯罪ポッケいっぱい 17で6回
よーアバズレじゃないんだ 頭よくて
マリー本を読んでたんだ 太宰読むぜ
太宰はスーサイドその時愛する人だけ死んだ
マリーが死んだその時 誰が生き残るの?
僕らは身代わりマリーの歌を歌おう
マリーは代わりに落ちていった
マリーの孤独は普遍的で僕たちの共通項
身代わり この世界は 誰かが身代わりさ
(身代わりマリー/特撮)
爆誕というアルバムは特撮のファーストアルバムですが、
アルバムの中に一貫して貫かれてる身代わりな話。
マリーは悪くなくて誰かの身代わりで大変な不幸を背負い死ぬ。
マリーが死んだらやっぱり誰かが身代わりで不幸に落ちていく。
非常によいアルバムです。大好き。
アルバム通じて何度か出てくる、
I WANNA BE YOUR DOG
I WANNA BE YOUR GOD
っていうフレーズもとても好きです。
これは私の願望そのものだなぁ。と、若いころに聞いて思ったのでした。
SとかMとかの話が私たちはとても好きですが、(好きだろうみんな)
SとかMとかに必要以上に傾いてる人たちって子供時代に関係があると思う。
私はSでもMでもなく、というかそういう経験は一切ないですが。
ただちょっと、「この世界に入ったら私は行くとこまで行ってしまう」って思ったことはあります。
ものすごく怖かったので慌てて蓋をしました(ノ´∀`*)
異常に強く結びつきたい人たちなんじゃないかなと思います。
その、異常に強く結びつきたい願望は、私の中にも確かにあるのでわかる。
それは、なんかもう一つの丸になってしまいたい欲求。
自分の中のどう頑張っても欠けてしまっている部分を、ピッタリと埋め合わせてしまいたい欲求。
一人で完全な丸になっているような、欠けているもののないような人はいない。
みんなそれぞれ、どっかしらが欠けているものだと思います。
ただ、その欠けっぷりが大きい人ほど、その欠落部分を埋めたくなるんじゃないかなぁ。
私は自他共に認めるダメンズ好きですが、同時に幸せになりたいとも思っている。
望まない形で深く人と付き合うことはしたくないわけです。
だから、ダメンズ好きは卒業するんだ!って躍起になっていた時代もありました。
っていうかそれつい最近だ。ここ数年の話だ。
そういうふうに躍起になってみて気づいたこと。
人はそうそう変わらないってこと。
私のファザコンの根本のところは治らないってこと。
そしてそれはそんなに悲観することでもないかもしれないってこと。
人と人との関わりはすごく個人的な事だから、振れ幅がどれだけあってもいいじゃないかってこと。
私から観たら理解できない関係も、当人同士がそれでハッピーならそれでよいのであって。
ダメンズっていう言葉のダメの基準がどこなのか、それは人によって違うよねー。っていうこと。
私はずっとお友達を欲してきて、そのお友達欲はもう2年越しの欲なのです。
この欲の正体をきっちり見極められるような気がしてきている。
それは、具体的にどういう感じの間柄になりたいのってこと。
私には親友と呼べる人がいます。ひとりだけ。
もう1年以上会ってないけどやっぱり私の中ではその人が今のところの一番。
彼女はあんまり否定しない。大体肯定してくれる。
その、とりあえずの肯定が何より自分をつよくしてくれているんだなってよくわかる。
私は彼女に何かを与えられていたのか、実はよくわかっていない。
でも、きっと何かしら与えられていたんだろうなって思うことができる。
「たいこはそのままでいい」って言われ続けたことは、私にとっては実はものすごく大きな力になってる。
会ってなくても言葉を交わしていなくても信じられる間柄っていうのはとっても貴重で素晴らしいものなんです。
しかし、遠くの親戚より近くの他人っていう言葉もある。
そういうのをすごく欲してる。
私には今自分を筆頭にした家族がいるわけです。私世帯主。
だからひとりではないのだけれど。
いかんせん私の家族に対して、私は責任がありすぎる。
それでも世の親と呼ばれる人からしたら、私は子供に対してぶっちゃけすぎているきらいもある。
そして私の家族はまだまだちょっと未熟なのである。
私の思っていることや感じていることを、彼らに話しても彼らにはきっとピンとこないのだ。
彼らは、多分困っちゃうんだ。当たり前だ。まだ小学生だし中学生なのだから。
ちなみに私は親から絶大な信頼を寄せられすぎて、自分が甘えるより親が自分に甘えかかった
という子供時代を過ごしています。
お友達感覚で子どもと接している、と豪語する母でしたが、ラインの引き方をちょっと間違えてたと思う。
悪気はないし、愛してもくれているのです。
ただその伝え方と接し方に問題があっただけ。
お友達として接するならば、お友達なりの礼儀は必要だと思う。
相手の年齢や経験値を加味して、背負わせてもいいものと悪いものの区別はつけようよ。ママン。
そんなわけで、とてもじゃないが私の家族には背負わせられないような物事を軽く受け流してくれるような、
また、その物事を軽々と持ち上げてくれるような、笑い飛ばせるような、そういう人を求めているのです。
話を聞いているようで聞いていない、聞いてくれない。
親は好きだ。でも、私の欠けている部分については理解してくれない。
しようとしないんじゃない、できないんだと思う。
自分は自分のためにしか生きてなくて、相手も相手自身の事でいっぱいいっぱいで、
だからこそ、自分が楽しいな、嬉しいなと思った瞬間に相手も同じように感じるってすごく嬉しいこと。
さらに何かのたすけになるならば、こんなに幸せなことってないよね。
無理せずにお互いのエネルギーがやり取りできる。そんな感じに憧れ続けています。
昨日のブログは半分寝ながら書きました。
我ながら書いてある事が素すぎていたたまれないです。恐るべし睡魔。
明日は運動会なのです。お肉とかを仕込んで余裕かましてブログ書いてたらこんな時間。
運動会のあとで楽しみにしていた一人芝居も観に行くのです。子連れで。
はぁ。なんだってこう大きなイベントが重なっちゃったんでしょう。
うだうだ書いてないでとっとと寝ろって話ですよね。
えぇえぇ。寝ますとも。