サボテンとバントライン
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誠の名に集いし遠い日を あの旗に託した夢を 2015-01-14

いとしき友はいずこに
この身は露と消えても
忘れはせぬ 熱き思い
誠の名に集いし遠い日を
あの旗に託した夢を
(新選組!OP / 三谷幸喜)

 3週間くらいかけてまとめてドラマを観て、なんかもう感動しちゃってしみじみと幕末の壬生寺、八木邸をウロウロしたのは何年前の出来事だったか……。とてもよいドラマでした。
 江戸時代ってのは260年くらい続いていたわけで、それだけ長く続いた平和な時代が終わって変わったのだから、そりゃー皆大騒ぎだっただろうし、だからこそいろんなドラマが生まれたんだろうなと、今の自分達の暮らしに照らし合わせて考えると納得します。SLで八木邸を見るとドラマの新選組!を思い出す。。
 ごきげんよう、たいこです。今日の記事はとても長いうえに、本当にちらしの裏です。面白くないよ。
 
 というわけで、1月10日のお昼ごろ、京都幕末SIMがクローズしました。2007年の6月くらいにオープンしたSIMだったはずなので(私は2007年7月からSLを始めている)、私がSLで生まれた頃にはもうあったSIMです。ネットコミュニティで流れる体感時間はリアルの3倍とか言われますが、7年を3倍すると21年。長いですね。当然、7年前にあった人間関係と今の人間関係は、だいぶ違ったものになっています。私は生まれて間もない頃から幕末SIMに居着いて友達を作り、今に至るもろもろを築きあげてきました。自分が7年も同じサイトで続いていることに関しては、自分の性格上あまり驚くべきことではありません、が、7年も続けている人のほうが少数派なのがネットのコミュニティだったりします。SLも例外ではなく、7年前のあの頃に仲良くしていた人とは、ほぼつながりが切れてしまっています。
 2007年当初、日本ではセカンドライフが必要以上に話題になり、今までインターネットで遊んだことのない人たちが大量に押し寄せました。企業がこぞってセカンドライフにSIMを持ち、自社のプロモーション活動を繰り広げました。企業SIMを巡って遊ぶという遊びは、今のセカンドライフでは考えられませんが、当時は当たり前にそんな遊びがあったのですよね。プロモーション以外でも、SIMを買って小分けにしてレンタルをする、という不動産的な商売をする会社もありましたし、大抵のユーザーはそういう会社の運営するSIMで土地を借りたりしていたのではないでしょうか。これも今では考えられないことですが、土地を借りるとお祝いのお花が届く(個人用のお家でさえ)というくらい、土地を持つと言うことがオオゴトだった時代でもあります。
 その頃に誕生したのが幕末SIMです。「KYOTO」と名前のつくSIMなので、生まれたばかりでとりあえずどこか日本ぽいところへ……と思ったユーザーが検索でたどり着くという事も多かったのではないでしょうか。ちなみに幕末は3SIMまで増えましたが、個人運営のSIMでした。
 幕末SIMができた頃、日本の大きなSIM郡は確か3つくらいありました。何年か後に、2つのSIM郡は相次いでなくなりました。今、法人としてたくさんのSIMを持っていてレンタルを行い、商売をしているのはメタバーズひとつじゃないかなあ、、、と思います(よく調べてないので正しいかはわかりません)。
 その中でも幕末SIMは3つのSIMを維持し続けていました。SIMが誕生した頃の家賃の相場のままに、いわゆる「家賃の高いSIM」として、他の不動産屋がどんどんレンタル単価を下げる中でも(7年の間に円高になったりしましたしね)当時の家賃のまま。最初の3年くらいで、SLにいる人達のSLの遊び方はどんどん変わっていきました。遊び方が変わるということは、その中にいる人が変わっていくということです。ほぼ毎日INして精力的に活動していた人たちの顔ぶれが変わるということです。その中にあって、きちんと運営し続けていました。
 私は幕末SIMのコアメンバーになったことはありません。なんかこう、SIMオーナーっていうだけで「すごいひと!」っていう風潮が2007年にはあって、SIMを運営する人たちやSIMオーナーなんて雲上人!みたいな気分だったのです。個人的に。小さな土地を持ってる!お店やってる!っていうだけで「おおすげえ!」となる時代でしたしね。そんなこんなでちょっと離れたところから、それでも幕末ではかなり好き勝手やらせていただきました。お化け屋敷を作ったのがきっかけで、今の波野家のイメージはあると思うし、ノリで始めた怪談ラジオもかなりの長寿企画になりました。お化け屋敷といえば波野家、みたいなイメージも、毎年恒例とまで言われるようになったホラーナイトも、当然去年のカガミも、最初のきっかけは、500プリムの土地でちまちまと作った幕末お化け屋敷なのです。
 今の波野家になるきっかけのひとつが幕末、もうひとつはアルベロという巨大モール、この2つの成分で波野家はできています。アルベロがなくなったのはだいぶ昔ですが、あの時もなんだかとてつもない寂しさを感じたものです。。。
 お店をやって、コンテンツを提供していく側の人たちもどんどん入れ替わります。ちまちま続けていた私は、ただ続けていただけで老舗と呼ばれることもありますが、実は商売を意識しはじめたのはお店を作ってからだいぶ後のことだったりで、かなりマイペースに自分のやりたいことをやってきています。が、作り続けることの大変さやしんどさは、私にもわかります。いいものを作ってしまえばそれ以上を作っていかねばならないし、何よりセカンドライフで出来ることがどんどこどんどこ増えていって、物を作り続けていくには、商売をつづけていくには、どうしても新しいものを学ぶことが必要で。おかげで今の、なんということでしょう!な綺麗でリアルなセカンドライフがあるのですけれども。
 幕末SIMは個人運営でしたが、何人かのスタッフがいて初めて成立するようなSIMでした。そのスタッフも入れ替わる。けれどオーナーはずっとそこにいなければならない。会社じゃないから仕事じゃない人たちの集まりですし、おそらくこの7年の間に何度もしんどいことやら寂しいことやらもあったと思うのです。7年間、ほぼ7年前と同じスタイルで運営し続けてこれたことは、本当にすごいことだと思うのです。だってネット時間に直したら21年なんだもの。
 なんだか無駄に長くなっている。思っている事はうまく言葉にできない事で、それゆえに長くなる長くなる。
 10日のお昼ごろ、私は幕末SIMにいました。ちょっとどうにもこうにも最後だけはいたかったってのがあって。午前中、プラプラとSIM内を散策していて、もう見慣れた風景があって、そこにあるのが当たり前の建物があって、これがあとすこしで跡形もなく消えてしまうのだなあ、という実感がどうしても持てず。私にとっては本当に特別な場所だったんだなあ、なんてことも実感しつつ。
Flickrにはちらっと書いたのですが、幕末の波野家の裏っかわに龍馬さんと十五屋さんがいて。壬生寺の着物市会場には終わる時間になってもたくさんの人がいて。正午予定だった閉鎖もだらだらとどうでもいい話をしつつ20分も押して。だらだらとしてしまう気持ちも痛いほどわかるし、何しろ自分もだらだらしたい気分だし、最後のグダグダこそがうまく言葉にできないあれこれのすべてだった気がします。
 セカンドライフはリアルで生きていく余分を使って楽しむ場所です。すべてをひっくるめて考えて、楽しさがプラスにならなければいる意味のないところです。娯楽だもの。私自身は全てをひっくるめて楽しい方向に傾いているので続けているし、これからも続けるだろうなと思っています。けれどその感覚は人それぞれだし、当然ネットの中にいるのも人間同士だから、しがらみやら何やらも色々あるんですけれども、それでも自分自身を優先させていいところだと思っています。だって娯楽だから。楽しむためにしていることが義務になるなんて本末転倒だから。
 感傷的になったこの年末年始のあれこれも、そろそろ気持ちを切り替えて次のことを考え始めなければなりません。終わったことは終わったこと。幕末が終わったことは、今後私の中でやはり何かしら影響を与えて行くと思います。そして人も物事も、そうやって変わり続けて行くものだと思っています。
 タイミング的にも色々と物事が切り替わるタイミングだったよそういえばね、と、こういう時に少し自分の感情と距離を置いて考えるのに、占星術は便利。目前にはイベントの締め切りが迫っていますし、イベントは次から次へとやってくるので、ひたすら作り続けることがメインのセカンドライフはまだしばらく続きます。
 ひたすら作り続けている横で、一緒に楽しんだり応援してくれているパートナーの人との時間も今はメインだったりしますが(笑)
 長い事つらつらと書きましたが、今日の日記は本当にチラシの裏!個人的な思い入れをここにぶちまけて、気持ちを新たにするのです。こういうけじめは、多分大事だと思う。

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